第一章『陽の当たらない三人』第1話《名前を失くした伝説》
【1】良太の部屋(朝)
(カーテンの閉じた、薄暗い六畳間)
(PCモニターの青白い光が、部屋を不気味に照らす)
(壁にはアニメのポスター。足元には食べ終えたカップ麺の容器と脱ぎ捨てられたTシャツ)
(淀んだ空気に、エアコンのカビ臭が混じる)
(キーボードを叩く音だけが、空間を支配している)
良太
「43歳、職歴空白。
生きてるのに、生きてないような毎日──それが俺の“現実”だ」
(間)
良太
「X(旧Twitter)のトレンドは今、“透けメイク”と“元アイドルの告発動画”。
TikTokのアルゴリズム変更で、Z世代はYouTube Shortsに回帰中。
インスタは“見られるSNS”じゃなく、“信用のための名刺”って感じ。
……ふふ、今日も無駄に詳しくなってしまった。誰に披露するでもないのに」
(缶コーヒーを一口。冷めた表情でPCを閉じる)
良太
「父さんの年金だけが、今の収入源。
だから……俺にできるのは、“負担にならないこと”だけなんだよな」
「電気は最小限、風呂は週一。洗濯は月イチ。
冷蔵庫には水と割引シールの総菜だけ。
体臭は……まあ、慣れる。俺も父さんも、もう鼻がバグってるしな」
「唯一の交流は、推しの妹系アニメキャラ達。
こっちは俺を裏切らないし、“お兄ちゃん”って呼んでくれるからな……
最近は、妹属性キャラのTシャツで外出することにも、抵抗がなくなってきた」
(ふと、自嘲気味に笑って)
良太
「昔は──ちゃんと働いてたんだ。
印刷会社の営業。底辺だったけど、正社員だったし、毎日スーツ着てた。
……でも“普通”ってのは、いつも脆い」
「数字が悪ければ怒鳴られ、成果が出ても“当然だろ”って無視される。
休みは週1。連日12時間勤務。
──“やりがい搾取”って言葉、あの頃知ってたら救われたかもな」
「そんな職場で、ついに倒れた──俺じゃない。母さんが。
連絡が来たとき、俺は得意先の土下座現場にいた。
“帰らせてください”って言ったら、“人のせいにすんな”って、胸ぐら掴まれて。
……その数時間後、母さんは息を引き取った」
「通夜の夜、父さんは酒の勢いでこう言ったよ──
“おまえが殺したようなもんだ”って」
「それから、だな。
俺の中で“音”が消えた。
朝起きる意味がなくなって、会社には行かなくなって、携帯も切った。
気づいたら──15年、経ってた」
(そのとき、ドンッと玄関がノックされる)
【2】玄関前・父との会話
(年季の入った作業着姿の父・与那嶺 和男が、無言で封筒を差し出してくる)
父
「……これで花でも買ってこい。電車代も入ってる。余計なもん買うなよ」
良太
「ああ、ありがとう」
父(吐き捨てるように)
「……母さんの墓参りすら自腹で行けねぇクソ息子を、15年も見続ける気持ち……
母さんの身にもなってみろ。バカ息子が」
良太(心の声)
「……正論すぎて、反論もできないよ。俺も、そう思うから」
(封筒をポケットにしまい、深く一礼して家を出る)
——“最低限の義理”だけを背負って。
【3】墓地(午後)
(町の外れにある、小さな共同墓地。空は快晴で、風が少しだけ涼しい)
良太
「……こんな俺でも、年に一度だけは“人間”になれる気がする。
母さん、今年も……会いに来たよ」
(慣れた手つきで雑草を抜き、水をかけ、花を供える)
(線香を立てて手を合わせる)
(ふと、隣の墓に目がいく)
(土に汚れ、苔に覆われて、名前すら読めない墓石)
良太
「……それにしても……ひでぇな。名前もわかんねぇや。
俺の母さんの隣ってだけで、ここ数年ずっと気になってたんだよな……
花も線香もない。……なんか、俺みたいだな」
(しゃがみこんで掃除を始める)
(苔を削ぎ、雑草を抜き、乾いたタオルで墓石を磨いていく)
良太
「俺と同じで、誰からも必要とされない。
……でも、そういう墓に手を合わせる人間がいても、いいよな」
(母の墓に使った残りの線香をもう一本取り出す)
(火をつけて、静かに墓前に立てる)
良太
「……誰かわかんねぇけど……お疲れさま、ってことで」
(手を合わせ、目を閉じる)
良太
「……孤独って、つらいよな」
(タオルでこすっていくと、少しずつ文字が浮かび上がる)
> 《歌原……RE……I……RA……?》
良太(絶句)
「…………ウソだろ……?」
> 《歌原 REIRA》
良太(絶句)
「……歌原レイラ? まさか……あの、伝説のカリスマモデルの……レイラ……?」
(脳裏を駆け巡る記憶とネット情報)
> 「“女性が選ぶなりたい顔”ランキング、殿堂入り。
“生まれ変わるならこの人の身体”ランキング、殿堂入り。
SNSでは“デジタル神格化されたアイコン”として、いまだに崇められてる。
日本の歴代総理よりも、海外での検索件数が多かった……
そんな彼女が、こんな庶民の墓地に……?」
良太
「同姓同名……だよな、さすがに……」
(だが、目が離せなかった)
(空が曇り、風が止まり、一羽のカラスが頭上を横切る)
(白い閃光と同時に、耳鳴りのようなノイズ。足元が一瞬ぐらつく)
——その瞬間、視界が、白く弾けた。
──第2話へつづく