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「これは、どうなっているんでしょう」
そんなの分かるわけがない。
が、美代じいさんという言葉を聞いて直感的に思ったことがある。
これがじいさんの意志によるものだとしたなら、もしかしたら…
「そのバスの中には、レイコさんという方は乗っていませんでしたか?」
問われて娘さんは、さっきまでやり取りしていたスタッフに尋ねる。
外で娘さんと話していたおかげで、その人だけは助かったのだ。
それによると、やはりレイコさんは乗っていたらしい。
やはりそうか。
じいさんは失恋したレイコさんにもう一度アタックしたのだと思う。
アタックがどういう意味かはちょっと分からないけど。
水晶の中にいた宇宙人たちの力を借りたのか、はたまた彼らの支配に抗ったのか。いずれにしてもとんでもないエネルギーである。
でも、これについて娘さんに言うわけにはいかない。
この状況で恋愛沙汰が原因かもしれないだなんて、うまく納得させることができそうにない。
美代じいさんも、本人は軽い口調だったが、失恋のことは私にだけ話してくれたことだ。
娘さんの反応を見るに、そういうことがあったことすら知らないのだと思う。
電話口の娘さんはレイコさんのことを知りたい風だったが、私がこれ以上何も言わないことがわかると追及しなかった。
彼女は話を変えてくれた。
それによると、私の元カレがじいさんの家にいるらしい。
この状況に対処できるとしたら、今のところ彼しかいないという現場の判断からだ。
私は今すぐ行くと彼女に言って、ベッドから立ち上がった。おそらく私でなければ聞けない話もあるだろうから。
支度をしているとき、水晶会社から連絡がきた。こんなの前代未聞だという。
私は今娘さんから聞いた顛末を向こうに話した。
それから再び娘さんに連絡をし、警察に水晶会社に連絡するよう伝えてもらう。
じいさんの家は今や大勢の人でいっぱいだった。近所の人、警察に自衛隊。消防隊もいる。パトカーや自衛隊のジープ、救急車、消防車にテレビ局。
彼らは少し距離をとって、蠢く黒い闇を囲んでいる。宇宙空間がそこにひらいたかのようだ。
「すいません、関係者です!」
と言いながら、人をかき分け私は最前列に向かう。
立ち入り禁止のテープを越えたところに、娘さんがいる。
警察が私に気づいて中に入れてくれる。話が通っているのだろう。
関係者の間を縫い、娘さんと合流すると、彼女は私を自分の家の方へ連れて行く。
朝に私が車を止めた庭に、大きなテントが用意されている。
入り口には二人の自衛隊員。
娘さんは中に入る。私も続く。
そこには元カレがいた。
いつものようにスーツ姿で軽い猫背のまま、折り畳み椅子に座って私を見ている。
こんな状況だというのに、普通にしている。曲がりなりにも講師だ。大勢の人に慣れているのだろう。
他には誰もいない。
テーブルにはポットと紙コップ。彼の近くでコーヒーが湯気を立てている。
テーブルを挟み、向かい合う空の椅子が一つ。私の席らしい。
会話は録音されているということだ。
そう言って娘さんが去っていく。
いきなり彼と二人きりになったが、状況が分からない。
「こんなことになって……」
彼が口を開く。唇がカサカサでささくれている。
「だが、僕はあなたを愛しているんだ」
あとで聞いた話だが、彼は水晶宇宙の情報を提供する代わりに、私と二人きりにしてもらえるよう自衛隊やなんかと取引をしたらしい。
自主的に私はここへ来たが、実は娘さんはその自衛隊の要請を得て動いていたらしかった。
「もう、僕の要望は押し付けない。だから、もう一度僕とやりなおさないか」
彼の説明によれば、水晶宇宙に取り込まれた人たちは、時間が経てば二人を除いて解放されるということだ。さすがに許容オーバーということで。
しかし、取り残された二人はそこの宇宙で永遠に生きていく。
本来なら私と彼がそうなるはずだった。
でも今や、その二人が誰になってしまうのかは宇宙人の裁量次第ということだ。
男の突然の告白に、わたしはその場にいることが耐えられそうになかった。
何も答えず出て行こうとした。でもそうすることで獄中生活になるだろう彼に、かえって一縷の希望を残してしまうことになると思い直した。
「それはできません。嫌です。さようなら」
そうはっきり言った。そして背を向ける。
だが先にテントから飛び出したのは彼だった。
外で小さな騒ぎが起こる。
遅れて私もテントを出る。
彼が水晶宇宙の前に立っている。自衛隊員の一人がその背中を後ろから押さえつけている。
「俺はここにいる!」
と、元カレは叫んだ。
それに答えるかのように、闇がうごめき、彼の目の前に突然デイサービスのバスが現れた。
窓から老人たちの姿が見える。
動いている様子はない。
彼らが気を失っているのか、衰弱しているのかまではわからない。
私たちがそちらに気を取られていると、誰かがうわっと声を上げた。
元カレの目の前に、真っ黒い人間が立っていた。
真っ黒い人型の、蠢く闇だ。
「さあ!!」
と、その闇に向かって元カレは手を広げ、そう言った。
しかしそれに答えるように違う男の声が聞こえた。
「お前は、いやだ!!」
黒い人型が喋ったのだ。
「オレは、俺の心を弄んだレイコとあの男をこの中に落っことすんだ!!」
これは、美代じいさん!?
「お父さん!」
娘さんが叫ぶ。
やはりそうなのか。
しかし、元カレもそれに劣らず大声で返す。
「うるさい!もう私はこの世界のどこにも行き場はない!早く連れて行くんだ!」
そのとき、何故か私は誰かの強い視線を感じた。
黒い男が私を見ている気がしたのだ。
「あんた」
と、男が言った。誰に言ったのかまでは分からない。でも、なんとなくだけど…
「あんたならいい、レイコも諦める。私と一緒にこっちへこんか」
言って黒い男は、私の方へ歩いてくる。
周りの人たちもどうしていいか分からず、ただ黙ってそれを見ている。
男は元カレの横を抜け、求めるように私の方へ手を伸ばす。
「ここではもうマッサージもいらん。何もせずとも生きていられるんだ。あんたもどうだ。また一緒に、宇宙をつくらんか」
思わず私は後ずさる。テントの布に手が触れた。
ここで逃げたら、向こうも追って来るだろう。
どうする。
「俺が行くんだ!!」
そう叫んだ元カレが、男の背後から抱き着いた。
闇男は身をよじって、それを振りほどこうとする。
「やめろ!!」
男が叫ぶ。
組み付いている元カレが私を見る。
「逃げろ!私は取り合えず宇宙へ行く。でも交渉してまた戻って来る!!そしたら結婚を考えてくれないか!!」
もちろんそんなことは断じて嫌だ。
身をていして私を救おうとしてくれたことは認める。
でもそれとこれとは違う。
だいたいこんな大事になる前にもっとよくできたはずなのだ。
でもそれは、そっくりそのまま私にだって言えることだ。
けじめをつけなければならない。
私はもみ合う二人の男に向かって行く。
わちゃわちゃしていた二人も、それを見て争いを中断する。
空手は、子供の頃に習っていた。
私は石のように拳を握り、黒い美代じいさんの前に立つ。
「せいいっ!!!!!!」
そうして気合いとともに彼のみぞおちに正拳突きを放つ。
手ごたえはあった。
何も言わず、じいさんが元カレの腕の中でくずおれる。
元カレが信じられないというように私を見ている。
その彼の瞳の中に、再び正拳突きをかまえる私の姿が映っている。
「はあっ!!!!!!」
二度目の拳が、元カレの顎の急所にヒットした。
支え手を失い、じいさんが地面に倒れる。顎に手をやって元カレが後ずさる。
何が起こったんだというように私を見ている。
「結婚はしない。誰かと一緒になるにしても、私の領分を確保してくれる人でないとできない。あなたはちゃんと罪を償って下さい。色んな人に迷惑をかけたんだから」
言って私は彼らに背を向ける。
出よう。
そのとき、地面の黒い男が美代じいさんの姿に戻っているのを目の端で捉えた。
だが詳しい記憶はそこまでだった。
一気に警官と自衛隊員が押し寄せてきて、救急隊が呼ばれ、私は脇の方に追いやられた。
***
全部テレビで生中継されていた。
まもなくこのことは世界的な大きな騒ぎになった。
私は正拳突きガールとして一躍有名になった。
そのイメージが独り歩きしすぎてハリウッド映画のモデルにもなった。宇宙人やらエイリアンやらを正拳でぶっ飛ばすのだ。
空手業界や護身術、映画に女優と色々な方面からお呼びもかかった。
マッサージ会社を作ってはどうかなんて話もあったが、結局私は今の仕事を続けている。
美代じいさんは生きている。宇宙人たちに身体を改造されたらしく歩けるようになった。
今は自分磨きをしつつ、自分の身体をパーキンソン病の改善に役立てるよう提供し、医学に貢献している。
美代じいさんの娘さんはこのことで有名になりすぎてしまって、声優業を辞めてしまった。
水晶宇宙は今もじいさん家の前にある。もっともそこは巨大な研究施設が建てられ、我々には気軽に様子を覗くことはできない。
元カレは逮捕されたが、釈放されてからそこの研究所員に招かれた。
だがすぐにアメリカの会社に引き抜かれ、その会社が買収したプラントプラネット技術の研究をしている。
自分を保つこと。それが私がこの一連の騒動から学んだことだ。
元カレの誘いを断ったことも、あのとき彼らとのけじめをつけられたのも良かった。自分を信頼することができたからだ。
だから有名人になっても、自分が感じるままに振る舞うことができた。
訪問マッサージを心待ちにしてくれている人は多い。
荒波のような世の中、時には宇宙戦争に巻き込まれたり、世界の注目の的になってしまうこともある。
仕事というものが私の人生の舳先になっていることは間違いない。