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第17話 止まらぬゼンマイ②


 管理都市ガーデンの医療技術は、租界あるいは旧世界などと呼ばれる都市外の世界に比べ、圧倒的なまでに高度だった。義手や義眼などは神経と直結されて本物同然の働きをしてくれるし、半永久的に動き続けてくれるゼンマイ発電式の人工心臓などという代物もある。マイクロマシンで免疫系を強化しておけば滅多なことでは風邪などには罹らないし、やろうと思えば臓器の大部分を機械仕掛けのものに取り替えることすら可能である。


 しかしどれほど医療技術が向上したところで、人間という枷がある以上、死という名の絶対から完全に逃れることは出来ない。


 エリザベスという少女が、まさにそうだった。





 エリザベスは入院着をはだけると、自分の胸元を見た。手に持ったネジを、薄い胸の中心に埋め込まれた小さな穴に差し込む。


 ゆっくりと、エリザベスはネジを右に回した。


 キリ、キリ、キリ……


 発電機と直結しているゼンマイが、少しずつ巻き上げられてゆく。今日は大丈夫そうだと、エリザベスが安堵の吐息を吐き出した、その次の瞬間だった。


「がっ……!」


 ふいに胸を貫く激しい痛み。まるで焼けた鉄の杭を胸に打ち込まれたかのようだった。まともに息を吸うことが出来ない。


「――ッ!」


 胸を押さえ、エリザベスはベッドの上でのたうち回った。先生を呼ぶべく呼び鈴に繋がった紐を引こうとするが、震えの走る手は言うことを聞いてくれない。気の狂いそうな激痛が全身の制御をエリザベスから奪い取る。


 エリザベスにとって不幸だったのは、彼女に埋め込まれた機械仕掛けの部品があまりに高性能なことだった。激痛の中、どれほど彼女がもう死なせてくれと願っても、機械部品たちはその願いを無視し、淡々と駆動を続けている。まるで、エリザベスを生かし続けることが自分たちの役目だと言わんばかりに。


 故にこそ、エリザベスは痛みと苦しみにのたうち回ることしか出来なかった。呼吸はすでに止まっているというのに、大量に投与された微少機械たちが脳や身体に酸素を供給している。酸欠で意識を失うことすら許されない。


 三十分近くもがき続けたところで、ようやく痛みが治まり、呼吸が戻ってきた。耳を澄まさなくとも、チキチキと小さな音を奏でながら人工心臓は変わらぬ駆動を続けているのが分かる。


 無慈悲に、無感動に。


「もう……いやぁ……!」


 エリザベスはベッドの上で背中を丸め、小さな嗚咽を漏らした。

 一日一回の日課である人工心臓のゼンマイ巻き。その度に、こうして彼女は激痛にのたうち回っていた。


 元来身体が弱ったエリザベスは、幼い頃から人工臓器に頼って生きてきた。心肺、消化器、神経……どこかが悪くなるごとに、機械の部品を埋めこんできた。心臓のゼンマイ巻きも、七歳の時からの日課である。


 しかし問題は、そうやって幼い時点で機械部品を埋め込んだことだった。


 人間の身体は成長する。そのため、エリザベスは身体が大きくなる度に部品を交換しなくてはならなかった。何度も何度も、これまで彼女は心臓を、肺を、神経を取り替えてきた。


 その度重なる交換が、徐々にエリザベスの身体を蝕んでいた。元々人工臓器との適合率が悪かったことも、それを助長する。


 そして十三歳になった今や、エリザベスの命は機械部品との適合不全によって、風前の灯火というところまで来てしまっていた。もって数年というのが、医者の見解である。


 もちろん、まだ幼いエリザベスの延命のために必死の治療が続けられているのだが――


「うぅ……死にたい……神様、お願い……早く死なせて……」


 じくじくと痛みの名残を残す胸を押さえながら、エリザベスは啜り泣く。

 エリザベスの心は、もうとっくに限界を迎えてしまっていた。


 まるで陸に打ち上げられた人魚のように、ベッドの上で藻掻き苦しむだけの毎日。一体何度、神にもう死なせてくれと祈ったかわからない。楽になりたい一心で、人工心臓のゼンマイ巻きを放置したこともある。


 しかし、そんな程度で死なせてくれるほど、エリザベスに埋め込まれた『機械仕掛けのエリザベス』たちは優しくはなかった。人工心臓の予備電源はゼンマイが巻かれなくても一週間は持つように出来ているし、そもそも数日間ゼンマイが巻かれないと、凄まじい警報音を周囲に響かせるようになっている。あたかも、『何を勝手に死のうとしているのよっ! このグズ!』とでも言わんばかりに。


 故に――死ねない。


 どれほど願っても、どれほど絶叫しても、機械仕掛けのエリザベスたちは、人間のエリザベスを生かし続ける。もって後数年だとしても、それでも生かし続けるために全力で駆動し続けている。


 人間のエリザベスにとって、もはや身体は自分のものではなく、機械仕掛けのエリザベスの所有物だった。


 だからこそ今朝早くに病室を抜け出し、屋上から身を投げようとしたのだったが――

 それも、結局は未遂で終わってしまっていた。


「シスターズ……」


 しくしくと涙を流しながら、エリザベスは屋上で出会った死神のことを思い出す。


 美しい死神は言った。それ以上進んだら、首を落とす――と。


 今更ながら、エリザベスはなぜあのとき死神に首を落として貰わなかったのだろうかと後悔していた。もともと身を投げるつもりだったのだ。地面に落ちて赤い華を咲かせるか、首を落とされて赤い華となるか、その違いだけのはずである。


 だいたい、とエリザベス。自分はずっと神に祈っていたのではないか。己の命を奪ってくれる死神を使わしてくれることを。なのに、その死神が現れたとたん、自分は尻込みしてしまった。


 まるで、機械仕掛けのエリザベスに操られたかのように……


「お願い、死なせて……」


 啜り泣きながら、エリザベスは呟いた。


「誰でも良い……死神でもシスターズでも良いから……早く、私を死なせて……誰か……!」


 早く、自分を楽にして欲しい。

 人間のエリザベスは、ずっと泣いていた。






◇ ◆ ◇







「妹様、終了いたしました」

「妹様、終了いたしました」


 全く同時に放たれた、全く同じ声色の声。それに対し、ナインスは小さく笑みを浮かべながら答えた。


「ん、ありがと。トゥイードルディ、トゥイードルダム」


 椅子に深く腰掛けたナインスの目の前には、初等学校に入るか入らないかといった歳に見える、幼い容姿の二人の女の子が佇んでいた。エプロンドレスに似た看護士服に身を包み、頭の上にはナースキャップを被っている。鏡写しのようにそっくりだが、良く見れば洋服の縁取りの色が違っていた。


 トゥイードルディが赤、トゥイードルダムが白である。


 この二人の自動人形は、主にナインスたちシスターズの整備をしてくれている人形だった。手先が器用で、指も小さいので細かい作業もお手の物である。感情は乏しく表情もほとんど無表情だが、それでも丁寧な整備はシスターズたちから絶大な支持を得ていた。


「歯車に一部摩耗が見られましたので、交換いたしました」

「発動機等には異常はありません。お美しいままです」


 ドルディとドルダムの二人が、テーブルの上に置かれたそれをナインスに見せる。

 それは、一本の腕だった。ナインス自身の右腕である。


「それでは接合いたします」

「ん、お願い」


 ナインスは右肩を前に出した。もちろん、そこに腕はない。


 ちなみに現在のナインスの格好は、薄手の湯浴み着のような格好だった。穴の開いた布に頭を通し、横を紐で縛っただけという簡素な服装である。


(さすがに、この格好はちょっと恥ずかしいかも)


 基本的に見られるということに忌避感のないナインスであるが、今の格好は微妙に恥ずかしかった。服装がというより、整備中ということが恥ずかしいのだ。そんなナインスをおもんばかってか、専属執事のエドワードは部屋には居なかった。


 ナインスの肩に、ドルディが右腕を優しく押し当てる。同時に工具を持ったドルダムが、すばやく歯車や神経ワイヤーを接続する。


 そして最後にグッと肩と腕とをつなぎ合わせ、首の後ろに差し込んであった感覚遮断用のピンを抜き取ったところで、腕の分解整備は無事に終了した。


「妹様、いかがでしょうか?」

「いかがでしょうか?」

「そうだね……」


 ナインスは動作具合を確かめた。指の一本一本の動きから始まり、手首、肘、肩の球体関節を回してゆく。次いで、シザーズ・マリーを振るうつもりで高速駆動。徐々に腕を振るう速さを速くしてゆく。


 最後にその速さが音速を超え、音の壁が弾けるパンッ! という音が鳴り響いたところで、ナインスは満足そうに微笑を浮かべた。


「完璧だね、トゥイードルディ、トゥイードルダム」

『光栄です、妹様』


 二人の幼い自動人形は、ペコリと頭を下げた。


 せっせと道具箱に工具を片付けているドルディとドルダムを横目に、ナインスは管頭衣からいつものドレスに着替えた。


丸帽子を定位置に被り、整備用自動人形たちを見送ったところで、ティーセットを持ったエドワードが部屋に入ってきた。


「お疲れ様でございます、ナインスお嬢様。紅茶はいかがでしょうか?」

「ん、もらう」

「かしこまりました」


 柔和な笑みを浮かべ、エドワードはお茶の準備に取りかかった。真っ白なカップに紅茶を注ぐと、今し方までナインスの腕がおかれていたテーブルにそっと置く。


 紅茶のかぐわしい匂いを楽しみ、温かなそれを一口すすったところで、ナインスはふと思い付いたかのように、


「ねえ、エドワード、聞いても良い?」

「はい、何でございましょうか」

「エドワードも、分解整備ってしてるの?」


 ナインスたちシスターズは、ALICEによって定期的に分解整備をすることが決められていた。


 その美しい姿から忘れがちになるかもしれないが、シスターズは基本的に戦闘用の人形である。特に高機動近接戦闘仕様であるナインスなどは、どうしても手足の部品が摩耗してしまうため、定期的な分解整備は欠かせない。一年に一度、『お誕生日』と呼ばれる日などに至っては、全機能を停止させ、全身整備が行われる。脳の一部だけは人間の時のままとはいえ、それ以外は全て機械仕掛けになっているシスターズにとって、美しさを保つための整備は欠かせないものだ。


 では、世話係であるエドワードはどうなのかというと――


「わたくしの整備でございますか?」


 エドワードは、リムレスのメガネの奧の瞳を柔らかく緩めると、


「基本的には、わたくしの整備はありませんよ、お嬢様」

「そうなの?」

「はい。日常でお嬢様のお世話をさせていただいている限りは、さほど部品が摩耗することはございませんので。万が一、何らかの動作不良があったときは、次のわたくしが用意されますので、ご心配にはおよびませんよ」

「次のエドワードが来るの?」

「はい。記憶データのバックアップは常にとってありますので、問題はないかと」

「なら、安心だね」


 ナインスはホッとしたように笑みを浮かべた。

 なんだかんだで、エドワードはナインスが正式に人形として稼働したときからお世話をしてくれている自動人形なのだ。やはり居なくなっては寂しいと思う。


「ナインスお嬢様が望まれる限り、わたくしはお嬢様と共にあります」

「ありがと、エドワード」


 しばし、ナインスは紅茶を味わう。


 それから三十分ほどとりとめのない話をしたところで、ナインスは椅子から立ち上がった。壁際の台座に置かれた巨大な裁ち鋏――シザーズ・マリーを手に取る。


「ショーでございますか?」

「うん。また『醜いもの』が出たから処理してくるね。それともう一つアリス姉様に頼まれてることがあるから、帰るのは遅くなるかも」

「然様ですか。いってらっしゃいませ、お嬢様」

「行ってくるね」


 ナインスはそう言いつつ、シザーズ・マリーを握った右腕を軽く振り回した。


「いい感じ」


 整備をしたおかげだろうか。機械仕掛けの自分の腕は、思わず笑みがこぼれるくらいに快調だった。








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