司祭さまのありがたいお話
いやぁー、これはどうもお集まりの信徒のみなさん。
たいへん、お久しぶりでございます。
第二十四教区に当たる、ウォルタのイーリス教会の司祭でございます、はい。
本日は祈りの集会のためにご足労いただき、誠に感謝いたします。
えー、だいぶ朝に吹く風が暖かくなってまいりましたね。
わたくし、冬場より体調を崩しておりまして……長い間、床に伏せっておりました。
ご覧のとおり、頭の毛もさびしく、肉づきのない年老いた身です。歩くたびに関節もギシギシと、鐘突き塔への階段を上るのもやっとです。
んなもので、ここのところの教会のお仕事は副司祭やほかの者たちにまかせっきりでした。
季節の節を経て、このたび、ようやく復帰が叶いました。こうして、信徒のみなさんの前に、再び姿をお見せすることができまして……わたくしもうれしく思います。
これも、我らが尊ぶ、神のご加護の賜物でしょう。
毎日、床の上からささげた祈りが、神の元に通じたにちがいありません。
老い先短い体です。
ですが、この命果てるときまで、わたくしは神に遣える司祭としての大役をまっとうしてみせましょう。
ごふっ……いやはや、少しばかり長くしゃべっただけで、もう喉の奥がガラガラになってしまいますのぅ。
ま、こんなふうにあまり長い時間はしゃべれませんし、時々かすれ声で聞き取りづらい部分もあるかと思いますが……どうかご容赦ほど、しばしの間、老人の話にお付き合いください。
……さぁて、久しぶりの集会のあいさつ、なんの話からはじめましょうか?
今朝がた、庭で飼っている雌鳥に餌をやりながら、じっくり考えていました。
やはりここはいま一度、信徒のみなさんと一緒に初心にかえるようなお話をしていきましょう。
そうですなぁ。
まずは、みなさんの祖国である──このイルイリスの国について、お話ししましょう。
教典をお持ちの方は、第一章のページをご参照ください。
ちなみに……いまさらですがわたくし、厳かに語るのが少々苦手でございます。そこにいらっしゃる、小さなお嬢ちゃんも退屈で眠くなってしまいますでしょう?
どうかみなさん、肩の力をだらーっと抜きまして、楽な姿勢でお聞きください。そのほうが、わたくしとしても緊張せずに語れますので……。
では、えー……ゲフン、エッフン!
本日、この穏やかな日に、教会へお集まりいただきました信徒のみなさんに、一つお尋ねしてみたいと思います。
みなさんは『海』を、目にしたことがございますか?
ここウォルタの街は、内陸の地域に当たります。この土地をまだ一歩も離れたことがないという方には、『海』なるものの想像がつきにくいかもしれませんね。
そんな方々に、できるだけわかりやすく説明いたしますと……そうですなぁ、まずこの街には大きな河が流れていますね?
河は山岳地からまっすぐ、地平の彼方へと流れています。流れて、流れて……ずーっと先の地まで下っていくと、大いなる水の終着点を迎えます──それが、海なのです。
海とは、世界の陸地を囲む、満ち満ちた塩辛い水です。
わたくしも若い頃には、あちこちの教区へ巡礼の旅に出たものです。その道中で、海の景色を目の当たりにしました。
それはそれは壮大な光景です……本当に、世界は青黒い水にどっぷり浸かっているのだなぁと、初見はえらく興奮したものです、はははっ。
わたくしたちは、その海に囲まれた大きな島のなかにいます。
……残念ながら、島にはまだ統一された名がございません。その島の半分ほどの領地を治めているのが、我らの国、イルイリスなのです。
教典にも、島の古い歴史がつづられていますね。はるか遠い時代では、この島には国の境もなく、ただただ人々が平和に暮らしていたそうです。
島は『神に与えられた楽園』と、呼ばれておりました。
温暖な気候、肥沃的な大地、作物の実りはもちろん、よき潮の流れのもとに海産物にも恵まれました。人だけではなく、牛や羊をはじめとした動物も含めて、じつにたくさんの命が島で育まれていったそうな……。
けれども、やがて幸福の時代は終わりを迎えます。
豊かな土地を奪わんと、海の向こうから蛮族どもが侵略にやってきたのです。
話は少し逸れますが、みなさんは『イルイリス』という国の名の、その言葉の意味を存じておりますか?
はい、わかる方はお手を挙げて──ああ、やはり聞くまでもありませんね。ほとんどの方が、よぉくご存じでいらっしゃる。
『イル』は、古い言葉で『神さま』という意味です。
我々が祈りをささげる、神のことを指しております。
では『イリス』は?
……それは、イーリス教の名前の元にもなっている、体のある部位を示しています。
──そう、瞳です。
簡単に言えば、『目』のことをです。
イルイリスという国の名は、『神さまの目』という意味があるのです。
この目ですよ、目。
まぶたをぐいっと、こう──あたたっ! 無理やり引っ張ったもので、上まぶたがひっくり返りそうになりました。こりゃ失礼……ゲフンッ。
『楽園の民は、毎日毎夜、神の目によって護られる』
古くから島に住む民たちはその言い伝えを頑なに守り、神の目を祀っておりました。
教典にも、こんなことが書かれていますね。
天ノ星ノゴトク、神ノ目マタタク。
我ラ目ニ護ラレ、生カサレ、許サレル。
生キルコトハ、咎ヲ重ネルコト──悪シキヲ招ク。
神ノ目ニ、スベテノ咎ハ浄化サレル。
我ラハ解放サレルノダ。
……歴史のほうへ話を戻しましょう。
大海原からやってきた蛮族どもを相手に、島の民たちは勇ましく戦いました。
それまで争いごととは無縁の生活でしたが、恐れることはありません。なぜなら彼らには──そう、神の目のご加護がついているのですから!
信仰心は、時に未知の力を我々に与えてくれるものです。
向かってくる敵をこう、握りしめたひと突き!
エイヤッ! 受ける痛みもなんのその!
ばったんばったん、すべてを倒して、倒しまくり!
ええい! やいやい、まいったかぁ!
こんのぉ──あっ、イタタ!
こ、腰を痛めてしまった……すまん、誰か杖を……あと、そこにある水の瓶も一緒に……!
ゴクゴクッ……ふぅ。
いやいや、みなさんどうもお見苦しいところを見せてしまい、たいへん申し訳ありませんでした。ははは……。
……それでえーっと、どこまでお話ししましたかな?
ああ、そうそう! 神の目のことでしたな。
時は流れ、外界からの侵略に対抗するために、島の民たちによる国づくりがはじまりました。
神の信仰のもとに、強固な結束力が生まれました。その高尚な精神が、我らがイルイリス国の礎のとなったのです。
しかし一方で、外界の力にすっかり打ちのめされてしまった者たちもおりました。その者たちは神の信仰から離れ、外界の力に魅入られてしまったのです。
……それが、隣国のゴルドネールを含めた諸国らの祖と伝わっております。
その後の歴史のなかで、特にイルイリス国とゴルドネール国の間では、島の領地を巡った争いがたびたびくり返されてきました。
みなさんも、記憶に覚えがあるでしょう。
あの十数年前の争い──イルヘイヤー島での争いを。
小さな島での抗争でしたが、危険な火種です。あの争いを最後に、両国は現在休戦状態にありますが……またいつなんどき、国内に戦火が降りかかってもおかしくない状況です。
昨今では、その不安定な情勢をあおるようなニュースが増えてまいりました。なにやら物騒極まりない事件が、国のあちこちで頻発しているようです。
主にそう、殺人事件など。
わたくしは新聞というやつを好みませんが、事実、話題の種は尽きないようですね。田舎の農場で一家がむごたらしく殺されたり、街なかで突然人を襲うような通り魔が現れたりなど……まったく世も末であります。
休戦直後、当時からいろいろな噂が飛びかったものです。
戦地から帰還した兵が荒らしているのではないか、はたまた隣国の人間がまぎれこみ悪さを企んでいるのではないか。現在に至っても、人々のなかで疑心の偏見の闇が晴れることはないようです……。
みなさんを暗い気持ちにさせてしまい、申し訳ありません。
ですが、そんな暗雲が立ちこめる世だからこそ、わたくしはいま一度、遠い祖先たちにならって神への信仰を大事にしてほしいと願っております。
さぁ、心を落ち着かせて、祈りをささげましょう。
神の目は、常にわたくしたちのことを見てくださっています。それはもう大昔からずーっと変わらない、唯一無二の理なのです。
重い不安の枷に囚われてばかりでは、前に進むことも叶いませんでしょう。
みな、心に弱さを抱えている臆病な生きものなのです。
ご自身の眼をいったん閉じてください。心を穏やかに……神の眼差しを感じ取りましょう。
もう一度、教典よりイーリス教の教えを引用いたします。
こちらは古い言葉ではなく、新語に訳されたものです。
生きとし生けるすべての者たちよ。
生きるということは罪深き行為なり。
生のなかで重なる己の罪が、悪しきものを招く。
罪を浄化できるのは、神の目のみ。
迷える者よ、神に祈りをささげたまえ。
さすれば、忌まわしい恐れからも解放されるであろう。
……ふぅ、長々と失礼いたしました。
それでは信徒のみなさん、お祈りの時間に入ります。
いまこのひととき、神に祈りを──。
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