1 魔法の杖
広大な大地に存在する数多の国々。
その中の一つに、ゾナ王国と呼ばれる国があった。
このお話は、その国のある貴族が主人公―――。
「―――ではない」
シーツを洗いながら、自分にツッコミを入れる。
パーティーの準備のために駆り出された人間が、貴族なわけがない。
両親も平民、自分も平民という生粋の一般人だ。
「貴族っていいな~」と思ったことはあるが、実際に見たらその気が失せた。
「貴族は結婚が絶対って……地獄かな」
「ディアの場合はそうでしょうね」
「カイネ」
隣で同じようにシーツを洗っていたカイネが、そう声をかけてきた。
「メイドはメイドらしく黙って洗い物しなさい」
「いや、私はヘルプできた一般人なんですが」
この王宮で働いているメイドのカイネとは違うのだ。
普段なら、本屋で店番をしているだけなのに……。
「働くのって大変だ」
「アンタは怠惰すぎるのよ」
「ひどい、本当のことを」
彼女はズバズバと物を言う。
気の強い女性だけど、友人は多い。
社交的な彼女と真逆な自分には、眩しい存在だ。
「引きこもりのアンタを外に連れ出してやったこと、感謝なさい」
「……ただ労働力が必要だっただけでは」
「何か言った?」
「いえ、なにも!」
休日は家に籠り、平日は本屋に籠っている私はなんと現在王宮にいる。
理由?なにか大きなパーティーがここで開かれるらしくて、人手が必要だったらしい。
ディアは黙々とシーツを洗い続けた。
なぜなら、このシーツを洗い終わらないと家に帰してもらえないから。
「ここの労働基準は一体どうなっているんだ」
「無駄口叩かない」
ディアはカイネに叱られながら、今日の分の仕事をなんとか終わらせた。
ディアがこうして王宮に駆り出されたのは、実は王の生誕祭のためだった。
そして、今回の生誕祭は100周年ということで気合が入っていた。
そのせいでディアも王宮で働かされることになったのだが、本人的には家に帰れさえすればどうでもよかった。
さて、ディアという人物がどのような存在なのか説明する。
端的に言うと、平凡という言葉に尽きる。
家族は平民でとくに言うこともないし、彼女自身も特別な能力はない。
まあ、多少人よりも怠惰ということがいえる。
そんな彼女が、面倒事に巻き込まれるのは数日後のこと。
「いや、パーティー当日も働かされるって聞いてない」
「アンタどうせ暇でしょ」
王宮の洗い場でお皿を洗い続けている自分に、ふと疑問をもつ。
しかし、これまた隣にいたカイネにぶった切られる。
「いや忙しい」
「へえ、何で?」
「家でゴロゴロするので忙しい」
「暇ってことじゃない!」
可哀想に、彼女は休息を知らないらしい。
人間に必要なものは休息だというのに。
「ちょっと、その憐みの目やめてくれる?」
「暴力反対!」
拳をかかげてくるカイネに悲鳴を上げていると、洗い場に誰かがやって来た。
ここはお皿を洗うためだけの部屋で、ディアとカイネ以外いない。
そんな場所に、一体どんな用事で来たのだろうか。
「ちょっと、こっち手伝ってくれる!」
「は~い」
カイネがさっとお皿を置く。
流石は本物のメイド。
機敏な動きだ。
「ディア、大人しくしてなさいよ」
まったく失礼な。
いつ私が問題を起こしたというのかね。
「アンタ、変なとこで鈍くさいから心配なのよ」
「ひどい」
言うだけ言って行ってしまったカイネ。
ここからは一人でお皿と向き合わないといけないようだ。
「今日は何時に帰れるのかなー」
働くことが大好きという人間しかいないこの王宮では、誰もが遅くまで働いている。正直、彼らはなんらかの悪魔と契約したに違いない。そうでないと、あんなに働こうとするわけがない。
黙々とお皿を洗っていると、溜まっていた分がすべてなくなった。
「……帰れる?」
指示を出してくれるカイネはここにいない。
一応、数十分ほどその場に待機したが、誰も来ない。
これは帰宅チャンス。
「いや、カイネに確認してからにしよう」
こういう場合は、きちんと確認してから帰らないとマズい。
黙って帰って、カイネにお説教されては目も当てられない。
そう思ったディアは、カイネを探しに洗い場を後にした。
それが悲劇につながるとも知らずに。
「あ、カイネ」
王宮を探し回って、やっと見つけたカイネ。
彼女はパーティー会場で給仕をしていた。
これでは彼女に話しかけることはできない。
仕方なく、彼女が暇になるまで待とうと壁に待機する。
メイドの服装をしていてよかった。
壁に張り付いていても、全然不自然じゃない。
「どうしてなんですの!?」
「?」
近くから聞こえてきた声に、すっと目を向ける。
綺麗なドレスを纏った女性が、何やら男性に詰め寄っている。
(痴情のもつれかな)
そうボーっとしていたのが悪かったのだろう。
「ねぇ、君」
「……え、私?」
「そう君、あの方々にこの飲み物もっていってくれない?」
「え、ちょっと……!」
「頼んだよ」
燕尾服の使用人に押し付けられたお盆には、二つのグラスがのっている。
これをあの痴話げんか中の二人に持っていかないといけないらしい。
「うそでしょ……」
面倒なことを頼まれてしまった。
しかし、やらないわけにはいかない。
私は今、王宮の使用人としてここにいるのだから。
(私は空気、私は空気)
「どうしてなの!」
「仕方ないんだ!」
(大丈夫、私はマイナスイオン)
「わたくしはこんなにもあなたを愛しているのに……!」
「僕だって愛している!」
(うんうん、私は空前絶後の空気)
「こんな世界間違っているわッ!」
「どうしようもないんだよ、メリー」
(……いや、これどのタイミングで渡すべき?)
劇が終わる気配がない。
周囲の人たちは傍観しているだけで、コレを止めようともしない。
頼むから、誰かこの人たちを止めてくれ。
「わたくしの愛を今から証明するわ!」
「どうやってだい?メリー」
(わー、すごーい)
女性は手に突然、杖が現れた。
あれが世に聞く、魔法の杖なのだろう。
いいなー。
私には魔法の才能がなかったからなー。
「皆さま!お聞きください!」
女性が観衆の視線を集めた。
どうやらパフォーマンスが始まるらしい。
「わたくしは今から自分に魔法をかけます!」
(ふむふむ)
「この魔法はかれられた者を動物に変えてしまいます!」
(へえ~、鳥とかには一回だけなってみたいな)
「解呪の条件は……真実の愛!」
(なるほど)
この女性は自分に動物になる魔法をかけ、横にいる男性に協力してもらって動物になった自分を人間に戻す。そうすることで、真実の愛を証明しようとしているようだ。
「待て」
「お父様……!」
(うわー、新手が来た)
女性の父親が登場した。
観衆は盛り上がっているけど、こちらは盛り下がっている。
お盆を持った手がプルプルしてきた。
「お前は儂が決めた者と結婚するのだ」
「イヤです!」
親子喧嘩が始まってしまった。
これは場がさらに長くなりそうだ。
「貴様か!儂の娘を騙くらかしたのは!」
「お父様っ!」
女性が自分の父を止めようと手を伸ばす。
その拍子に、手に持っていた魔法の杖が滑り落ちる。
「「「あ」」」
皆の声がひとつになった瞬間だった。
「え?」
滑り落ちた杖の先には、お盆を持ったディアがいた。
杖から放たれた光をもろに受けた彼女は、神々しい光を放つ。
『ミー』
「「「…………」」」
(なにしてくれてんじゃーーー!!!)
タンッ タンッ
地団駄を踏むが、軽い音しか出ない。
「可愛らしい小鹿ね……」
「ああ、かわいい」
「かわいいのう」
『ミー!』
(貴様ら許さんッ!!)
威嚇の声もしょぼい声しか出ない。
彼らを睨みつけようとするが、首を上に向けなければならなくてつらい。
(どうしてこんな目に!)
タタンッ タタンッ
怒りのあまり、その場でジャンプをする。
その様子に生暖かい視線を向けてくる周囲。
『ミー!』
(見世物じゃない!)
怒りの声すらも、彼らには愛らしく見えるらしい。
悩まし気にため息をつかれた。
なんと腹立たしい……!
騒然とする場は、王宮の騎士たちによって収められた。