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子供だって大人です

作者: 穂高恵那

 保父さんとして働き始めて早一ヶ月。始めは右も左もわからず戸惑っていましたが、周りの先生に手伝ってもらいながら、仕事にもなんとか慣れてきました。園児たちも最初は男の先生が珍しいのか、戸惑ったり怖がったりしているようでしたが、最近は懐いてくれてよく一緒に遊んだり、お話したりするようになりました。

 今日も、お昼寝が終わり、おやつを食べたり遊んだりしながら、一人、また一人とお母さんやお父さんが迎えにくるのを待っていました。

 園児もほとんどいなくなり、保育室には愛ちゃんと僕の二人きりです。一緒に積み木で遊んでいると愛ちゃんがふと、こんなことを話してくれました。

「せんせー、なんでもやさんってしってる?」

「何でも屋さん?」

「うん! あのね、とまとほいくえんにね、そのね、なんでもやさんがあるんだって!」

 トマト保育園というのは僕の勤めている保育園、つまりここの名前です。園長曰く「太陽の光を浴びれば浴びるほど赤く、甘く熟していくトマトのように育ってほしいから」らしいです。

「なんでもやさんはね、なんでもしてくれるんだよ! あ、でもね、なんでもやさんに」

 急に話が止み、愛ちゃんの積み木を積む手も止まりました。どうやら窓の外を見ているようです。愛ちゃんの目線を追うと、ちょうど愛ちゃんのお母さんが迎えにきたところでした。

「ママだ!」

 お母さんの所へ走っていく愛ちゃんの後をついていき軽くお母さんと挨拶を交わしました。

「じゃあねー、せんせー」

「またねー、愛ちゃん」

 お母さんと手をつないで帰っていく愛ちゃんを見送りながら、頭の中では考え事をしていました。

「何でも屋さん、か」

 噂、しかも出所が園児ということもあり、そこまで真剣に考えているわけではありませんが、少し気になります。

 保育園の中にあるとのことでしたが、いったいどこにあるのでしょうか。

 一ヶ月しか働いていませんが、それでも園内は詳しくなってきてると自負しています。しかし、何も思い当たる節がありません。それに、何でも屋を経営しているのは誰なのでしょうか、先生?

「あ、そうか」

 なるほど、園長がやっているカウンセリングのことを「何でも屋」と呼んだのかもしれませんね。園長先生は何でも悩みを聞いて、そして一緒に考えてくれますから、何でも屋という言葉もしっくりきます。うん、一件落着。

「さて、他に待っている子は、と」

 夕日が照らす部屋を見回しても遊具が転がっているだけで園児の姿は見当たりません。というか、愛ちゃんに片づけをさせるのを忘れてました。これじゃあ、また園長に怒られちゃいますね。園児も見当たらないことですし、片づけちゃいましょうか。

 手始めに愛ちゃんと遊んでいた積み木をおもちゃ箱へ片付けようとした時、ふと目に留まるものがありました。

 保育園には積み木の他にも絵本やオセロなどの盤ゲーム、ボールなどもあります。中でも人気なのがブロックです。ブロックといっても小さいものを組み立てるようなものではなく、園児たちが両手を広げてようやく持てるような大きさのものです。時にはおままごとの机、時にはボール遊びのプロテクター、時には簡易滑り台、何でもござれな凄いやつです。

 そんなブロックが今、部屋の隅で家を形作っていました。いいえ、家というよりは空間といったほうが正しいかもしれません。壁を後ろにして、僕の肩の高さぐらいまでの高さに積まれたブロックが二つ。そして上には二つ柱を渡す橋のように薄いブロックが置かれており、それらによって生み出された空間を隠すように暗幕がかかっていました。

 普段なら、誰かがせっかく作った大作を明日も使いたいから壊さずに取っておいた、と思ったでしょう。

 しかし、僕は今さっき愛ちゃんから一つ、情報をもらってます。

『トマト保育園には何でも屋がある』と。

 それを聞いたせいか、目の前にあるそれが店に見えてしょうがありません。

 本当に店だろうか、という好奇心と、片付けないといけないよなあ、という責任感(偽)にかられ、僕は暖簾のように垂れ下がる暗幕を好奇心一〇〇パーセントでくぐりました。

「ん? 何だ、今回の依頼人は安藤先生か。どうした、女性だらけの職場でやっていく方法でも聞きにきたのか?」

 暗幕を閉じました。

 中にも小さなブロックが置いてあって、それを事務机のようにして一人の女の子が座ってました。

 そこまでは特に問題はないです。一人で隅にいるのが落ち着く子、という可能性もありますし。

 ですが、何か、こう、雰囲気が……。

 確認のためにもう一度暖簾をくぐりました。

「また安藤先生か。冷やかしなら帰ってくれないか。こう見えてこっちも商売なんでね」

 間違いありません。中にいたのはこの保育園の園児、里佳ちゃんです。口調に違和感がありますが、たしかに里佳ちゃんです。

「えっと、里佳ちゃん、だよね?」

「ああ、たしかに私はトマト保育園に在園中の芳川里佳だ」

「なんか、雰囲気変わってない?」

「クラスでは無表情で寡黙な奴が部活やバイトでは饒舌なんてよくある話だろう。それと同じだ」

「そ、そうかな」

 普段とは違う口調や雰囲気に押された感がありますが、そういうことにしておきましょう。きっと何かのキャラのなりきりなのかもしれませんし。

「で、安藤先生はうちに何用で?」

「何用?」

「先生は何にも知らずここに来たのか? 先程、堀川から話を聴いていた気がするのだが」

「愛ちゃんから?」

 愛ちゃんと話していたのは、お母さんのこと、好きな食べ物のこと、セロリが最近食べられるようになったこと、後は……、

「もしかして、何でも屋さん?」

「ああ、園児達にはそう言っているが、正確には万屋だな」

 まさか何でも屋さんをやっているのが園児だったとは。ということは、それ程大きい規模ではなさそうですね。

 嫌いな食べ物の克服のしかたとか、仲直りの仲裁とかでもやってるんでしょうか? それともただのごっこ遊び?

「さて、安藤先生がここに訪れたのはただの偶然のようだが、依頼がないのなら出ていってくれないか」

 里佳ちゃんは気だるそうに壁にもたれかかり、片手でシッシと手を振りました。

 ですが、そっちが仕事だとしても、こっちだって仕事です。家族の方が迎えに来るまでのお守りを任されていますから。

 ということで話に乗ることにしました。でも何でも屋に依頼することなんて何かありますかね? しかも相手は保育園児、できることが限られてきます。ここは軽く相談でも乗ってもらいましょうか。お話ならば時間もかけれるのでお守りもしやすいですし。

「えっと、じゃあ相談に乗ってもらおうかな」

「『じゃあ』という言葉が引っかかるが、まあいい。相談に乗ることも万屋の仕事だ。そして依頼があるというのなら先生は客だ。さて、何を相談したいんだ?」

 何を、ですか。特に考えてなかったですね。ここはさっき里佳ちゃんが言っていたのを利用しましょうか。

「実は、さっき里佳ちゃんが言ったように女の先生が多いことに、ちょっと困ってるというか悩んでてね」

「ふむ、具体的に何がそんなに困るのだ」

 里佳ちゃんは小さな手で顎を触りながら続きを催促してきました。まるでベテラン刑事に尋問されてるみたいです。

「仕事の話とかはするんだけど、普段のお話がね。あまり話しかけてくれないし、ちょっと職員室でも浮いちゃってるんだ」

 あれ、おかしいですね。軽くのはずが、現実味が帯びてます。

「話しかけてくれない、か。安藤先生から話しかけることはしないのか?」

「学生の間、女子と話す機会が少なかったからか恥ずかしくって」

「それは安藤先生だけなのか」

 顎を触る手を止めると、手を組んで、さっきまでは話を促したり相槌を打ったりしていただけだった里佳ちゃんの方から話を切りこんできました。

「知っての通りトマト保育園には男の先生が安藤先生しかいない。ということは少なくとも他の先生たちは職場では男性と話す機会は少なかった、それはわかるな」

 男の先生がいないから男の人と話す機会が少ない、たしかにそのとおりです。

「でも、園児には男の子もいるからそれで少しは慣れるんじゃ? 他にもお父さんとかが送り迎えしてる子もいるし」

「安藤先生はどうなんだ? 現に堀川や私と話しているが、慣れたのか? 母親に送迎されている園児もいるが、慣れたのか?」

 里佳ちゃんは、諭すでもなく、怒るでもなく、淡々と正論を並べていきました。もしここで慣れたと答えれば、なら話せるじゃないか、ということになり、慣れていないと答えれば、なら他の先生達も僕と同じだ、ということになります。園児なのに、子供なのに、頭が上がりません。

 返事のない僕を見ると満足したような納得したような顔でこう締めました。

「まずは相手に動いてもらうことを待つのではなく、自分から動く勇気を身につけることから始めてみてはどうだろう」

「うん、そうだね」

「では依頼完了ということで報酬を貰おうか」

「報酬!?」

 その言葉は予想していませんでした。

だって、てっきりごっこ遊びみたいなものだとばかり。

「さっきも言った通り、こちらもこんな(なり)だが商売なんでな」

 立ってその場でくるりと回る里佳ちゃん。赤と黒のチェックのスカートをふわりと広げさせる仕草は子供らしく、とても可愛らしいものなんですが、口調と内容は借金取りみたいで怖いです。

「ちなみに報酬っていうのはいくら? というか他の子からも取ってたりするの!?」

 もしそうなら大問題です。相談してもらったので僕の分は払うにしても、今回限りにさせなくてはいけません。

「そんな訳ないだろう。流石に現金のやり取りに問題があることぐらい理解している。だからこれだ」

 そう言うと里佳ちゃんはブロックで見えなかった所から瓶を取り出しました。中にはカラフルな楕円から白い棒が飛び出しているものが何個も詰められています。よく見るとそれはペロペロキャンディーでした。舌を出したキャラクターがプリントされたビニールで包まれている、あれです。しかし、

「飴は、持ってないなあ」

「ふむ、無銭飲食ならぬ無飴依頼か。飲食なら皿洗いだが、万屋だからな」

 里佳ちゃんは瓶から飴を一つ取り出して咥え、さながら煙草のように上下にくいくい動かしながら考えてみせると、こう切り出しました。

「よし、決めた。一回、私のアシスタントをしてもらおう。それで今回のことはチャラだ」

 里佳ちゃんのそのセリフは、まるで決まる前から決まっていたかのように揺るぎないものに聞こえました。つまり、僕は断ることができず、アシスタントをすることになってしまいました、ということです。


        ※


 翌日、目を覚ますとあまりにも昨日のことが現実離れしていて、夢ではないかと思いました。思いたかったんです。

 保育園に行ってみて里佳ちゃんに会っても普段通りで、

「あんどうせんせー、おはようございます!」

 と、他の子たちと同様にどこから見ても聞いても保育園児でした。だからこそ、夢だと思いこんでいたのも無理はないんです。

 おやつの時間が終わるとお昼寝の時間です。保育室に布団をしき、みんなを寝かしつけたら今日の仕事もほとんどが終わりです。起こさないように気を付けながら職員室から小説でも持ってこようと思って立ち上がろうとすると、服をつかまれました。

「どうしたのかな? 眠れない?」

 引っ張られた方向へ顔を向けると、服をつかんでいたのは里佳ちゃんでした。

「ど、どうしたの、里佳ちゃん? 眠れないのかな?」

「せんせー、こっちであそぼーよー」

 セリフはすごく無邪気ですが、声の音量が静かで周りを配慮できていたり、連れて行こうとしている先が昨日のあの店だったりと、昨日の出来事が夢でなかったことが少しずつ思い知らされていきます。

「はやくはやくー」

 引っ張られるままに着いていく僕。抵抗しようとしても、うるうると今にも泣きだしそうな雰囲気を出して制止させられます。泣いちゃうとみんなが起きちゃうのでそれ以上抵抗できず、なすがままに昨日のあの場所へ連れていかれました。


「手伝うように昨日言ったではないか」

 暗幕をくぐった途端に口調ががらりと変わり、昨日のあれが現実だと確定されました。

「さて、みんなが寝静まっているこの時間が営業時間だ」

「でも、みんなもう寝てたよ」

 呆れるようにため息をつかれました。

「みんなが寝ないと安藤先生の目がそれないだろう」

 ブロックの裏の瓶から飴を取出し口に咥える里佳ちゃん。

「いつもみんなが寝ると職員室へ小説を取りに行く。そして小説を読み始めると音がしない限り気づかない。この時間が絶好の営業時間なのだよ」

 なんということでしょう、僕の職務怠慢を利用して営業が行われていたとは。現物やり取りもまずいからと、これを最後にやめさせようと思ってましたけど、僕の改善が先ですね。

 落ち込んでいると薄暗い店内に光が差し込みました。どうやら本当にお客さんが来たようです。

「あのー、まえにたのんでいたれんあいそうだんなんですけど。って、えっ! なんであんどーせんせいがいるの!?」

 入ってきたのは由奈ちゃんでした。驚くことも無理ないでしょう。この店自体が僕の目を盗む形で経営しているはずなのに、その盗まれているはずの本人が店内にいるわけですから。

 由奈ちゃんは僕に一番に懐いてくれた子で、由奈ちゃんのおかげでみんなと打ち解けられたと言っても過言ではなく、感謝してもしきれないぐらいの子です。

「落ち着け、安藤先生は別に叱るためにここにいる訳ではない。報酬を用意せずに依頼を頼んだから、アシスタントをやることで償っているだけだ」

「ははは……」

 保父さんを始めてまさか園児に使われるとは思いませんでした。笑うことしかできません。

「で、依頼は何だ、柏木」

「えっと、あの」

 ちらちらとこっちを見ては口ごもる。ああ、なるほど。

「僕がいたら話しづらいよね。先生は外に出てるね」

「待て、約束を破る気か?」

「でも僕がいると由奈ちゃんが話せないみたいだし」

「約束は守るもの。小学校で習わなかったのか?」

「その台詞を園児に言われる日が来るとは思わなかったよ」

 なんてやりとりをしていると、気が付いたら由奈ちゃんは消えていました。慌てて外に出て確認すると布団の中で寝息を立てていました。さっきの今なので寝ているわけがないはずなのですが、なかなかの女優ですね。

「ふむ、では決まりだな」

 あの時のような、決まる前から決まっていたかのように淡々とした口調で里佳ちゃんは僕に言いました。しかし、

「決まり? 何が?」

「何が、と決まってるだろう。安藤先生にこなしてもらう依頼が柏木の依頼になったことだ」

 飴を取り出し教師がチョークで生徒を指名するがごとく僕に着きつけた。

「依頼って言っても、内容とか聞いてないよ」

「人の話を聞くように普段から言っている先生の発言とはとてもじゃないが思えないな」

 ため息をつく里佳ちゃん、これでため息をつかれるのは何回目でしょうか。

「柏木がここに入る時になんて言って入った。覚えてないようだから答えるがな、恋愛相談、と言っていたんだ」

 恋愛相談。誰が好きとか、どうすれば付き合えるとか、ああいうやつですよね。でも、園児の恋愛相談ですか、どんな内容なんですかね、少し微笑ましいです。

「でも内容も聞いてないし答えるにしても」

 はあ、とため息を一つ。もちろんついたのは里佳ちゃんです。

「助言はもう出したからな。後は先生で何とかするんだな。せいぜい飴一個分働くといい」

 どうやら僕が思っていた以上に園児にとって飴一個の価値というものは高いようです。




 次の日、さっそく保育園に行き、由奈ちゃんに話を聞こうと思いましたが、どうやら勘違いじゃない次元で避けられているようです。これじゃあ依頼を聞くことができません。

「しかたない、聞き込みをするか」

 由奈ちゃんに誰が好きか聞けなければ、『由奈ちゃんが誰を好きか』を聞けばいいんです。でも、さすがに名前を出すのはかわいそうですね。僕に聞かれそうなだけで恥ずかしそうでしたから、みんなに誰かを好きな事が広まるのはもっと恥ずかしいはずです。

 では、どうすればいいか。答えは決まっています。女の子に誰が好きなのかを聞いて集計すれば一位の子が好きな子である可能性が高いはずです。

 では、さっそく聞き込みに行きましょう。


 結果を言いますと、失敗しました。

 何人かの女の子に聞いたのですが、みんながみんな等しく恥ずかしいようで、誰も答えてくれませんでした。

 しかも、松本先生に見られていたようで、

「子供が好きなのは結構ですけど、あまり表に出さない方がいいですよ?」

 なんてたしなめられてしまいました。

 ふうむ、では女の子じゃなくて男の子に聞きましょう。こう、今一番保育園で人気な男の子が誰なのかを聞けばさっきの質問と同様に好きな子が導き出されるんじゃないでしょうか。

 では、さっそく聞き込みに行きましょう。


 結果を言いますと、失敗しました。

 何人かの男の子に聞いたのですが、みんながみんな等しくわからないとのことで、誰に聞いても答えのような答えは帰ってきませんでした。

 しかも、松本先生に見られていたようで、

「女の子じゃなければいいってわけじゃないですからね。今度何かしていたら、その時は覚悟してくださいね」

 なんてたしなめられてしまいました。

 今までなかなか話せなかった先生と話せたのは嬉しいのですが、気のせいか今までよりも心の距離が開いた気がします。

 それにしてもどちらの作戦も駄目で、完全に手詰まりです。どうすればいいのか考えているうちにお昼になり、おやつの時間になり、そして迎えるお昼寝タイム。

 みんなが寝たのを確認し、里佳ちゃんを捜しました。しかし見つかりません。みんなを寝かしつけたつもりでしたが、しっかりと抜け出してたみたいです。こんなんじゃ隙を見つけられるはずです。

 店の暗幕をくぐると案の定里佳ちゃんがいました。

「なかなか苦戦しているようだな」

 飴の平らな部分を舌で舐めながらこちらを見る里佳ちゃん。

「うん、由奈ちゃんが誰を好きなのか調べようとしたんだけど、なかなか難しくて」

 それを聞いて明らかにしかめ面をする里佳ちゃん。へえ、あんな幼い顔でもしかめ面ってできるんですね。

「安藤先生、それを調べてどうするつもりだったんだ?」

「え、どうするって……」

 まずは依頼内容を明確にしないとどうにも動けないと思って調べてたんですけど、もしかして何か間違っていたんでしょうか。

「答えを言うようで気が引けるが、はっきり言って園児からの情報収集なら私で十分なんだ。安藤先生の場合、今回のようにいらぬ疑いをかけられるだろう」

 脳裏で松本先生の言葉が反響しました。良かれと思ってとった行動のせいで現在、職や人間関係や人生もろもろ崖っぷちです。

「さて、ではここで考察だ。私は何故、安藤先生に依頼を頼んだ?」

 里佳ちゃんは自分でやれることは自分でやると言うとても大人な考えの持ち主です。その里佳ちゃんが僕に頼んだということは、

「里佳ちゃんには難しい依頼だったから?」

「おしいな。難しい訳ではない。むしろ逆だ。安藤先生なら簡単な依頼だったから、安藤先生に頼んだんだ」

 僕にとって簡単。崖っぷちまで運ばれてあとチョンっと押すだけで真っ逆様に落ちていきそうな状態になっているのに、本当に僕に向いている依頼だったんでしょうか。

「それは安藤先生が勝手に崖まで駆けていっただけだ。急がば回る必要がないのに回ってしまったんだな」

 舐め終えた棒を胸ポケットに押し込むと、瓶から新しい飴を取り出して咥えました。

「でも僕にとって簡単な恋愛の依頼ってどういうこと?」

 ふう、とため息。そんなにため息をついてると幸せが逃げちゃいますよ。

「では最後の助言だ。柏木はここに入る際に先生の存在に驚き、依頼を話すことを躊躇っていた。その理由を考えてみるといい」

 店内に入って驚いたのは、いるはずのない僕がいたからで、依頼を話すのを躊躇ってたのは僕に聞かれたくなかったから、ですよね。

「では、何故聞かれたくなかったのだろうか。安藤先生は言いふらすような性格ではないからバラされるのが怖いからではない。では理由は?」

 聞かれたくない理由? 恥ずかしいから、じゃないですかね

「なぜ恥ずかしい?」

 それは恋愛の相談を他人に聞かれるのは気まずいし、恥ずかしいのは当たり前じゃないですか。

「むう、答えに辿りつかないな。私が下手なのか、安藤先生がわざと考えないようにしているのか」

 飴を噛んでストレスを発散してるかのような里佳ちゃん。そんなに不甲斐ないですかね、僕。

「こういうことをあまり私の口から言わない方がいいと思っていたのだが、しょうがない」

 一呼吸おいて、決心をつけるように、予想外の行動を取るように深呼吸をすると、

「柏木が好きなのが、安藤先生だからだよ」

「……へ?」

 急に言われたので耳から脳へ行き、脳内で考え、そして理解するのに少しばかり時間がかかりました。理解できたかは怪しいですが。たしかに里佳ちゃんが一生懸命僕を導こうとしていた内容は全てあてはまります。でも僕の考えも別に間違ってないですし。

「ふう、やっとその二択まで行けたか。後は安藤先生が尋ねるだけだ。勇気をもって、な」

 背中を押され、店の外に出されちゃいました。店の外に出ると、お店のブロックを背に寝ている女の子が一人。由奈ちゃんです。いくらタヌキ寝入りが得意でも、これはなかなか無理がありますね。

「起きてるでしょ、由奈ちゃん」

 周りの子を起こさないように由奈ちゃんだけに聞こえる最低限の音量でささやくと、びくりと体をふるわせました。そしてゆっくりと目を開けました。

「おはよ、由奈ちゃん」

「お、おはよう、せんせー」

 タヌキ寝入りは上手でも、演技はまだまだみたいですね。

「さっそくだけど、答え合わせしてもいいかな」

「は、はひっ!」

 由奈ちゃんは慌てて真っ赤になっちゃって、完全に今から何を聞かれるかわかっていることがわかります。僕は質問内容と、その答えに対する自分の答えを頭で整理して、覚悟を決めました。

「この前の依頼内容は、僕に対する恋愛相談、でよかった?」

「…………はい」

 絞り出すような、みんなが寝ていなかったら聞き取れないようなか細い声で、それでもしっかりと「はい」と言いました。

 つまりは里佳ちゃんの推測の方が正解だったようです。

「……わたしは、せんせいとつきあいたいです。でも、としもはなれてるし、むりだってことは、わかってるんです」

 いつから、どれくらい僕の事を好きでいてくれたのかはわからないけど、その溜めていたものが由奈ちゃんの口からぽろぽろとこぼれていました。

「でも、やっぱりあきらめきれないんです。せんせー、どうしたらいいですか?」

 出し切ったからか、出し切れなかった分が出てきてしまったのか、由奈ちゃんの目は真っ赤になって、目じりに涙が溜まってました。

 話は聞いたので、後は予定していた言葉を話すだけ。

……いや、やめましょう。

 溜まっていた思いを打ち明けてくれた由奈ちゃんに対して、用意した答えを渡すだけでは思いに応えられている気がしません。ここは何も考えずに、思ったままを吐き出しましょう。

「僕を好きでいてくれたことは素直に嬉しいよ、ありがとう。でも、由奈ちゃんの言うとおり年齢的にも世間的にも問題がある」

 ここまで言うと由奈ちゃんの目じりに溜まっていた涙がどんどんとこぼれ、嗚咽も聞こえてきました。それを見てしまったからか、聞いてしまったからか、僕も次々と言葉がこぼれていきます。

「だから、まずは友達からなんてどうかな。卒園した後も、入学して卒業して入学して卒業して入学して、その間ずっとお友達。そして最後、高校を卒業した時も気持ちが変わってなかったら、ちゃんと付き合おう。それなら誰にも文句は言われないはずだ」

 本当のところはわかりません。今言ったことは犯罪になるのかもしれません。頭で考えず、口からただこぼれ落としただけの言葉達。でも、これが今の僕の本音なんだと思います。

 僕の言ったことを聞いて、由奈ちゃんの顔はくしゃくしゃに歪み、涙でぼろぼろでした。その涙が嬉しいからなのか悲しいからなのかは聞けないし聞きませんでした。ただ、落ち着くまでずっと由奈ちゃんを抱きしめてあげました。


 落ち着くと、由奈ちゃんは疲れたのかすっかり眠っちゃいました。本当に寝てるかどうかはわからないですけどね。恥ずかしくて顔が見れないからタヌキ寝入りをしているとも考えられます。

 由奈ちゃんを布団に入れてあげて、僕は店の暗幕をくぐりました。

「なんとか依頼は解決かな」

「解決までの時間がかかりすぎているが、結果は上出来。及第点だな。報酬は、まあ後で受け取ろう」

「後日とかありだったの!?」

「泣き疲れて寝てる柏木を起こしてまで受け取るつもりか」

 ああ、それは無理です。あんなかわいい寝顔を邪魔することなんてできません。

「さて、これで報酬分の仕事は終了だ。今までご苦労だった」

「うん、まあ楽しかったよ」

「そうか、先生達からは距離を置かれ、園児に告白されたことがそんなに楽しかったか」

「その言い方は誤解しか生まないからやめてくれる!? 何ていうか、子供も大人みたいに、もしかしたら大人以上に色々悩んでるんだなあって、そういうのが知れてよかったなって」

 振り返ってみると、たしかに里佳ちゃんの言う通りなんですけど、何が楽しかったんですかね。もしかして本当に、

「安藤先生、こちらにいらっしゃるんですか?」

 ふとそんな大人の女性の声とともに店内に光が差し込みました。声のした方を見ると、松本先生の顔が暗幕から覗いえていました。

 松本先生は僕と里佳ちゃんを交互に見るとぶつぶつつぶやき始めました。

「作られた個室、暗幕、二人きり、安藤先生、暗い……」

 一つ一つ状況を確かめる様に、点と点を線でつなぐように。そして、一つの解が導き出されたのか、こっちに振り向きました。

「安藤先生、覚悟してくださいって言いましたよね」

 どうやら導きだされた答えはレッドカードだったようです。連行されそうになりながら里佳ちゃんにアイコンタクトで助けを要求してみました。

 この店に来てから何度も聞いた、ため息とともに里佳ちゃんがブロックの影から何かを取り出しました。

「まつもとせんせー、あんどーせんせーからこんなのもらったの」

 店を知る前によく聞いていた、どこか間延びした舌っ足らずな声で松本先生に何かを僕名義で渡しました。それを見た松本先生の顔はどんどん強張っていきます。何を渡したんでしょうか。

「ふぃるむのねがもね、いえにあるっていってたよー」

 舌っ足らずな声で何を言ってるんですかね。なにを渡したかわかりませんが、確実に僕が松本先生を脅している感じになってますよね。

 展開についていけなくポカンとしている僕の方を向いた松本先生の顔は、薄暗いこの空間でもわかるほど真っ赤になってました。

「今回は不問にします。あと、この写真は早急に処分してください、お願いします」

「は、はあ、努力します」

 いったい何の努力をすれば手元にない写真を消せるかわかりませんが。

「では、もうそろそろ子供たちを起こす時間なので。それを伝えにきたんでした。では、お願いしますね」


 松本先生は店内を出て行きました。残ったのは何故か助かった僕と、どこか満足そうな里佳ちゃんだけ。

「さっきのは一体何だったの?」

「写真だよ、内容は個人のプライバシーのために伏せておこう」

「そっか、おかげで助かったよ。ありがとう」

「うむ、これで貸しが一個増えたな」

「うん?」

 貸し? 何か嫌な予感しかしませんね。

「ということでまた仕事を頼むかもしれない。先生だからこそできることがあるかもしれないしな」

「なんだかすごくはめられた気分だよ!?」

「知らないのか、安藤先生」

 瓶から飴を二つ取り出しました。一つは自分の口に、もう一つは僕に。

「誰かが言っていたが、子供だって大人なのだよ」

 悪戯っぽく笑う里佳ちゃんは年相応に、かわいかったです。

 大人が人であるように、子供だってもちろん人です。人であるならば悩みだって同じ人である大人同様に持っているはずです。


 この作品は、一人称小説の地の文を丁寧語にする、とか、園児の言葉を全てひらがなで表す、とか、結構実験的なものだったりします。書いている途中、挫折しそうにもなりましたが、なんとか形になったので実験成功と言ってもいいでしょう。


 何でも屋なのに完全に相談室になっているのはご了承ください。


 ここまで読んでいただきありがとうございました。


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