3 黒いの森の眠れる……
『ミィィイイーー!!』
(こんなの聞いてないーー!!)
不慮の事故でかかった魔法を解いてもらおうとしたら、どこか知らない場所に飛ばされたのだが。
『ミィィィ……』
(あの王女、絶対に許さない……)
王宮でパーティーの手伝いをしていただけなのに……!
まさか小鹿にされる魔法をかけられた上、こんな暗い森に捨てられるとは!
(いや、森にいるのは獣のとしては普通か……?)
足元には小さな蹄が見える。
そして、持久力のなさそうな細い脚。
(び、美脚になっている……!)
月にかざした脚はとてつもない美脚だ。
人間だった頃とは全く異なる。
この脚なら、小鹿のままでも……。
(いや、よくないっ!)
こんな小鹿のままでは何もできない。
このままで、果たして暗い森で生き残れるのだろうか。
周囲を改めて確認すると、生い茂った木々が目に入る。
外敵からこちらがわかりにくいだろうが、こちらも同様の状況だ。
しかし、不思議だ。
この森には生き物がいないみたいに静かだ。
雲の間から月が覗く。
照らされた木々は、恐ろしいほどに黒い。
ここまで生命を感じない場所は初めてだった。
『ミィ……』
(不気味な場所だ……)
カサ カサ
黒い落ち葉を踏み分け、行く当てもなく進む。
視界は木々に遮られ、先は行ってみるまでわからない。
自分の足音だけを聞いて歩む。
行けども行けども黒い木々しかない森で、ディアはとうとう足を止めた。
(出口が見えない)
この森を抜けられる気がしない。
言い知れぬ不安が胸で渦巻く。
そして、休憩のために木のうろに腰を下ろした時だった。
ゴーン ゴーン ゴーン
『ミ?!』
(え?!)
暗澹たる森に鐘の音が響き渡る。
まるで、この森に囚われた者を歓迎しているかのようだ。
『ミィィィ"ーー……!」
(ひいいい"ーー……!)
あまりの恐ろしさに、木のうろの中で震える。
しかし、ふとあることに思い至った。
(あれ、でも鐘の音がする方に行けば森から出られるかも……?)
ここで震えていても、森から抜け出すことはできない。
どうせダメなら、可能性をすべて試してから後悔した方がいい。
失敗しても、リカバリーすればいい。
「ミィ……!」
(行くぞぉ……!)
恐怖に震える脚を叱咤し、鐘の音が聞こえた方へと向かった。
『メェー……』
(まじか……)
鐘の音が聞こえた方へ歩いていくと、目の前に大きな城が現れた。
一体どこに隠されていたのかという疑問が浮かんだが、気にしないことにした。
……なんか考えるのが怖くなったとかではない。
黒い城壁に黒いツタが這っている。
この森は、本当にすべてが漆黒だ。
(立派なお城だなぁ)
月に照らされた暗黒の城。
青白い光を黒が鈍く反射している。
なんだかお化けが出そうな雰囲気だ。
(うん、帰りたい)
しかし、ここまで来たら引き下がれない。
温室育ちの元人間としては野宿するより、室内で寝たい。
お化けよりも外の寒さの方が恐ろしい。
夜が深まり、毛皮を夜風がさらう。
これからもっと寒さが酷くなるだろう。
扉の隙間から城の中に入る。
……なぜ、都合よく扉が開いていたのかはわからない。
蜜に誘われた獲物は呑みこまれるように城へ入るのだった。
『ミ……』
(おかしい……)
城に入るための扉は開いていたのに、城内の部屋すべてに鍵がかかっている。
これでは寝具にたどり着くことができない。
(なんかこわいし、一旦外に出よう)
そう思い、玄関へ向かう。
そこで、衝撃の事実を目の当たりにした。
『ミィ!?」
(閉まってる!?)
これはホラー展開。
どうやらディアは判断を見誤ったらしい。
全身の血の気が引く。
恐怖に地面を見ていると、足元に黒いツタが這っていることに気づいた。
(?)
そのツタはディアを導くようにどこかへ続いている。
怪しさしかなかったが、今できることは他に思いつかなかった。
小鹿はツタに誘われるままに、城の奥へと進んだ。
『ミェー』
(豪華そうな扉だー)
恐怖の極限状態に追い込まれたディアに、余裕は残っていなかった。
そのせいで、もう脳が正常に働いていない。
ツタに導かれた部屋の扉は容易く開いた。
『ミィー』
(王様が住んでそうな部屋だー)
単純でアホなことしか考えられない。
部屋の中は他の場所と同様に真っ黒だ。
しかし、他とは違って豪奢な飾りが部屋を彩っていた。
あ、黒一色だから彩ってはいないか。
(ん?)
もう寝ようと死んだ脳で考えていると、豪華なベッドを見つけた。
しかし、ひとつ問題があった。
『ミ、ミィ……?』
(だ、誰か寝てない……?)
いやいや、こんな廃城に一体誰がいるというんだ。
きっと疲れて見間違えたんだろう。
ベッドに近づき、その縁に前脚をかける。
(いるーーー!!!)
ズサッ
あまりの衝撃に声も出ず、後ろにのけぞる。
暴れる心臓をおさえつけ、もう一度確認してみる。
寝ているのは人間のようだ。
(……この人も黒い?)
眠っている人間を観察していると、全身が黒ずんでいることがわかった。
嗅いでみると、鈍い鉄の臭いがした。
間違いない、これは血だ。
『ミェ?!』
(死んでないよね?!)
耳を口元によせると、微かに息をしていることがわかった。
でも、それも虫の息という言葉がぴったりな状態だった。
(し、死んじゃう?!)
一体どうしたらいいんだとあたふたしていると、この人に黒いツタが巻き付きだしているのに気づいた。
『ミェ"!?』
(君たち動くの!?)
ゆっくりと、しかし着実に人間の体に巻き付くツタ。
唖然としていると、巻き付いた部分がどんどん締め付けられている。
『ミィミィ!』
(まずいまずい!)
ガジガジッ
人間に巻き付きだしたツタを懸命に噛みちぎる。
これ以上この人を負傷させたら本当に死んでしまう。
『ミェェェエエ"ーーッ!!』
(起きてーーッ!!)
血塗れの人にすることではないが、小鹿では人間を担いで逃げることはできない。
自力でこの人に逃げてもらうしかないのだ。
「………ッ」
(起きた!)
片手で頭をおさえながら、血塗れの人が起き上がる。
起こしておいてなんだけど、随分ひどいことをしてしまったような気がする。
しかし、そうも思っていられない。
黒いツタは、今もなおこの人に向かってきている。
ザシュ
『……ミ?』
(……え?)
ツタだったものが宙を舞う。
視界に映ったのは、鈍く光る刃。
(思ったより戦闘力ある人だったー!)
片刃の剣を右手に持ち、ベッドの上に立つ人間。
黒ずんだ軍服は、所々破れている。
ギラッ
刃が反射する。
これは……私もやられる感じなのだろうか。
『ミェェェエエ"ーー!』
(ご勘弁をーー!)
「…………」
剣を構えたまま近づいてくる人間。
髪からのぞく瞳は、ギラギラとしている。
(あ、もうダメかも)
獣の本能だったのか。
ディアは恐怖のあまり意識を失った。
「これが……」
勝手に気絶した小鹿をそっと抱き上げる。
灰色の瞳には、優しい茶色が映っていた。