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第10話 魅力的な嫉妬②



「どういうことよ、支配人! 今晩の演目を中止するって!」


 悲劇の歌劇団ことバーミンガム歌劇団が本拠地とする歌劇場。その舞台上で、キリエ・マエバラはヒステリックな声を上げていた。


 今は、夜のショーの前の最後のリハーサルだった。それぞれ本番同様の衣装に身を包んでいる。キリエが纏うのも、今晩の演目『ベルナールの夜宴』の準主役であるカーネル夫人の服装である。黒を基調としたナイトドレスで、キリエの大人の女性らしい魅力を良く引き出している。


 もっとも、キリエ自身は『準主役』という時点で自分には相応しくないと思っていたが。


 それはともかく、とりあえず一通りの演技と歌と踊りの確認を行い、最後の通し稽古をしようと思っていた矢先、歌劇団の支配人が今晩のショーの中止を言ってきたのだった。


「どうして中止する必要があるのよ!」

「い、いやですね、キリエ君……そうは言ってもですね……」


 支配人というより、サーカスの司会の方が似合いそうなビール腹の小柄な男性は、チョビ髭をやたらと気にしながら、


「昨日の夜、ケリー君が身を投げたばかりなのに……その、変わらずショーを続けるというのはいかがなものかなと……」

「支配人ッ!」

「ひっ!」


 震え上がる支配人を、キリエはキッと睨み付けると、


「何を甘っちょろいこと言ってるのよ! たかだか自分に自信のなくなった小娘が死んだだけじゃない! その程度でショーを中止するなんて、私は絶対に認めないわ!」

「い、いや、キリエ君? その程度って……」

「なによ! この看板女優の私の言い分に文句があるの、支配人!」

「いや、それは……」


 たじたじの支配人。本来であれば女優よりも支配人の方が劇団での地位は上のはずだったが、この支配人の生来の性格によるものか、あるいはキリエの猛剣幕におされてか、支配人は脂汗を流すだけだった。


「とにかくショーの中止なんて、私は絶対に許さないわよ!」

「そ、そんな、キリエ君……」


 支配人は半分涙目になりながら、


「そ、そうだ! ミレーニア君、君はどう思いますか?」

「ッ!」


 支配人の言葉に、キリエはギリッと奥歯を噛み締めた。それと同時に、背後を振り返る。


 果たしてそこにいたのは、金色の髪を結い上げた可愛らしい女性だった。主役であるマルーン伯爵の娘の格好――ウェディングドレスに似た白いドレスである――を着こなしている。柔らかな微笑の似合う女性である。


 微笑みのミレイと呼ばれる一番人気の女優ミレーニアは、その名に違わぬ微笑みを顔に浮かべながら、


「そうですね……確かに支配人の言うとおり、ケリーさんが亡くなってすぐというのは少し不謹慎ですね」


 『亡くなって』のところで、ミレーニアはわずかに目を伏せる。

 その言葉に、支配人は顔を明るくするが、


「ですが、すでにチケットを買われているお客さんもいることですし、むしろ亡くなったケリーさんの為にも、ちゃんとショーをした方が良いと私は思います」

「ミ、ミレーニア君まで……」


 ガックリと肩を落とす支配人。二枚看板である二人の女優がこう言う以上、支配人としてはこれ以上自分の意見を言うことは出来なかった。


「そ、そうですか、わかりました。では、今日のショーもいつもどおりということでいきましょう」


 またゴシップ紙に叩かれますね……と呟きながら、支配人はトボトボと劇場を後にした。

 その後ろ姿が見えなくなったところで、キリエはミレーニアの方を睨み付けると、


「ふん、ケリーの為だなんて、よく言えたものね」

「なんですか、キリエさん?」


 キリエの睨みに対し、ミレーニアは見る者を虜にするような微笑で返した。

 その余裕な様子に、キリエはつかつかと歩み寄ると、


「知ってるのよ、私は。ケリーが身を投げたとき、あんたも屋上にいたわね」


 あえて周囲に聞こえるように言った。


「実は、あんたがケリーを屋上から突き落としたんじゃないの?」


 その言葉に、舞台にいた他の劇団員たちがどよめいた。

 キリエは続ける。


「最近、あの子の人気も上がってきてたしね。この舞台の主役も、一時はあんたじゃなくてケリーがって話も出てたらしいじゃない。主役の座が危うくなったんで、とられる前にケリーを殺したんじゃないの?」


 薄く笑みを浮かべながら、キリエは相手を睨み付ける。

 対してミレーニアはというと、変わらぬ微笑みを浮かべたまま、


「確かに、ケリーさんが飛び降りたとき、私も屋上にいましたよ。けれどそれは、夜風に当たりたくなったからです」


 そこでミレーニアの微笑みが深くなる。


「それを言うなら、キリエさんこそ怪しいんじゃないですか? ケリーさんに追い上げられて焦っていたみたいですし。キリエさんこそ、ケリーさんが身を投げたときはどこにいたんですか?」

「っ! それは……」


 一瞬、キリエは言葉に詰まった。さすがに、子猫の生首を抱えて劇場の前に居たとは言えなかった。


「ちっ、まあいいわ……!」


 キリエは再びミレーニアを睨み付けながら、


「いずれ、あんたの化けの皮を剥がしてやるわ。分かったわね、微笑みのミレイ?」

「はい、お待ちしていますね。()主役のカーネル夫人さん」

「くっ……!」


 キリエは忌々しげに奥歯を噛み締めた。


(いずれ、本当に化けの皮を剥いでやるわ!)


 心にそう決めつつ、キリエは叫んだ。


「演出家! ほら、さっさと最後の通し稽古を始めなさいよ!」


 しばらくして、通し稽古は無事終了する。

 例えどれほど腸が煮えくりかえっていても、演技中はそれを出さない。キリエは間違いなく女優だった。






 ◇ ◆ ◇






 リハーサル終了後。

 自分専用の控え室に戻ったキリエは、部屋に入るなり床に手袋をたたきつけた。


「あの女、絶対に化けの皮を剥いでやるわ!」


 キリエの中では、ミレーニアがケリーを殺したということが事実となっていた。


 いや、ケリーだけではない、とキリエは思う。ケリーの前に自殺した二人の女優――もちろん、その二人はキリエにとってもライバルだったのだが――も、ミレーニアが自殺に見せかけて殺したに違いない。


 キリエの脳裏に、ミレーニアの微笑みが浮かび上がった。きっとあの女は、微笑みの裏で陰惨なことをしているのだろう。子猫の生首を送りつけようとした自分が生温いと感じるような、陰惨なことを。


(ちっ、なんでシスターズはあんな醜い女をのさばらせとくのよ……!)


 ガーデンにおける秩序の番人にして執行者――アリスの妹たち(シスターズ)


 キリエも詳しいことは知らないが、少なくともこのガーデンに『シスターズ』と呼ばれる人形の少女たちがいることは知っているし、先日そのシスターズたちが自分の舞台を見に来ていたことも支配人から聞かされていた。都市の女王であるALICEの命令によって、彼女たちが『醜いもの』と断じられた犯罪者や不法市民を処刑して回っていることも、噂くらいには知っている。


 だからこそ、キリエはシスターズたちがあの陰惨な殺人女優をのさばらせているのが信じられなかった。


「やっぱり、私がどうにかするしかないわね……そうすればあの忌々しい微笑みのミレイも居なくなるし、主役も私のものになるわ……!」


 爪を噛みつつ、キリエは呟く。

 そこでふと、キリエは傍らのテーブルの下に置かれている小箱に気付いた。子猫の生首が入った小箱だ。


「ちっ、結局これも送れなかったわね……」


 本当は昨日の夜の時点で事務所の前に置いておくつもりだったのだが、ケリーの飛び降り自殺という不測の事態によって、結局、置けずじまいになってしまったものだった。


 もっとも、こんな首程度であの殺人女優が主役を降りるなんて、今はもう考えられないが。


「……後で捨ててこないといけないわね。本当に面倒くさいわ。これも全部、あの女のせいよ」


 奥歯をギリリと噛み締めながら、キリエは呟く。

 と、そのときだった。


「キ、キリエ君? 今、少しよろしいですか?」


 ふいに響くノック音と、弱々しい声。支配人の声である。


 キリエは苛立たしげに立ち上がると、勢いよくドアを開いた。その向こうで、ビクビクとした様子の支配人が立っている。


「……何か用、支配人?」


 刺々しいキリエの声に、支配人は半歩後ずさりながら、


「じ、実は、キリエ君にも一つ伝えておくことがありまして……」

「何よ?」

「それが、その……今夜のショーに、シスターズの方がまた見えられるようなんです……だから、その、失礼のないようにと……」

「え……?」


 そこで、キリエは目を丸くした。

 シスターズが、私のショーを見に来る? 今夜?


「本当なの、支配人?」

「は、はい……そう聞いていますから……」

「……そう、シスターズの方が」


 キリエの口元が、ニィと歪んだ。


「なんて好都合なのかしら……」

「キ、キリエ君?」

「ねえ、支配人? 一つお願いがあるんだけど、聞いてくれるわよね?」


 ビクつく支配人に向かって、キリエは不敵な笑みを浮かべながら言った。


「舞台が終わった後、シスターズの方にあいさつしたいの。この歌劇団の看板女優として。だからこの控え室の方に呼んで欲しいのだけど、お願いできるわよね?」


 そしてシスターズに伝えるのだ。微笑みのミレイが、実は殺人女優だと言うことを。



 冷たくほくそ笑むキリエを前に、支配人は震えながら頷くしかできなかった。






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