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第7話 お姫様の条件③


 綺麗なドレスをもらった翌日。ジュリエットは、朝の日課であるパンの配達を行っていた。

 ちなみに配達に出発するとき、一瞬、ドレスで行こうかと思ったが、さすがに綺麗なドレスを粉まみれにしてはマズイと、泣く泣くいつも通りのエプロン姿だった。


「さーて、今日はシクスさんとどんなお話しよっかな!」


 大きなバスケットを抱え、スキップをしながらそんなことを呟く。粉まみれのスカートが、今日ばかりはレースと刺繍が施された綺麗なスカートのように思えた。


 想像の中で、ジュリエットは一人のお姫様になっていた。綺麗なドレスを着て、優雅に街を歩く。そして素敵な王子様に声をかけられるのだ。失礼、素敵なお嬢さん、と。


「失礼、ジュリエット」

「そうそう、こんな感じで……」

「ジュリエット、よろしいですか?」

「へ?」


 ジュリエットは振り返った。

 果たしてそこにいたのは、目も眩むような美形の王子様……ではなく。


 常連客の一人であるキンベルという紳士だった。


「あ、キ、キンベルさん! おはようございます!」


 ジュリエットは慌てて頭を下げた。

 キンベルという紳士は、ジュリエットのパン屋の常連の一人だった。灰色の髪を丁寧になでつけ、仕立ての良いスーツを着こなしている。年の頃は四十歳くらいだろうか。大きな工場を幾つも持っている実業家だ。彼の屋敷に毎朝パンを届けるのも、ジュリエットの大切な仕事の一つだった。


「おはよう、ジュリエット。いつもの時間になっても君が来なかったので、何かあったのかと出てきてしまいましたよ」

「あ、ご、ごめんなさい!」


 どうやら、浮かれていて配達に時間をかけすぎたらしい。ジュリエットはペコペコと頭を下げた。

 対してキンベルという紳士は、ともすれば鋭いととられかねない瞳を優しげに歪めながら、


「いえいえ、よいのですよ。それより、いつもどおりジャック君のパンはありますかな?」

「あ、はい! これになります!」


 バスケットの中から、紙袋に入ったパンを手渡した。


「代金の方は、またまとめてジャック君に渡しておきますよ」

「いつもありがとうございます!」


 再びペコリと頭を下げ、しかしそこでジュリエットはおずおずとした口調で、


「あの、キンベルさん。ジャックのパン、どうですか?」

「どうというのは?」

「あはは、まあその……いずれあたしの旦那になるジャックのパンが、ちゃんとお客さんに美味しいと思ってもらってるかなって気になって。ちょこちょこ焦げてますし、ジャックのパン」

「なるほど、そうですね……」


 にこりと紳士は笑みを浮かべると、


「大変美味しく出来ていますよ。いつもこれが届くのが待ち遠しいくらいで。是非、これからもジャック君の作ったパンが食べたいですね」

「あ、ありがとうございます!」

「いえいえ。それでは私はこれで。ジャック君にこれからもパンをよろしくと伝えておいてください」


 肩で風を切り、紳士が去ってゆく。その背中が見えなくなるまで頭を下げていたジュリエットは、頭を上げると嬉しそうに笑った。


「そっか、あいつもがんばってるじゃない。最近、あいつのパンが欲しいって人が増えてるし、これならお父さんが引退しても大丈夫かな」


 もっとも、だからといって褒めるつもりはみじんもないが。


 バスケットを抱え、ジュリエットは再び配達に戻ろうとする。

 しかし、いくらも進まぬうちに彼女はあることに気付いた。


「あれ、この紙袋……?」


 バスケットの中に残っている紙袋の印を見て、ジュリエットは思わず声を上げた。


「あっちゃあ、しまった! さっきキンベルさんに渡したの、お父さんのパンじゃない!」


 どうやら、慌てていたために間違えて渡してしまったらしい。

 一瞬、ジュリエットは戻って取り替えてこようかと思った。


 しかし、すぐに頭を振ると、


「ま、今度謝ればいっか。キンベルさんとこに戻ってると他のお客さんへの配達が遅れちゃうし。それに、まだまだお父さんのパンの方がおいしいしね」


 とりあえず、帰ったらジャックにもっともっと頑張るように伝えよう。

 粉まみれのスカートを翻しながら、ジュリエットは配達の遅れを取り戻すべく走り出した。





 ◇ ◆ ◇






「……ねえ、シクス。彼女、どうしたんだろ?」


 昨日のようにシクスに連れられ、ジュリエットという少女の家にやって来たナインスは、小首を傾げながら聞いた。

 昨日あれだけ暴走していたジュリエットだったが、なぜか今日は項垂れた様子だった。


「さあ、わたくしもわかりませんわ」


 シクスもまた、首をかしげながら、


「どうかされたのですか、ジュリエットさん?」

「……うん、ちょっと反省中」


 ジュリエットが項垂れているのは、やってしまった色々な失敗のせいだった。配達に遅れてしまったことや、間違ったパンを配達してしまったこと――ちなみにキンベルさんだけでなく、他のお客さんに配ったパンも間違えまくっていた――について、父親からこっぴどく叱られたのだ。


 さすがのジュリエットも、ちょっと反省しようと思った。


「もう、今日は散々。そりゃ、浮かれていたあたしが悪いんだけどね」

「なんなら、今日は止めておきますか?」

「ううん、それはそれ、これはこれよ!」


 ジュリエットはバッと顔を上げると、


「いつまでもくよくよしてるなんてあたしらしくないわ! むしろ、この反省を糧に想像しまくってやるわ!」


 高々と拳を突き上げ、ジュリエットはそう曰った。


「さあ、シクスさん。昨日の続きから始めましょ!」

「ええ、そうですわね。――今日はあなたにも話に参加してもらいますわよ、ナインス」

「勘弁して……」


 ナインスが天を仰いだ、そのときだった。


「あれ、なんだろこれ?」


 ふとナインスは、窓際に置かれた紙袋を発見した。香ばしい小麦の香りが発せられている。


「ああ、それ? ジャックの……といっても知らないか……あたしの、その、一応フィアンセが焼いたパンよ!」

「まあ、フィアンセ!」


 その言葉にやたらと反応したのはシクスだった。


「ジュリエットさん、フィアンセが居たんですの!」

「ま、まあ……その、一応ね……」


 気恥ずかしそうに頬をかくジュリエット。

 対してシクスは興奮した様子で、


「それで、そのジャックさんというのはどんな方なんですの! 素敵な殿方なんですのよね!」

「そ、そんな! たぶん、シクスさんが想像してるような王子様みたいな奴じゃないわよ、ジャックは」

「あら? そうなんですの?」

「まあね。優柔不断だし、流されやすいし、別に格好良くもないし」

「ジュリエットさんは、そのジャックさんとの結婚が嫌なんですの?」

「べ、別に嫌ってわけじゃないわよ。そりゃ、まだまだなところもあるけど、けど幼なじみだし、なんだかんだであたしのこと……その、好きって言ってくれるし……だから、まあ、結婚してやってもいいかなって思うし……」


 頬を赤くしながら、ごにょごにょとそんなことを曰うジュリエット。

 その様子から、なんだかんだ言いながらも彼女自身、フィアンセのことを憎からず思っていることが分かった。


「ふふ、素敵ですわね。あなたもそう思いませんこと、ナインス?」

「よく分かんない」


 実際問題、ナインスには婚約者が居ることの何が良いのかよく分からなかった。


 それよりもむしろ疑問に思ったのは、どうして婚約者がいるのに、ジュリエットがお姫様に憧れるのかということだった。婚約者がいるのなら、それでいいではないか。別にお姫様に憧れなくとも、別に王子様との恋なんかを夢見なくとも、婚約者とのことを考えていればいいのではないか。


 率直にナインスはそう思った。


(やっぱり、私には意味不明だ)


 対してシクスはというと、ジュリエットからフィアンセのことを根掘り葉掘り聞きまくっていた。


「そうですわ! せっかくですから、そのフィアンセの方をモデルに、お話を考えてみるのはどうでしょう!」

「い、いいよ、シクスさん!」

「ふふ、駄目ですわ、ジュリエットさん。こんな素敵なこと、お話にしないなんて罰があたりますわ!」

「ちょ、ちょっと!」


 盛り上げるシクスと、顔を赤くしながら満更でもない様子のジュリエット。



(今日も長くなりそう……)



 ナインスは溜息を吐くのだった。






 ◇ ◆ ◇




 


「それではおいとまいたしますわ。お話が書き上がったら、真っ先にジュリエットさんにお見せいたしますので、楽しみにしていて下さいまし」

「う、うん。あ、ありがと」

「それでは失礼いたしますわ」


 恥ずかしそうな表情を浮かべるジュリエットの見送られ、ナインスたちはパン屋を後にした。

 ちなみに、今日はドレスは持ってきていない。そのため、ナインスは手ぶらだった。気楽なのは良いことだったが、むしろ荷物持ちという役目がないのにどうして自分が連れてこられたのか、そっちのほうが疑問だった。


 もっとも、シクスに聞いたところでまともな答えは返ってこないだろうが。


 昨日同様ホクホクとした表情のシクスの後を、ナインスは疲れたように溜息を吐きながらついて行く。

 道路の脇に止めた馬車のところまでやって来たところで、ふとナインスは、シクスの手にあるものが抱えられているのに気付いた。


 紙袋だ。


「シクス、それは?」

「パンですわ。ジュリエットさんのフィアンセの方が焼いたというパンをもらってきたんですの」

「パンを?」


 ナインスは首をかしげる。

 基本的に人形であるナインスたちは、食べ物を必要としなかった。紅茶やお菓子を食べることはあるが、それは単なる嗜好である。


 それなのに、わざわざパンをもらってきたというシクスの意図が分からない。

 が――


「あら、気付いていないんですの、ナインス?」

「気付く? 何に?」

「ふふ、まだまだですわね」


 そう言いながら馬車に乗り込むシクス。ナインスも後に続く。

 柔らかなフェルト生地の座席に腰を下ろした、そのときだった。


「アリスお姉様。しっぽをつかみましたわ」


 シクスが、呼び声を上げる。

 次の瞬間、ナインスたちの目の前にモニターが投影されたかと思うと、甘い声が響き渡った。


【――ごくろうさま、シクス。良くやってくれたわ】


「ありがとうございますわ、お姉様」

「え? え?」


 きょとんと目を瞬かせるナインス。

 どういうこと?


【――あら、シクス? ナインスには説明をしてあげていないの?】


 クスクスと笑いながら、仕方がないわね、とALICEは言った。


「アリス姉様、どういうこと?」

【――実は、シクスにはあるものの調査をお願いしていたの】

「あるもの?」

「これですわよ、ナインス」


 シクススが紙袋から、一つのパンを取り出した。

 少し焦げた、けれどおいしそうなパンである。


「パン?」

【――違うわ、ナインス】


 悪戯っぽく笑いながら、都市の女王は言った。


【――それは『醜いもの』よ】

「パンが醜いもの?」


 訳が分からず首をかしげるナインスに、ALICEとシクスは優しげな笑い声を漏らしつつ、説明を始めた。






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