ニューホライゾン
菓子店で『魅力発信』というフォントが踊る冊子を手に取る。奥付けに記載されたプロフィールから市内在住と思われる人物の『影山』という名前を知る。地元民には何の変哲もないようなスポットに秘められた歴史や逸話ながかなり細かく紹介されていて「ほぅ」と感心すると同時に内心「尊敬するなぁ」と感じていた。
情熱のようなものに『当てられて』しまったのか、昼食がてら立ち寄った場所の歴史的偉人の銅像の前でとりあえず秋空を背景に写真を一枚。偉人についての解説を入れながらいつものアカウントで投稿してみたところ、
『めっちゃ天気いいですね』
というコメントを休憩が終わる前に頂いて満更でもない気分。返事は後で考えることにして顔の絵文字で謝意を伝える。ただ運悪く、その日は午後に業務上のトラブル…ソフトウェアの問題が生じ、あれやこれやでてんてこ舞いになってしまう。繁忙期を過ぎ、余裕が出てきた頃合いにそういう事象が起こったりするのもなんというか、なんというかである。上と相談して近日中に業者に来てもらう話になったが、その間の業務に支障が出ること間違いなし。
<ああ、困ったなぁ〜>
とほほな心境で帰宅して、とてもじゃないがSNSを覗くような気分にはならず。むしろテレビを付けた瞬間に目に入ったとある情報の方がその時の自分にとっては魅力的に映った。
『熊谷ナツ、○○体育館、ライブ『NEW HORIZON』チケット発売』
某アイドルグループを卒業後、ソロで歌手活動を続けている女性アーティストのライブチケット発売の情報である。アイドル時代にそこそこ推しだった存在で、担当は別であるものの熱烈な友人に連れられて一度だけコンサートに参戦した事がある。ただ何というか会場の少しばかり『異様』な雰囲気に圧倒され、自分は少し毛色が違うファンなのだという事を自覚して以来、陰ながら応援するというスタイルに切り替えた。卒業後はメディアへの露出も減った印象だが歌手として地道に歩んでいっている姿が評価され着々と新規ファンを増やしているとの噂。彼女が県内で比較的近場の会場でライブという話になれば、ダメ元でもチケットの抽選にチャレンジしてみようというテンションにはなる。
「うわ、めっちゃメンドイ!!」
『詳細はWEBで』というCM文言の通り、目を擦りつつ説明を読み、慣れない操作で会員登録その他を何とか済ませ、必要事項を記入して送信をタップ。無事完了したのかどうか若干の不安はあったが、抽選発表の日程と確認の方法が記載されたページが表示される。念の為、画面のスクリーンショットをしておく。
「当たってくれ!」
祈るように早々に眠りについたその日の夢枕。これまで見たことのないような奇妙な夢が展開され、自分でも驚いてしまった。それはこんな具合だった。
『ほら、見えるかい。○○君(自分の名前)がやってくれたお陰であの時代が蘇ったようだよ』
誰かが自分に向かって語り掛けている。かなり年上の男性であるようだけれど、ぼんやりしていて姿は見えない。ただ声ははっきり聞こえる。その声の主に対して何故か自分は、
『ああ、本当ですね。頑張った甲斐がありました』
と相槌を打っている。何かすごく良いことを自分が実際に行ったかのような達成感に包まれていたのだ。それから妙に懐かしい気がする情景が眼下に広がって、『あのあたりだよ』と『彼』が指さしているのが見え、そちらの方を向いて『いいですね』と言い放ったのはまたしても自分。
『この町に君のような人が居てくれて良かったよ』
『そうですかね。そう言っていただけると…』
その続きを言う前に夢から醒めた。妙にリアルな夢だったので布団の中でも一瞬混乱して「なんだぁ?」と小さく呟いてしまう。直感ではあったが、その情景は地元のとある場所から見た光景とよく似ていると感じた。そう、あの銅像が立っている、その場所からの。
☆☆☆☆☆☆☆☆
「○○さん、来週のイベント駆り出されてるんだっけ?大変だねぇ」
職場のベテランの女性に同情された。会社が協賛する市内の物販イベントの要員として世代的に自分にお鉢が回ってきていたのだ。屋内でのイベントで基本的には物品を運ぶくらいなので本来は大した負担ではない。ソフトウェアが無事復旧して業務の遅れを取り戻さなければならないという特別な事情が存在しなかったらどれだけ身軽に行けた事だろうか。
「これも地元の為ですからね」
なんとなくそんな言葉を口にしてみたけれど、実際貢献する気持ちがないでもない。恙無く終わらせる事は望みであった。そうは言うものの、イベントにトラブルはつきもの。イベント当日は想定以上の賑わいであった為、半ばイベントのスタッフとしてお客さんの誘導や取次などを担う羽目に。何故か「お手洗いは何処ですか?」と尋ねられる事が多く同じことを何度も説明していた為か、
<あ、これしっかり『貢献』してるわ>
という実感に。目立たない役目ではあるけれど居なったら居なかったで何だかんだ人手が足りない。それはまるで現代社会を象徴しているような場面であるような気さえした。午前中にあらかた捌けてしまったお陰で午後は比較的客足が落ち着く。適当なタイミングで休憩を取り、屋外の芝生の植っているスペースにあるベンチに座り一息つく。
「ああ」
思わず漏れてしまった声。しばし俯くような姿勢だったところに「あの、」と誰かに声を掛けられる。男の人の声だ。「はい」と答えて見上げると、目の前に何か「黒い物」を差し出された。
「これ、どうぞ」
「え?」
言われるままに受け取ったそれは無糖の缶コーヒーであった。「コーヒーでよかったですか?」と相手が気を遣ってくれたので「ありがたいです」と返事した。黒縁のメガネを掛けたその男性は見るからに人の良さそうな表情で、隣に座ってからずっと笑顔を向けてくれている。
「知り合いがイベントの関係者でして、それで来てみたら凄い賑わいで」
「ああ、そうでしたか。盛況で良かったですよね」
「僕、フリーペーパーみたいなのを作ってまして、影山といいます」
最近『影山』という名を見たような気がしていたが「どういうフリーペーパーですか?」と訊ねたところ「地元の魅力発信という感じですね」と答えた時に咄嗟にピンと来た。菓子店に置いてあった冊子を作った人だったのだ。
「それ知ってます!」
「え?」
それから話が弾んで、冊子を作る上で苦労したこととか、費用はどのくらい掛かるのかといった突っ込んだ話も伺う事ができた。やはり地元の知られていない情報を探すことにはかなり苦心したらしい。
「地元が好きなんですね」
という質問に対してはどこか照れくさそうに「まあ、愛着はありますよね」という答え。その姿を見ていたら自分の中に自然と湧き上がってくるものがあった。
「微力ではあると思いますけど、私も協力してみたい気持ちがあります」
言ってみて少しだけ後悔している自分がいた。けれど影山さんに連絡先を教えてもらって、以来地元の情報についてメッセージや意見を求められるという関係になった。何か報酬が生じるというものでもないけれど『今度新しいフリーペーパーを発行します』というメッセージが来るととても嬉しい気持ちになる。
ところでイベントから二週間ほど経った頃の夜、寝落ちする前に不思議な声を聞いた気がした。
『頑張ってもらってるからね、お礼だよ』
<疲れているのかなぁ>とは思ったが、翌朝スマホを確認すると見慣れないアドレスからのメッセージを見つけた。
『抽選結果のお知らせ』
件名で何のことかと思っていたが文面を見て仰天した。あの熊谷ナツのライブチケットが見事に当選していたのだ!一瞬目を疑ったが確認ページを開くと確かに払い込みの手続きが表示されている。その時、<もしかして『お礼』とはこの事なんじゃないか>と思ってしまった。不思議な偶然ではあるけれど、何となしにSNSに投稿した銅像の画像を見直してみる。
どこまでも澄み渡る秋空。銅像の男性の表情は誇らしげで、眼差しには何かが宿っているように見える。
『ぜひ見に来て見てください!見守ってくれています』
遅くはなったが『めっちゃ天気いいですね』というあのコメントに返信することができた。