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第14話 許されぬ愛②



「なるほど、あれが『美しいもの』なんだ」


 塀の上に座り、ユラユラと足をゆらしながら窓越しに兄妹たちのやりとりを見守っていたナインスは、ぽつりとそう呟いた。


 ALICEの言う『美しいもの』を見ることが出来たためか、その顔には嬉しそうな笑みが浮かんでいる。


 より正確にいうのであれば、美しいものが何であるかを学べたためだろう。


 人間の機微に興味のないナインスは、どうしても『何が美しいもの』で『何が醜いもの』なのか、判断できないときがあった。不法入国市民であるとか、違法麻薬を所持していたなど、分かりやすい理由があれば大丈夫なのだが、殺人といった『醜いか否か』がわかりにくいものになると、どうしようもなくなってしまう。


 事実、先日の歌劇団での一件でも、自分では美しいものか醜いものかが判断できず、姉のALICEに判断を仰がなくてはならなかった。


 それはそれで正しい選択だったと思うナインスだが、やはりシスターズとして、自分でも少しは判断できるようにならなければならないとも思っていた。最終決定を下すのはALICEだとしても、頼り切りというのは少々恥ずかしい。


 そういうわけで、ナインスは大好きな姉のALICEに頼み、こうして実際に何が美しくて何が醜いのかを学んでいるのだった。


「美しいのは、やっぱり良いことだね」


 ナインスはそう呟きながら、眼下を見下ろした。

 窓越しに、何かに耐えるように身を震わせる青年が見える。


 とりあえす、あれがALICEの言う『美しいもの』なんだなと、ナインスは頭に刻み込んだ。


 同時に、脳裏にALICEの言った『祝福』という言葉が蘇る。


「祝福かあ……」


 姉が祝福するというのであれば、自分も祝福しなければ……。


(えーと、確か祈ればいんだよね?)


 一瞬、ナインスは何に祈るべきなのかを考える。

 しかし、彼女はすぐに思い至った。


 自分が祈るのならば、その相手はただ一人。姉にして都市の女王であるALICEのみだ。


 そしてナインスは目を閉じ、両手を胸の前で組み合わせると、優しく言った。



「どうか、あの人間たちに祝福がありますように」



 祈りの言葉はすぐに虚空に溶け、霧散していった。







 ◇ ◆ ◇







 父親の営む交易商の商社の一角。若き常務として役職についているオリバーは、何かを忘れるように仕事に打ち込んでいた。


「オリバー常務。常務宛に、小包が届いていますよ」

「……ありがとう、そこに置いておいてくれ」

「はい、わかりました。それでは、私たちはお先に上がらせてもらいます。オリバー常務も、早くお帰りになったほうが……」

「……いや、僕はいいんだ。ありがとう」


 同僚を見送り、オフィスに一人になったところで、オリバーは疲れたように目頭を押さえた。


 すでに時刻は午後六時を回っていた。本来ならば家に帰り、サラと二人きりの食卓を囲んでいる時間である。


 しかしオリバーに、仕事を打ち切って帰る様子はない。

 昼間見た、サラの涙が脳裏に焼き付いて離れなかった。


「サラ……」


 オリバーはデスクの引き出しを開けると、隠してあった写真立てを取り出した。


 それは二年ほど前、サラが寄宿学校に入る直前に撮った写真だった。サラが十五歳、自分が十九歳である。まだ、お互いに片思いであると思っていたときであり、どうにか今まで通りの仲の良い兄妹を演じようとしていたときだった。二人とも笑みを浮かべて寄り添ってはいるが、どこかぎこちなさがある。


「このころが、ある意味で一番良かったのかもしれないな……」


 互いに恋心を隠しながら、相手のために忘れようとしていた日々。

 ある意味で、それが正しかったのかもしれないとオリバーは思う。

 けれど、自分は知ってしまった。妹が兄ではなく、一人の男性として自分を愛していることを。


 相思相愛。それはある意味で、とても幸せなことだった。

 自分たちが血の繋がった兄妹でなければ、だが。


「これでいいんだ……これで……」


 頭を振り、仕事を続けようとする。

 そこでふと、オリバーは先ほど同僚のいった小包のことを思い出した。


 はて、自分は何かを頼んでいただろうか?


 オリバーは傍らに置いてあった小包を手に取った。届け人のところには、とある洋服店の名前が刻んである。


 洋服店?


「ッ!」


 オリバーは息を飲んだ。小包を開ける。

 中に入っていたもの、それは――


「ヴェール……」


 花嫁の身に付けるヴェール。それは、密かに結構式を挙げようと、サラに言われてオリバーが注文していたものだった。


「サラ……」


 秘めようとしていた何かが燃え上がるのを、オリバーは感じた。







 ◇ ◆ ◇







 会社を出たオリバーが向かったのは、昨日同様、教会だった。

 出迎えたシスターに夜遅くの訪問を詫び、少なくない金額の寄付金を渡したところで、再び懺悔室に入る。


 すでに懺悔室では、昨夜と同じく壮年の神父が待っていた。


「――こんばんは。またいらしたのですね?」

「すみません、神父様」


 穏やかな声の神父に、オリバーは詫びの言葉を述べた。


「けれど、どうして良いのか分からなくなって」

「――良いのですよ。迷える子羊の言葉を聞くのが、私の役目ですから。それで、どうされたのですかな?」

「はい、実は……」


 オリバーは昼間の父親のこと、妹のこと、そして自分のした選択のことを包み隠さず離した。


「……僕は、どうしたらいいのか分からない。このままでは、サラは誰とも知れない相手と結婚してしまう。それは僕には耐えられないことだ。けれど、僕ではそれをどうすることも出来ない。教えてください、神父様! 僕はどうすれば良いのですか……!」

「――ふむ、なるほど」


 神父は、しばし沈黙した後で、


「――やはり、わたしから言えることは変わりません。秘めた愛ならば神は祝福してくださり、許されぬ愛ならば神は断罪する。それだけです」

「神はっ!」


 オリバーは椅子を蹴って立ち上がると、金網に縋り付いた。


「神はなぜ、僕たちを許してくれないんですかっ! 兄妹だというだけで、なぜ愛を否定するのです!」

「――別に、否定をするわけではありませんよ」


 神父の声に、苦笑が混じる。


「……え?」


 思わず、オリバーは目を見張った。


「――神が、愛を否定されることは決してありませんよ」

「そう、なのですか……?」

「――はい。神は、それがどのような愛であろうと否定されることはありません。どのような愛であろうと、それをお認めになってくださいます。――ですが」


 そこで神父の声が、わずかに低くなった。


「――許されぬ愛を育んだあなた方を、神は必ずや断罪するでしょう」

「……逆に言えば、罪だとしても愛はお認めになって下さると?」

「――はい」

「そう、ですか……」


 オリバーは静かに椅子に座り直した。


(神は、認めてはくれる……)


 それはつまり、式を挙げることは認めてくれるということだ。


「――オリバー君、でしたかな」


 神父は、再び穏やかな声音で、


「――あなたがどのような選択をしたとしても、わたしから何かを言うことはありません。けれど、神は断罪を望んでいるわけではない。この都市に住まう子羊たちを導こうとしてくださっている。それだけは、憶えておいてください」

「ありがとうございます、神父様。それと、声を荒げてしまってすみません」

「――いいのですよ」


 あなたに祝福があらんことを、と神父は呟く。


 オリバーは今一度神父にお礼を言うと、懺悔室を出た。

 ステンドグラスに描かれた神の似姿を見上げる。


「神は、どのような愛でも認めてくれる……」


 ただし、許されぬ愛を育んだ者は断罪される。

 自分もサラも、罪人として裁かれる。


 けれど、それでも――


「僕は……」


 オリバーはその手に持ったヴェールを見た。決して使うことの許されないヴェールを。


「……」


 オリバーはしばしステンドグラスを見上げ、そして静かに去っていった。






 ◇ ◆ ◇






 それから二日ほどは、オリバーの周囲は静かだった。サラは自室から出てこなかったし、父親も相変わらず仕事に追われている。その父の差し金だろうか、オリバー自身にも大量の仕事が振られ、忙殺されていた。


 しかし、わずかに残った種火が消えることはない。

 そして、三日目の朝のことである。


「嫌、嫌です、お父様! 私、寄宿学校になんて戻りたくない!」

「いいからさっさと馬車に乗れ、サラ!」

「だって、今戻ったら、もう兄さんとは……いやぁ!」

「いいから早くしろ!」


 涙ながらに訴えるサラを、リチャードが馬車に押し込む。

 馬車はそのまま走り出した。


「兄さんっ! 兄さんっ!」


 馬車の後部ガラスに縋り付き、サラが兄を呼ぶ。

 その姿を、オリバーは自室の窓から静かに見つめていた。


 しばらくして、馬車が見えなくなる。それと同時に、オリバーの自室に父リチャードが入ってきた。


「……手間をかけさせてくれる」


 リチャードは、神経質そうな顔を苛立たしげに歪めながら、


「どうやら、お前の方は少しは利口だったようだな」


 妹の見送りに来なかったオリバーを見つめ、リチャードはわずかに溜飲を下ろした。


「ふん、まあいい。どちらにせよ、サラには卒業まで二度と帰ってくるなと厳命してある。卒業したら、即結婚だ」

「……」

「お前もさっさと結婚してもらうからな。相手は今探している。見つかり次第結婚だ。いいな、オリバー?」

「……はい、父さん」


 頷く息子の姿に、リチャードは満足そうに薄く笑みを浮かべると、


「やはりお前の方は利口だったな」


 そう言い残し、部屋を去った。

 その後ろ姿がドアの向こうに見えなくなったところで、オリバーは再び窓の外を見た。


「サラ……」


 愛する妹の名を呟く。

 もう、オリバーの腹は決まっていた。






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