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雲の上の咆哮 ―羊の民、三千年の歌―  作者: 武陵隠者
第三章:呪いの文字「羌」

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第一節:祭祀の裏側

 大邑商の深奥部は、陽光を拒絶する巨大な影の塊だった。


 トグが割り当てられたのは、神殿の奥を掃き清める役目だ。皮肉なことに、彼は「上」と格付けされたがゆえに、この世で最も凄惨な「ことわり」が煮え滾る場所――王の権威の心臓部へと引き立てられた。


 神殿の内部には、安らぎなどどこにもない。そこにあるのは、冷たい石の壁に幾千もの怨嗟が吸い込まれ、圧し潰された末の、重苦しい停滞だ。トグは膝をつき、湿った布で床を拭う。そこには常に、脂ぎった煤と、決して拭い去れない「死んだ肉」の匂いがこびりついていた。


骨を焼く「悲鳴」

 その日の夕刻、トグは「卜所ぼくしょ」の隅で息を殺していた。

 祭壇では、白い衣を纏った「貞人ていじん」たちが、神の沈黙を切り裂く儀式を始めていた。彼らの前には、磨き上げられた亀の甲羅や牛の骨が並んでいる。


 トグの故郷では、骨は命の名残であり、土に還り精霊へと巡るべきものだった。だが、ここでは骨は道具だ。それも、神を組み伏せ、その意志を無理やり記号の中に縛り付けるための。


「――火を」


 熱せられた青銅の棒が、骨の裏側に掘られた窪みに押し当てられた。その瞬間、トグの耳に届いたのは、この世の何よりも不吉な音だった。


――パキッ、パキパキッ。


 それは、硬いものが内側から無理やり引き裂かれる音。トグには、それが神の骨を折る悲鳴のように聞こえた。山の風や羊の鳴き声には常に「生」の循環があったが、この音には、一方的な「破壊」しかない。


 神官たちは、熱によって走った不規則なひび割れを、恍惚とした表情で覗き込んでいる。一瞬、トグはそのひびの鋭い美しさに目を奪われた。迷いなく大地を裂く雷光のような、冷徹な完成美。

 直後、トグは猛烈な吐き気に襲われた。その美しさに魅了されることは、自らの魂を「檻」の造り手に差し出すことと同じだと、野生の直感が警鐘を鳴らしたのだ。


刃のなぞり

 やがて一人の神官が、鋭利な青銅の刻刀を手に取った。彼は甲羅に走ったひびを刃先でなぞり始めた。


――カリ、カリカリ、カリ……。


 乾いた骨を削る、粘りつくような音が響く。それは、トグを格付けした筆の音よりも、ずっと深く、暴力的な響きを持っていた。


(……あの男が骨に傷をつけるたびに、俺たちの腕の力が、足の速さが、奪われていく)


 トグは理屈で考えてはいなかった。ただ、あの鋭い刃が骨を刻むたびに、世界が切り刻まれ、管理しやすい大きさに切り分けられていくのを肌で感じていた。彼らが知る言葉は、口から出て空気の中に溶けて消えるものだった。消えるからこそ、言葉には真心が必要だった。

 だが、この「文字」は消えることを許されない。骨の中に永遠に閉じ込められ、誰かを縛り、誰かを殺すための「確定した命令」として居座り続ける。


「……今宵の供物は、西の『きょう』、五十。これにて雨を得ん」


 神官の声は、石の数を合わせるように平坦だった。彼らはトグたちの顔など見ていない。ただ、骨に刻まれたあの不吉な傷跡(文字)だけを見て、肉を切り分ける相談をしている。

 その時、トグは見た。

 神官が手を滑らせ、書き損じた木札を苛立たしげに焚き火の中に投げ込むのを。


 絶対の神託、逃れられぬ運命だと謳われるその文字が、ただの木の板としてあっけなく火に巻かれ、黒い灰になっていく。


(……あいつも、ただの木だ。焼けば消える。神の言葉が、ただの灰になる)


 その光景は、トグの絶望の中に、ある「恐ろしい希望」を植え付けた。

 この巨大な都を支配しているのは、神の力ではない。この脆い木札と、黒い汚れ(墨)によって作り上げられた、巨大な「嘘の糸」なのだ。ならば、その糸さえ焼き切れば、この檻は崩れるのではないか。


 トグは、掃除の手を休めず、じっと祭壇の下に広がる巨大な貯蔵庫の入り口を見つめた。そこには、都の理を支える膨大な「文字の山」が眠っている。


 トグは、泥を拭う布の中で、自分自身の指の関節が白くなるほど強く、赤い紐を握りしめた。

 その紐には、もはや羊の記憶だけではない。文字という檻の正体を見極め、それを根源から焼き尽くそうとする、獣のような執着が結びつけられていた。

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