第3話《“妹”という名前の檻》
【1】夜・楽屋(歌原 彩)
(化粧前の鏡。びっしりと埋まったスケジュール帳が映っている)
> 『レイラ追悼特番・スタジオ出演』
『伝説の姉を語る』トーク番組収録
『月刊JOURNAL “レイラを超えられるか?”特集グラビア』
『配信イベント:姉妹の記憶』
──すべて、姉の名を使った仕事だった。
彩
「あんな性格悪くて、“仕事したくない芸能人No.1”だったのに……」
彩(心の声)
「……この世界に入って五年。わかったの。私は、あの人と同じ景色には辿り着けないって。
それほどまでに──姉は“伝説”だった」
「でも、あの伝説を築くために、何人の夢が踏み潰されたんだろう。
レイラの残した輝きと引き換えに生まれた影は、今も私の上に積もってる」
(喉の奥が熱くなる)
(少女の頃の記憶がよみがえる)
(レイラに連れられて行った撮影現場。モデルたちの裏の顔、泣いていたマネージャー、潰れていくスタッフたち)
(誰かが怒鳴られ、誰かが消える。そのたびに、レイラは“完璧”だった)
彩(心の声)
《たぶん、あれから。私は姉との距離を感じるようになった》
《それでも、あの人みたいに輝きたかった。
あの世界で生きていくには、冷たさも正しさだと──何度も言い聞かせた》
(スタッフの怒号。共演者の涙。その隣で無言を貫く姉。冷たく、美しかった)
──あの優しかった姉の印象は、少しずつ塗り替えられていった。
誰もが羨む美貌とカリスマ性。
けれど、その光を浴びるほど、私に向けられていた“やさしさ”は遠ざかっていった。
彩(心の声)
《きっと、そういうことだったんだ。
“いい人”のままじゃ、この世界には残れない──》
《同期の中で消えていったのは、“優しい子たち”だった。
最後に残っていたのが、私だった》
彩(小さく)
「……だから私は、“いい人”ではいられない」
(喉の奥で熱を押し込みながら、鏡を見つめ直す)
──そして、月日が過ぎた。
──どうやら、姉は多くの敵を作っていたらしい。
その報いが、今になって私に降りかかってくる。
まるで、“姉の贖罪”を引き受けるために、この世界に残されたかのように──
> 「……似すぎてて現場が気まずいんだよ」
「レイラにやられた連中、今はプロデューサーだからさ」
「“顔の映らない妹の霊役”なら空いてるけど? 出る?」
(“妹”という肩書きだけで与えられた端役もあった)
彩(心の声)
「“顔の映らない霊役”──本業モデルとしては屈辱だった。
でも……出た。出るしかなかった」
「“レイラの妹”って肩書きでも、使えるなら使った。
プライドなんて贅沢だった。
この世界で生き残るために、選んでる余裕なんて、もうなかったんだ」
「どんどん新しいモデルが出てきて、若さと話題性に取って代わられていく。
たとえ努力しても、毎日が椅子取りゲーム。
その焦りの中で──私は、レイラの影に縋った」
──積もった姉への想いは、憧れでも尊敬でもなく、“傷”だった。
(誰よりも努力し、耐えた)
(なのに、そのすべてが“レイラの妹”という肩書きひとつで押し流された)
──それでも、彩は諦めなかった。
(屈辱を噛み潰しながら、その一つひとつを、自分を繋ぎとめる鎖に変えた)
(それは夢でも希望でもない──ただの意地だった)
彩(心の声)
「これが、私の“仕事”。
たとえ誰も“私自身”を見てくれなくても──」
(深く息を吸い、鏡に向き直る)
(プロフェッショナルとしてのスイッチが入る)
彩
「……“歌原彩”です。本日はよろしくお願いします」
(その声は澄み、笑顔は完璧だった)
(喉を潰しての発声練習、ミリ単位の笑顔矯正)
(「似ている」と言わせないための“自分らしさ”)
──その完璧さは、努力の結晶であり、痛々しいほどに美しかった。
(楽屋を出ていく彩の背に、スタジオのライトがにじむ)
スタッフ
「あ、彩さん! 本日もよろしくお願いします!」
彩
「はい。レイラの“妹”として、しっかり務めさせていただきます」
(その顔には、わずかな誇りと、消せない影が同居していた)
──そしてスタジオの画面に映るのは、変わらぬレイラの笑顔。
——カメラ、回ります。
──死して十年。
“伝説”も“残響”も、いまだ世界を離れてはいなかった。
──第4話へつづく