挿入話~act.3~君に全てを託すと決めた理由(わけ)
挿入話~act.3~君に全てを託すと決めた理由
――――君の息子を養子にだって!?
唐突な空前絶後の異母弟ジョアンの提示。
だがこの驚きも一瞬の事、直ぐに芽吹いた悪感情という種子はリオンの意志となる。
それを顕すかのように、リオンの笑顔は瞬く間に変わり、見開いた翠の目がジョアンに向けられた。
それは滅多に表に出さないリオンのもう一つの姿。
穏和なだけではない、事に及ぶときは冷厳に。
そして刃向かう者、一度敵と見なした者には峻烈な手段すら講じる事さえ厭わないフィンダリア皇太子としての顔。
その皇太子が静かに糾した。
「それはどういう事かな、ジョアン?」
この時、がらりと変わったフィンダリア皇太子である伯父の姿。
その威圧に幼い皇子はびくりと恐怖し、父に縋り付く。
そしてジョアンはそんな息子の肩に乗せ落ち着かせながら、彼自身心に軽い汗を僅かに表情に滲ませて、だが怯むことなく兄の訊ねに答えていった。
「他意はありません、そのままずっと思っていた事を口にしたまでですよ」
――――『他意がないね』……相変わらず嘘を付くのが下手くそな男だ。
――――マチス・ガルボ。
ああ本当に、己の長子にあの名を与えた時もそう思ったが。
第二皇子の野心は当の昔から知っている。
ずっとフィンダリアの玉座を狙いこの皇太子に隙あらば、直ぐに取って成り代わろうとしている事を。
そう君と、そしてもう一人の第四皇子も同様に。
そのジョアンの言葉を聞いたリオンは、更に不快感を強めてジョアンをまっすぐに見定めた。
それに「他意がない」と云いながら、かくも甚だ見え透いている異母の弟の姿もまた滑稽だった。
彼らが出会い言葉交わしたのは城内の本宮回廊、その回廊に怒りを抑制した静かな皇太子の声が響く。
「ジョアン、今の君の言葉は戯れにしては少々度が過ぎる。 それにこの子は君の跡継ぎだろう? それを私に養子として迎えろというのかい?」
他の者が見れば、瞬時に恐怖で拘束されるだろう翠の瞳。
そこに常の優しげな彼の姿はどこにもない。
その視線にジョアンも気圧されぬように兄と無言で迎え撃った。
しかしそれは刹那の間の事、それから何とジョアンは意外なしおらしさを異母兄に示したのだ。
「本気ですよ俺は……何故なら貴方を差し置いて皇帝にはなれない」
「!?」
それには益々リオンは驚かされる。
するとリオンが黙ったのを見計らい、ジョアンは己の身を卑下して独白した。
「俺は自分の器量を弁えていますよ……貴方には敵わない。 昔からそうだった、剣でも学問でも」
「ジョアン……」
リオンの瞳が一瞬憐憫さを揺らめかせた。
だがそんな彼の情けは不要だった。
ジョアンはしたたかにも態度をさらりと切り替えて本題に戻ったのだ。
「だが、自分で云うのも何ですが、このマーティーは物覚えが良いのです。父上と貴方の名を貰った甲斐がありましたよ。 この子なら貴方の嗣子を立派に務められると思うのです」
「……」
リオンはただ彼の言い分を聞いていた。
けれどもリオンの中でこの弟の謙虚さは、次第に驚きから不審に変じていった。
おかしい、何か引っかかる。
いつもの異母弟らしからぬ、殊勝な意見をかく述べる。
リオンの脳裏に警鐘が鳴る。
不快感と怒りを強靱な理性で抑え込み、リオンはジョアンを注視して問うた。
「だからこの子を私の養子にしろと云うのか?」
「ええ、そうです」
「……それは、君が考えた事かな、ジョアン?」
この兄皇太子の疑問に、何らジョアンははぐらかすことなく正直に答えた。
「いえ、これは俺だけの考えではなく母上や俺の妻等も云っている事ですから」
この時、その言葉がジョアンの口から出るや、リオンの瞳が理知に煌めいた。
――――やはりそうか。
この愚弟にそこまで切れる頭はない。
あらかたこの異母弟の生母と婚家の外戚の入れ知恵だ。
息子、孫を利用して権力を手に入れ政権を握る。
まったく奴らの思うがままじゃないか、“馬鹿ジョン”。
それでは到底君には私の後継を託せない。
だが今回の君の申し出に意表を突かれたのは認めよう。
まさかこの手で仕掛けて来るとは思わなかったよ。
フィンダリア帝国皇太子マチス・レオナート――――リオン。
彼には過去、多少の醜聞があれども、それを遙かに上回る優秀さでこの時その地位にあった。
だが、リオン自身、己の立場にあるその弱点を充分に心得ていた。
それは他ならぬ後継者の事。
しかし新たなる花嫁を持たぬと決めたあの時から、リオンは己の後継者にはジュリアスを指名しようと考えていた。
愛する女性が生んだ歳の離れた可愛い異母弟ジュリアスに全てを委ねたい。
だが彼は第五皇子、実母の血筋が良くても後継候補はまだこの異母弟の他にライバルがいた。
それは第二皇子と第四皇子――――ジョアン・ガルボとタナトス・シーベル。
コレと言った才は見あたらないが、父の子には変わらない二人。
そうリオンの望みの成就、ジュリアスを後継者にする事。
それにはこの二人の異母弟が、彼の夢見る未来を阻害する可能性が極めて高い。
よってゆくゆくはリオンの手で、この異母弟達を失脚させる事を考えていた。
だが今はまだ父の目もある。
それに異母弟達の方も、リオンにとって目に見えて深刻な実害にまでは至らなかった事。
異母弟達は共に権力欲も野心も大いにあれど、回りの取り巻きに任せるばかりで自ら積極的に実行しようという意志は乏しかったのだ。
その為リオンは今に至るまで、自ら何ら仕掛ける事なく放置していた異母弟達。
いや、違う。
慎重を期していたのかもしれない。
何故なら一度、リオンは失敗していたからだ。
この地位を譲り渡す契機を。
だがそれも過去の事だ。
もし一度有害転じれば、もう彼が異母弟達に慈悲と寛容を示す必要はないだろう。
自分の邪魔を――――ジュリアスに与えようとしている地位を阻むのなら、政敵と見なし屠り消す。
それがリオンの意志だった。
しかし、今回のジョアンの提示。
未婚で嫡子がいないフィンダリア皇太子にはかなりの衝撃的な一件だった。
そしてこの突きつけられた事実が、リオンに自己の立場を振り返させる。
そう自分はフィンダリア皇太子である。
だが彼に次代の皇太子を決める権限はない。
何故なら彼はあくまで現皇帝が定めた世継ぎであって、まだ絶対的な最高権力行使者即ち皇帝ではない。
そう皇帝ではないのだ。
しかも皇帝の意志一つで、その輝かしく羨望される地位を奪われる事もあり得る程の不確かな存在。
どんなに非凡さを謳われても、またフィンダリアの為に尽くしても、一度皇帝の不興を買えばそれで終わるだけの立場。
輝かしい聖なる獣に守護されてはいても……
それは……
そう鑑みれば自分はなんと脆い存在なのだろうかと……。
我知らず、そう思惟してしまったリオンは自嘲的な笑みを表情に滲ませる。
そして異母弟が期待していた申し出に、ひとまず後の含みを持たした返答を彼に送った。
「……ジョアン、それは即答出来かねる申し出だ。 だが未来への布石の一つとしてその件は考えておくよ」
結局リオンは、そう言い残して、その場は異母弟親子から足早に離れることにした。
養子。
後継者。
その解決の道。
その一つとして、異母弟から提示された彼の子を養子にするという方法。
最もコレに関しては、リオンは端からジョアンの言葉を聞く気はなく、また相手にする気もなかった。
つまりリオンにとって甥を養子として迎えるという選択は論外ということになる。
だが彼の言葉にだけはそうはいかなかった。
「甥を養子を迎える気はないか、リオン?」
そうリオンに勧めてきたのは、他ならぬ彼の父、フィンダリアの現皇帝その御仁だった。
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――――私はどうすれば良いだろうか。
翌日。
予期せぬ選択を促され悩むリオンは、一行に晴れない気を紛らわす為にその所在を王華殿の中に置いていた。
今日はとても政務をこなす気分にはなれなかった。
雑事すら考えたくはなかった。
そして何処にぶつけて良いか解らぬ憤怒と哀しみを持て余し、人から隠れるようにこの王華殿に潜んでいたのだ。
そんな彼の傍らには、ちょうどお昼寝をする小さな女の子が静かに眠っている。
潜伏先にこの場所を選んだのも、心は更に深淵に沈む中、ただ無償にリオンはこの幼い我が子の側にいたかったからだ。
それは歳の離れた異母妹として密かに育てている彼の愛娘サリア。
正真正銘、心から愛する女性との間に生まれた我が子。
されどその事を公にする事が出来ないが故に、今回の不愉快極まりない一件が持ち上がったのも事実だった。
これほど憤った事はない。
己の子を持てぬのなら、甥を養子にしろだと?
冗談じゃない。
我が子なら、可愛い娘はここにいる。
このサリア・フィーネが!!
それに私の跡を考えるなら、ジュリアスもいる。
養子などいらない!!
必要ない!!
我が子には父と呼びかけて貰える事が出来ないのに、それなのに他人に等しい甥に父と呼ばせろと!?
だがそう父が言い出せば、最早命令同然だった。
しかもそれだけではなかった。
更にやっかいな事にもなっていた。
それはリオンが養子縁組をはっきりと拒絶出来ない状況が、既に父等によってお膳立てされていたのである。
その事を前日初めて知ったリオンは愕然としたものだ。
「――――それにしても私の現状を利用して、随分と都合の良い事を考えついたものだ……あの人は。 自分が“かの国”にした仕打ちを忘れ、実に身勝手じゃないか」
己の不甲斐なさを呪いながら、リオンは堪えきれずに父への非難混じりにそう独白した。
リオンにとってこの昨日の養子に関する一件は、まったく腹立たしい事この上ない出来事だった。
しかしその一方で、その時自身が父から告げられた事もまた真実だった。
『お前もずっと考えていたはずだ、かの国との正式な国交修繕を。 そしてアレとの和解と再会をの』
――――和解と再会を。
君との和解と再会を――――
リオンの中で、昨日の父帝の言葉に己の思いが重なる。
認めたくはない現実と共に、彼の中で葛藤となった。
「――――父上、貴方が目につけた政策は正しい。だが……」
それを受け入れたくはない。
そう、正しいと解ってはいても。
懊悩の中、リオンは昨日の父マチス・ガルボ三世との会見が脳裏をかすめた。
あの時、その父帝の提言にリオンが吃驚したのは云うまでもない。
「異母弟ジョアンの子を…甥を養子に」
今し方、異母弟に求められた事をここで再び話題にされるとは思わなかったのだ。
「父上……」
「お前が幾ら結婚を勧めても首を縦には振らんからの……いっそのこと、この国の将来を考え、甥を養子にして嗣子とせよ。お前自身の為に」
それは彼なりのリオンに対する情からの言葉だったのだろう。
だが息子には不要な気遣いだった。
リオンはやんわりと頭を振って父の申し出をはっきりと退けた。
「断ります、その必要はありません。 それにフィンダリアの将来を背負うのに相応しい後継者なら、あの子がいますから……」
このリオンの理由。
父帝は息子の言葉の端と常の振る舞いからその人物を推察し言い当てた。
「ジュリアスか……」
「そうです」
この息子の頷きに、マチス・ガルボ三世はしばし静思していたがやがて。
「だが、ジュリアスでは駄目だ」
これはリオンにとって思わぬ父の否定だった。
己の皇太子とした長子が推す次期皇太子後継者に対しての拒絶。
しかもその理由が分からない。
リオンにとってジュリアスは、生存している異母弟の中で末弟ながら、贔屓目を差し置いても、非常に文武の才が高い。
また一方でジュリアス自身もそれに傲れず、日々切磋琢磨して自身の才能を高めている。
実に将来が楽しみな少年。
無論その事を周囲は認めて賞賛しているのだ。
その賞賛者の中には当然この父帝も含まれていたはずだ。
なのに、一体何故なのか。
「何故です!?」
当然リオンは父帝に、ジュリアスが皇太子としないその訳を問い詰めた。
だがこの父帝の否定見解の答えは、それは今までリオンが考えた事もない理由であった。
「ジュリアスはあの国との和平に使えんからの」
あの国との和平……?
リオンにはまたも皆目見当が付かない。
従って再び父帝に問いかける事になった。
「あの国とは?」
「シレジアだ」
「!!?」
シレジア。
その国名を耳で受け認識した時、リオンは論駁の気勢を封じられた。
それはフィンダリアと並ぶ北の大国にして、過去に心ならずも別たれ親交疎遠となった亡母の故国。
そして今も胸の奥、そっと心を砕いている同母の弟が暮らす国の名でもあった。
(初稿 2010年 09月 26日)