嘘と誓いのあいだ
それは、いつもと変わらぬ朝のように見えた。
だが、カリナの心には焦りと警戒が渦を巻いていた。
エリーヌが動いた。魔道会がラゼルの存在に気づいた。
もはや時間の猶予は、ほとんど残されていない。
(早ければ、数日以内に接触がある。いや、今日かもしれない)
ラゼルの「才能」が公になれば、魔道会は彼を引き取る。
そして彼は、「選ばれた者」として、普通の暮らしから切り離されていく。
(ラゼルは、そんな道を望んでいない。私も、それを望んでいない)
それなのに――
彼の中の才能は、今日もまたひとつ、何かを“察して”しまった。
「……変だな、カリナさん。今朝、市場の香辛料屋の場所、前と違ってましたよね?
でも誰も騒いでなかったし、看板もそのままで……もしかして、わざと?」
(やばい、観察眼が鋭くなってる。状況判断が、もう異常なレベルになってる……!)
「さあ? 私にはよくわかりませんけど……」
笑顔で受け流しながら、カリナは心の奥で叫んでいた。
(もう、限界だ。誰よりも早く――私が、“彼を奪う”しかない)
**
その夜、カリナはひとつの“計画”を立てた。
それは、魔道会がラゼルに接触する前に、彼と正式に婚約を結ぶこと。
形だけでも“伴侶”として登録されれば、魔道会も簡単には手出しできなくなる。
(ただの恋人では、足りない。籍に名前が並んでいれば、保護権が発生する)
問題は、ラゼルの反応だった。
“普通でいたい”と願う彼に、あまりに急な申し出は不自然だ。
拒否されたら、すべてが崩れる。
(だったら――自然に、未来の話をする空気をつくる)
**
そして翌日。
カリナは、ある場所へラゼルを誘った。
町の北側にある、小さな教会。誰もが日常の延長で立ち寄れる、祈りと願いの場所。
「ここ、昔よく来たんです。幸せになりたいときに」
ラゼルは、きょとんとしながらも、教会の中に入る。
ステンドグラスに夕陽が差し込み、祭壇に花が供えられている。
静かで、あたたかくて――未来を語るには、うってつけだった。
「もし、将来の話をするとしたら……ラゼルさんは、どんな暮らしがしたいですか?」
カリナが問いかけると、ラゼルは少し考えてから、静かに答えた。
「……誰かと、ちゃんとした家で暮らしたい。朝、同じ部屋で起きて、ごはん食べて……くだらないことで笑い合って。
――そんな、誰にでもできるような毎日が、ちゃんとほしいんです」
カリナは、ぐっと拳を握った。
その“ささやかな願い”を、誰にも壊させてなるものか。
「ラゼルさん」
意を決して、言葉を継ぐ。
「私と、その暮らし……始めてみませんか? 正式に、手続きして。……つまり、その、婚約、という形で」
沈黙が落ちた。
カリナの心臓は、喉元までせり上がっていた。
(早すぎた? 怖がらせた? でも今しかないの)
だが――
「……本当に?」
ラゼルは、穏やかに笑った。
「俺なんかでよければ……お願いします」
その瞬間、カリナは息を飲んだ。
(……成功した。間に合った!)
だがそのとき、教会の外で、扉がギィと音を立てて開いた。
入ってきたのは、灰色のローブ――エリーヌ・スカール。
「……あら、結婚の約束? すてきね。さすが、手が早いわ、カリナ」
「……エリーヌ。どういうつもり」
「確認しに来たの。ラゼルくんの才、もう“目覚めかけてる”でしょ? 教会の結界が反応したのよ」
カリナはラゼルの手をぎゅっと握った。
絶対に離さない、という強い意志をこめて。
「この人は、連れていかせない。普通の暮らしを望んでるのよ。あなたには関係ない」
「……本当に、そう思ってるの? 本人が?」
エリーヌの青い目が、ラゼルを射抜く。
ラゼルは、目をそらすでもなく、静かに彼女を見返した。
「俺は……選ばれるのが怖い。でも、もし何かできることがあるなら――知ってみたいとも思うんです。」
カリナの心が、大きく揺れた。
(……気づき始めてる。それでも、“私”を見てくれるか?)
彼が、自分の力に向き合おうとしはじめたこと。
それは、嬉しくもあり、同時に――怖かった。
「……それでも、そばにいてくれますか?」
ラゼルが、カリナに問う。
彼が本当に選ばれる者になるとしたら、それでも彼の隣にいられるのか――
それは、今や、カリナ自身が答えるべき問いだった。
「もちろん。私はあなたを“誰でもない人”として好きになった。だから、どんな人になっても、私は……あなたの味方です」
そして――
ふたりは、正式に婚約を交わした。
それは、ひとつの勝利であり、
同時に――本当の始まりでもあった。