1/シャッター
蛍光灯の調子が悪い。氷菓類が詰め込まれたアイスボックスの上にある蛍光灯の一本が、切れかかっている。短い点滅と長い消灯、小さな虫たちの羽を焼く音はその蛍光灯だけのものではないが、注意がそちらへ向けられるたびに私は苛立ちを感じる。今までは消えても、しばらく待っていると再び点灯し、そのまま何事もなかったかのように落ち着いてしまうから、それほど気にしていなかった。忘れたころに切れ、切れたことに気づくと点く。ずっと気にしているとなかなか消えない。レジを打っているとここぞとばかりに消える。しかしそれは好き好んでそうしているようには見えない。むしろ巨大な圧力に必死に抗おうとしているが、力及ばず電気を失ってしまう、そんなふうに見えた。私の前でだけ、点灯しようとしているような、そんな気丈さが、私の苛立ちに拍車をかけるのだった。
そんな繰り返しを、私はずっと見守ってきたのだ。
最近、その蛍光灯の消えている時間が長くなってきている。寿命だろうか。そうかもしれない。蛍光灯なんて消耗品、すぐに交換しなければいけない。うちのような店では二十四時間つけっぱなしにしているのだからその間隔は短い。気がつけばあっちが消えている、さっき付け替えたばかりのこっちが消えている、今度は二本消えている。そんなことはザラだった。
だけど――。
私はコンビニの一角のほの暗くなった部分に目をやった。
いつもなら、蛍光灯が点滅していることに気づけばすぐに取り替えてしまうのに、こうして見守っているのはなぜだろう? ほかのものよりも長く生き残っていた? 何か特別な思い入れを抱くきっかけになった出来事があった? しばらく可能性を列挙してみるものの、どれも私を納得させてくれそうにない。
店に客は一人しかいなかった。厚手のコートやニット帽で肌を隠したその青年は、雑誌を立ち読みしている。今日並べたばかりの少年漫画雑誌だ。何もこんな深夜にこなくてもいいのに、彼はいつも深夜零時になるとやってきて、一通り店の雑誌に目を通して、何も買わずに帰っていく。働いていてもいい年齢だとは思うが、詳しいことは知らないので何も言えない。彼のような客はこの田舎町ではまれだった。二十四時間営業という肩書きが無意味に思えるほどに、夜には人がいない。閑静とした田舎町。県道沿いに建てられているが、観光客なんて口にすれば鼻で笑われる。主だった客は近くにある工場の会社員だった。
蛍光灯は相変わらず消えたままだ。
――もう一度、点いたら、いや、もう一度点いて、消えたら、……外そう。
一人で始めたコンビニエンスストアは、独自の名前が冠されているものの、少し前から大手に組み込まれ、今はもう看板を取り上げられてしまっている。私の肩書きは店長のままだったが、会社から送られてきた私のことを「店長」と呼ぶ若い青年は、店の最高責任者を見る眼つきをしていなかった。
(電子レンジ)
(レジ/電子レンジ)
(冷蔵庫/冷蔵庫/クラーボックス/冷蔵庫)
(チーン/カシャ/チーン)
(チーン/カシャ/ガッコン/カシャ/チーンチーン)
(ジジジ……)
「ねえ」
外にある強い光を放つ街灯に誘われた虫たちが、何十匹も虫除け用のネットに絡まっている。生を求める大きな羽音は私にどんな感情も呼び起こさない。死んだ光に群がる虫たちはどれもこれも暗い色合いをしている害虫だ。私は今朝の搬入のときのことを考える。冷蔵車を運転していた男は私と同じくらいの年齢に見えた。薄くなりつつある頭に櫛を入れもせずに、淡々と商品を運ぶ姿は小さかった。頬はこけ、ひどくやつれていて、私がそのことを尋ねると、ろくに眠れていないと答えた。彼は今、高速道路を走っているのだろうか。
「ねえ」
目の前に少女が立っていた。あどけなさを残す顔と切りそろえたなめらかな前髪がカウンターの向こう側にかろうじてのぞいていた。
私は驚いた。入り口のほうに意識を向けていたのに、彼女が入っていたことに気付かなかったからだ。訝しさを感じつつも、私は答える。
「なんでしょう?」
どんな相手にも敬語はかかさない。頭で考えるより先に言葉が対応する。マニュアル通りの当たり前、だ。
「ライターが欲しいの」
「ライター?」
聞き間違いかと思った。お菓子かアイスクリーム――のあたりにそんな名前の商品があるのかと思った。私がそう問うと彼女は改めて、はっきりと『ライター』の四文字を発音した。私は仕方なく、どちらかというと彼女よりにあるカウンターの百円ライターを取り、
(ピッ/チーン/ガッシャン/チーン/ガガガ/チーン)
(ガガガ……)
「これ」(男の声)
(これ)男の声。
服装はまるで別物だったが、彼女は私が昔、子供のころテレビアニメで見た、マッチ売りの少女の姿と重なっていた。あれはどんなストーリーだったか。アンデルセン童話だったか。こういうものは、有名なシーン以外の細部は誰も覚えていないものだ。私も例にもれず、思い出せるのは貧困に喘いだ少女がマッチを売るが、誰にも買ってもらえず、残った三本で素敵な夢をみる、という大まかなストーリーだけだった。彼女はどんな夢を見たんだっけ? こういう話は原作を細部までじっくり読み込んでみると記憶とはまるで違った印象を受けるものだ。望み通りの幸せな世界を見たのだったか。理想の世界を夢見ながら彼女は雪の中、息絶えたのだったか。
私は窓の外を見る。ささくれたコンクリートと汚いガードレールと……雪が振る気配なんてない。この地域は湿潤な気候で、雪なんてもう何年と振っていない。
(映像は夜の高速道路に重なる)
(並んだ反射板/すれ違う車……車……。大きな青い看板。何枚も何枚も。記号……。記号……。ライト。ヘッドライト/テールランプ/白――白――白――白⇔赤⇔白――白――白――赤)
「ねえ」
「は、はい」
慌てて漫画雑誌を読んでいたはずの青年が立っていた。このごろ、どうも集中力を欠いているようでいけない。自分で自分を戒める。
(車は橋を渡り、川を超える。この国で三番目に長い川の上流を横切るのは、こじんまりとした四人乗りのセダン。カメラは運転席の背もたれの部分にあるようだけど、視点人物の身体は見えない。魚眼レンズのようだ。端にいくほどゆがんでしまっている。標識を確認することすらおぼつかない。車は一定のスピードを保ちつつ、進む)
(長かった橋をようやく渡り切ると、そこは恣意的な光の乱舞――遊園地)
(音楽)
(すべての人に娯楽を与えることを目的として作られたポップ調の音楽が、もう、これがとってもすごい、――特大ボリュームで!)
(音割れなんて気にしないんだ。音楽を鳴らせ! ノーミュージックノーライフとかいうキャッチコピーなんてどうでもいい! 大局なんてみすえる必要はない! 目の前に音楽があればそれでいい! 言葉に巻き込まれない刹那的な快楽が!)
(突然音楽は止む。世界は静まりかえる。すべては現在の風景に収束する)
(それでも現実は輪郭線を失ったままで――
(……)
自動ドアが開いた。夜の風が吹き抜けていった。
(コンビニエンスストア一番奥の蛍光灯は、彼が気づかないうちに光を失ってしまった。ある種の強情さを見せていた蛍光灯も、ひとつの時点を境に、これから起こるすべての出来事に興味を失ったかのようにふっと消えた。再び点く気配はなく、実際に永遠に消えたままだったが、取り替えられることもなかった)
そして店内に人はいなくなる。
(蛍光灯)
(そんなわけでBGMは鳴り続けてるんだ。どこからともなく。ずっと、ずっと……! それはどこにでも現れる。音楽が聞こえはじめたら、遊園地への入り口が開いてる目印だ。きみも探してごらんよ! きっとすぐに見つかるはずだよ! ノイズだって? 調子っぱずれもいいところだって? 壊れてるんじゃないよ。ずれてるのはきみのほうさ! 必要なのはチューニングだ。さあ、よく聞こえるほうへ行こうよ。感覚をシフトさせるんだ。きみにはぼくの姿は見えないかもしれないけれど、それまでは、ずっとつきっきりでいてあげるから。それじゃあ、目を瞑って。さあ。手のなるほうへ。見知らぬほうへ……)
おいで!