第36話 妻は宇宙人
幸盛は小説『妻は宇宙人』を平成二十年三月に鳥影社から出版した。初版は八百冊で、増刷すればいくらかの印税が懐に入る予定だったが、四年が過ぎたのに鳥影社の倉庫には初版がまだ少し残っているようだ。だから、たぶん現在でも市井の書店から取り寄せることができるはずだし、ウェブ書店のアマゾン、楽天ブックス、紀伊国屋書店、セブンアンドワイ、ジュンク堂書店で『妻は宇宙人』を検索してみると、いずれも「在庫あり」になっているから注文すれば二、三日で届くことだろう。
発行されてまもなく、胸ときめかせて名古屋駅地下街にある三省堂書店まで出向き、血眼で足が棒になるまで探し回ってやっと見つけたが、なんと自閉症関連の専門書と一緒に並べられていた。あーあ、これは「小説」なのだから、どうせなら「文芸書」の棚に置いてほしかった。
それでも、どこでどうなってそうなったのか今でもさっぱり見当がつかないのだが、発刊直後の三月二十五日に小谷野敦さんが人気ブログ「猫を償うに猫をもってせよ」で取り上げてくださり、さらにはアマゾンのレビューで星を三つもつけてくださったおかげで、小谷野ファンがドドッと数百冊も買ってくれた形跡がある。
【ブログ】アマゾンのレビューを自分で書く人:「山中幸盛」って尼子十勇士の山中鹿之助の名前だと思うが、鴻池組というのは山中鹿之助の子孫らしい。もちろんこちらは筆名で、本名は水田功って人のようだ。文部官僚とは別人だろう。
【レビュー】本人のレビューだけでは見当がつかないので:珍書です。小説だそうですが、実録に見えます。高卒の主人公が、名古屋大卒の美人と結婚しますが、妻はアスペルガー症候群です。そのうち妻の友人と不倫しますが、セックス描写がしつこく出てきます。各種新人賞に応募して落選し、遂に自費出版を決意したそうです。友人には芥川賞五回落選の村上政彦もいます。自費出版の世界は怖いです。
平成二十三年九月上旬、幸盛が家で夕食を作っていると家電が鳴った。ガスレンジの火を止めタオルで手を拭いて出てみると、東京の某広告代理店からだった。
「山中先生の『妻は宇宙人』を国会図書館で拝見させていただきました。素晴らしい小説ですので、ぜひ当社の産経新聞一面広告企画で紹介させてください」との用向きだった。
ふん、と幸盛は鼻で笑ってあっさり断った。そんな企画広告に載せたところで売れるはずもないし、目の玉が飛び出る掲載料二十四万円をドブに捨てるようなものだ。(「先生」と呼ばれるほどの馬鹿でなし、のつもりだし。)
ところが数日後に再び電話がかかってきた。新聞掲載日が九月十七日と決まっているようで、先方は穴を開けたくないので必死に食い下がってくる。
「山中先生のブログ『妻は宇宙人』を拝見させていただきました。その中の『孫のために』を読んで、大変感銘を受けました。ここはやはり、山中先生にお願いするしかないと確信を深めた次第です」
「は?」
先生、先生と呼ばれて馬鹿になったらしい幸盛の心が動いた。この担当者は同じ信仰仲間にちがいない。その心の動揺が相手に伝わったようで、ここぞとばかりに、掲載料を一万五千円だけ負けてくれるという。
幸盛は観念した。普段ならなけなしの貯金を崩してまでこのアホ勧誘に乗らないところだが、運悪く十月十三日に子どもの学資保険が満期で○万円入ることになっていた。
「よしわかった。あなたに捕まったのが運の尽きとあきらめることにする。ただし条件がある。お金の払い込みは来月の十四日、掲載料は十五万円に負けてくれ」
という次第で後日、九月十七日発刊の産経新聞が五部送られてきた。その十一面『芸術と地球』を見ると、短歌を載せた人が十二名、絵画が三名、墨書が一名、書籍が幸盛を含めて三名。わが日本国には大金をドブに捨てる世間知らずのお人好しが自分以外にもこんなにいるのかと感心する。
これには後日談がある。その紹介枠に「本書を三名様にプレゼント。当社にご応募下さい。」とあるものだから、四名の奇特な新聞読者が応募され、その応募葉書、応募FAXが広告代理店から幸盛の元にそっくり転送されてきた。少しむかっ腹が立ったがこの人たちに罪はない。幸盛はしぶしぶアマゾンで『妻は宇宙人』の中古本を四冊買い求め、栃木県、桐生市、静岡県、秋田県にお住まいのそれぞれの好奇心旺盛な方に手紙を添えて送ったのだった。この四名の方からの読後感想文は一件も寄せられていないが、それはおそらく彼らがそろって恩知らずということでは決してなく、『妻は宇宙人』の「第五章・愛は不感症を淫乱にする」まで読んだところで腰が抜けてしまったにちがいない。
そして、九万円値切ったので半ばあきらめかけていたのだが、その広告代理店から十一月二十六日に茶封筒が送られてきた。中には約束通りに『妻は宇宙人』の表紙をデザインしたオリジナル八十円切手二十枚シートが入っていた。はたして、一枚七千五百円の値打ちがあるこの八十円切手を貼って出す手紙を書く日は訪れるのだろうか。