5 呪い or 恋文
『ミ、ミェッ……ミェ……』
軍の敷地内にある修練場では、一匹の小鹿がよろよろと走っていた。
「が、頑張って……!」
(ありがとう、緑頭の人……)
応援してくれる人のとなりには、私をこんな風にしている元凶が立っている。
そう、ロルフという人だ。
この人は私をここに連れてきた途端、走るように指示してきたのだ。
(よかったな、私が物分かりのいい小鹿で……!)
普通の小鹿だったら、彼が何を言っているのかわからなかっただろう。
ただ私はただの小鹿ではない。
なんていったって、元が人間な小鹿だからね。
(でも、小鹿に身体計測をしだす人間もなかなかイカレてるよ!)
心の中で悪態をつく小鹿は、その後も様々な運動をさせられた。
「身体能力は野生のものより劣っている」
『ミェェー……』
(散々いろんなことをさせた結論がそれかー……)
修練場で腹ばいになっているディアは、淡々としているロルフにげんなりする。
「特殊な能力はないのか」
『ミー』
(一般人にそんなものはない)
元は人間なのだ。
そんなディアに特殊能力があるはずない。
「ならばなぜ、死の森で無事だったんだ」
『ミ!?』
(あの森ってそんな物騒な名前だったの!?)
今の会話から鑑みるに、あの森はそうとうヤバかったらしい。
だからこそ、そんな森で無事だった私を調べているわけか。
「副隊長ー!」
仕事部屋にいた三人組がこちらにやってきた。
そうして、ディアは地獄の身体計測を終えることができた。
あの身体計測から何もわからなかったため、ディアはロルフの部隊が預かることになった。
「アタシはロージーよ」
紫髪のオネエさんはロージーと言うらしい。
上品でとてもいい名前だと思う。
角ばった手で、頭を優しく撫でられた。
「ぼ、僕はレトです」
こちらの緑髪の青年はレトというのか。
覚えやすくていい名前だ。
おそるおそる背中に手を伸ばしてくる。
『ミィ』
(ディアです)
「かわいいわ~」
「か、かわいいですね!」
頭と背中を撫でられ、心地よさにクッションへ沈む。
うんうん、気持ちいいな~。
「ハッ、腑抜け共が」
「あれは無視しましょうね~」
「ああ゛?」
バチバチと火花を散らしている彼らを尻目に、ディアは目を細める。
レトのマッサージ技術はお店を開いてもいいくらいだ。
「彼はガイアスです」
レトがそっと耳打ちしてくる。
ガイアスという人物は血気盛んのようだ。
怒りすぎて、眉間の血管が浮いている。
「あと、あそこにいるのがロルフ副隊長です」
『ミェ……』
(あの人が副隊長か……)
隊長は遠方へ出張していて、ここにはいないそうだ。
つまり、この部隊の最高権力者があの人だということだ。
(媚びを売るべきか……)
突然ジビエ料理にされてしまってはかなわない。
心証をよくしておく努力をするべきかもしれない。
(でも、この身体でできることはないんだよなぁ)
周囲を観察すると、彼らの関係が少しだけわかってきた。
レトは気が弱いけど、とても優しい。
甘えるなら、彼にするべきだろう。
ロージーは自分をしっかりもっている。
だからこそ、ガイアスと喧嘩ばかりするようだ。
ガイアスは怒りんぼだ。
彼の笑っている姿は今のところ見たことがない。
そして、ロルフはまだよくわからない。
一つ気になるのは、目にハイライトがないことだろうか。
「副隊長、また城でアレが」
ガイアスがロルフに何かの書類を差しだした。
「放っておけ」
ロルフは、差し出された紙を叩き落とした。
(アレ?)
「ヤダヤダ、また怪奇現象?」
「これまでそんなことなかったのに……」
ロージーはげんなりとした顔をしていて、レトは少し怯えている。
一体、怪奇現象とはなんなのだろうか。
ひらり
(おや?)
四人で話し出した彼らを横目に、地面に落ちた紙を見る。
目に入った文字は、ゾナ王国と同じ文字だった。
他の文字は異国の文字で読めないが、ひと文だけ読める所があった。
『月のない夜、愛しいあなたを迎えにいきます』
気障な言葉は、明らかに物語っていた。
(いや、ただの恋文じゃん)
彼らは何に頭を抱えているのだろうか。
こんなの一目瞭然じゃないか。
「呪いかしら」
ロージーが悩まし気に頬に手を添える。
いや、呪いじゃなくて恋文……。
「この時代にか?」
呆れた様子のガイアス。
呪いがないと思っているらしい。
いや、呪いは実際あるんだけど……。
(私の今の状態も、魔法というより呪いと言える)
人間を小鹿に変えているのだから、呪いといっていいだろう。
「呪いなんて、あるわけないですよ!」
気丈に言い放ったレトだが、足がプルプルしている。
彼はどうやら怖がりなようだ。
『ミィ……』
(だから、これ恋文なんだってば……)
彼らには、このゾナ王国の文字が呪いの文字に見えているらしい。
この国とゾナ王国には国交がないのかもしれない。
「これを連れて行く」
『ミ?』
この一言で、ディアは怪奇現象が起こった現場へ連れていかれることになった。