追放劇Ⅲ
パンパンと、手を叩く音が円のなかに響いた。
拍手ではない。みなの会話を中断させ、注意を向けさせるための手拍子だ。七人の視線がいっせいに、シトラス・リーフウッドへと注がれる。
「みなさん、少しよろしいでしょうか」
物腰やわらかい口調だが、有無を言わせぬ厳しさも込められていた。
ギルが手のひらを向けて促すと、シトラスはすっと席から立ち上がる。呼吸を整える間もなく、彼女はしゃべりはじめた。
「それでは、横から失礼いたします。……わたしが探偵のみなさんとまじってこの場に参加しているのは、ひとえに所長の代理だからです。わたし自身はしょせん、この事務所やみなさんのお仕事を補佐する立場の人間です。
なので、今回の集まりには極力邪魔にならないよう気をつけておりましたが……」
言葉を切って、彼女は嘆息を入れる。あからさまに眉を寄せてから、話を続けた。
「……ごめんなさい、どうかこれだけは言わせてください。ギルさんを含めて、みなさんの考えていること……とりわけ向上心は、よぉく伝わりました。
その上で問います──本当に、それでよろしいのですか?」
一人ひとりの目を、シトラスが順々に見据えていく。
僕とも視線が交差した。悲しみ、苦悩、軽蔑……彼女の瞳には、複雑な感情の色が絡み合っていた。
「デュバン所長からこのお仕事を紹介されたとき、探偵というものが人々にとってどういった存在であるべきなのかを……一から教えていただきました。
みなさんも知ってのとおり、まだまだ人の世になじみの薄い職業です。ですが、あの方それを、ご友人と一緒にゼロから立ち上げました。混沌とする国の情勢のもとで、迷える人たちを助けるために……」
利己的な益ばかりを追求するのなら……それは、所長が理想とする探偵像とまったくかけ離れたものになるだろう。
「いま一度問います。それで本当に……みなさんよろしいのでしょうか?」
応える者は誰もいなかった。
窮した様子もない。落とした目線から若干の後ろめたさはうかがえるものの、もはや明日の自分のため、探偵たちは選択をゆずれないのである。
「……これが、答えだ」
沈黙のなか、ギルは両手を大きく広げてみせた。皮肉を込めた笑み浮かべる彼に、シトラスはそっとまぶたを伏せるのであった。
「そう……そうでしょうね」
残念です。
そう言って、彼女は席に座った。
「あとは、みなさんの口から所長にお話を伝えるまでです。そのときの所長の考え次第で……今後の探偵事務所の方針が変わろうとも、文句は言いません。
なんせよ、わたしが決めることではありませんから。ええ、そう……探偵であるみなさんと、所長とが話し合って決めることです」
僕のことも、おなじに見なされたようだ。
それだけは悲しかった。いまからでも弁解しようかと口を開きかけるも、そこはぐっと我慢する。
ほかの探偵と同様に、僕も彼女から目を逸らした……これでよいのだ。
「それで、今回の話し合いは終わりでしょうか」
「いや、まだだ」
シトラスの質問に、ギルは短く答える。「むしろ、ここからが本題だ」と、彼は全員に伝えた。
「……さて、諸君。俺の計画に賛同の意を示してくれたことには、素直に感謝する。秘書のシトラスの言うとおり、あとは所長を説得するだけだ」
ま、そこは俺がなんとかしよう。
と、ギルは軽く言った。
脳裏で、デュバン所長の苦しげな顔が浮かぶ。所長はぜったいにギルの意見なんか通さない、断固拒否の姿勢を示すだろう。 だが、ギルの横暴を止めることは難しい。所長とてわかっているはずだ、事務所の華を飾る名探偵ギル・フォックスの存在の大きさというものを。
金を運ぶ依頼人は、みなギルばかりを指名する。いまや彼こそが、このヘリオス探偵事務所を裏から牛耳っていると言っても過言ではないのだ。
「すでに承知のこととは思うが……これから先、我々探偵たちが等しく栄光の道を歩むに当たって、相応の覚悟が要求される。ついてこれるやつだけが、ついてくればいい……そこで俺は一つ考えた」
話の風向きが変わる。
急に体が冷えだしたような気がして、僕は固く組んだ腕を身に寄せた。
僕だけではない。
円形に並んだ顔と顔と顔……みな心持ち青ざめた顔色で、ギルの言動を固唾をのんで見守っている。あの無表情のゴートも、茶々を入れるロイでさえも緊張を浮かべている。
対してギルは、最初から最後まで変わらない不敵な笑みをたたえていた。
「事務所の改革に当たり、消極的かつ脆弱な意志を持つ人間には下りてもらおう、と。この場をもって舞台から退場してもらおう……いや、もっとわかりやすい言葉で言うべきか──」
名探偵は背もたれに体重を預け、長い脚を組む。ゆったりとした姿勢で片手を顔元まで持ち上げると、ピンと人差し指を立たせた。
彼の提案は、しごく単純であった。
「──一人、追放したいやつがいる」
この七人の探偵のなかから、たった一人を。
放たれた言葉を、最初は誰もがうまく飲み込めなかった。一瞬、時が止まったかのような静寂が漂う。
間を置いて、ようやくなにを言われたのか理解してきたようだ。各々がおずおずと口を開いていく。
「つ、追放って……」
「この……事務所からってこと?」
メイラとマリーナのつぶやきに、ギルは「そうだ」と返事をする。
「この……メンバーのなかから?」
「……たった一人を除くというのか」
シルバーとゴートの問いにも、ギルは「ああ」と目を閉じてうなずいた。
「なるほど、いわゆる『見せしめ』っやつですか」
フンフンと鼻を鳴らして、ロイ少年が言う。
「大いなる夢のために、いま以上の結束が必要ですからね。無能者には去ってもらう……最悪の一例をつくりだすことで、残ったメンバーにやる気を出してもらうんですね。悪くないんじゃないですか?」
焦げ茶色の瞳は、横目を向いている。
少年がじっと見つめているのはギルではなく、なぜか僕のほうであった。ドキッとした僕はごまかすように口を開いた。
「あ、あんまりにも勝手じゃないか……」
抑揚のない声に、正面にいたギルが僕を睨みつける。
鋭い視線から逃げたくて、とっさに目を伏せた。ついでに隣にいるシトラスの様子をうかがおうと、そっと目を動かす。
彼女は両手を膝の上に乗せたまま、半分閉じた目で宙だけを見ていた。もうなにも口を挟む気にはなれないと、静かなたたずまいがそう物語っていた。
「勘違いするな。決めるのは、俺だ」
おまえらは黙って俺の指示に従えばいい。
と有無を言わせない低音で、ギルは場の動揺を押さえつけた。
「前々から目ざわりに思っていたやつがいる。そいつは、いつまで経っても結果を出そうとしないし、向上心の欠片もない。ただ置かれた環境に甘んじているだけだ。
それどころか話に聞くところ、探偵になる気もないらしいな」
真実を映す青い瞳は、まっすぐ僕を射抜いた。彼は僕を見つめてまま「そうだろう?」と、あざ笑う。
「見習い探偵ハロウ・オーリン」
彼が、僕の名を呼んだ。
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