公園での語らいⅠ
客が増えてきたため、僕らは軽食屋をあとにすることにした。そのまま探偵事務所へ戻ってもよかったが、ロイの提案でもうしばらく外の空気を吸っておくことにした。
僕らはまだ、探偵の見習いだ。
探偵とちがって、担当する事件を割り当てられていない。だから時と場合によるが、比較的時間の使い方に余裕があったりする。
(昇格して、一人前の探偵として認められれば……僕も、否応なしに事件に追われることになるのかなぁ)
ロイと一緒に狭い通りを歩きながら、僕はぼんやり考えた。
探偵の仕事は、事務所に依頼された事件の解決に専念することである。迷える子羊たる依頼人の元へおもむき、暗いベールに包まれた謎を取り払って、真実へと導くのだ。
一方で見習いの仕事はというと、主に補佐である。必要あれば探偵の助手役となって聞き込みの手伝いをしたり、時には事務所の雑用処理にまわされたりする。
(僕としては、見習い探偵の仕事のほうが自分の性に合っているんだけどな……)
一つ、できるだけ表舞台に立ちたくない。
僕は生来の小心者だ。いまこうして道を歩いているときでさえ、頭なかはつまらない心配事でいっぱいだったりする。向かいの人と肩がぶつからないか、誰かの足を踏みはしないか……視線がぶつかることがあれば、自身の赤い瞳をさっと地面へ伏せた。
二つ、自分には探偵の才があるとは思えない。
鋭い観察眼や、特別な能力があるわけでもない。見た目だって、物憂げな眼鏡の青年といったところで人目を引き立てる魅力もない。
(依頼人だって、きっと僕のような冴えない男なんかに頼みたくないはずだ。悩みのひと欠片とて打ち明ける気になれないね)
だから叶うことなら、このままずっと見習いのままでいたい。 己の存在を陰にひそませ、ギルでもロイでもいい……誰かほかの、才と未来ある人間の手伝いに勤しめるだけで、僕には十分なのである。
「うーん、ギルさんばっかりズルいです」
歩いている隣で、ロイが恨めしくうなった。
彼はさっき道端で購入した新聞にかじりついていた。
「この農場の牛さん盗難事件は、ボクが近隣の人たちから情報を集めに集めまくったからこそ、解決できたんですよ? だのに、まるで自分一人の手柄のような書き方をしちゃって……」
歩きながら読むのは危ないと、こちらが注意したって少年は聞く耳を持たない。ひたすらしかめ面で、紙面を凝視している。
仕方なしに、僕が彼をうまいこと誘導しつつ、通りを抜けさせた。そして、街の高台に位置する公園へと紙とにらめっこを続ける少年を引っ張っていった。
背の高い針葉樹の並木道のそば、適当なベンチを見つけると僕らはそこに並んで腰かけた。
「…………」
座って、ひと息つく。
僕はズボンのポケットから懐中時計を取りだし、文字盤へ目を落とした。まもなく午前九時を迎える。ここで外の空気をたっぷり吸ってから、事務所に戻ることにしよう。
(幸い、特別急ぎの仕事もない。このベンチでひと眠りして……いい頃合いに、ロイくんに起こしてもらおう)
あくびを片手で押さえる。まぶたを下ろそうとしたそのとき、紙のこすれる音とともに僕の視界が灰色の紙面に覆われた。
「ハロウさんも見て、ここの部分」
ロイが新聞を見せてくる。「この部分です。インタビューで、ギルさんがこんなことを言っていますよ?」と、小さな指がさす文章を、僕は半目で読み上げた。
『私、ギル・フォックスが、探偵として数々の難事件を解決に導くことができたのは、ひとえにこの──特別な眼の活躍があったからです。
虚偽を暴き、真実のみを映す、我が両眼。この青い瞳の前では、どんなに巧妙な手口を使って悪事を隠しても無駄です。誰一人として、私のこの『真実を映す両眼』から逃れられる者はいないでしょう……』
読み上げて、僕は吹きだすように笑った。
「なんとまぁ、気取った台詞だこと」
「でしょう?」
少年の機嫌をなだめる意図もかねて、僕もいじわるく皮肉げに同意した。
……だが、一方で紙面の内容に少し感心もしている。
(そうとも、こういうのが世間に好まれるんだ。暗い事件ばかりが続く不安定な世のなか、人々はもっともわかりやすい英雄像ってやつをほしがっているんだから)
名探偵ギル・フォックス。
あいつは、その役割を見事に演じている。人からの期待を器用に応じつつ、それを上手いこと自己宣伝に落としこんで利用しているのだ。
新聞につづられている名探偵さまの輝かしい功績をさっと目に通して……僕はそっと、隣にいるロイの顔をうかがった。軽食屋での一件が、まだほんのりと胸に影を落としているのだ。
ロイ・ブラウニー少年は、僕の少しあとに探偵事務所の仲間入りをした。見習い同士としてよくつるみはするが、付き合いそのものはけして長いとは言えない。ただとても人懐っこい性格のため、事務所の人間はもちろん、警戒心の強い僕でさえ打ち解けるのは早かった。
そんなロイであるが……どうもギルのことはあまり好ましく思っていないようなのだ。おそらく、人の注目を一身に集めているところが気に入らないのだろう。
(なんだかんだ、まだまだ子どもなんだな)
だからこそ、念には念を入れる必要がある。
僕はそれとなく、軽食屋での話を蒸し返した。
「たしかに大げさで嘘くさい台詞だね。でも、それだけまわりに期待されているってことだよ」
「期待されてる、ですか……」
「ああ。……だからさ、そんな名探偵がまさかみすぼらしい孤児院出身だと世間に知られたら、きっと彼の支持者はがっかりするんじゃないかな?」
ギルは人気者だ。そのおかげで事務所も繁盛している。
もしも彼の名が地に落ちるようなことになれば、これから探偵を目指しているロイ自身も割りを食うことになる。
僕は丁寧にロイを諭した。表情にこそ出さないが『絶対にギルの過去をしゃべるな』と、見つめる視線に力を込めた。
ところが、少年は焦げ茶色の目をぱちくりまばたかせる。そして、思いもよらない言葉を口にした。
「そうですか? ボクは逆に夢があると思います」
「……ゆめ?」
聞き返すと、彼はにっこり笑った。
「はい、若者はみんな夢を見るものです。生まれとはちがう、なにか輝かしくって、唯一の存在になることに憧れているんです。
家や村の古いしきたりを継がず、新しい街で新しい生活を手にして──真新しい自分になるんだ、ってね」
ほかの探偵さんたちも、おなじことを言っていました。
と、ロイは僕の顔を覗きこんで言った。頭のなかで事務所の人間の顔ぶれを並べて、僕はなるほどとうなずく。
「たしかに、彼らなら言いそうだ」
「ハロウさんは、自分の夢とかないんですか?」
「夢、ね……」
なんとなしに空を見上げた。空一面に薄い雲の膜が張っていて、所々に明るい窪みが目についた。
今度は目を閉じて、思索にふけろうとする。しかし、視界が真っ暗になっただけで、なんのイメージも湧かなかった。
音だけが耳をかすめる。公園を散歩する人々の会話や足音、風にゆれる並木の葉のざわめき……それから、新聞紙のかさつく音。スリ立てのインクの匂いは少し苦手で、おのずと眉間にしわができる。
(まったく思いつかないもんだ……)
それも致し方のないことだ。
未来や将来といったものに、僕はまるで無頓着であった。いつだって考えるのは過去ばかり、時の流れるままに今日まで生き長らえてしまった。
ギルやほかの連中とはちがって、僕は人生に華々しさを求めているわけではない。かと言って、物静かに隠遁したいという願いも、この身に余る贅沢であった。
(夢、というわけじゃないけれど──そうだな、一つだけ叶うとすれば……)
願わくば、たった一つだけ──。
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