追放劇Ⅱ
(なんて壮大で、尊大で……無謀な計画だろうか)
感心とあきれが同時に込み上げてくる
みながあっけに取られているなか、僕はひっそり向かいの席にいるギルの様子を探った。その表情に不安の影はない、むしろ大きなことを言いきった高揚感から晴れ晴れと輝いている。
たしかに国の全土から見れば、僕らが活動拠点としているウォルタの街はさまつな地域だ。中央部にある都市を入れても、もっと大勢の人々が集まる土地はいくらでもある。
活動区域を広げて、より多くの名声と富をすくい上げようとする、彼のアイデア自体はしごく普通の考え方だ。どんな事業でも、軌道に乗った上で追い風が吹いているとなれば、その規模を拡大したくなるのは当然である。
(ただ、いただけないのは……その目的のために、世間を脅かす凶悪な事件に狙いをつけたことだ)
今朝もイーリス教会の集会にて、年老いた司祭さまが話していた。昨今、おぞましく残忍な犯罪が増えだしていると。
その要因は、さまざま考えられる。
新聞社がこぞって過激な脚色を加えた記事ばかり書き立てているせいだとか、教会への信仰心が減ったゆえに人々の倫理観が偏りはじめたせいだとか……。
隣国との争いに決着がつかない、国の不安定な情勢もその一つに挙げられるだろう。小さな島を巡ってのいさかいは現在膠着状態にある。その上、島からの帰還兵が悪さをしているだの、スパイがまぎれこんでいるだのと、嫌な噂が尽きることなく飛びかっている状態だ。
「──凶悪な事件、ですか」
最初に静寂を割ったのは、ロイ・ブラウニーであった。
僕は視線を、ギルから少年へと向ける。最年少の見習い探偵はくんはくすりと声を鳴らしたあと、無邪気な顔でしゃべりはじめた。
「新聞記事でよく見かけるアレですよね。最近、あちこちの地域で、不可思議かつ恐ろしい殺人事件が増えているっていう……」
いつもの彼の悪い癖だ。
好奇心に焦げ茶色の瞳をらんらんと光らせて、じつに愉快そうに口元をゆるめている。
「とある小さな町では、首のない死体が発見されたそうです。それもなぜか死体は、食事が並べられたテーブルの席に座らされた状態にあったとか。まるで生きているかのように……でも死体の首も犯人もいまだ見つからず、事件は迷宮入りだそうですよ。
また別の場所では複数の死体がいっぺんに発見されたようです。これも奇妙なことに、野花が咲くきれいな丘の上で……いまこうして僕らが並んでいるのとおなじように、丸い円の形で死体が並べられていたとか。どの首にも縄の痕がついていて、こちらもやっぱり犯人がまだ見つかっていないみたいです」
それから──。
と、話を続けようとするロイの口を、シトラスが咳払いをして止めた。遠まわしの注意を受けて、彼もおとなしく下を引っこめる。
ただ最後に「……けっこう、未解決の事件って多いものなんですね」とだけつけ加えた。
「いま、ロイが例に挙げたような不可解な事件……俺もよく耳にする」
ロイの代わりに、ゴートが会話を引き継ぐ。睨みとは別の厳しい視線を、彼はギルに向かって投げかけた。
「およそ人の所業とは思えぬ、おぞましい事件ばかりだ。それらの事件の謎を、本気で解こうと言うのか?」
「……そうだ」
「俺たちで、か?」
ゴートの質問に、ギルは深くうなずき返した。それを見たメイラが「……趣味が悪いわよ」と、短い嘆息を入れる。
「国中の怪事件を解決してやろうだなんて……途方もないことはもちろん、相当ヤバイ殺人犯なんかも相手にしなきゃならないのよ? あんた、やぶ蛇って言葉知ってる?」
僕もメイラの意見に賛成だ。危険なことはよしたほうがいいと、つい口を開きそうになった。
だが、メイラに対してもギルは平静に言い返す。
「危険は最初から承知している。なにかを得たいと思うのならば、その危険に身を投じる覚悟がないとな。
でなければ事は為せん。変化は一向に訪れず、このまま変わり映えのない鬱屈した日々が続くだけだ」
「き、気軽に言ってくれるじゃない……」
「少なくとも、俺はそうやって現状を手に入れた。高みへ登るためなら、時として汚れ役を担うこともいとわない。 俺の言葉に戸惑うということは、メイラ……おまえだって、本当は理解しているんだろう? このままでは、いけないと」
メイラは押し黙ってしまった。
ギルから視線を逸らした彼女の目は、わかりやすいほどに大きくゆれ動いている。結局、強気の彼女も誘惑には抗えないようだ、僕はひそかに落胆する。
すると、そんな動揺をあらわにする姉の姿を見てか、僕の隣の席に座るマリーナが慌てた様子で口を開く。「姉さん、まさか本気なの?」と。
「変なこと考えてないよね? たしかに、ギルがいま言ったことは筋がよく通っているとも……ワタシも思うわ。
でもだからといって、危ない目に遭うのはごめんだわ。もしギルの言うとおりにするというのなら、ワタシ……これ以上、姉さんにはつき合いきれない……」
マリーナの言葉は、メイラの心の急所を突いたのだろう。だからこそ彼女は、即座に妹に食ってかかった。
「つき合いきれない? ……あんた、なにさまのつもりなのよマリーナ」
「姉さん……」
弱気を見せられない以上、相手を罵ることで心の鎧を固めていく。「よく考えて、そんな危ない橋を渡らなくてもワタシは──」と言いかけた口を、メイラはぴしゃりと黙らせた。
「お黙りなさいっ! 誰のおかげで、あんたがここまでやっていけたと思っているの!
みんなアタシのおかげ! アタシが一緒につれだしてやらなかったら、あんたは一生……あのくそつまらない田舎暮らしの小娘だったんだからねッ!」
ひっくり返りそうなほど椅子を大きくゆらして、メイラが立ち上がる。そのまま妹の元へつかみかかろうとするも、すかさずシルバーが横から飛びだした。
彼は「まぁまぁ、落ち着けよメイラ」と両手を広げて、荒れる姉妹の間に入った。そんななか、ギルが今度はシルバーに質問を向ける。
「シルバー、おまえはどうなんだ?」
「…………」
はじめは、ギルのことをジロリと睨んだシルバーであったが……そんな彼の目にも、煮えきらない迷いの色が浮かんでいるのは明白であった。
「……フッ。名を上げるには、とびきりビッグな事件に立ち向かうこと──悔しいが、そこんとこは俺もおまえも考えが似ているようだな」
メイラを席に戻してから、シルバーはギルに向き直った。青くさく突っかかるような様子はなく、珍しく彼の気は落ち着いているようだった。
「俺がそう思うようになったのは……ギル、おまえの事例があったからだ。
あの時、俺は苦しいほど痛感したね。おまえが解決した、あの湖畔の別荘で起きた事件で──」
湖畔の別荘で起きた事件。
シルバーの言葉に反応して「フロスト卿のお嬢さんを助けた事件のことか」とギルは返した。それからギルは少し頭を下向きに傾けて、妙な含み笑いをする。
「そうだ、そのとおりだ。俺があの事件を解決に導いてから、運命の歯車は動きだしたんだ。まさか、それが……俺とおまえらとの決定的な境目になるとはなぁ」
「なによ偉そうに。そんなに大層な事件じゃなかったって、あとから聞いたわよ?」
椅子に座ったメイラが、ギルに不機嫌な横目を向ける。
「いま思い返しても、あんたの運がよかっただけ。たまたま事件の担当になったってだけで……あんな事件、アタシにだって楽に解決できたわよ。
乳母の老婦人が階段から突き落とされて、その犯人に、あろうことか十歳くらいの女の子が疑われたって事件よね? ちょっと頭をひねれば、本当の犯人が新人のメイドだってことはすぐに見抜けるわ。じっさい、彼女の手荷物から盗品も見つかったっていうし」
早口で言いきったメイラに「ああ、その事件──ボクもこの前、事務所の記録簿で読みました」と、ロイがまた明るい声で水を差す。
「犯人のメイドさん、普段からよく盗みを働いていたそうですね。別荘でも悪さをしていて、キッチンで銀のスプーンをくすねていたところを運悪く乳母に見つかってしまい──口封じに殺したと。
その罪を、共に別荘へ訪れていたお嬢さんになすりつけた。その老いた乳母と、お嬢さんの仲が悪いことを知っていて……」
僕が事務所へ来る前に起こった事件だ。だから僕もロイと同様に、その事件の詳細については記録でしか知らない。
読んでいて、嫌な事件だなと顔をしかめたことは覚えている。
というのも──。
「そのメイドさん、最後は自殺してしまったんでしたよね」
ふいに、場の空気がひやっと冷たくなった。
そう……ギルが名を馳せるきっかけとなったこの事件は、とても後味の悪い終わり方を迎えたのだ。
肩をすくめるロイが「それって自分が犯人ですって、逆に言っているようなものですよねぇ?」と話を続けようとするも、今度はゴートが止めに入った。
「ロイ、いまは関係のない話をするな」
「はーい」
物静かな一言に、間延びした声が応える。
このタイミングで、ゴートが口を開くとは思わなかった。
僕としては、もう少し話を聞きたいところではあった。記録簿には載っていない、当時の探偵たちから見た事件の主観というものに、ふと興味がわいたからだ。
だが、止められたのなら仕方がない。
またいつかの機会にしよう。
「ほかのやつの意見も聞きたい──ハロウはどうだ?」
「えっ……」
いきなり、ギルから話を振られた。唐突な質問に驚いて、僕の喉が詰まる。
「さっきから、だんまりじゃないか。おまえも事務所の一員として探偵を名乗る気があるなら、会話に参加しろ」
「えっ、いや……そんなこと、急に言われたって……」
「フン、そうだな。そうやって、おまえはいつも傍観者を決めこむ。人畜無害の面をして……無責任なやつだ」
よくわからないまま、罵倒された。
言い返す間もなく、次にギルはゴートへ話を振る。僕に投げたのとまったくおなじ質問に、ゴートは「異論はない」と告げた。「どんな状況下に置かれようが、自分の仕事をするだけだ」と、彼らしい短く完結した発言であった。
(僕だって、その気になれば用意する言葉くらいあるさ)
一方的に話を終わらせて、僕に恥をかかせたギルのことを恨めしく思いつつ……もう一度、頭のなかで彼からの問いをくり返した。
無論、僕の意見は反対だ。
賛同できるわけがない。自分たちの私利私欲のために、危険な事件に首を突っこもうとするなんて無謀以外のなにものでもない。
(探偵小説とはわけがちがうんだ。うまくいくはずがないさ……)
さっきロイが話した事件のように、新聞でどれだけセンセーショナルに取り上げようが、結局はどれも生きた人間の為したことなのだ。それぞれに生きた時間があり、強い感情があり、それなりの生活をくり返している。
凶悪な事件を起こした犯人というと、人はまるで怪物のように取り扱う。さながら探偵は化け物退治に出かける英雄さまと、彼らは考えているのだろう……バカバカしい、世のなかはそんなに単純ではない。
(見かけこそ、なにも変わらないんだ)
だから身近にひそんでいたって、わかりはしないのだ。そことは君が一番よく知っているくせに……と、僕は静かにギルを見つめるのであった。
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