挿入話~act.6~君に全てを託すと決めた理由(わけ)
挿入話~act.6~君に全てを託すと決めた理由
一方この鬱屈してしまったリオンの様子を見て取ったラインノールは、ずっと腑に落ちなかった一連の出来事が落着した。
たとえ皇帝から聞かされたとは云え、この皇太子がそんな重大な事を自分に相談無しで決断するとは思っていなかったのだ。
「やはり貴方のご意志ではなかったのですね……」
この幼なじみの腹心の言葉にリオンは力なく笑った。
「……ああ、そんな事を考えた事はなかったよ。 君も知っている通りね」
「今までの宮廷勢力図を大幅に塗り替える事態となりますよ」
「―――やれやれ、アレからやっと落ち着いたと思ったのにね。 せっかく一からまとめ上げた人臣を、また仕切り直す事になるのかな?」
「そうなるでしょうね……」
ラインノールがそうリオンに同感して、飲みかけのカップに視線を落とした。
その後室内にいる彼らは、しばし黙したまま各々の思案に明け暮れた。
それにしても根回しの早い事だ。
よほど以前から一計していたに違いない。
フィンダリア皇太子が公に正妃を持ち、実子を設けなかった事。
そのツケがこんな形で跳ね返ってくるとは、当の皇太子リオンにとってこれほど憤懣やるかたない事態もない。
いざ解決策を求めても、今の彼にはこれだと思う名案すら浮かばない。
そしてリオンは、自身の身の上に降り掛かった鬱屈甚だしい事態以上に、今まで阻まねばならないと思っていた閨閥政治が、ここに来てとうとう誕生する可能性が強くなった事を憂えてもいた。
それでも自分が目の黒い内は押さえ込む事が出来るだろう。
だがもし自身の統治力が衰えてしまえば、直ぐに次代へと権力が否応なしに移るだろう。
そう異母弟ジョアンの妻の一族に。
これには頭脳派の財務尚書も同意した。
「確かにそうなれば、今後皇権の支配力に影響を及ぼすのは必至でしょう」
彼はこの時フィンダリア帝国の中枢に列する最年少の閣僚でもあった。
その政治手腕が非凡な事の証明になるだろう。
だからこそ見える国の将来図は、リオンの考えに沿うものだった。
皇帝ではない、臣下一族の台頭。
これによって直ぐに招くであろう他者の不満は、支配一族の圧政・虐殺と言う形で押さえ込まれるだろう。
いずれそれはこのフィンダリアに内乱を招く大きな起因となる。
諸手を挙げて歓迎すべき事態ではない。
そうラインノールは結論づけている。
だがラインノールは、一方でそこまで深刻な事態に至るとは予測立てていなかった。
このフィンダリア皇太子がある限りはと。
そして彼はその理由を持って、リオンへ堂々と主張した。
「しかし、それも貴方が即位後直ぐに後継を替えれば済む事でしょう、そこまで深刻な事態とも思えませんが……」
そう意見具申を述べたラインノールに、フィンダリア皇太子のあまりにも静かな声が返された。
それもラインノールが予期しなかった台詞となって。
「それは出来ないよ」
この一言を聞いた瞬間、ラインノールの鉄面皮は弾け飛び、表情を驚き溢れる青年の素顔を露わにさせた。
この時ラインノールは至極当然のそうなるだろうと口にした事だった。
しかしそれをリオンはこの時即答で「不可」だと言い切ったに等しい。
腹心の大蔵侯爵にはそれが不可解だった。
「何故です?」
そう問いかける語気が、そのまま彼自身の感情となってこもる。
そんなラインノールに、リオンは苦慮を垣間見せて、彼が口にだした采配を振るえない理由を裏付けた。
「……シレジアを巻き込んでしまうからだよ」
「シレジア? 何のお話ですか一体……?」
ラインノールは冷静さこそまだ残してはいるが、それでも明らかに目を見張った顔をさせてリオンを注視した。
リオンはこのラインノールの一驚した様を見て、どうやらもう一つの『あの話』の方は今日の御前会議に出席した、ラインノール以下の重鎮達にまだ知らされていないのだと推測した。
「ああ、父上はまだその事は君達に知らせなかったのかい? 私に養子として迎えさせようとしている甥の花嫁の話だよ。 次期皇太子の妃はね、シレジアから迎える事にするそうだよ。 そう現シレジア王太子夫妻の娘の一人をね」
「セリー様の…娘ですか」
「そうだよ」
そうリオンは目を瞑り事実を肯定し、そしてようやくラインノールにも、リオンがこれほどまでに懊悩していた理由を悟った。
――――だからこの方は強く拒めないのだ。
この方はもう、フィンダリアの事情でシレジアを――――あの国にいる弟君を揉め事に巻き込み不幸にしたくないのだと。
そしてそれを確証づけるリオンの愁えた言葉が、しっかりと彼の耳に伝わった。
「甥を養子に迎える、その後甥の花嫁としてシレジアから姫がやってくるが。 しかしその後、一度迎えた養子が皇位継承位から外れてしまえば、シレジアから来た姫君はどうなると思う? 約束を反故にされたに等しい仕打ちになるだろう……未来の皇太子妃になる為にやってくるのだからね」
やがてそれはリオンの沈痛な呟きとなる。
「――――私はセリーの娘を……姪を不幸には出来ないよ、ラインノール……」
「リオン様……」
そう労しげに見つめる幼なじみの腹心に、リオンは力落としてはかない微笑を向けた。
「――――我ながら情けないな。 自分の至らなさで、まさかあの弟まで巻き込んでしまうとは……すまないセリー……」
斜陽と共に吐露されたこのフィンダリア皇太子の呟きは、なおを憂いさに深潭を帯びている。
そう傍にいたラインノールには聞こえた。
そうしてこの日を境に、フィンダリア皇太子リオンは目前に突きつけられた養子問題に苦悩して日々を過ごす事になる。
まるでじわりじわりと、自ら解けぬ政略の糸にゆっくり絡め取られていくように……。
だがそんなリオンの苦渋の決断の時が迫りつつある、幾日か経った頃。
ところ替わり、フィンダリア帝国から北方に離れた国、北の大国シレジア王国、翡翠宮殿の謁見の間。
ここでシレジア国王の極秘の会見が行われていた。
○*:..。○*:..。○*:..。○*:..。○*:..。
北の大王国シレジア。
ガイア大陸五大大国『大華五カ国』の一つに名を上げられるこの国は、現国王ユーリー二世の統治の下、平安に治められている国である。
その王都ホルムガルドに予期せぬ使者がやって来たとの一報を受けた時、シレジア国王ユーリー二世はこう呟いた。
「困ったのー、今予が抜けるとかくれんぼのオニさん役がいなくなってしまうわい」
事前予約無し会見はご免被る。
この時彼は二人の幼い孫姫達と楽しく王宮の庭でかくれんぼの最中だった。
好々爺なお爺ちゃまとしては孫ともっと遊びたいので、よってシレジア国王はこの突然やって来たという使者を煩わしく思った。
この時遠くからは孫姫達が「まーだだよ~!」と可愛い声で元気いっぱい叫んでいる。
よって今日はもう「忙しいから」人に会いたくない王様は、面会を明日に回す事にした。
「ああ、もうよいよい。 何処の国の誰が来たのか知らぬが、謁見の手配は明日にしてくれい」
知らせに来た宮廷内務を取り仕切る侍従長に、億劫気に面会者との対面を拒否したシレジア国王は、そう云うや、「もういいかい~!」と孫に呼びかけ遊びに戻る。
するとそんな国王にお役目大事の侍従長は、密使の正体を明かして彼を引き止めようとした。
「お待ち下さい陛下、やって来たのはフィンダリアからの特使でございます!」
「なぬ!?」
これには孫優先の国王も、侍従長に振り向きざま素っ頓狂な声を上げ直ぐに聞きかえした。
「それは真か?」
「はい、名をダテンポートと。 身分は同国の子爵位を名乗っております」
――――フィンダリア。
亡妹の嫁ぎ先にして、婿に迎えた甥の祖国。
そして過去に恩義と因縁、この相反する二つの事をユーリー二世に与えた国。
侍従長の口から出たこの国名に、ユーリー二世は大仰にため息をついた。
「やれやれ、よりによってセネリオが城に居らん時に来るかいの」
「はい、王太子はただ今国内巡察に出ておられます。 一軍を率いておられますので、お帰りまでにあと三日はかかるかと……」
国内巡察、それは定期的に行っているシレジア国内の地方周り。
これが隣国との境目に向かうなら国境巡察となる。
国の様子をつぶさに見て回る大事な王の公務でもある。
それを今回セネリオが代行して行っていたのである。
これは果たして偶然か、はたまたセネリオの不在を狙って来たのか。
とはいえ大国から密命を受けて派遣されてきたという者を蔑ろには出来ないか。
さて我を待つのはかの国が仕掛ける巧妙な罠か、あるいは別の思惑か……。
こうしてフィンダリアから漂ってくる漠然した奸計の匂いを感じ、勘ぐりを入れ始めた国王は、この時孫が叫ぶ「もう良ーよ!」が聞こえていなかった。
そして。
「如何致しましょう、陛下」
再度、頃合いを見計らった侍従長に決断を促されたユーリー二世は、ようやく王者の腹を決めた。
「会わぬ訳にはいくまい、これより予の用事が済み次第に対面の場を持とう。 それまで使者等には充分な持て成しをしておけ」
「はい、畏まりました」
かくてユーリー二世は、楽しい孫との一時を急遽切り上げる事なった。
しかし直ぐに中断して会見に臨まないのがこの国王で、何と大急ぎでかくれんぼを再開するや、20分以内で城の中庭に隠れた孫姫二人を捜し当て、オニ役の面子を保ったのだから。
実にあっぱれなジージ魂である。
○*:..。○*:..。○*:..。○*:..。○*:..。
「この度、身に僥倖の機会を与えていただきありがたく存じます、シレジア国王ユーリー二世陛下」
この口上をシレジア国王ユーリー二世の御前で膝を折るのは、年の頃は四十代半ばだろうか、フィンダリア皇帝からの勅命を受けて来たという男だった。
謁見者の名はフィンダリア帝国ダテンポート子爵という、かの国からの密使である。
これに対しユーリー二世は、座る玉座に鷹揚に構えておべっかを受け流した。
「なあに、フィンダリアの皇帝がどんな話を予に持ちかけてきたのか些か興味があってのぉ……して、用件はなんじゃ?」
穏やかにだが静かに謁見者を見据えるシレジア王の眼光は、このフィンダリア密使を飲み込み萎縮させる力があった。
気後れしていては始まらない。
ダテンポートは気持ちを落ち着かせるや、ようやく本題に入り始めた。
始めはまだ固さが残る能弁も、次第に『北の居眠り獅子王』と異名の持つ国王と相対して緊張が取れ慣れてきたダテンポートは、優雅に多弁に用件を語り続ける。
そしてシレジア国王ユーリー二世は、彼の話を貫禄と畏怖を醸しだし、最後まで口を挟むことなく聞き入れていた。
最もかつてのフィンダリア第三皇子にして、シレジア王太子であるセネリオがこの場に居ないのはダテンポートにとって至極残念だったが。
やがて話を粗方聞き終えたユーリー二世は、表情をまったく崩さずに特使ダテンポート子爵に向かいようやく口を開いた。
「成る程の、フィンダリア帝の用件はあい分かった。ふむ、この予の可愛い孫姫を皇太子の子の嫁に欲しいとな……確かに大変目出度い話じゃて」
「左様でございましょうとも、陛下」
その後顎に手をやりユーリー二世は思案すると、使者は追随口調で同意を促した。
可愛い孫に縁談、しかも大国フィンダリア。
孫の婿がね候補としては家柄二重丸。
しかも久しく芳しくなかった両国の関係がこの縁組みで回復出来るというおまけ付き、それもシレジアにとって何ら損をしない。
そうこのように皮相的な見方をすれば、確かにフィンダリア側からもたらされたこの話はこの国にとって良い事尽くめに聞こえる話だった。
だが、ユーリー二世は首を捻った。
「しかしだな使者殿よ、確か今の皇太子殿は、未だ未婚で妻帯などしてはいなかったはず。 勿論正嫡などいるはずもない違うか?」
隠し子が居るのは知ってるよ~ん。
可愛い『また姪』皇女ちゃん。
とは、シレジア王の心の中の陽気な部分からの声。
無論そんな部分はお首にも出さずにユーリー二世は使者に問うと、ダテンポートもその事実は認めた。
「はい、その通りです。 我が国の皇太子殿下は独身ですから、当然御子もおりません」
このダテンポートの応答にユーリー二世は彼を鋭く見据えた。
「ということは何か? よもや皇太子殿には“庶子”がおって、まさかその子供を我が孫姫に宛がうと?」
それはさながら木陰で休む獅子が、縄張りに近づく他の獅子に気づくや真っ先に威嚇すかのように威圧があり、ダテンポートは狼狽えた。
「め…滅相もございません! 皇太子殿下に御落胤など我が国に存在しません!!」
「では“皇太子の子”とは一体誰の事を指すのだ!?」
この国王の怒気似た迫力に詰問され、ダテンポートはすっかりすくみ上がって答えた。
「は、はい! それはリオン様、皇太子殿下が御養子に迎える御方でございます!!」
この彼のてんぱった発言に、シレジア国王ユーリー二世は目が点になった。






