知られてはならないもの
ラゼルとカリナが〈ヴィレニアの泉〉から戻ったその翌日。
町は、いつもと変わらぬ賑わいに包まれていた。
広場では市場が開かれ、果物や布、香辛料の匂いが風に混じる。
だが、カリナの心には静かな緊張が漂っていた。
(昨日の泉……あの光……やっぱり、伝説は本当だったんだ)
それは「才能に選ばれた者」を示す、決定的なサイン。
つまり、ラゼルの中に眠る力は、もう“選ばれないわけにはいかない”段階にある。
(でも……ラゼル本人が気づいていないなら、まだ大丈夫。まだ……)
そう自分に言い聞かせるように歩いていたカリナの前に、ひとりの女が立ち塞がった。
灰色のローブに身を包んだ、三十代半ばの女。
青白い瞳が、じっとカリナを見つめていた。
「……お久しぶりね、カリナ・ローウェン」
(うわ、よりによってこの人……)
魔道会の元スカウト――エリーヌ・スカール。
人材の“匂い”を嗅ぎ分ける才覚を持つ、いわば“才能の犬”。
過去、カリナと同じく〈才能鑑定〉を専門としていたが、手段のえげつなさで一線を退いた人物だった。
「ねえ……あなた、昨日、東の泉にいたでしょう? 隣にいたあの地味な男――」
「……ただの友人よ」
「嘘ね。私は見たの。泉が、光った」
その瞬間、カリナの表情が凍りついた。
「彼、何者? 何かの封印持ち? それとも、血筋? あれだけ強い光が出るって、普通じゃない」
「……関係ないわ。彼は関わらないで」
「ふうん。じゃあ、関わるわ。才能を放っておく趣味はないのよ、私。」
エリーヌはにやりと笑って、言葉を置いていく。
「近いうちに、彼に会わせて。才能の正体、ちゃんと見極めてあげる」
(最悪……このままだと、ラゼルが“選ばされる”)
カリナは焦っていた。
もしエリーヌに彼の才能を特定されれば、必ず“組織”に持っていかれる。
ラゼル自身の意志とは無関係に、訓練所へ、検査へ、そして――“運命の仕事”へ。
(そんなこと、させない。せっかく……せっかく普通の幸せを掴めそうだったのに)
**
その夜。
カリナは、ラゼルの部屋の前に立っていた。
手には、焼きたてのパンと、薄いシチュー。自然な“差し入れ”を装って。
扉をノックすると、ラゼルがすぐに出てきた。
「カリナさん……どうしたんですか、こんな時間に」
「ねえ……少し、真面目な話をしてもいい?」
ラゼルは、頷いた。
ふたりは、テーブルを挟んで座る。
カリナは、自分の言葉がどれだけ重いかを自覚しながら、静かに口を開いた。
「もし……“君には特別な力がある”って誰かに言われたら、どう思う?」
ラゼルは、少しだけ目を伏せた。
そして、ぽつりと漏らした。
「……実は、最近、うすうす思ってたんです。昔から“予感”があるのは変だなって。泉のことも、妙でしたし……」
「……それでも、普通でいたいって思う?」
「はい。俺、怖いんです。すごい人になるとか、選ばれるとか……それよりも、大切な人と、ちゃんと笑って暮らしたい。」
その言葉に、カリナは息を呑んだ。
(ラゼル……)
「でも……そう思えるようになったの、カリナさんのおかげです」
ラゼルは、まっすぐに彼女を見た。
「カリナさんが、俺の“特別じゃない部分”を、大事にしてくれたから……」
心が、崩れそうだった。
これ以上、欺くことができないと思った。
けれど、それでも――
(もう少しだけ……あなたを、普通でいさせて)
カリナは、小さく笑って答えた。
「あなたは、あなたのままでいいんです。私が、ちゃんと見てますから」
**
だがその夜。
エリーヌはすでに動いていた。
ラゼルの名前を記した紙が、魔道会の書記室に差し込まれる。
そこに記されていたのは――
「〈未特定の複合才〉、自覚前。優先確保対象」
静かに、確保の手が忍び寄っていた。