ミニ「恋・花葛篭」~後日談~僕が母と長兄の浮気(ひみつ)を知った理由(わけ)。~
ミニ「恋・花葛篭」~後日談~僕が母と長兄の浮気を知った理由。~
さて、三人仲良く枕を並べたあの嵐の夜から七日あまり経った。
あれから帝都パレスの天候は、あんなにもひどい大嵐の夜があった事など忘れるかのように、すっかり初夏らしい暑い日が続く。
そして本日も雲一つ無い蒼穹が帝都の上空に広がり、また太陽は天空を遮る邪魔モノがない事を由として、一際明輝し強く帝都を照りつける。
その中を偉大なるフィンダリアの支配者が、居城たるフィンダリア帝城に国内の見聞と諸々の視察を目的とした巡幸を終えて帰城を果たそうとしていた。
勿論父に従っていたジュリアスも同様に無事に帰ってくる。
聡明さで名高い現皇太子と並び評されて、周囲より将来が期待されている第五皇子。
それは国政に関わり合って行こうとする少年とって、今回の巡幸は大いに実りある経験だった。
こうしてようやくパレス内に入った頃、馬車に揺られたジュリアスはこの旅を振り返り、屈託無く微笑した。
「楽しかったな」
「ええ良い社会勉強になりましたね」
この時そう皇子の声に付随して答えるのは、皇帝の巡幸に同行を許され相席していたサイアスである。
フィンダリア貴族の子弟の中、群を抜いて神童と名高い少年。
幼少の頃より第五皇子の側で学友を務め、またのちの第五皇子の腹心となる少年に、ジュリアスはなおも経験した出来事について感想を漏らした。
「父上が地方領主らと狩猟祭を開いている間に出かけた、あの遺跡巡りも悪くなかったしな」
「遺跡巡りの帰りに遭遇した暗殺者も、ジュリアス様にとっては娯楽ですか」
クスクスと意地悪く笑う年少の主に、サイアスは肩をすくめた。
そんな学友を見遣り、大胆不敵な皇子はさも可笑しげに思い出し笑う。
「たまには良いさ、良い実戦にもなったし。 それにジェラールも嬉々としていただろう?」
「確かに中々腕の良い護衛ぶりでしたね、流石はシアルフィの名を持つ者です……そこだけは認めましょう」
この時、サイアスとそして彼の名を出したジュリアスは、馬車の車窓を眺めるとそこに件の少年騎士ジェラールが見える。
ただ今この雲一つ無い炎天下の中、彼らが乗る馬車を外から騎乗して護衛しているのだ。
小型氷柱を置いたこの馬車内と違いさぞ暑いことだろう。
実にご苦労な事である。
そう彼らがほんのちょっぴり感じたのか、こんな事をジュリアスは呟いた。
「騎士見習いも大変だな」
「馬に乗っているだけましでしょうよ、本当の騎士見習いなら公の場で馬になど乗せてもらえませんよ」
―――この時のジェラールはまだ、正規の騎士ではなく第五皇子の護衛している騎士見習いだった。
フィンダリアでは、彼の家名『シアルフィ』を出せば無条件で形ばかりの騎士見習いを数日経て、正式な叙勲とそれに続く指揮権がある軍役職が慣例である。
しかし故郷より帝都に修行に出した父辺境伯と年の離れた兄の厳命で、家名を隠し騎士見習い生活をさせられていたのだ。
言うなればシアルフィ家流の荒修行である。
下のモンの気持ちを知るべし。
雑草になって踏まれて強くなれ。
劣環境に置かれ粗食に耐える事もまた修行なり。
軍の強靱さは、やはり最高指揮官が大きく左右している。
気骨のない長の命令など、指揮される兵達が果たして信頼し素直に従うだろうか。
必要になるのは陣頭指揮官としての能力。
それらをジェラールに心身共に叩き込むのがこの修行を命じた父と兄の思惑だった。
何れ家名を背負い、その任に就く事になる若い彼の気骨を磨く為に。
―――やがてこの荒修行は、女に目がないが優れた騎士団長を誕生させる事になる。
しかしその反動なのか、ジェラール自身あまり家名を名乗らなくなる理由にもなっていくのはまた別の話だった。
まあそれはさておき。
再び帰路のフィンダリア第五皇子の馬車内。
皇子の馬車に同乗していたサイアスは、ジェラールの話題をほどほどに切り上げた後、巡幸で得た経験を元にジュリアスの前で更に活発な感想を述べていた。
「やはり自身の目で確認をするのは重要でしたね。 取り組まなければならない課題も出来ましたし、早速明日から再開する講義の時に教授陣にあれこれと質問しますよ」
この台詞にジュリアスはさも可笑しげに口の端を上げた。
「お前が言うと、さぞ教授らには嫌みに聞こえるだろうな、サイアス」
「高給をとってジュリアス様に教鞭を振るっているのです、答えられない方が不可解でしょう」
「確かにな…馬鹿に教師面される事ほど腹立たしいことはないか。 明日の講義の開始は法律からだったな、お前の質問を楽しみにしている」
「はい、ありがとうございます。 明日はぐうの音が出ないほど教授を質問攻めにしますよ」
その台詞に見合う自負と悪びれる風はない笑みを零す少年。
そんな頼もしい学友の台詞を聞いたジュリアスは吹き出した。
―――そしてこれより数年後、この少年達は本当にフィンダリアの未来を創っていく事になる。
王華殿―――
無事に帰って来たジュリアスは、母と妹がいるであろうこの宮殿に足を運んだ。
残念ながら彼の母后は公務中で不在だったが、可愛い妹はちゃんといた。
「あ、ジュリアスにいさまだ! にいさまおかえりなさい」
帰ってきた兄に気づいたサリアは、今まで若い女官のミアと遊んでいた人形遊びの手を止めて、直ぐに元気な声でジュリアスに駆け寄った。
パタパタ走って勢いよく駆けつける妹に、顔を綻ばせた少年は喜んで抱き迎えた。
「ただ今サフィー、俺が留守の間元気だったか?」
「うん!」
妹の元気な返事にジュリアスは破顔した。
こうして久方ぶりの兄と妹の再会は、周りから見て実に頬笑ましいものだった。
久しぶりに妹を抱き上げ笑う兄、そして抱っこされてさも嬉しそうにしている妹。
「ハハ、本当に元気そうだ。 ちゃんと一人寝も出来たのか?」
「うん、だいじょうぶだったもん」
こう元気に断言する妹に、ちょっと兄は意地悪をした。
「ふーん、俺がいない間に起きた台風の夜もか?」
「うん! あ、うーんとね、でもその日は…その日はね、ひとりでねんねできなかったの」
小さな妹がもじもじと打ち明け話をすると、途端にジュリアスの顔が綻んだ。
「そうか、母上と一緒に寝たのか?」
そうジュリアスが笑んで訊ねると、サリアはきっぱり無邪気に否定した。
「ううん、ちがうの」
その妹の返事に、彼女をこの上なく大事な兄はピクリとやや過敏な反応した。
所謂不機嫌というヤツだ。
その時愛妹に向けていた優しい笑顔は一変し、目元にそれを現して訊き返した。
「誰と寝た?」
別に浮気の尋問ではない。
しかし彼がその台詞を言うと、そう聴こえてしまうのは何故だろうか。
目つきこそ普段彼が愛する妹を見るにしては険しく映るが、それは自身の不在の間に妹が他の人物と一夜を共にした事に嫉妬している訳で、別に幼い妹に怒りをぶつけている訳ではない。
本当に困った兄である。
そしてそんな兄の溺愛を一身に受ける皇女様は、兄の嫉妬心を煽るかも知れない事を告白した。
「うんとね、かあさまとねリオンにいさまとねんねしたの」
だがサリアから出た答え、それは身内の名だった。
この答えにジュリアスはひとまず胸を撫で下ろした。
「へー、母上と長兄上と一緒にね……」
そうして、たわいもなく可愛い妹の話を聞いていたジュリアスは、ややしてはたりとその事実に気がつく。
(ん?)
(たった今……間違いなくとんでもない衝撃事を聞いた気がするぞ……?)
(今、この小さな妹は何と云っていた?)
(一緒に寝…た?)
(誰と誰が一緒に?)
それに気づくや、まじまじと妹を見つめたジュリアスは妹に再確認した。
「なあ…なあ、サフィー、今“誰”と“一緒”にねんねしたと云った?」
するとサリアはニコニコしながら兄に教えた。
「あのね、かあさまとね、リオンにいさまなの」
この妹の告白に少年は絶句した。
(何だって!?)
(一つ同じ寝台で、母上と長兄上が?)
(本当に!?)
皇太子と皇后が、サリアをサンドイッチしていたとはいえ同じ寝台で一夜を共にした。
その出来事にフィンダリア第五皇子は驚かずにはいられない。
そう、言うなれば同衾だ。
夫婦ならさもあろう、たがあの二人は違う。
夫婦でもない成人男女が共に同じ寝台に入る意味。
まだ未成年とはいえ、それが分からぬジュリアスではない。
ジュリアスにとっては年の離れた長兄リオン。
同じく若い母クラヴィア。
実際母の年齢を思えば、親子ほどの年の差がある実父マチス・ガルボ三世よりも、母と年の変わらぬあの長兄の方が遥かにお似合いなのも事実だ。
しかし。
(嘘だろ!?)
それが衝撃の声には出さぬジュリアスの第一声だった。
一体何時からそんな関係だったのか。
あの長兄に限って。
才能と人格、美貌まで全てにおいて完璧で、次期賢帝と目されたあの長兄リオンがか。
そして息子の目からみても充分に貞淑な母クラヴィア、その母が事もあろうにあの長兄と浮気していた!?
多感なお年頃の皇子様にはかなり衝撃的なこの事実の発覚。
それにはあまり普段動揺を見せない少年皇子も、この時ばかりはそれを隠しきれなかった。
それを集大成したジュリアスの擦れるような声が妹に問いかけた。
「本当なのか……?」
―――フィンダリア第五皇子、ジュリアス・アウグスタス。
彼のまだ短い人生のにおいて、これ以上ない驚駭の中にいる。
けれどもまだ幼な過ぎて、その事の重大さを理解していない妹は、呆然とする末兄に対して、無邪気に元気よく頷いた。
「うん、そうなの!!」
―――無垢な幼子は嘘はつかない。
つまり真実。
ああ嫌な事を聞いた。
信じたくはないその事実。
更にサリアは嵐の夜の話題にすっかり虜になってポンポンと思い出話を始めた。
「リオンにいさまとかあさまがね、サフィーがねんねするまでお手々つないでくれたの」
「そ…そうか…良かったな」
相づちにもこの少年の動揺が見え隠れしていた。
「うん、それでねえ、お話もしてくれたの」
「楽しいお話だったのか」
「うん」
「こんどね、また『みんなでねんねしたい』ってサフィーがいったらね、リオンにいさまとかあさまがね、『いいよ』っていってくれたの!」
それを聞いてジュリアスは内心こう思った。
(まだ関係を止める気はないのだな……)
つまり目下のところただ今熱愛中らしい。
やがて、冷静な思考を取り戻し始めたジュリアスは、あれこれと思案し始めた。
(しかし、この事実……果たして父は知っているのか?)
(そして他の者は……?)
(長兄上の側近はおそらく事実を知っている可能性が高いだろうな……特にあのクレンネルとバイロンは……)
(では母上の方は……?)
ジュリアスは頭の中でこの王華殿に仕える人物達を思い浮かべた。
近しいばあや、女官頭のマーゴ―――当時の彼女は王華殿の仕切り女官だった―――を始めとした古参の女官などは、確かに口が堅いし信頼出来るが他の若い女官は分からない。
これは非常にまずい……。
それに……
次第に利発なジュリアスは、事の真偽についてその当事者たる母后と兄皇太子に突きつける前に、真っ先にこれ以上事の露見を抑えなければと考えた。
まだ少年でありながら、国政に参加しようとするほどの気概のあるこの皇子は、母后と兄皇太子の不義をなじるよりも、それが明るみに出てしまう事の負の影響を考えたのだ。
そうして考えがまとまると、ジュリアスは腕に抱き上げていた妹を見つめた。
「……サフィー、大事な事をこの兄と約束してくれるか?」
それは無垢な故に、この事を素直に話してしまう妹にも念のために釘を刺しておく必要に繋がったからだ。
一方で何も分からないサリアは直ぐに返事を返した。
「なあにジュリアスにいさま?」
「嵐の夜に母上と長兄上と一緒にねんねした事を、もう誰にも話すな」
「どうして?」
「どうしてもだ」
サリアはきょとんと訊ね返し、そしてジュリアスは再度言い聞かせた。
だが小さなサリアには、この兄のお願いの訳が分からなかった。
どうして?
とっても嬉しい事だったのに。
とっても楽しかったのに。
何故駄目なのかな?
そう目で訴える妹を見てジュリアスは心苦しく思う。
だが仕方がなかった。
「……ごめん、今はその訳を言えない。 だが約束して欲しい、他の者には内緒にしてくれ、な?」
何時になく真剣な兄の顔だった。
結局幼いサリアは不思議に思うも、最後は「うん」と小さく頷いた。
しかし。
やはりサリアは何も分かっていない子供だった。
しばらくして、彼女はこう兄に宣うた。
「ねえジュリアスにいさま、こんどかあさまとりおんにいさまといっしょにねんねするときジュリアスにいさまも“いっしょにねんね”しましょ!」
「…………」
これには聡明なジュリアスも、どう答えて良いのか分からなかった。
ただ今少年兄皇子の脳内では、裸になった彼の母と長兄が―――
「一緒に寝ようか」
そう云って寝台の上で手招きしている。
そこには自分の腕にだっこされ、まだ御伽噺しか知らないこの幼気な妹サリアには、絶対に見せたくない世界が広がっていた。
………当分、長兄と母の顔をまともに見られないだろう。
顔を真っ赤にした少年に、その顔を間近で見上げた幼い妹が小首を傾げた。
「どうしたの、ジュリアスにいさま?」
「な…何でもない、そう何でもない……ハ…ハハ、ハハハ……」
「?」
ひたすら笑ってごまかそうとするジュリアス。
そんならしくない兄に小さな妹は小首を傾げる。
(きょうのジュリアスにいさまヘンなの……)
笑ったり、顔を赤くしたり、ちょっとこわい顔をしたり。
いつもの小さな兄らしくないその姿を見て、幼心にサリアはそう思った。
☆。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜☆。.:
かくて知ってしまった母と長兄の浮気。
その後悶々とジュリアスは、この一件を確かめる術が無くしばし己一人で抱え込む事になる……。
そしてリオンとクラヴィア。
この浮気を長年続けながらも全く明るみに出なかったのに、事もあろうかサリアという無垢で可愛い幼い愛娘の口からバレてしまうとは、当時流石の切れ者皇太子マチス・レオナート殿下も露程も思っていなかっただろう。
教訓:気をつけよう、強固な秘密は思わぬところから漏れやすい。
後日談~僕が母と長兄の浮気を知った理由。
おしまい♪
(初稿 2010年 07月 05日)