第二章 2
仕立て部屋と言われて案内された場所は、何とも湿っぽい感じの作業場だった。
「ここ、俺の仕事部屋な訳?」
「そうですよ。普段はジークさんが使っている部屋ですけど、今後はお二人で使うようにと」
なるほど。兄弟子が使っているなら納得だ。昔っから兄弟子は部屋の隅で一人、黙々と作業をする人だった。だが悔しいことに床には糸くず一本落ちていない。そんなところまでこの部屋の使用者の几帳面な性格を表していて落ち着かない。
「ジークって人もここで作業をするんだよな?」
「そうですよ。今言ったばかりじゃありませんか」
「そうだったな、すまない」
「陛下のご命令です」
「分かった、分かった」
「早速ですが、デザイン画を描いてご提出ください。それに従って生地や糸を揃えさせますから」
「この部屋で描くのか?」
「ジークさんはいつもそうしてますよ」
「分かったよ。じゃあ新しい紙とペンを持ってきてくれないか。もう一人の使用人のものを勝手に使うとうるさそうだから」
「かしこまりました」
そう言って侍女は部屋を出て行った。
「やれやれ」
思わずため息が出る。
ジーク、ジークとうるさいやつだ。そんなに兄弟子はもてはやされているのか? あの暗い影が差して見える男のどこがいいんだか。
それにしても、同じ部屋で作業をするとなると修業時代を思い出してしまう。ほとんど口を利くこともなかったが、同じ空間にいるだけで互いに嫌な思いをしていたものだ。そんな環境で果たしていい服を作ることが出来るのか甚だ疑問だ。
「これが兄弟子の作品、か」
ハンガーに掛けられたいくつもの服が部屋の隅にあった。女性のものばかりではなく、紳士服も手がけているようだ。その出来は悪くはなく、色のセンスもそれなりだがどこか古めかしい感じがする。
技術点は七十点くらい上げてもいい。でも流行遅れと言う点では、大目に見ても五十点がいいところ。どこをどう見ても俺の腕には一歩も二歩も及ばない。俺の腕が良すぎるんだ。さっき女王が身に付けていたものもおそらくは兄弟子の手によるものだろう。あの程度の衣装に満足しているなんて勿体ない。あの美貌を引き立たせるような素晴らしい衣装を、式典のドレスを、俺が作ってやる。そして俺こそがこの城の仕立て職人に相応しいと言うことを教えてやるんだ。
「クラウスさん。お持ちしましたよ」
さっきの侍女が俺の言い付け通りのものを持ってきた。後ろ姿しか見ていなかったがよく見れば、まだ十代だろうか、可愛らしい顔をしている。
「ありがとう。ハンナちゃん、だっけ? 普段はどんな服を着てるのか教えてくれない? 街の女の子のことなら何でも知ってるけど、城となるとさっぱりなんでね」
「普段はジークさんの作る服を着させてもらってます。とっても機能的で使いやすいんですよ」
また兄弟子の名が……。全く腹が立つ。しかしそんなことで表情を変える俺ではない。
「へぇ、じゃあ今度見せてよ。今後の参考にしたいんだ」
「いいですよ。いつでもどうぞ。それでは私はこれで。作業の邪魔をしてはいけませんので」
「もう行っちゃうの? もう少しおしゃべりしようぜ」
「せっかくのお誘いですけど、他にやるべき仕事が山積みなんです。失礼します!」
ハンナは半ば強制的に話を断ち切るとさっさと出て行ってしまった。
「ちぇっ、冷たい子だなぁ。でもそう言う子こそ落とし甲斐があるってもんだ」
再び一人きりになったので、簡素な部屋の、使い古された椅子に仕方なく腰掛ける。頭の中に浮かび上がった新作ドレスのイメージを膨らませてみる。
十五年も前に、大国フランザニアの地で流行っていたこてこての貴族衣装を採用しているなんて、遅れているにも程がある。ウエストの細い女ほど美しいと言う考え方には俺も同意するけど、息をするのも辛いくらいに胴を締めつけられた女の顔と言ったら、見ているこちらまで苦しくなるほどだ。そこまでしなくとも、はつらつとした女はそれだけで魅力的なのに誰もが誤解している。
古いものは、いつまでもあってはいけないのだ。そして俺は常に流行の先を走っていたい。流行を作っていきたい。それでこそ生き甲斐があるってもんじゃないのか。
借り受けた筆記具は綺麗に削られた鉛筆だった。兄弟子の小机のペン立てにも何本か置いてあるところを見ると、城ではこれが普通らしい。
「生意気にもこんなにたくさんの種類を使ってやがる」
街の服飾業界では木炭の方が一般的だ。生地に線を入れるのも、デザインを描くのもそれ一本で事足りる。だが俺は芸術家がデッサンを描く時と同じく鉛筆を用いる。木炭は手が汚れるし、色の濃淡は筆圧でしか調整が利かない。それに比べて鉛筆は硬度によって濃さがそれぞれ異なっている点がいい。
借りた鉛筆で試し書きをしてみると、非常になめらかな書き心地だった。普段使っているものよりも質がいいらしい。
兄弟子の小机に、描き上がったデザイン画が何枚か置いてあった。どれもこれも同じような古くさいデザインで腹が立つ。
「いいものを使ってたって、所詮この程度の画しか描けないんだったら何の意味もない」
こうなったら女王に俺のすごさをとことんアピールして兄弟子を城から追い出してやる。
俺は早速机に向かってデザイン画を描き始めた。負けたくない、いや、絶対に勝ってみせる。圧倒的な差を見せつけて。そんな思いで何枚も何枚も、日が暮れるまで書き続けた。
描いた絵の何枚かを提出して、その日は部屋に戻り就寝した。
何だか物置部屋を無理やり空けたような狭苦しい部屋ではあったが、どうせ寝に帰るだけだと割り切って使うことにする。おそらく使用人の大半が大部屋で寝起きしていることを思えばありがたい配慮だと言える。個室と言うだけで俺の自由な生活が約束されたようなものだからだ。
小さな窓から朝日が差し込む頃、いつもの習慣で早くに目が覚めてしまった。
まだ五時になるかならないかと言う頃だろう。だが扉の向こうは何だか慌ただしい様子だ。食事の準備とか、掃除洗濯とかいろいろあるんだろう。
使用人の朝食の時間は確か六時と早かった気がする。時間になったら一階の大食堂で各々勝手に食べていいと言われたが、街の大衆食堂並みかそれ以上の混雑を想像すると、それだけで食欲が失われそうだった。いっそ朝飯を抜くことも考えたが、空腹に耐えきれなくなって仕方なく食堂に足を運ぶことにした。
「あら、あなた街で有名な仕立屋さんじゃない?!」
到着するや否や、たちまち女性たちに囲まれてしまった。やれやれ、顔が広いってのも困りものだ。
「俺はクラウス・ハーシェル。クラウスって呼んでくれていいよ、可愛いお嬢さん方。朝食を食べに来たんだけど、同席しても構わないかな?」
「もちろんよ! さぁ、こっちこっち!」
「あたし、食事の用意をしてきてあげるわ!」
「私にやらせてよ!」
「わたしにも!」
どうしてこうもモテてしまうのか、自分自身が怖くなることがある。まぁ、女たちが放っておけないオーラと魅力を持っていることは間違いない。
さて、さんざん引っ張り回されたあとでようやく食事にあり付くことが出来た。こうしてたくさんの女性に囲まれながら食事をする経験は、二十三年の人生の中でも初めてだ。しかも美人ばかりと来れば毎日、いや、毎食ここへ足を運ぶのも悪くない気がしてくるのだった。
女たちはよくしゃべった。聞きもしないことを次から次へと。おかげで彼女たちのことは一通り理解することが出来た。名前と顔と年齢、どんな仕事に従事しているのかが分かれば十分。
「お城の中にいる男たちと来たら豪傑ばかりでちっとも紳士的じゃないの。だから、あなたみたいな人は本当に大歓迎なのよ」
ヘンリエッテと名乗った女がこう言った。
どうやら彼女たちは俺に対する表向きの評判を鵜呑みにしている事が分かった。実に好都合と言うものだ。街での悪評が伝わる前に、彼女たちを少しでも多く口説き落とすことが出来ればそれだけでもここへ来た価値はある。今後の楽しみがまた一つ増えたことで、仕事の取り組み方も変わってくると言うもの。俺はそんなことに思いを巡らせて内心ほくそ笑んでいた。
大食堂での食事を済ませて部屋へ戻ろうとした時、侍女のハンナが駆け寄ってきた。
「おはようございます、クラウスさん。陛下からの伝言です」
「よぉ、ハンナちゃん。今日も会えて嬉しいよ。それで、伝言って?」
「『太陽の間』に来るようにと言うことです。すごいですよ、きっと何かいい知らせがあるに違いありません!」
「『太陽の間』って、そんなに滅多に入れない部屋なのか?」
「あたしたちのような者は決して。貴族とか大臣とか、身分の高い人だけなんです」
「そうか。そいつは楽しみだな」
私の分も見てきてください、と言わんばかりの笑みを浮かべてハンナは目を輝かせていた。
「あとでどんな話があったか教えてやるよ」
「わぁ、ありがとうございます! 優しいんですね」
「その代わり、ハンナちゃんも俺とのおしゃべりに付き合ってよね。来たばかりで友達もいないし心細いんだ」
「じゃあ、消灯後にこっそり伺いますね。昼間は本当に仕事で忙しいんです」
「ヒュー。きっとだよ。待ってるから。一階の突き当たりの部屋だから」
「はい。……あ、そうだ。陛下とのお約束のお時間は正午ですから、忘れずにお願いします。では」
「今すぐじゃないんだ?」
「陛下は大変お忙しいお方ですよ? この伝言も、大臣の方から何人も経由してあたしが賜ったんです。陛下はじめ、大臣たちはみんな、分単位で決められたスケジュールをこなしておられる中で、クラウスさんに会う時間を作ってるんです。くれぐれも遅れないでくださいね」
「分かってるって。じゃああとでね。可愛い子猫ちゃん」
そう言ってウインクをすると、ハンナはぽっと顔を赤らめたのち去っていった。
昼までは部屋にいても退屈なので、城内を歩き回ってみることにした。兄弟子の衣装を身に纏う人々の中にいると浮いて見えるのか、はたまた俺が新参者の男であるせいか、すれ違う人の誰もが特別な眼差しを向ける。中には見るなり逃げていく者もいたが、大抵の者はハンナのように近寄っては一言二言話しかけてくれた。二時間ほどの間に五人の女の子と仲良くなって、近々遊ぶ約束も取り付けた。
女王様との約束の時間が近づいたので、周りの人に聞きつつ何とか太陽の間にたどり着いた。
「女王様に言われてきたんだけど。正午の約束で」
大きな扉の前には、それに見合うだけの大きな男が二人立っていた。男の一人は俺を上からぎろりと睨み付けて、お前みたいな輩が(やから)何の用で呼ばれたんだ? と言いたげだった。
「ならばここでしばらく待つがいい。陛下がお見えになるまで、扉を開ける訳にはいかん」
「ここでって、この廊下で?」
「無論だ。他にどこがあると言うのだ?」
「椅子の一つも置いてない訳?」
「無礼者! 陛下にお目通りできるだけでも畏れ多いことだと言うのに、座って待っていようなどとは見上げた根性だな!」
「分かった、分かった。立ってりゃいいんだろう?」
今にも俺を捕らえようとするので、ここは大人しく言うことを聞き入れることにした。全く、力のあることだけが取り柄の男はすぐにかっとなるから嫌だ。
女王様は正午を告げる鐘が鳴ったと同時にやってきた。
「迷わずに来られたようですね」
「城の女性たちが丁寧に教えてくれましたので」
「……では、中へ」
女王が目配せをすると、番人の男たちが大きな扉を開けた。
昨日とは違うドレス、違う髪型でやってきた彼女は、相変わらずゆっくりと優雅に歩いて奥の大きな椅子に腰掛けた。長テーブルには二、三十人ほどが腰掛けられるだろうか。中でも女王の座った椅子は特別立派な作りになっていた。
太陽の間、と言うだけのことはあって、日の光がよく降り注ぐようにたくさんの窓に囲まれていた。広い部屋には入り口から女王の座った椅子まで長いテーブルがあって、十数人が腰掛けられるようになっている。その他に家具や目につく装飾品はなく、簡素な印象だ。ただ壁にはいくつかの絵が飾られていて、そのどれもが美しい女王の肖像画であった。
「クラウス・ハーシェル、こちらへ」
「はい」
部屋の入り口付近に立っていた俺は、その言葉で一歩ずつ近づいた。どういう態度を示せばいいのか正直言って分からないけど、女王だって俺が街の人間だって事は理解してるんだから、大抵のことはお許しになるだろう。
椅子を勧められるかと思ったが甘かったらしい。女王は俺を側へ呼び、そのまま話し始めた。
「式典の衣装のデザイン画、見ましたよ。煌びやかで豪華で、お祝い事にはぴったりね。気に入りましたよ。費用のことは気にせず、存分にやってちょうだいね」
「ありがたきお言葉をちょうだいし、恐縮です」
「ただね、衣装を作るに当たって一つ相談があるのですよ」
「はっ、どのようなことでも」
女王は一呼吸をおいたのち、もったいぶるように言葉を発した。
「……この城に勤める同業者のことは知っているかしら?」
「はぁ、一度お会いして軽い挨拶はしましたが」
「実は、式典で着る衣装をあなたとその人とで一着ずつ作り、どちらか優れている方を着ることにしたいのです。そして、どちらか一方の優れた職人に今後の仕立ての全てを任せたいのです」
「……それはいつお決めに?」
「あなたが知ることではありませんよ。あなたはわたくしの問いに、はいかいいえで答えればよいのです」
寝耳に水の「相談」に閉口するしかなかった。
なぜ急にそんなことを言い出すんだ? 昨日の俺の態度に問題でもあったか? 何よりも腹立たしいのは、兄弟子と競い合わなくちゃいけないと言うことだ。侍女たちの話では、女王様は兄弟子をかなり気に入っていると言うことだが、もしかしたら俺の知らないところで話が動いているのかもしれない。
勝負をしたところで俺が勝つに決まっているのに、女王様はいったい何を考えているのか。俺の作る服を着たくて城へ呼んだんだろう?
「クラウス・ハーシェル。わたくしの相談に応じてくれますか?」
女王が念を押した。俺は仕方なしに頭を下げる。
「もちろんお受け致します。小生がこの国で最も優れた仕立て職人だと言うことを証明してご覧に入れましょう」
「そう。それは楽しみですね。期間はこれまで同様二か月です。互いに競い合っていいものを作ってちょうだいね」
「あの、小生からも一つお聞きしたいことがあります」
「何かしら?」
「作業部屋は、やはりお言い付け通り二人で一つの部屋を使うんですか? 二人が競い合うことになっても」
「そう、二人で使うのですよ。互いに作業の様子が見えた方が刺激になってよいでしょう?」
「ですが……。ですが小生は一人で作ることをモットーとしていて、誰かがいる部屋で作業をするのは」
「あなたの腕が本物なのは十分承知しています。しかし暇さえあれば城中の女に手を出すようでは困ります。あなたには出来るだけ一人にならないような生活を送っていただきますよ」
なるほど。俺の行動が既に読まれた上での対応と言う訳か。それならば納得だ。そっちがそう言う態度で臨むと言うならこっちにも考えがある。
「分かりました。作業中はこいつを凶器にしないよう、せいぜい気をつけますよ」
言って腰に差した裁ちばさみを引き抜き、わざと女王によく見えるようかざした。だが女王は全く動じなかった。
「そのはさみを正しく用いないことがあれば、わたくしはあなたを裁くことになるでしょう。自分の命が惜しいならそのような行為は慎みなさい」
「俺は命なんか惜しくないですよ。自分が正しいことをして裁かれるのなら後悔はしないはずから。小生の質問は以上です。もしこれ以上のお話がなければ失礼します」
「いいですよ、下がりなさい」
厳しい表情の女王に一礼をし、俺は太陽の間をあとにした。
「くそっ!」
女王への不満を抑えきれず、退室直後にそう吐き捨てる。部屋の前に立つ例の番人がぎろりと睨んだが、俺も俺でそいつを睨み返してやった。
なぜ女王は急に兄弟子にも式典の衣装を作らせる気になったんだ? それが解せない。わざわざ街から俺を呼び寄せたのだから、俺にその役を一任するつもりだったんじゃないのか? 冗談じゃないぜ。
自室に戻ってからも、夜が更けるまではそのことばかりを考えていた。雑念を払うため刺繍でもやろうかとも思ったが、どうしても気が乗らなかった。俺が今作りたいのは女王の服だ! その思いが全てのやる気を奪うのだった。
こんなに手持ち無沙汰な日は未だかつて経験したことがなかった。この時間をどう過ごせばいいのか分からず、簡易なベッドの上で無為な時間を過ごす。
その時。扉を叩く音がした。俺を訪ねてくる者などあっただろうか。そう思い、扉を開ける。
「こんばんは。クラウスさん」
そこにいたのは、侍女のハンナだった。そう言えば昼間、消灯後に会う約束をしていたっけ。律儀にもその手には、兄弟子が作ったと思われる服を持っている。どうやら彼女は約束をきちんと守る女の子のようだ。
「やぁ、ハンナちゃん。来てくれたんだね、嬉しいよ。さぁ、入って。狭いけれど、どうぞ」
思いがけない来客に、先ほどまで頭の中を占拠していた悩みは皆吹き飛んでしまった。心地よい緊張感と高揚感がたまらない。
「あの、『太陽の間』はどうでしたか?」
ハンナは開口一番そう言った。そうだ、彼女はそれが聞きたくてここへ来たのだ。俺はそこで見たもの感じたことをありのままに話した。そして話したついでに、城の外の様子や俺自身についても大まかに説明してやった。
彼女は俺の話に食い入るように聞いていた。よほど街に興味があるらしい。聞けば彼女はほとんど街へ出ることが許されず、物心ついた頃から城で生活しているのだという。逆に言えば、城のことなら誰よりも詳しいのだと豪語した。侍女の誰それと貴族の男爵が恋仲だとか、城に出入りしている卸問屋の男から、とある貴婦人にラブレターを渡して欲しいと頼まれたとか、いくらでも話題はあるらしい。
俺もそのうち、彼女の情報網に頼る日が来るだろう。こう言った噂は、女性相手の商売をする上で重要になってくる。利用しない手はない。
「そうだ、持ってきてくれた服、見せてもらえるかな?」
一通りの話を終えた時、新たな話題作りも兼ねてそう切り出した。彼女は丁寧に折り畳まれたそれを両手で差し出した。ロウソクの明かりに照らし出された細部だけを見てみる。一針一針を丁寧に縫っている上、糸そのものが太くて丈夫だから使用人の服にはうってつけの作りになっていることが分かる。
「なるほど、これは長く使える」
正直な感想に対し、ハンナはニコニコしながら答える。
「そうなんです。それにここ、見てください。実はジークさん、一人ひとりに違った刺繍をしてくれるんですよ。だから愛着も湧いてずっと使っていたくなるんです」
「それで人気者って訳?」
「うーん、人気があるって言うか、優しいお兄さんって言う感じで皆さん接してますね。料理長なんかは息子より可愛いって言って、ジークさんの料理だけいつも特別気合いを入れて作ってるみたいです」
「へぇ。たいそうな身分だねぇ」
「……あの、ジークさんのこと、嫌いですか? 何かジークさんに対する反応が冷たいです……」
「そうかな?」
「作業部屋にご案内した時から感じていたんです。同業者だからですか? だとしたら、個人的な意見ですけどお二人には仲良く仕事をしてもらいたいです。駄目ですか?」
ハンナはちょっと寂しそうに言った。
好きか嫌いかと聞かれればはっきりと嫌いだって答える。でもそれを主張し過ぎるとここにいられないことは明白。何しろ兄弟子は城中の女たちを味方につけているようだから。
「俺は男って人種が嫌い。それだけの事さ」
「えっ、でもクラウスさん自身が男の人……」
「ハンナちゃんにだって苦手な女の子の一人や二人いるだろう? 俺の場合それが男全般なの。分かる?」
「そ、そうなんですか。何となく、分かった気がします」
思い当たる節があったのか、彼女はようやく納得してくれた。変に言い訳をするとあとで面倒になる。だったら当たり障りのないところで答えてやるのがいい。
それから俺たちは他愛ない会話に花を咲かせた後、夜が更ける前に別れを告げた。彼女ならあと二、三回のうちに全てを許してくれるだろう。何も知らない女の子を俺の手で開拓していけるのなら、多少の時間が掛かっても構わない。俺色に染めていく夜ほど楽しいものはない。