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幕間 アステア秘話

幕間 アステア秘話

 


 17年ぶりに故国に足を踏み入れた男がいた。

この日の晩秋の空は、何処までも蒼く澄み切っていて美しく、それが懐かしい故国に戻ってきた男の顔を綻ばせる。

 ここはマラトン峠というフィンダリアの高地。

木々の狭間から丘陵地を見渡せる場所に立った男は、全身黒衣を纏っていた。

肩にはおそらく飼鳥なのだろう、見事な白鷲を乗せている。

そしてよほど躾が行き届いているのだろう、その白鷲は暴れることなく飼い主の肩に留まっていた。


「なかなか良い眺めだ……」


 心地よい秋風、見晴らしの良い峠の眼下を見下ろした男はそう呟いた。

 そこへこの男に声をかける者があった。


王太子殿下ツァーリ、サラニアに忍び込ませた者より連絡が入りました」


 その報告に男――――シレジア王太子セネリオは振り向いた。

かつてのフィンダリア第三皇子、16の年に故国を離れた少年も、この時既に30代の青年。

少年らしい幼さは消え、時期国王としての実力と誇りを備えて貫禄が増した王太子だった。

そしてシレジア王太子に報告を携えてきたのはシューイスキーだ。

セネリオ同様、王太子付きの侍従武官だった彼もまた立身出世し、今ではシレジアの武将として名を馳せる人物にまでなっている。

その彼がわざわざ伝令役を買って出てセネリオに膝をつき改めて報告した。

「進軍は予定通り、明日の薄暮にはフィンダリア陣地に接近するとの事です」

「ほう…どうやら順調らしいな、して他には? 向こう側は何と言ってきた?」

「サラニア王ギヨーム5世は、ことほか此度の我が国からの友軍に対し大いに満足し感謝するとの言伝があったそうです」

 その報告にセネリオは口の端を愉快げに歪ませた。 

「…友軍・・ね、この我らが? ぷッ、ククク…つくづく目出度い男だ」

「確かに我らにしてみれば、今のフィンダリアの動乱に乗じて戦を仕掛けたこの一小国サラニアの行動は、まさに軍事演習に利用するのは打って付けといえるでしょう。 実戦乏しい新兵の錬成訓練にこれ程の好条件はないかと」

「うむ。だが、その事をサラニアに悟らすな。 せいぜいこちらの恩を高く売っておけ、出来る限りな。 またそれ以上に我らの正体をフィンダリア側に絶対に知られるな…せっかくの計画が水泡に帰す」

 こう王太子が指令を出すや、有能なる武将はしかと心得て主君を安心させた。

「ご心配なく、王太子殿下。同行させている我が軍の装備は、全てサラニア軍のものと寸分違わぬ物を与えてあります……そう見かけだけは」

 そうセネリオに報告するシューイスキー、そんな彼の語尾の最後は、主君に倣い口角を僅かに上げたものだった。

それはサラニアを嘲笑うかのように。

一方忠臣の報告を満足気に聞いたセネリオは、大仰に頷いて見せた。

「其れでよい、切れ味だけは損なう訳にはいかないからな…武器は兵の命運を担うそのものだ。 粗末なサラニア武器など持たせたくはない」

「ハハハハ、全くです」

 自国シレジアより下だと見下している国、大国の者らしい傲慢な発言であるが、如何せんシレジアとサラニアの国力の差は歴然とあるのが事実であり、それ故に失笑をする二人だった。

それから一笑いを終えたセネリオは、一変して顔を険しくさせて豪語した。

「フィンダリアには負けてもらわなければならないのだよ。 ……あの2人を英雄になどするものか!!」

 王太子の苛立ち、長く侍従として彼に仕えた男には心当たりがあった。

「それは、例の異母のご兄弟ですか?」

 その質問、慎重に己に訊ねたその内容、それを聞くやセネリオは一笑に飛ばして否定した。

「異母兄弟? ハ、違うなシューイスキー。 彼奴あいつらはあのクズの残滓そのものさ」

 言い放った彼の胸中に、当時の記憶と今まで抱いていたモノが混在して引き出される。

感情と共に。


 遠い遠いシレジアから、ずっと貴方を気にかけていた。

この命が今あるのは、貴方が自身の誇りを引き替えたものだから。

 突然退位した敬愛する貴方、フィンダリアの皇太子。

そして貴方の跡を継いだあの子供。

貴方が目に入れても痛くないほど可愛いがっていたあの異母弟。


 そして貴方が密かに育て大切にしていた愛娘。


 その二人を傷つけられた貴方はさぞお嘆きでしょう?

 報復せずにはいられないでしょう?

 だから。

 私はもう許さない。

貴方をこれ以上不幸にする輩を。

 あの恥知らずを!!


 そして感情の嵐は吹き上がる、彼の中で隠しきれない程に。

「……あのクズは何年経っても変わらない…いや、ずっと前より悪化したらしいじゃないか!! この躰に半分…あのクズの血が流れているというだけで吐き気がする!!」


 あんな男が父であろうか。

 そう私の『父』は唯一人、シレジア王だけだ。


 実父などいらない!! 

 貴様など父ではない!!


王太子殿下ツァーリ……」

 セネリオの心痛を慮った武将が思わず声をかけた。

そしてこの呼びかけの甲斐があって、セネリオは感情の起伏だけは辛うじて押さえ込んだ。

もっともまだくすぶってはいたが、口調だけは元に戻った。

「あの人の役に立って見せる…あの人もそれを望んでいるんだよ。 今までのうのうと生かされ続けた馬鹿共の死を」

「戦死ですか?」

 シューイスキーが注意深くこの主君の意図の確認を取るとセネリオは頷いた。

「そう言うことだ、だから戦場で消えて貰おう、あの人が手を下す前にな。 まあ、最も我々にとってはその内の一人『馬鹿ジョン』には、まだ使い道があるのだが……」

 そう言いながらセネリオは、おとがいに手をやり考え込むとややして。

「ん!? ああ、そうだ、シューイスキー」

「はい」

 この時、突如浮かんだ新しい方策をセネリオは打ち出した。

「戦端が開く前に命令が行き渡るように、大至急こちらからも伝令を出してくれ。 命令はこうだ“戦場では絶対に第二皇子だけは殺すな”と。 そして出来ることなら“生け捕りにしろ”と伝えろ」

「第四皇子は如何なさいますか?」

「――――タナトスについては、死のうが生き延びようがどちらでも良い、興味はない…が…もしあの人が見つける前にアイツを見つけたら…ふむ、そうだな、異母兄あにとして慈悲くらいはかけてやろうかな?」

 クスリと彼の顔には薄嗤い。

慈悲だと言いながら、そこには一欠片の慈悲はない。

嘲りを隠すことなくセネリオは命じた。

「捕らえて保護してやれ、あの人はきっとアイツを殺すだろうからな…先に捕らえてやった方が多少なりとも長生き出来よう」

「畏まりました」

 そう伝令下達は終えたシレジア王太子と、そして従う忠節の武将。


 やがて信頼を寄せるこの武将に、シレジア王太子は本心の一端を垣間見せるのだった。

 愁意と共に。

「シューイスキー」

「はい」

「――――私はね、今回の出兵…伯父上、陛下には“国益になる、新兵の訓練”だと大義名分を振りかざしたが、本当は違う。

陛下は私がやろうとしている事を知りながら、私の気持ちを汲んで何も言わずに送り出してくれた。

――――お前も本当はもう薄々気付いているのだろう?」

 問われたシューイスキーは、巨漢をぴくりと一震わしさせた後瞑目して顔を伏せた。

「――――セリー様(・・・・)とは随分と長いつきあいですからね」

 自分を敢えて敬称ではなく、昔のように馴染みある愛称で呼んで答えたかつての侍従武官にセネリオは感謝した。

彼が己を責めなかったからだ。

 

――――自己の為に国民を損ねる王太子と。


 これからセネリオの為に何人ものシレジア兵が、長く家族に別れを告げて国を出て、そして再会する事が叶わないまま冥府に逝ってしまう事になるのだろうか。

 だがそうと分かっていても、セネリオには挙兵を止める事が出来なかった。

 どうしても。

 それは――――唯一人の兄の為に。


「あの人の手が汚れるのを私はもう見たくはない…見たくはないんだ、シューイスキー……」

「セネリオ様……」

 武人の気遣う呼びかけに、セネリオは微笑させて憂いを振り払った。

「悪かった、この話は聞かなかった事にしてくれ」

「……はい」

 おそらくもうこれ以上本音を明かしたくはないのだろう。

主君のその心をくみ取ったシューイスキーは、王太子の御前を離れる事にした。

「では王太子殿下、そろそろご命令通りに致したく思いますれば、御前を離れる事をお許し下さい」

「そうか、では直ぐに伝令を放ってくれ、そうそう伝令の最後の結びを絶対に忘れるなよ、シューイスキー。“武勲を祈る”と…な」

「はは、ではまた後ほどご報告にあがりますが…一つだけ臣から王太子殿下にお伝えしたい旨があります」

「何だ?」

 一礼の後、唐突な部下の一言にセネリオはやや目を見張る。

一方のシューイスキーは、一礼で下げた顔を上げる。

そこには目元を和ませた武将の顔と同じ位に暖かい声が続いた。

「我らは信じておりますよセリー様、貴方を。 我らの王太子殿下をね、それだけはお忘れ無く」

 思わぬ臣下の芳心に、セネリオはハッと立ち竦む。

「シューイスキー……」

 彼の名を呼ぶ声も、やや惚けたモノになるのは否めない。

一方王太子を半ば無我状態にした武将は、笑みを浮かべて去っていった。

 

 こうしてシューイスキーがセネリオの側から消え、やがて肩に羽を休めた白鷲を乗せたセネリオは再び空を見上げた。

 空を仰ぐセネリオの頭上に広がるのは、かつて故国・・と呼んだ懐かしい異国・・の澄み切った晩秋の空。

何処までも続く蒼穹の色……。

そしてこの美しい大空は、彼が暮らすシレジアにも繋がっている。

あちらはもう初冬だ。

彼がシレジア王都ホルムガルドを出立した時には、まだ初雪が降り落ちていなかったが、きっともう白い六花が舞い散る頃だろう。

 やがては細雪となってしんしんと。

 深く、深く、国中に降り積もっていく事だろう。


――――そしてその白く冷たい輝きは、故国シレジアを覆っていくようにこれから作る己の罪を隠してくれるだろうか。


 セネリオはそう自問する。

 何も知らなかったあの頃には戻れない。

 実兄の優しい嘘だけにくるまれていた少年時代のように。

「兄上……」

その切ない呟きを聞く者は誰もいなかった。 

己の肩に乗る白鷲と、そしてこの身をそよぐ風以外には。

それから暫くの間、飽きることなくセネリオは見上げた。

 この何処までも続く空を――――。


 この空の下できっと貴方は、あのクズの所業に酷く嗟嘆さたんかん難辛苦に苛まれているのでしょうか。

 今度こそ貴方の力になりたい。

シレジア王太子としてではなく貴方の弟として。

あの頃にはなかった力、それを持って今、私に出来る事を成す。

「あのクズに思い知らせてやるさ、兄上の無念、姉上の嘆き、そしてあの子の苦しみを!!

まずはあのクズの残滓から奪ってやるとしよう」

 それがセネリオの挙兵の理由。

 だがそれは決してかつての故国の民に知られたくはない、後ろめたい現実だった。


 自分の為に生きる道をくれた兄の為に。


 仰いだ空から視線を再び大地に戻したセネリオは、肩の横に乗りずっと黙って見守る故国から連れ添う僕に微笑んで触れた。

その白い羽毛に覆われた躰を優しく撫でている内に、零れ落ちるセネリオの言の葉が一つ。

「私は…今度こそあの人の、兄上の力になりたいんだ…それが私の罪滅ぼしだから。

――――そうだろう、ヘスペリス」

≪主……≫

 その切ない呟きを聞く者は、彼らを除き誰もいなかった。 



<後書きがわりの解説を>


 シレジア軍登場の小話でした。

 二人の異母弟が戦場に出てくる事を知っているのは、お手紙の遣り取りから知った「事件・混乱」の後、知らされた内容と独自で以前より放っていた密偵からの報告を元にセネリオ自身が予測したからです。 だが、このお話時では兄リオンの事に目が向いていて、シレジア以外の他国動向にまでは行き渡っていなかった……  セネリオが外の二国の動きを察知するのは、アステアの戦いが始まった直後。 

 哨戒(※軍隊用語で「兵隊さんが陣地内外周辺を『敵がいないか、異常がないか』と情報収集、索敵しながら見回りすること」)に出ていたシレジア兵の報告からなのであった……                 


(初稿 2010年 08月 26日)

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