第6話 お姫様の条件②
「最近なんだかご機嫌だな、ジュリエット?」
「あ、分かる?」
フィアンセにして幼なじみの青年――ジャックの問いかけに、店番をしていたジュリエットは満面の笑みで応えた。
「実は、最近新しい友だちが出来たのよ!」
「へえ、友だちねえ」
「そ! すっごくキレイで、女の私まで惚れちゃうくらい可愛い友だちなのよ!」
黒い猫っ毛を揺らしながら、ジュリエットはまるで自分のことのように自慢げに言う。
とにかく、ここのところジュリエットはご機嫌だった。どのくらいご機嫌かというと、お客さんにオマケをしすぎて、父親から怒られるくらいと言えば分かりやすいだろうか。そのくらいに彼女は上機嫌だった。
「このあとも遊びに来てくれる予定なの。だからそのときは店番をよろしく頼むわよ、ジャック」
「まあ、いいけど……そのうち紹介してくれよ」
「もちろん! あ、でも!」
そこでジュリエットは悪戯っぽく笑うと、
「その子がすごく綺麗だからって、浮気したら許さないんだからね」
「そんなに信用ないか、俺?」
「ぜーんぜん。昔からジャックってば、優柔不断なところがあるからね」
「ひどいな」
ジャックはガックリと肩を落とす。その様子を見て、ジュリエットは楽しそうに笑った。
もちろんそう言いつつ、ジュリエットはフィアンセであるジャックが浮気などしないであろうことはよく分かっていた。ジャックの容姿は、自分が言うのも何だが十人並みだ。自分とは違う癖のないブラウンの髪はうらやましいとは思うが、まあそのくらいだろう。これまでだって、一度としてもてたという話はない。
だいいち、ジャックは自分の婚約者だ。自分一人しか子どものいないこのパン屋に、婿養子として入ることが小さい頃から決まっている。そのために、パブリックスクールにも行かずに自分の父親の元で修行をしているのだ。一人前のパン職人になるためにがんばっている。少々優柔不断というか、周りに流されるところがあるが、婿としては十分に合格点だとジュリエットは思っていた。
(まあ、愛してるかって聞かれると微妙だけど、好きだとは思うし良いかな)
内心でそんなことを思いつつ、ジュリエットはふとたずねた。
「ちなみに、修行の方はどうなの?」
「ジュリエットの親父さん……じゃなかった、親方からは仕込みまで任せてもらってる。あと半年くらいで一人前になれそうだな」
「へえ、がんばってるじゃない」
「まあな。それで、さ……」
そこで、ジャックはわずかに頬を赤く染めると、
「その、親方から一人前ってみとめられたら……俺と……」
「俺と、なに?」
「だから、俺と……その、一緒に……」
気恥ずかしそうにジャックが言いかけた、そのときだった。
「おーい、ジュリエット! お客さんだぞ!」
店の奥にある実家から、父親の声が響いた。
「いけない、シクスさんが来たみたい! じゃあね、ジャック!」
「お、おい! ジュリエット!」
「店番よろしくね!」
なぜか肩を落とすフィアンセを尻目に、ジュリエットはスキップしながら店の奥へと駆けていった。
確かにジャックのことはそれなりに好きだし、結婚しても良いとは思うが、それはそれ、これはこれ。
ジュリエットは廊下を抜けると、裏口の方から顔を出した。
「いらっしゃい、シクスさん!」
満面の笑みと共に、来客を迎える。
「お邪魔いたしますわ、ジュリエットさん」
そこには、優雅に笑みを浮かべる亜麻色の髪の人形の少女と――
ついでに、なぜか大量のドレスを抱えさせられている血色の髪の人形の少女がいた。
◇ ◆ ◇
「なんで私、こんなことしてるんだろ……」
目の前でキャイキャイとはしゃぐ二人を見つめながら、ナインスは疲れたように溜息を吐いた。
シクスによって半強制的に馬車に押し込まれ、連れてこられたのは商業地区の一角にあるパン屋だった。役目は荷物持ちである。
ちなみにナインスが抱えてきた大量のドレスはというと、目の前にいる二人がとっかえひっかえ着込んでいた。
ナインスには意味不明のやりとりをしながら。
「やはり、リミエッタ姫が舞踏会に行くなら、このドレスが良いと思いますわ!」
「それは違うわよ、シクスさん!」
「どういうことですの、ジュリエットさん?」
「リミエッタ姫は、ずっと片思いしていた王子様に告白しに行くのよ! ずっと心に秘めていた思いを口にするって、とても勇気がいることなの! だから、きっとリミエッタ姫は自分を勇気づけるために、こっちの晴れやかな方を選ぶはずだわ!」
「す、すばらしいですわ、ジュリエットさん! まさしくその通りですわ!」
やいのやいの。
乙女が三人も集まれば姦しくなるものと相場は決まっていたが、二人だけでも十分なんだとナインスは学んだ。
(なんだか、シクスが二人に増えたみたいだね……)
もちろん実際に増えたわけではない。
シクスと共にはしゃいでいるのは、自分よりも少し年上に見える人間の少女だった。癖のある黒色の猫っ毛に、そばかすの浮かんだ顔。愛嬌のある顔立ちだとは思うが、絶世と呼ぶに相応しいナインスやシクスと比べたら、少々どころかかなり見劣りすると言わざるを得ない。
とはいえ、暴走っぷりと言うか、波長と言うか、そういうものがシクスにそっくりだった。
(そういえば、シザーズ・マリーの手入れ、途中にしたままだっけ……)
小さな小部屋――ちなみに猫っ毛の少女の自室らしい――の片隅で突っ立ったまま、ナインスはボンヤリとそんなことを考える。
そのときだった。
「もう、なに突っ立ってますの、ナインス! あなたもお話に加わってくださいまし!」
特に恋愛に興味のない自分としては、正直に言って話に加わりたくはないのだが、とりあえずナインスはその不満を飲み込むと、
「せめてそっちの人を紹介して欲しいんだけど、シクス?」
「あら? わたくし、紹介していませんでした?」
「まったく」
「それは失礼しましたわ」
シクスは悪びれもせずにそう言うと、
「こちらはジュリエットさんですわ。最近お友だちになった方ですの」
シクスは説明する。
彼女がこのジュリエットというパン屋の看板娘と出会ったのは、数日前らしかった。たまたま道を聞いたことを切っ掛けに会話をしたところ意気投合。今に至るらしい。
ちなみに彼女たちが意気投合した話題が何であったかというと、早い話、恋愛小説談義だった。
「ジュリエットさんは、まさにアイデアの宝庫なんですの。特にこの間聞いた、一人のお姫様を双子の王子様が取り合う話など、わたくし目からウロコでしたわ」
「私あんまり頭が良くないからお話なんて書けないけど、想像だけだったらいくらでも出来るからね。むしろ、それをシクスさんがお話にしてくれたら大歓迎。もう、いくらだって話しちゃうよ」
照れたように笑うジュリエット。
要するにシクスの同類なんだなと、とりあえずナインスは納得しておいた。
「ねえ、シクス? それはいいとして、このドレスと何の関係があるのか分かんないんだけど?」
ナインスはベッドの上に山のように積まれたドレスを指さす。ちなみにそれらは全部、シクスや他のシスターズのお古だった。先ほどから、シクスとジュリエットがとっかえひっかえ自分たちで着込んでは、なにやら熱い議論を交わしている。
「それはもちろん、お姫様の気分になって考えるためですわ!」
シクスが胸を張って答える。
彼女によれば、最高の恋愛小説を考えるためには何よりもお姫様の気持ちになって考えることが大切なのだという。そのために、こうして色んなドレスを着ているという話だった。
(駄目……意味がわかんない……)
ナインスの本音だった。
「まあ、まだまだお子様のナインスに、お姫様の気持ちなんてわかりませんわよね」
「む。別に分かりたくなんてない。お姫様とか恋愛とか、興味ないし」
そっぽを向きながら、ナインスがそう答えたときだった。
「ああああ! もったいないいいいいい!」
薄桃色のドレスを着込み、うっとりと何かに浸っていたジュリエットが突如叫んだ。
「駄目よ、そんなの!」
ナインスに駆け寄ったかと思うと、その手をガシッとつかんだ。
「ナインスさんだっけ? お姫様に興味が無いとか、そんなの駄目よ! 女の子はね、みーんな何時だってお姫様になって、素敵な王子様と恋に落ちるのを夢見るものなの! お姫様に憧れてこそ、素敵な女の子っていえるのよ!」
「……とりあえず離して欲しいんだけど」
「あっ、ごめん」
パッとナインスの手を離すジュリエット。
「とにかくナインスさん、せっかくそんなに綺麗なんだし、お姫様に憧れないだなんて、そんなのは駄目よ」
「ふうん……お姫様か……」
よく分からないが、そういうものなのかなとナインスは考える。
確かに、自分も綺麗なドレスを着たら嬉しいと思うし、可愛いリボンで髪を縛ったりするのは大好きだ。キラキラした宝石を見て、思わず欲しいなって思うことはある。
とはいえ、だからといって『お姫様』になりたいかと言われたら、あまりそうは思わなかった。それより、美しいショーをしてアリス姉様に褒めてもらったり、姉妹たちと楽しくお茶をすることの方が何倍も素敵だと思う。
しかし、目の前にいるジュリエットという少女は違うようだった。
「お姫様に憧れてこそ、女の子なのよ! まあ、ただ……」
そこで、ふとジュリエットがガクリと肩を落とした。
「あたしなんかじゃ、とてもなれないんだけどね。そばかすだってあるし、髪も猫っ毛だし」
部屋の壁に掛かった鏡を見ながら、項垂れるジュリエット。
が――
「そんなことはありませんわ、ジュリエットさん」
そんなジュリエットを、シクスが励ます。
「素敵な王子様と出会い、恋をすれば女の子は誰だってお姫様になれる。そう教えてくれたのはジュリエットさんですわ。ほら、リミエッタ姫の言葉を思い出してくださいまし」
「『私は日陰の少女。けれど、あの人がいればどこまでだって素敵に変身できる』……そう、そうよね! ありがとう、シクスさん! 元気が出たわ!」
「その意気ですわ、ジュリエットさん! さあ、お姫様になった気持ちでお話の続きを考えますわよ!」
「まかせて、シクスさん! あたしの憧れを全部叩き付けてみせるわ!」
手を取り合いながら、妙な気合いを入れる二人。
きっとこの二人の趣味は『お姫様』なんだなと思いつつ、ナインスは呟くように言った。
「……いつまで付き合えば良いんだろ」
趣味『お姫様』の二人の恋愛小説談義は、結局、夕暮れ時まで続いた。
◇ ◆ ◇
「今日はよい議論が出来ましたわ!」
ホクホク顔のシクスと連れだって、ナインスはジュリエットの家を後にした。
ちなみにあの後、ナインスはノリにのったシクスとジュリエットの手によって、着せ替え人形になっていた。自分でドレスを着てお姫様の気分を味わうほかに、誰かに着せ替えさせてもインスピレーションが湧くらしい。始めは抵抗したナインスも、最終的には二人に負け、諦めてされるがままだった。
「これで、新しい小説が一気に進みますわ!」
「……私を巻き込まないで欲しいんだけど、シクス?」
「あら、いいじゃありませんの、ナインス。色んなドレスが着られて、あなただって満更ではないでしょう?」
「まあ、それはそうかもしれないけど……」
ナインスは自分の腕に抱えられているドレスの山を見る。
ちなみにその山は、最初来たときに比べて幾分か小さくなっていた。お礼として、シクスがジュリエットに何着かプレゼントしたからだ。お古とはいえ、綺麗なドレスをもらったジュリエットが感激のあまり抱きついてきたのは余談である。
「とにかく、また明日も付き合ってもらいますわよ、ナインス!」
「……考えとくよ」
疲れたように溜息を吐く。
と、そのときだった。
「……ん?」
ナインスは横を向いた。見れば、小さな路地の奥まった場所に二人の男の人がいる。ブラウンの髪の男性――というか青年が、身なりの良い紳士に『何か』を渡していた。
「……パン?」
それは、少し焦げたパンだった。嬉しそうにパンを受け取った紳士は、青年に何事か囁くと、そのポケットに何枚かの銀貨をねじ込んだ。そのまま紳士は去り、まもなく青年も去ってゆく。
「……銀貨五枚って、そんなに高級なパンなのかな?」
銀貨一枚あれば、一般的な市民一家族が三日は食べてゆける。
焦げたパンにそこまでの値打ちがあるのか分からなかったが、世の中には小説のお話作りを手伝ってくれた相手に、高級なドレスをあげてしまう人形だっているのだ。それに、基本的に食べ物を必要としないナインスには、食べ物の価値というのがいまいち分からない。
そういうものなのかなと、ナインスは納得しておいた。
「ほら、行きますわよ、ナインス! 帰って執筆ですわ!」
「今行く」
とりあえず自分はシザーズ・マリーの手入れの続きをしよう。そう思いながら、ナインスはシクスの後を追う。
路地の方にシクスが冷たい視線を向けていたことには気付かなかった。