才の片鱗、風に舞う
初夏の風が、石畳の路地を抜けていく。
小鳥の声が、あたりの屋根瓦に響き、夕暮れがゆるやかに世界を染めていた。
カリナとラゼルは、広場を抜けて、人気の少ない花の小道へと歩いていた。
ラゼルはずっと気まずそうにしていたが、カリナは平然を装っていた。
内心は、嵐だった。
(これ以上、彼に興味を持たせてはいけない。気づかせるような会話は避けること)
だが、それは同時に――彼に退屈だと思われれば、それまでということでもあった。
(難しいなぁ……。バカなふりをして惹きつけて、でも下手に刺激しないように……)
しかし、そんな計算をするカリナの隣で、ラゼルがふと呟いた。
「……あれ、さっきの商人、財布落としてたかも」
「え?」
ラゼルが指さしたのは、角を曲がって去っていったばかりの中年の商人だった。
地面には何も落ちていない。
なのに――カリナが目を凝らすと、路地の端、雑草の隙間に、革の財布がほんの少しだけ顔を覗かせていた。
「……すごい。よく見えましたね、あんなの」
「え? あ、いや……なんか、変な感じがして。空気が引っかかったというか……」
(空気……?)
カリナは凍りついた。
これは“感覚魔術”の初期兆候だ。
訓練を受けていない者がこんなことを口にするのは、通常ではありえない。
(まさか……すでに才能が揺れはじめてる? 私と出会ったことで……?)
商人に財布を返し、ラゼルは照れくさそうに笑った。
「こういうの、運がよかっただけですよ。昔から、なぜか……なんとなく、タイミングよく動いちゃうことがあって」
「……たとえば?」
「うーん。戦争から帰ってきた兵士の人を避けたら、直後にその人が倒れてきたり、火事のときに、なぜか煙が来ない方向を選んで逃げられたり……。あ、やっぱ変ですね」
(変どころじゃないわよ!!!)
それは偶然じゃない。未来予測の気配察知。まさに“先読みの才”の兆候。
今はまだ眠っていて、直感の形でしか現れていない。だが、鍛えれば、きっと“見える”ようになる。
(ダメ。ダメダメダメ。気づかせちゃダメ!)
「ラゼルさん、それって……」
カリナは、息を飲んだ。
言いかけた言葉を飲み込み、笑顔を作った。
「――きっと、優しいからですよ。人の動きとか、無意識に見てるんでしょうね」
「ああ、そういうことかもしれません。なんか安心した……」
ほっとした顔をするラゼルを見て、カリナは胸を撫で下ろした。
だがその瞬間、また背中に冷たい汗が流れた。
この人は、確実に気づいていく。
本人の意志に関係なく、才能というものは、時が来れば目覚めてしまう。
目覚めたそのとき、カリナが“ただの女”でいられる保証は、ない。
(私が選んだこの人に、いつか“選ばれない日”が来るかもしれない)
だからこそ――。
(その前に、結婚してしまえばいい)
あまりに本気の考えが、ふと頭をよぎり、カリナは我に返る。
額に汗が滲む。
「……あの、ラゼルさん。今度、ふたりでゆっくりお茶でも、どうですか?」
「え? あ……はい! ぜひ!」
(よし。まずは距離を縮めて、安心させて、恋愛感情を育てて……才能が開く前に既成事実を積み上げる……!)
カリナ・ローウェン。
異能の鑑定士。冴えない男を巡る、前代未聞の“才能封印恋愛計画”が、静かに幕を開けた。