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第1話 愛され人形①





 月は赤く、星はない。

 規則正しく並ぶ石畳の上を、一台の馬車が疾走していた。街灯に照らし出された煉瓦造りの街並みの中を、まるで逃げるようにひた走る。


 馬車の中に居たのは、タキシードを着込んだ壮年の紳士だった。恰幅の良い実業家のような風体の紳士だったが、その顔には焦りの色が色濃く浮かんでいた。シルクのハンカチで何度も何度も額に浮かんだ脂汗を拭う。


「――ああ、そうだ! 今、街を西に向かっているところだ! 金はいくらでも払う! 儂をなんとかしてこのガーデンから逃がしてくれ!」


 耳に当てた通信端末に向け、紳士は怒鳴る。

 そのときだった。


「ん?」


 紳士は怪訝そうに顔を歪めた。いつの間にか、馬車の動きが止まっている。規則正しく響いていた蹄の音が聞こえてこない。


「どういうことだ?」


 紳士は窓から顔を出し、馬車を引く四頭の馬を見た。

 正確には、それは馬ではなかった。電気駆動式の馬型の自動人形である。シルエットは馬そっくりだが、外灯の下でボウッと浮かび上がる銀色の地肌が、それらが機械仕掛けのイミテーションであることを教えていた。


 馬型自動人形は、なぜかその場でピクリとも動かず立ちつくしていた。おかしい、と紳士は思う。このガーデンで使われている馬型自動人形は、完璧な運行プログラムを持っているはずである。目的地さえ入力すれば、あとは自動でそこまで進んでくれる。道路を走る他の自動人形や、交通管理システムとリンクしているため、事故などは決して起こさないし、時間に遅れるなどということもないはずである。


 そんな自動人形が、止まっている。


 紳士は即座に脇の操作盤を開くと、空中にモニターを投影させた。青白い画面に、馬車のシステム状況が表示されている。表示にはこう記されていた。



 ――『外部操作により停止中』



「外部操作だと? ハッキングか?」


 首をかしげる。そのときだった。

 突如として、空中に投影されていたモニターがブラックアウトした。


 数秒後、闇を煮込んだかのようなモニターの中央に、白い文字がぼんやりと浮き上がった。




 【わたしの世界に、『醜いもの』はいらないわ――ALICE】




「っ!」


 ALICE。その名を見た瞬間、紳士の顔から血の気が引いていった。同時に『醜いもの』という文字の意味を悟る。

 ガーデンと呼ばれるこの閉鎖都市において、『醜いもの』という言葉には大きな意味があった。



 それは――『殺処分指定』



「は、早く……逃げ……!」


 紳士は慌てて馬車から飛び出そうとした。しかしそれより早く、突如として不気味な金属音が耳朶を打つ。


 ジャキンッ!


 金属と金属がこすれ合う不快音。その音は、馬車の正面から響いている。

 男性は窓からそっと前を見るなり、思わず息を飲んだ。


 特殊合金で出来ているはずの四頭の馬型自動人形。その首が、一つ残らず切り落とされていた。


 一拍の後、自動人形が一斉に爆発する。その爆風が、馬車ごと男性を吹き飛ばした。

 石畳の上を林檎のように転がり、滑り、最終的に外灯にぶつかって止まる。


「くぅ……ど、どうして儂がこのような目に……」


 全身を打ち付け、苦痛に顔を歪めながらひしゃげた馬車の中から紳士が這い出してくる。

 その顔が別の意味で歪むまで、ほとんど時間はかからなかった。


 カツン、カツン、カツン……


 突如として響くかすかな足跡。

 男性は顔を上げ、そして今度こそ小さく「ひっ!」と悲鳴を上げた。


 果たしてそこにいたのは、ゾッとするほど美しい人形だった。


 幼い少女の可憐さと、大人びた乙女の高潔さの両方のたたえた相貌。一見すると人間のようだが、スカートの裾から覗く膝と袖の下に見え隠れする手首が、球体状の関節になっていた。身に纏うのは、紫がかった赤いゴシック調のドレス。足下はレースを縁にあしらったソックスに、光沢のある靴。頭には少し左にずれる形で絵描き帽のような丸い帽子をかぶっている。髪は血のように赤い。


 まるで神がかり的な美しさをたたえた少女人形。


 しかしその少女を見ても、男性が魅了の吐息を吐くことはなかった。なぜなら、少女の手に握られている『それ』を見てしまったからだ。


 少女の手ににぎられたもの――それは少女の身の丈ほどもある巨大な『鋏』だった。

 裁縫用の裁ち鋏に似ているが、その大きさが尋常ではない。


「――こんばんは」


 チリリン、と鈴が鳴ったような可憐な声。その相貌と相まって、人形の少女を触れ難き神聖なものに見せている。


 しかし、男性はその少女が神聖とは無縁の存在であることを知っていた。

 都市を管理する人工知能『ALICE』によって、永遠に美しい姿を与えられた少女人形。『醜いもの』を処分する殺戮人形(キリングドール)


 名を――



「……アリスの妹たち(シスターズ)



「そうだよ」


 人形の少女は、無表情のままスカートの端をつまみ上げ、優雅に一礼した。


「はじめまして。私はナインス。アリス姉様の九番目の妹人形。シスターズ・ナインス」

「くっ、おぞましい殺人人形が!」


 紳士は懐から銃を抜くと、無造作に撃った。見た目は古風な中折れ式のリボルバーだが、自動追尾式の弾丸を内蔵した小型マシンピストルである。ワントリガーで十数発の弾丸が吐き出される。


 鋭い曲線を描き、弾丸が少女へと吸い込まれる。しかしその弾が届くより早く、少女の手に握りしめられた大鋏が霞んだ。甲高い金属音が鳴り響き、虚空に火花が散る。

 気がついたときには、全ての弾丸が真っ二つに切り裂かれ、地面に力なく転がっていた。


「ば、化け物め……」


 男性の顔が引きつる。


「……化け物?」


 そこで、ふいに無表情だった人形の少女の顔に不快そうな色が現れた。まるで化け物と言われ、傷ついているかのよう。


 しかし、それも一瞬だった。不快そうに歪んでいた少女の顔が、柔らかく弛む。

 目を閉じ、何かに思いを馳せるように胸に手を置き、そして少女は言った。


「化け物じゃない。私はお人形だよ」


 人形。そう言った彼女の顔には、まるで自慢するかのような雰囲気が見て取れた。

 巨大な鋏をさっと真横に構える。


「そう、私はお人形。あなたみたいな醜い人間とは違う、アリス姉様の妹人形」

「くっ!」


 再び、紳士が銃を放った。しかし弾丸は全てたたき落とされ、地面に無惨を晒した。


「大人しくしてて。あなたは『醜いもの』。この世界に、醜いものは許されない」


 次の瞬間、少女の姿がぶれた。それとほとんど同時に、ジャキン! という金属音が鳴り響く。


「ぐあああああっ!」


 激痛と悲鳴。男性の手に握られていた銃が、指ごと二つの破片に切断されていた。

 みっともなく涙を流しながら、男性は忽然と目の前に現れた少女に言った。


「た、頼む……命だけは……」

「だめ」


 しかし、少女人形は無慈悲だった。


「あなたも、お人形みたいに美しかったらよかったのに」


 残念、と少女が軽やかに呟く。

 数秒後、石畳の上に断末魔の表情を浮かべた男の首が転がった。










 ◇ ◆ ◇









 人形であっても、朝は気怠い。

 天蓋付きの豪奢なベッドで、ナインスは目を覚ました。


「おはようございます、ナインスお嬢様。良い朝でございます」

「……おはよう、エドワード」


 ナインスはぼんやりとした頭のまま上体を起こした。

 後ろに倒れ込み、二度寝を決め込もうとする身体を、優しげで力強い手が支える。


「もうすぐ朝のお茶会の時間でございますよ、お嬢様」


 ナインスの背をそっと支えていたのは、パリッとした執事服を纏った涼しげな微笑が似合う美丈夫だった。紅茶色の髪を丁寧になでつけ、リムレスのメガネをかけている。頭の両サイドには、捻れた山羊のような角。明らかに人間ではないことが伺えた。


「……ねむい」

「しゃんとしてくださいませ。そのようなお姿、他の妹様方に見られたらまた笑われてしまいますよ」

「……わかってるよ」


 専属執事であるエドワードに優しく諭され、ナインスは大人しくベッドから抜け出した。


 ナインスに居室として与えられたのは、一家族が暮らせそうな大きな部屋だった。天蓋付きのベッドと暖炉、マントルピースの上には深緑の緑を描いた油絵がかかっている。調度類も一流のものばかりである。ベッド脇の小卓ですら、優美な装飾と浮き彫りが施されている。


「お顔を失礼いたします」


 そのままベッドの脇で立っていると、エドワードがお湯でぬらしたタオルを持ってきた。壊れ物を扱うように、優しくナインスの顔を拭いてゆく。


(気持ちいい……)


 ナインスは目を閉じ、タオルからじんわりと伝わってくる温かみを味わった。センサー類が感じ取った温度やタオルの感触が、脳に伝わり心地よいという感覚に変換される。


 額、瞼、頬、首――それぞれを温かなタオルで拭き、ついでエドワードはマントルピースに置かれていた木箱を手に取った。蓋を取ると、中にはいくつもの小瓶が入っている。


「ナインスお嬢様、今日はどの香水にいたしましょうか?」

「わからないから、エドワードに任せる」

「大役ですね」


 エドワードはしばし黙考すると、木箱から黄色い小瓶を手に取った。ヴェネチアングラスだろうか。琥珀色が美しい。


「レモンと乳香のブレンドでよろしいでしょうか? もう春の陽気になってまいりましたので、開放感のある香りなどがよろしいと思います」

「ん、お願い」

「かしこまりました」


 蓋をとった小瓶の口に小さなパフをあて、軽く小瓶を傾ける。

 洗練されたしぐさだ、などとナインスは落ちそうになる瞼と戦いながら思った。自分の趣味で創ってもらった執事人形とはいえ、何度見てもエドワードの仕種にはうっとりと見入ってしまう。


「失礼いたします、お嬢様」


 再びそう断ると、エドワードはわずかに香水を含んだパフをナインスの首と手首になじませるように押し当てた。レモンの爽やかな香りと乳香の甘い香りが、ナインスのセンサーを柔らかくくすぐってゆく。良い香りだった。


 最後に寝間着からドレスに着替える。最初はエドワードに見られるのが恥ずかしいとも思ったが、今では気にならなくなっていた。


 そもそも、とナインスは思う。恥ずかしいと思うのは、結局のところ自分の姿に自信がないからだ。逆に自分に自信があるならば、見て欲しいと思うことこそあれ、恥ずかしいと思うなんてことはないだろう。


 寝室に据え付けられた鏡で、ナインスは自分の姿を見た。


 腰まで届く血のような赤い髪に、同じ色の瞳。白磁のような手足。始めは見慣れなかった球体関節も、今では当たり前のように思える。紫がかった赤いドレスはお気に入りだ。胸元には懐中時計をあしらったメダリオが、銀の鎖で垂れ下がっている。その場で一回転すると、レースがふんだんにあしらわれたスカートがフワリと蝶のように舞った。


「今日もお美しいですよ、ナインスお嬢様」

「ありがと、エドワード」


 にこりと微笑する。もう眠気は醒めていた。


 お茶会に向かうため、ナインスは自室を出る。


 朝のお茶会は、アリスの妹たち(シスターズ)と呼ばれる人形の少女たちにとって、欠かすことの出来ないものだった。

 任務の関係上、大勢が揃うことは稀だったが、それでも時間の空いた者は必ず出席するのが慣わしだ。


 そういうわけで、自室を出たナインスはお茶会が開かれるサロンへと向かっていた。斜め後ろには、専属執事のエドワードが控えている。


「エドワード、今日は誰が来てるの?」

「はい、本日はフォオスお嬢様、シクスお嬢様、エイスお嬢様の三名の妹様方が出席されております」

「三人だけ? お茶会だったら、セカンズ姉様あたりが出てると思ったけど?」

「セカンズお嬢様などの大きな妹たち(エルダーシスターズ)の皆様は、長期の『ショー』のためにガーデン外へと足を伸ばされているようです」

「サアド姉様も? なら、今日は静かにお茶が飲めるかな。サアド姉様、いつも私を玩具にするんだから」


 赤絨毯の敷き詰められた廊下を進む。大きくとられた窓からは、手入れの行き届いた中庭の様子が一望できた。


「もうすぐ、春の花が咲く頃だね」

「さようですね」


 しばらく進むと、大きな木製の扉が目に入る。中庭に面したサロンへと続く扉である。

 耳を澄ませば、少女達の黄色い声が漏れ出ているのが分かった。


 エドワードによって開かれた扉から、中へと入る。とたんに、姦しいと呼ぶに相応しい声がナインスの耳朶を打った。


「そして、クレメンス王子はこう言うのですわ。――ああ、神がお許しになるのなら、私は今すぐにでもそなたの身をさらい、永遠に愛の言葉を囁こう、と」

「うわあぁ! それでどうなるの! どうなるの!」

「永遠の愛……さすがのボクも少し憧れてしまうね」


 そこにいたのは、ナインス同様、神がかった美しさの三人の少女人形だった。丸テーブルを囲み、なにやら恋愛関係と思しき話に花を咲かせている。


 部屋に入ってきたナインスに真っ先に気付いたのは、銀色の髪をショートにした少女人形だった。下はスカートだが、上着は詰め襟の軍服のような服を纏っている。男装の麗人は言い過ぎだが、中性的な雰囲気を湛えた少女である。


「おや? おはよう、ナインス。いや、ここはおそようかな?」

「おそようは止めて、フォオス。おはようでお願い」

「ならあらためて……おはよう、ナインス」


 少女とも少年とも取れる顔立ちを緩め、四番目の妹(フォオス)はそう言った。


「おはよう、フォオス。それで、何で盛り上がってたの? また、シクスの自作恋愛小説の実演?」


 ナインスはテーブルの向こうを見た。そこでは、立ち上がりながらうっとりとした表情で何かを語る少女と、目を輝かせてそれを聞く幼い少女の姿が見えた。二人とも、サロンに入ってきたナインスには気付いていない。


「あはは、そうだね」

「相も変わらず恋愛小説ばかり書いてて、良く飽きないね、シクスは」

「でも、今度のはなかなかに面白そうだよ。ボクも少しときめいてしまったからね」

「ふうん」


 エドワードが引いた椅子に、ナインスはスッと腰を下ろした。即座にメイド服を纏ったネズミ――もちろんアンドロイドだ――がちょこまかとやって来て、目の前に紅茶の入ったティーカップを置く。


 と、そこでようやく立ち上がって演説をしていた少女とそれを聞いていた少女の二人がナインスに気付いた。


「あら、ナインス? いつの間にいらしてたんですの?」

「あれ、ほんと。ナインス姉ぇなの」

「……少し前からいるつもりなんだけど、シクス、エイス」


 ナインスは肩をすくめつつ、朝の挨拶をした。シクスとエイスもそれぞれの口調で返す。


「フォオスに聞いたけれど、執筆は順調みたいだね、シクス。この間の作品の続編? 確か、敵国同士の王子と姫が許されない恋に落ちるっていう話だったっけ?」

「そう、そうなのですわ!」


 ゆるく波打った亜麻色の髪に大きなリボンを付けた少女人形――シクスは、身を乗り出しながら、


「あれから物語が溢れてしまって大変なのですわ」

「あのねあのね、ナインス姉ぇ! 王子様とお姫様が駆け落ちしちゃうの!」


 淡い金色の髪を三つ編みにし、薄桃色のドレスを纏った幼い容姿の少女――エイスが言った。


「ああ、エイス! それはわたくしからナインスに言いたかったですのに!」

「えー、別にエイスが言ってもいいでしょ、シクス姉ぇ」

「だめですわよ。著作権侵害ですわ」

「ぶう、けちなの」


 頬をぷくっと膨らませるエイスに、ナインスとフォオスは思わずクスクスと笑ってしまった。


「まあまあ、シクスもそれくらいにしてあげて欲しいな。エイスもそんな顔をしたらだめだよ。可愛い顔が台無しだ」

「子守も大変だね、フォオス?」

「今はセカンズたちがいないからね。残っているシスターズの中ではボクが一番上なんだから、しっかりしないと」

「なら、私の面倒もお願いしちゃおうかな、フォオス」

「任されよう、ナインス」


 二人はそろって紅茶を掲げると、また顔を見合わせて笑った。


「もう、フォオスもナインスも、ちゃんとわたくしの話を聞いてくださいまし!」

「あはは、ごめんごめん」

「わかったって、シクス。それで、どんな話なの?」


 紅茶を飲みつつ、シクスの自作恋愛小説の話を聞き入るナインスたち。


 しばらくしたところで、ふとテーブルの上にホログラムモニターが出現した。

 黒画面の中に、このような文字が踊りでる。



 【ALICE】



 その文字を見た瞬間、少女達は一斉に立ち上がった。スカートの裾をつまみ上げ、優雅に一礼する。


『おはようございます、アリス姉様』



【――おはよう、可愛い私の妹たち】



 蕩けるように甘い声が、どこからともなく響き渡った。







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