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第8話 お姫様の条件④


 夜の帳が、箱庭(ガーデン)を覆い隠す。

 優美な銀食器が並ぶ、けれど人気のない食堂で、一人の紳士が静かな笑い声を漏らしていた。灰色の髪を丁寧になでつけた、鋭い視線の男性である。


 テーブルの上には、小さな紙袋が置いてあった。その中から一つのパンを取り出すと、紳士はそのパンを大切そうに白い皿の上に置いた。まるで、美食家を呻らせる高級な珍味のように。


 もっとも、見た目はただのパンである。

 しかし、紳士にとってそれは紛れもなく珍味だった。


 左手に握ったフォークで固定すると、右手のナイフを慎重にパンに差し込んでゆく。いつものパンに比べ、焼き色が鮮やかだった気がしたが、紳士は気にしない。愉悦に満ちた笑みを浮かべながら、ナイフを降ろしてゆく。

 そして真っ直ぐに入れられたナイフが、パンを二つに切り分け――


 次の瞬間、紳士キンベルは大きく目を見張った。


「なっ! これは……!」


 二つに切り分けだパンの断面を見る。白い小麦の色。しかしそこに、紳士の望むものは入っていなかった。


「ど、どういうことだ……?」


 キンベルが驚きの声を上げた、そのときだった。


「――あなたが欲しいのは、こっちのパン?」


 鈴が転がったような、可憐な声が響く。

 いつの間にか開け放たれていた窓から、一人の少女が入ってくる。


 それは、溜息が出るほどに美しい少女だった。紫がかった赤いドレスに、絵描き帽のような丸帽子。腰まで届く髪は、鮮やかな血色をしている。白磁のような手足を、球体の関節が繋いでいた。


 球体関節?


「こんばんは。私はナインス。アリス姉様の九番目の妹人形。シスターズ・ナインス」

「シ、シスターズ……だと!」


 キンベルの顔が、蒼白になった。


「あなたが欲しいのは、このパンだね」


 ナインスが、どこからともなく一つのパンを取り出す。少し焦げた、しかしおいしそうなパンである。

 しかしそれが『醜いもの』であることを、もうすでにナインスは知っていた。


 ナインスは、それをスッと宙に放り投げた。それと同時にジャキン! という金属音が鳴り響く。


 山なりに虚空を舞ったパンは、最終的にキンベルの目の前にある皿に中央に落ちた。良く見ると真横に真っ二つになっており、その隙間から金色の針のようなものが顔をのぞかせている。針の長さは手の平ほど。まち針のように、お尻の部分に丸い玉がついていた。


「違法麻薬『アンデルセン』」


 少女が、軽やかな声で言った。


 アンデルセン――それは、ガーデン内で違法とされている合成麻薬の名前だった。依存性は少なく、注射針との一体構造のため扱いも楽。一部の地域では合法と認められてすらいる。


 しかしこのガーデンでは、市民を堕落させるものとして厳しく取り締まられている薬物だった。それでも租界から持ち込まれ、秘密裏に売りさばかれている。その売買ルートの捜査と摘発には、ALICEの電探調査網やシスターズの一部も動員されている。


 そしてその調査をしていたシスターズの一人が、シクスというわけだった。


「……シクスも始めからそう言ってくれれば良いのに」


 ナインスは、愛用の大鋏シザーズ・マリーを掲げながらぼやいた。その声の中には、全く気付かなかった自分に対する恥ずかしさも含まれている。


 とはいえ、今は反省するときではない。今の自分に与えられた役目は一つ。


 ショーの執行だ。


「それにしても、まさかパンの中に違法麻薬を入れて運ぶなんて」


 ナインスは、ガタガタと震える紳士を無感動に見つめながら、


「知ってると思うけど、アンデルセンは違法麻薬。売った人間も、買った人間も、かかわった人間も、全て殺処分指定だよ」


 そして、人形の少女は軽やかに言った。


「この世界に、醜いものは許されない」

「う、うわあああああああ!」


 席を立ち、慌てて逃げ出そうとするキンベル。

 しかし――


「残念」


 ジャキン、ジャキン! という金属音が二度鳴り響く。

 首と針。斬り飛ばされたそれらが、宙を舞った。


「ふう、こっちは終わりだね」


 血糊を振り払いながら、ナインスは窓の外に浮かぶ月に向かって言った。


「そっちはよろしく、シクス」






 ◇ ◆ ◇






 夕食も終わり、後は寝るだけという夜。

 普段なら買ってきた恋愛小説でも読みながらベッドに入っているジュリエットだったが、その日はランプのあかりの中、鏡の前でクルクルと自分の姿を眺めていた。


「なんだか、本当にお姫様になったみたい」


 ジュリエットが今来ているのは、昨日もらったドレスだった。薄桃色の生地に、白いレースがふんだんにあしらわれている。スカートの膨らみも大きい。これをくれた人形の少女曰く、自分のお古とのことだったが、よく手入れがされていたのか新品同様の色つやだった。


 綺麗なドレスに身を包んだ自分を、ジュリエットはうっとりと見つめる。ぽつぽつとあるそばかすも、黒い猫っ毛も、この時ばかりは気にならなかった。


「ごきげんよう、とか言っちゃったりして。えへへ」


 しかしそれにしても、とジュリエットは思う。


「いーなー、シクスさんもナインスさんも、普段からこんなドレスを着れて。顔もすっごく綺麗だし、スタイルも良いし。あたしもシクスさんみたいに綺麗に生まれたかったな」


 よくよく考えれば、彼女たちはまさにお姫様なのだとジュリエットは思う。シスターズといえば、都市の女王の妹である。女王の妹ということは、まさしくお姫様と言うことだ。


 自分みたいな凡人とは違う――本当のお姫様。


「ま、無い物ねだりか」


 ちょっとばかり項垂れつつ、ドレスを脱ごうとする。

 と、そこで、ふと彼女はあることを思いついた。


「そういえば、この時間ならまだジャックが明日の仕込みしてるはずよね? えへへ、いーこと思いついちゃった!」


 ジュリエットが思いついたのは、このドレス姿をジャックに見せてみようというものだった。ジャックのことなので気の利いた台詞は期待できないが、きっと驚かせることくらいは出来るだろう。


「もしかしたら、あたしが綺麗すぎて見惚れちゃうかも!」


 キャッキャッと笑いながら、ジュリエットは部屋を出た。善は急げだ。

 自室を出たジュリエットは、スカートの裾を踏んづけて転ばぬように注意しながら、実家部分と繋がっているお店の方に向かった。どうやら両親は寝ているらしく静かだ。


 良く見ると、お店の方から明かりが漏れているのがわかった。


 しめしめ、とジュリエット。抜き足差し足でお店に入り、工房へ繋がるドアの隙間から身を踊らせると――


「じゃーん! ジャック、どうだ!」

「うわっ!」


 工房の中で作業していた青年ジャックが、見事にひっくり返った。その拍子にお鍋でも散らばったのか、けたたましい金属音が鳴り響く。


 大成功だった。


「驚いた、ジャック?」

「ジュ、ジュリエット!?」


 ジャックは目を白黒させながら、


「ど、どうしてこんな時間に? もう寝てるはずじゃ?」

「えへへ、ジャックにこれ見せてあげようと思ったのよ!」


 ジュリエットはその場でクルリと一回転した。薄桃色のスカートがふわりと舞い上がる。

 最後にシクスの真似をして一礼すると、ジュリエットは満面の笑みを浮かべた。


「どう、綺麗でしょ!」

「あ、ああ……」


 わずかに頬を赤く染め、こちらを見つめてくるジャック。

 どうやら自分に見惚れているらしいと、ジュリエットは上機嫌になった。浮かれ気分で、その場でクルクルと回る。


 その時、ふいに自分の足下に何かが転がっていることに気付いた。一瞬、かき混ぜ棒かと思ったが、そうではない。


「なにこれ? まち針?」


 拾い上げ、ジュリエットはきょとんと目を瞬かせた。

 まち針のように見えるが、それにしては大き過ぎだった。長さが自分の手の平くらいある。革製品を縫うときの縫い針にも見えるが、それなら糸通しの穴があるはずだ。けれど穴はなく、まち針のような玉がついているだけだ。


「ねえ、ジャック? これ何か知ってる?」

「か、返せよ!」


 そこで、ジャックが飛び付くように手を伸ばした。ジュリエットの手から針をもぎ取る。


「ど、どうしたの、ジャック? ていうか、それなに?」

「な、なんでもいいだろ! 別に!」


 ジュリエットから隠すようにジャックが針を隠した、その瞬間だった。



「――なんでもよくはありませんわ」



 突如として、ボウッとしたオレンジ色の光が工房を照らし出す。

 いつのまにか、ドアのところに一人の少女が佇んでいた。亜麻色の髪に、大きな白いリボン。白色と萌葱色を基調とした優雅なドレスに身を包んでいる。その手には、なぜか普通より二回りほど大きな丸いランタンが下げられていた。


 その少女を、ジュリエットはよく知っていた。彼女の名は――


「シクス……さん……?」

「こんばんは、ジュリエットさん」


 にこり、と笑みを浮かべるシクス。ジュリエットは首をかしげながら、


「どうしたの、シクスさん? こんな時間に。何か用でもあった?」

「ええ、少し。もっとも……」


 そこで、シクスの目がスッと細められた。



「……用があるのは、そこの『醜いもの』となった殿方だけですけれど」



 そしてシクスは、いつもと変わらぬ声で、


「ジャックさん、でしたわね? 違法麻薬アンデルセンの運び屋をしていたとして、『醜いもの』となりましたわ」


 死刑執行を言い放った。


「わたくしはシスターズ・シクス。これよりあなたを『醜いもの』として殺処分いたしますわ」

「さ、殺処分って……」


 ジュリエットが息を飲んだ。


「う、嘘でしょ、シクスさん……?」


 震える声でたずねるが、


「残念ですが、もう決まったことですわ」


 シクスは、微笑を浮かべながら答えた。


「くそうっ!」


 ジャックは身を翻し、店の奥へと逃げようとする。

 しかし、それを見逃すようなシスターズではなかった。


「ファロ・ティーエ」


 シクスが軽やかに呟く。

 墓守ティーエ(ファロ・)のランタン(ティーエ)。それが、シクスの持つランタンの名前だった。


 次の瞬間、ランタンから金色の鎖が飛び出した。鎖の先には、オレンジ色に輝く火の玉がついている。

 そして次の瞬間、ジュリエットを避けて虚空を走った火の玉は――


「ぐあああっ!」


 青年の右足の膝から下を、焼き消した。


 もんどりうって倒れるジャック。ジュリエットは慌てて駆け寄ると、その身に縋り付いた。ドレス姿のままで床に膝を付いたためにスカートが粉まみれになったが、そんなことは気にもしなかった。


「ジャック!」

「ぐっ……ジュリエット……」

「酷い……」


 膝から下が完全に消えているジャックの姿に顔を真っ青にしつつ、ジュリエットは目尻に涙を浮かべながらシクスの方を見上げると、


「お願い、止めてシクスさん!」

「それは出来ませんわ」


 シクスは困ったように苦笑しながら、


「その方は、都市の決まり事を破ったのですわ。違法麻薬『アンデルセン』を自分のパンに入れ、運び屋をやっていた。パンを配達していたあなたも、その片棒を担がされていたのですわよ、ジュリエットさん」


 知らなかったわけなので今回ジュリエットは殺処分指定から外されたが、ちょっとでも関わっていたらまとめて『醜いもの』になっていたのだとシクスは語った。


「そんな……ジャック……」


 ジュリエットは蒼白になりながら、


「なんで……なんでそんなことしたのよ、ジャック! そんなにお金が欲しかったの!」

「ちが、う……」

「じゃあ、何でよ!」


 ジュリエットの問いに、青年は激痛に顔を歪めながら、


「ドレス……プレゼントしたかったんだよ……」

「……え?」


 一瞬、ジュリエットは何を言われたのか分からなかった。

 ドレスをプレゼントしたかった? いったい誰に?


「いつも、言ってただろ……お姫様みたいなドレスが欲しいって……ジュリエットにプロポーズするときに、プレゼントしたくて……でも、見習いの俺じゃそんな金ないし……だから……」

「そ、んな……」


 ジュリエットの目から、ぽろぽろと涙が溢れた。


「バカ……そんなドレスの為なんかに、違法なことに手を出すなんて……バカじゃないの……」

「悪い……」


「もう、よろしいですの?」


 そこで、優しくも無慈悲な声が響いた。

 ジュリエットは必死な様子で、


「お願い、シクスさん! あたしも謝るから、ちゃんとジャックに罪も償わせるから、だから殺さないで! お願い!」

「出来ませんわ」


 しかし、シスターズが首を縦に振ることは決してなかった。


「一度決まった殺処分指定を取り消すことは出来ない。それがこのガーデンの決まり事ですわ」


 そしてシクスは、断罪を執行した。


「ファロ・ティーエ」


 ランタンから飛び出した火の玉が、まるで意志を持っているかのように宙を舞う。

 そして、次の瞬間――


「ごめんあそばせ」


 青年の首から上を、焼き消した。



「ジャック……そんな……いやあああああああああああああああ!」



 粉まみれのドレスを纏った少女の絶叫が、木霊した。






 ◇ ◆ ◇






「暇だね、エドワード」


 昼下がりの自室で、ナインスは愛用の大鋏の磨きながら呟いた。

 先日まではシクスに引っ張り回されていたのだが、今日は特にそんなこともなく、ナインスは暇な時間を持てあましていた。


「やはりご趣味をお持ちになってはいかがですか、ナインスお嬢様?」

「趣味かあ……とりあえず、裁縫から始めてみようかな? 切るだけしか出来そうにないけど」

「何事も練習でございますよ、お嬢様」

「そうだね」


 とりあえず、小さな人形用の洋服作りから始めてみようかと、ナインスは考える。

 そのときだった。


「ナインス! 居ますの、ナインス!」


 ナインスの部屋に、満面の笑みを浮かべたシクスが飛び込んできた。


「渾身の出来ですわ!」

「……えーと、何が?」

「だから新しい恋愛小説が出来上がったのですわ!」


 さあ、読んでくださいまし、と分厚い原稿用紙を差し出してくる。

 ナインスは顔を引きつらせながら、


「……ちなみに、どんな話?」

「悪しき竜に捕らえられていたお姫様が、王子様に助けられて恋に落ちるという話ですわ!」

「……やっぱりお姫様なんだね」

「もちろんですわ! お姫様に憧れてこその乙女ですわよ」

「そ、そうなんだ」


 ナインスはおずおずと原稿用紙の束を受け取りながら、


「ねえ、シクス? 聞いてもいい?」

「なんですの?」

「お姫様に憧れるのはいいとして、どうやったらお姫様になれるの?」


 ナインスはたずねる。

 彼女が疑問に思っていたのはそれだった。


 女の子はお姫様に憧れるもの――未だによく分からないが、それはそういうものなのだと納得しておく。


 それとは別に疑問だったのは、どうやったらお姫様になれるのかということだった。


「やっぱり、素敵なドレスを着たらお姫様になれるの?」

「ふふ、違いますわよ」

「じゃあ、どうしたらいいの?」

「そんなの決まってますわ!」


 シクスは得意げに鼻をならすと、言った。



「素敵な王子様さえいれば、女の子はいつだってお姫様になれるのですわ!」


「ふうん、王子様かあ……」



 それなら、王子様の居ない女の子はお姫様になれないんだろうな……


 そんなことを思いながら、ナインスは理解できないであろう恋愛小説を読み始めた。





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