表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/108

祈りのあとで

「ねぇ、いまのお話、本当に必要でした?」


 隣に座るロイが、僕に問いかけた。

 やはり、とても退屈な時間に感じたらしい。彼はひどくうんざりした顔つきで、人目もはばからず重いため息をついた。


 僕とロイは、いま教会のなかにいる。


 大きな街の教会とあって、その内部はかなり広かった。縦に伸びた長方形の空間に、中央の通路を開けて四列の長椅子が規則正しくたくさん並んでいる。


 顔を上げれば、はるか上空にアーチ状の天井が見える。こちらは、建物三階ぶんの高さはあるだろう。壮観な吹き抜けは、人を屋内にいることを忘れさせた。


 そして、教会奥には祭壇(さいだん)がある。

 規模に見合った、大きな祭壇だ。遠目から石の石像と、無数の蝋燭のまたたきが目に留まった。その祭壇前の壇上から司祭が退いて、人々は続々に長椅子から腰をあげていった。


 いましがた、神聖な祈りの集会が終わったのだ。

 信徒がまばらに散っていく姿を、僕は長椅子に腰かけたまま目で追っていった。


 帰路につく者のいれば、熱心な者は奥の祭壇へさらなる祈りをささげている。はたまた、主婦の井戸端会議よろしく、脇で立ち話に華を咲かせている一団も見られた。


 気さくなあいさつをした老司祭といい、ウォルタの街の教会はかなり自由な空気が漂っているようだ。これまで小さな教会の厳かな雰囲気しかしらなかった僕としては、この差分に心底驚かされた。


 僕とロイは、後方の目立たない端の席に座っていた。僕が教会内を観察していると、またしても隣から少年のぼやき声が聞こえてくる。


「いまさら古い昔話をしたって、いったいボクらになんの関わりがあるっていうんですか。罪がどうこうだの……つまらないお説教なら、もう間に合ってますよ」


 僕はやや遅れて、先程ロイが口にした質問に答えた。


「もちろん、とても重要なことだよ」


 明るく振る舞い、この年下の少年の傾いてしまったご機嫌をなだめた。


「ずっと大人しく座ってなきゃならなかったのは、さぞかし、こたえたかもしれないけれど……悪くない体験だったろう? 人が神様を信じて祈る気持ち、君にもちょっとくらいはわかったんじゃないかな?」


「……いいえ、やっぱり理解不能です。在りもしないものにすがる気持ちなんて、一生かかってもわかり合えませんね」


「ははっ。それは残念だ。……本当に、まったく勉強にもならなかった?」


 苦笑しながら尋ねてみると、彼なりに多少は引っかかるものがあったらしい。少年は口元に手を当て、「まぁ、少しは勉強になりましたよ、ほんの少しはね」と歯切れ悪く返してきた。


「知らないことをいくつか知れた程度には、ですが」


「なら、十分収穫はあったじゃないか。なんでも知っておいて損はないよ、ロイくん」


「うーん、そうですけど……」


「──それと、司祭さまのお話にも出てきた『十数年前の争い』については、僕たち探偵事務所の仕事にもそれなりに関わりがあるしね」


 最後につけ加えた言葉に、ロイは眉を吊り上げる。「探偵のお仕事にですか?」と、彼は興味ありげな……しかし、同時に胡散くささも込めた視線で、僕をまじまじと見つめた。


 そんな彼に、僕はまっすぐうなずき返した。


「そう、『イルヘイヤー島の戦い』ね。そのころ、君はまだ赤んぼうだったかもしれないけれど──」


 とたんに、ジト目で睨まれる。子ども扱いするような言い回しがお気に召さなかったらしい。僕は気にせず、横槍が入らないうちに話を続けた。


「僕らの国、イルイリス。そして隣国のゴルドネール。さっきの話にも出ていたが、この両国は長い|歴史のなか、島の領地を巡って争いをくり返してきている。

 現在は、争いは一時中断している状況にあるんだけど、最後に起こった小さな島での戦いを機に、この国の治安はぐっと悪くなったと言われているんだ」


「その噂、ボクも耳にしたことがあります。おかしな殺人事件が急に増えだしたとか、なんとか……」


「そう。その原因は……あくまで噂でしかないのだけれど、戦地からの帰還兵がどうこうだの、敵国の人間がひそかにまぎれこんでいるだの……物騒な話がささやかれているんだよ」


 言葉をあいまいに濁して、目を逸らす意図も込めて視線を祭壇のほうへ向ける。祭壇の前では、集会であいさつをしていた老司祭の姿があった。


 おじぎをする信徒に、老司祭はニコニコ笑いかけている。かなり年老いているが、人当たりがよさそうな人だ。この教会のアットホームな空気は、ひとえにこの老司祭の人柄による影響なのかもしれない。


「なるほど、ハロウさんはこう言いたいんですね?」


 思わしげに声のトーンを落とした少年に、僕はまた視線を戻す。その焦げ茶色の丸い(まなこ)は、純粋無垢に輝いていた。


「凶悪な犯罪が増えている──それすなわち、ボクら探偵の出番ってことなんですね!」


 単純な子どもだ。不機嫌が直ったロイに「そういうこと」と、僕は片目をつむって相づちを打った。


「本当は事件なんて起こらず、永遠に探偵の出番がないほうがいいんだけどね」


「まーた、そういう後ろ向きなことを言う。そんなことばっかり言っているから、ハロウさんは巡ってきたチャンスとみすみす逃しちゃうんですよ?」


「正直な意見を口にしているだけさ。……じっさい、現実はもっと複雑だ。仮に探偵という正義の味方の出番があったとしても、物事ってのはきれいな勧善懲悪では始末がつけれないものなんだよ。

 善が善であり続けるのも疑わしいし、一方で悪も……そう悪も、正しく裁かれるとはかぎらない……」


 最悪なことをしても、誰の目にも留まらないこともある。

 うなる少年をよそに、僕は後頭部を背もたれの角に乗せて、天井を仰いだ。


 これはどこの教会にも共通していることである。

 教会には決まって、ある飾りが施されている。それは壁画であったり、オブジェであったり……ウォルタの街のイーリス教会の場合は、豪勢に巨大なシャンデリアときた。


(神の目……か)


 蝋燭の火が囲うシャンデリアの鉄の輪──その端々に、色ガラスの欠片が雫のように吊されている。真下から見上げないとわからない仕掛けだ、透けたモザイク模様が『目』の形を描いていた。


「罪を犯したくせに、うまく人の目を(あざむ)いて逃げまわっている卑怯者もいるんだ。この世は不条理で、理不尽だよ……だからこそ、せめて誠実な人々だけは苦しまないよう、努めていきたいものだね……」


 まぶたをそっと閉じて、神の目を視界から消した。


「隣国との争いが一時的に止まっているとはいえ、いつなんどき、不幸が降りかかってくるかもわからないんだ。

 君が気に食わないと思うのは自由だ、だけど少しだけ理解してくれないかな……こうして腰低く、すがってでも、神に祈りをささげたい人がいることを」


 いい感じに話をまとめたつもりだった。

 しかし、ロイの反応は薄かった。「ふーん、要するに人の悩みはどこまでも尽きないってことですね」と、あっけらかんとした言い草に、僕はそれ以上なにも言わなかった。


 やっぱり子どもには、まだわからないのだろう。あきらめのため息は、心のなかでこっそりつくことにした。


(集会自体はよかったんだけどな。司祭さまの話もわかりやすかったし……でも、この教会という異質な空気が、いまの若い人たちの肌に合わないんだろうな)


 立ち上がる前に、僕はもう一度教会のなかを観察する。

 教会は頑強な石造りだ。彩りこそ質素だが、石材に刻まれた彫り模様といった意匠が代わりに華を添える。運河と大橋を象徴とする、ウォルタの街らしさが垣間(かいま)見えた。

 

 石と言えば、祭壇に祀られている人型の石像。この像自体は神の象徴ではなく、その昔、神の啓示を受けて人々を導いたとした神託者(しんたくしゃ)の姿を模したものだ。

 

 祭壇前にはやはり年配者が目につくが、まれに親に手を引かれた小さな子どもの姿もまじっていた。

 祈りの意味など、わからないといった呆けた顔つきをしている。ただ言われたとおり、懸命に周囲の真似事をするその幼い姿が──僕の目には、ほほ笑ましく映った。

▼気に入ったエピソードには、ぜひ【リアクション】をお願いします。執筆の励みになります!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ