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第4話 愛され人形④



 深夜。

 皆が寝静まった孤児院の中で、たった一人活動をしている者がいた。


 幼い女の子である。


 ベッドからこっそりと抜け出した少女は、大切なお友だちを抱え、水場へとやって来ていた。水でぬらしたハンカチで、ゴシゴシとお友だちの顔を擦る。お気に入りのハンカチが汚れてしまうのは悲しかったが、それよりもお友だちを綺麗にしてあげる方が大事だった。


 とはいえ、なかなか汚れは落ちない。


「キレイにならないね、キキちゃん?」


 うーん、と首をかしげながら、少女はお友だちの顔をジッと見つめた。

 窓から入りこむ月明かりしかないためか、あまりはっきりとその表情を伺うことは出来ない。


 しかし少女には、そのお友だちが『はやくワタシをキレイにして』と言っているように思えた。


「えーと、消しゴムとか使ったらキレイになるのかな……?」


 少女が思いついたのは、消しゴムで擦るというものだった。鉛筆の黒をあれだけキレイに消せる消しゴムなら、きっとキキちゃんについた汚れも消せるはずである。


 そう思った少女は、勉強部屋としても使っている食堂の方に向かった。もちろん、足音を立てないように慎重に。食堂に行くためには、園長先生の部屋の前を通らなくてはならなかったからだ。


 大事なお友だちを腕に抱え、こっそりこっそりと廊下を進む。

 そのときだった。



 シュルル……



「うん?」


 少女の耳に、何かがこすれるような音が響く。その音に紛れて、誰かの息を飲む声も聞こえてきた。

 ふと見ると、園長先生の部屋のドアが開いている。


「園長先生?」


 少女は静かにドアのところまでやって来た。部屋の中をのぞき込む。

 次の瞬間、少女の目が極限まで見開かれた。



「え……?」



 部屋の中を蜘蛛の巣のように走る銀色の糸。部屋の中央には、その糸に吊される形で、一人の壮年の女性が力なく立ちつくしている。

 一瞬、少女にはそれが何かの人形劇のように見えた。糸で吊された女性の姿が、あまりにマリオネットに似ていたからだ。


 しかし、これは人形劇(ショー)ではなく――殺戮劇(ショー)


「園長……せん、せい……?」


 一歩、後ずさる。

 そこで少女は、縦横に銀糸が張り巡らされた部屋の中に、もう一人の人影があることに気付いた。

 月明かりに照らし出され、キラキラと神秘的に輝く銀色の髪。


 そこにいたのは、中性的な顔立ちをした美しい人形の少女だった。


「おや?」


 人形の少女が、こちらに気付く。


「こんばんは、小さなお嬢さん。よい子は寝る時間だと思うのだけれど、どうかしたのかい?」


 どこまでも穏やかな声。美しい顔を彩るのも、優しげな笑みだ。

 しかしその手から伸びる幾本もの銀糸は、女性の全身を絞り上げていた。


「本当は眠っている間に全てを終わらせるつもりだったのだけれどね。まあ、これも仕方がない運命なのかな」


 そこで人形の少女が、優雅に腕を横に振った。まるで一流の指揮者のように。銀糸が一斉に引き絞られる。

 とたんに、中央につり下げられた園長先生の身体から、何十本もの骨が同時に砕け散る異音が鳴り響いた。


「ひっ!」


 少女は恐怖のあまり、顔を引きつらせた。

 全身のいたる場所を絞り上げられ、ぐったりとする園長先生の姿。手足や胴体に有り得ない数の関節が出来ている。その口からは真っ赤な血が滴り、床にポツポツと赤い染みをつけていた。


「ッ!」


 一歩、二歩と後ずさり、そして少女は次の瞬間、脱兎のごとく走り出した。

 その小さな後ろ姿を見つめながら、人形の少女はやれやれと頭を振った。





 ◇ ◆ ◇






「はぁ……はぁ……」


 どうして? どうして? どうして?

 ガチガチと奥歯を打ち合わせながら、幼い少女は廊下を走った。大事なお友だちをギュッと抱きしめる。


 脳裏に浮かぶのは、グッタリとした園長先生の姿だった。少し厳しいが、優しい園長先生。それが、あんな……


「た、大変なの! みんな、起きて! 園長先生が!」


 寝室になっている大部屋に飛び込んだ少女は、声を張り上げた。

 とにかくみんなを起こさないといけない。

 その思いに駆られるまま、叫ぶ。


「園長先生が大変なの! みんな、起き……」


 しかし、少女の声は尻つぼみになって消えてゆく。

 いくつものベッドが並ぶ寝室。その中が、真っ赤に染まっていた。

 天井も、床も、ベッドも――全てが赤い。


 そして部屋の中央で佇む人形の少女の髪も、赤だった。


「天使……さま……?」


 言ってから、幼い少女はすぐに違うと思った。

 彼女は天使さまではない。


 彼女は――


「お人形……さん……」

「うん、そうだよ」


 鈴が転がったような可憐な声で、ナインスは言った。


「こんばんは。改めて自己紹介するよ。私はナインス。アリス姉様の九番目の妹人形。シスターズ・ナインス」

「シスターズ……ナインス……?」

「分からないよね。とりあえず、お人形だと思ってて」

「お人形さん……」

「そう、お人形だよ」


 ナインスは、小さな微笑を浮かべながら、


「お友だち、綺麗になった?」

「え?」


 言われ、幼い少女は自分の腕に抱きしめた大事なお友だちを見た。

 その顔は、未だに汚れていた。


「ハ、ハンカチで拭いても……き、キレイにならなくって……それで……」

「そっか」


 ナインスはそう言いながら、腕を大きく横に掲げた。

 幼い少女は息を飲む。


 ナインスの手に握られていたのは、巨大な裁ち鋏だった。黒光りする表面には、優美な装飾が彫刻されている。

 しかしそれより目を引くのは、その刃をぬらすおびただしい血糊だった。


「シザーズ・マリー」


 ナインスが自慢するように呟く。



 仕立屋マリーの鋏(シザーズ・マリー)――それが、ナインスの与えられた大鋏の名前だった。



「大人しくしてて。一瞬で終わらせてあげる。大丈夫だよ、他のみんなと同じところに行けるはずだから」

「他の、みんな……?」


 少女は首を巡らし、声にならない悲鳴を上げた。

 ベッドで眠る孤児院のお友だち。その全ての首と胴体が、断ち切られていた。


「みんな……」


 少女は、恐怖に全身を震わせながら、


「なんで……こんなこと……するの……?」


 その問いに、ナインスは端的に答えた。


「あなたが『醜いもの』だから、かな」

「醜い……もの……」

「そう、醜いものはこの世界にいてはいけないから」


 次の瞬間、ナインスがトンと軽やかに床を蹴り飛ばした。一瞬で少女に近づいたかと思うと、大鋏をスッと伸ばす。


「あ……あ……」


 恐怖のあまり、少女はその場でペタリと尻餅をついた。

 その小さな首を、巨大な二つの刃が優しく挟み込む。


「一つ、聞いても良い?」


 ガタガタと震える少女に、ナインスは聞いた。


「そのお人形さん、好き?」

「……」


 小さく、少女は頷いた。


「そっか……」


 ナインスは首をわずかに傾け、困ったような微笑を浮かべると、



「美しいものだったらよかったのにね。あなたも、そのお人形さんも」



 ぽつりと、言った。



「残念」



 ジャキン!

 赤い部屋に、金属音が鳴り響いた。





 ◇ ◆ ◇






「それで、結局またドレスを汚してしまったんですの?」


 シクスのからかいの言葉に、ナインスはまたしても恥ずかしそうに身をすくませた。


 ショー開けの朝のお茶会には、昨日同様の四人が集まっていた。

 話題は、またしても返り血でドレスを汚してしまったナインスのことだった。


「ナインス姉ぇ、おっちょこちょいなの」

「……言わないで、エイス。恥ずかしいんだから」


 ナインスはテーブルに突っ伏す。昨日、あれほど意気込んでショーに臨んだというのに、結局、またしてもドレスを汚してしまった自分が恥ずかしかった。


「まあまあ、ちゃんとショーはやりきったんだから、シクスもエイスもあんまりナインスを虐めないで欲しいな」

「わかりましたわ、フォオス」

「わかったなの、フォオス姉ぇ」

「ほら、ナインスもそんなに落ち込んでは駄目だよ。練習あるのみだからね」

「……がんばる」

「そうそう、その意気だ」


 テーブルに突っ伏したまま拳を握るナインスの姿に、フォオスたちはクスクスと笑った。

 そこで、サロンにナインスの専属執事であるエドワードが入ってきた。涼しげな微笑が似合う美青年は、テーブルの側で一礼すると、


「お話のところ、失礼いたします。ナインスお嬢様、頼まれていたものが終わりましたので、お届けに参りました」

「……ありがと、エドワード」


 ナインスはようやくテーブルから顔を上げると、エドワードからあるものを受け取る。

 それを見て、フォオスたちはきょとんと目を瞬かせた。


「なんだい、ナインス? 人形かい?」


 ナインスがエドワードから受け取ったのは、小さなビスクドールだった。ずいぶんと古いものだったが、新品同様に綺麗に洗浄され、洋服も新しいドレスに取り替えられている。


 ナインスは綺麗に生まれ変わった人形を手に、満足そうに頷くと、


「綺麗になったね、エドワード」

「ずいぶんと汚れていましたので、洗浄をした後に、新たに塗料をぬらせていただきました。洋服のほうも、新しいものになっております。僭越ながら、私がコーディネートさせていただきました」

「さすがエドワード。完璧だね」

「光栄です、ナインスお嬢様。それでは私はこれで」


 一礼し、サロンを後にする執事型自動人形。それを見送ると、ナインスは改めて手の中の人形を見た。フォオスたちも興味深そうに人形をのぞき込む。


「そのお人形どうしたの、ナインス姉ぇ?」

「ショーの時に見付けたの。汚れてたから、綺麗にしたくて」

「ちょっと古い型ですけれど、綺麗な人形ですわね」

「うん、私もそう思う」


 ナインスは人形を手に立ち上がった。暖炉の上にあるマントルピースの端に、その人形をそっと座らせる。


 ナインスは思う。これだけ綺麗な人形なら、きっと他の姉妹たちも気に入ってくれるだろう。この子も、皆から愛される人形になるに違いない。


 この私と同じように……



「やっぱり、お人形は美しくないと駄目だね」



 かつて人間であり、今は人形となった少女は、ビスクドールの髪を優しくなで上げた。






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