公園での語らいⅡ
「ロイくんはどうなの?」
答えあぐねて、僕は質問で返した。
ロイは「ボクですか?」と自身を指さす。僕がうなずけば、「もちろん、ありますよ。憧れの名探偵になる、それがボクの夢です!」と、少年は胸を張って言った。
「弱気を助け、悪をくじく。名探偵はみんなから認められるかっこいいヒーローです。……ここだけの話、お給金もいいですしね」
「ははっ……。そこはしっかりしているんだね」
「だからこそ、ボクは見習いの仕事を頑張ってるんです。いつか日の目を見て、偉ぶっているギルさんをギャフンと言わせるためにもっ!」
「偉いね、君は。ロイくんなら、きっといい探偵になれるよ」
暖かい声援を贈ったつもりだった。
しかし、ロイはとたんにきょとんとした。僕の顔をまじまじと見つめたあと、彼は重いため息を吐く。明るかったはずの顔に影がさし、心底あきれたように口元をひん曲げた。
「なーに言ってるんですか。ハロウさんも探偵になるんでしょう?」
声援が失言を招いた。腹の底をごまかすように、僕はとっさに苦笑った。
「ありがとう。でも残念ながら、僕にはその展望が薄いようなんだ。これといって探偵の才能もないし、いっそこのまま見習いでいたほうが──」
「ほら。ここ、見てください」
自虐をさえぎり、ロイが新聞の紙面を指さす。
ギルの記事の真下──彼が指さした欄には、僕らが所属するヘリオス探偵事務所の広告があった。
「それは……うちの事務所の広告だね」
「ここに『どんな難事件も、すばらしき七人の探偵たちが見事解決いたします』って書いてありますよね?」
「う、うん……」
「ギルさんを含めて、事務所の探偵は五人です。だのに、わざわざ探偵の数を二人追加して、『七人の探偵たち』と書いてあるってことは──」
じつにうれしそうに、細い肘が僕の横っ腹をこづく。
「ボクたち、見習い探偵の二人もちゃんと数に入っているんですよ! この広告を出したのは所長さんです。ふふっ、期待されているって証拠ですよ、ボクも、ハロウさんも!」
──所長に期待されている。
たったそのひと言に、胸の奥がじんわり熱くなった。
隣でロイが威勢よく声を張り上げているが、耳に通らない。わかりやすいほどに、僕の心臓は大きく脈を打った。
事務所の探偵たちは、みな若者ばかりがそろっている。およそ二十代前半から十代半ばあたりだ。一方で事務所の所長だけが四十代あたりと、お年を重ねられている。
笑うと目元にやわらかな小皺が寄る、白髪まじりの穏やかな紳士──それが、僕から見た所長の印象である。その昔、有名な探偵の助手を務めていたらしい。いまは現役を退き、もっぱら探偵の後進を育てる担い手側にまわっているようだ。
『これからは若い君たちの手によって、新しい正義の在り方を切り開いていく時代だ』と、所長はよく熱く語っている。落ち着いた雰囲気をまとっているようで、とても情熱的な方なのだ。
ゆるみそうな口元を、意識して引きしめる。
期待されていることに気持ちはどんどん高揚していくが、その反面で気の毒に思っていることもある。
(気にかけてくださるのは、素直にうれしい。けれど、そんなあの人の情熱に、誠意を持って応えることのできる探偵が……はたして、いまの事務所のなかにいるだろうか?)
ロイの語るとおり、みな己の成功しか夢見ていない。
それを所長はけして非難はしないだろう。あの人は、優しい人だから……。
『ハロウくん。探偵とはね──』
穏やかな声が、僕の脳裏に響く。
『ひたすらに、真実を追いかける者のことを指す。己を正義を、愛を信じなさい。そして人々を惑わす、恐ろしき闇を払う灯火となるのだよ』
彼の言葉を思いだすたびに、申し訳なく思う。その気高き理想を、僕はけして叶えてあげることができないのだから。
(さらに……その真逆を進むのが、ギルだ)
あいつは自分のためならば、なんだってするだろう。
見てくれのよさばかりを優先し、自身の名を世間へ大々的に広めて、権威ある者へすり寄ることしか考えていない。
その本心では、誰のことも信用していないくせに。
(……それは、僕だっておなじだろう?)
ひそかに、僕は自嘲した。
真実を追いかけるのが探偵なのに、自身のことは深淵のベールで包み隠してしまう。僕もギルも、本当の意味で心をさらけだせる相手はいないのだ。
僕の場合はまだ、人のそばにいたいと思う。
渇望しているのだ。人を、人の輪のなかにだけ存在する、人間らしい居場所というやつを。
そんな僕を、ギルはせせら笑っていた。昔からなにも変わらない、あの冴えた青い瞳で──蔑んでいた。
ギル・フォックスは、孤児院にいたときからすでに器用な子どもであった。卑怯な手を使うこともあるが、上手に世渡りできる才と度胸をかね備えていた。たとえ独りきりでも、彼は一向に構わないらしい。
(それだけは、少しうらやましいと思っているよ)
熱心に新聞を読む少年のかたわらで、僕は眼鏡の隙間からまぶたを押さえる。
眼球がひどく乾いていた。途中で仮眠を取ったとはいえ、徹夜で仕事をしたのだ。頭にはまだぼやっとモヤのかかった感覚が残っているようで、眠気は完全には取れてなかった。
このままベンチに背を預け、軽く眠ることにしよう。
また、ロイが隣から話しかけてくるかもしれない。少々気にかかったが、いまのところ聞こえてくるのは紙をめくる音だけだ。新聞を読むのに、とても集中しているようだった。
僕は大きく息を吐いた。目を閉じた瞬間、待ってましたとばかりに夢が意識を誘う。まぶたの裏でぼんやりと情景が浮かびはじめた。
まずは、この街の情景だ。
いつごろ流れ着いてきたのか、もうすっかり忘れてしまったほどに長く居着いている土地。この僕が些末な仕事をとともに転々と移動して、ようやくたどり着いた安息の地でもある。
土地の名は、運河の街ウォルタ。
地域一帯に緑豊かな丘陵が広がり、一本の大きな河が流れているのが特徴である。
その河に昔、治水工事とともに大きな石橋を架けられることになった。大規模な建造のために、仕事に携わった人々がそのまま周辺地域に住み着くようになり、やがて交易の場としての街へと発展していったのだ。
他の都市に比べれば、比較的歴史の浅い街だと聞く。だが、東部地方のなかでは、人が多く集まる活気のある場所として名が広まっている。教会や公園、劇場といった文化的な施設もそろい、流れ者の僕にとってはたいへん贅沢で居心地のいい街なのであった。
(特に、教会から一望できる街の景色が僕のお気に入りだ)
街の教会は、いまいる公園区域に隣接した場所にある。さらに高く石材を積み上げた土台の上に建つため、そこから街中の屋根を見下ろすことができるのだ。言葉では表現しがたい、圧巻の展望である。
教会から連想したのか、次に脳裏に映ったのは──懐かしき孤児院の外観であった。
古い貴族の屋敷を改修した施設で、規模は小さいがちゃんと礼拝堂も備わっている。そこで毎日決まった時間にお祈りをささげるのが、幼き日々の習慣であった……。
(あぁ、懐かしいなぁ……)
意識は眠りに落ちかけていた。
落ちる寸前、記憶のページが一気にめくられた。まぶたの裏でにじむ水気に、徹夜で乾いた目がうるおった。
いまの僕は、幸せかもしれない。
あの孤児院で過ごした幼少期とおなじように、なにも知らず目の前に広がる世界だけを信じていられたときと……。
(期待されている、か)
幼いころの僕はよく笑っていた。
紅茶色の頭を撫でてくれる、あの優しくて大きな手が好きだった。
赤い赤い、サルビアの花畑。
一面に広がる赤い色は、真夜中に灯る光へと変わる。
それはとても明るかった。
そう、まるで真昼のように。
そして、とても──熱かった。
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