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ゴートと空き部屋Ⅰ

 ヘリオス探偵事務所は、ウォルタの街の比較的大きな通りに構えている。


 建物は二階建てだ。元は居抜き物件で、事務所が入る前は一般の住居として使われていたらしい。そのため間取りも内装も、どこかアットホームな空気が漂っていた。


 一階には広間に当たる談話室と、そのほか生活に必要な設備が整っている。通りに面した南側の玄関を起点に、西方向へ延びた廊下の先に二階へ通じる階段がある。四角い建物の造りに沿って、階段は踊り場を経て直角に曲がっていた。


 二階には所長室ともう一つ、空き部屋と称される部屋がある。 両部屋は二階の廊下を挟んで、向かい合う位置にあった。南側の部屋が所長室で、反対の北側の部屋が空き部屋である。


(ちなみにドアの位置は、所長室のほうが奥にあり、空き部屋のほうが手前にある……)


 階段から離れた僕は、真っ先に空き部屋のドアノブへ手をかけた。

 所長室の食器はあとで片づけよう。いまは居心地の悪さから逃げるため、一人で落ち着ける場所に引きこもりたかった。


 依頼のほとんどが手紙で来る場合が多いものの、依頼人が直接事務所へ訪問してくるケースもある。そんなときは所長室か、この空き部屋に依頼人を通してじっくり話をうかがうのだ。


 ドアを開けると、僕はささっとなかへ身を滑りこませた。


(ギルとの約束の時間までもうしばらくだ。それまでこの部屋にひそませてもらおう)


 背中向きにドアを閉め、僕はふぅと息をついた。

 ところが、それと同時であった。ペラリと、紙をめくるような音が室内から聞こえた。


「うわっ!」

「…………」


 声を上げて驚いてしまった。まさかこの空き部屋に、すでに先客がいようとは思わなかったからだ。

 大げさな反応を見せる僕とは逆に、壁ぎわのソファに座るその人物は微動だにしなかった。彼はひとり淡々と、自身の手のなかの本を読み続けている。


「なんだ、ゴート。君がいたのか」

「…………」


 どっしりと重力感のある図体は、一瞬、彫像かなにかも見間違えてしまいそうだ。彫りの深い顔立ちに加えて、筋肉の盛り上がった体つきで部屋のすみを陣取っているものだから、ことさらである。


 彼の名は、ゴート・イラクサ。

 ヘリオス探偵事務所に所属する、探偵の一人である。


 少し赤めに焼けた肌に、短く刈りこまれたくすんだブロンドの髪。ゴツい見た目と合わせて、いつもしかめ面の険しい顔つきをしているせいで、よく依頼人を怯えさせていた。本人曰く、探偵よりも護衛などに間違われてしまうことが多いとか。


 ギル、シルバー、メイラ、マリーナ、そしてゴート──彼ら五人が現在、ヘリオス探偵事務所にそろっている探偵たちだ。そこに僕ことハロウと、ロイの見習い探偵を加えると七人になる。 


 これが新聞広告に謳われている、デュバン・ナイトハート所長が将来を期待する七人の探偵たちなのであった。


「あー、もしかして、この部屋で仕事をしているのかい?」


 僕は入口に立ったまま、おずおずと尋ねてみた。ゴートは首も振らず「……いいや、ただ古い資料を読んでいるだけだ」と、これまた抑揚のない声で返してきた。


「そう……」


 僕が短くつぶやいて会話は終了する。

 このゴートという男、見た目の雰囲気と性格がほぼ一致していて、とんでもなく無口で無愛想な人物なのだ。


 ……けして、悪いやつではない。

 事務所内での人間関係も問題はないのだが、それにしたって自ら口を開く機会が少なすぎる男なのだ。僕が事務所に身を置くようになって四カ月、そのなかでもっとも謎多き人物であると認定している。


(どうしようかな……)


 向かいの所長室に移動する手もあったが、さすがに尊敬する人の部屋に入り浸るのも決まりが悪い。僕は思いきって、ゴートに提案を持ちかけてみることにした。


「なぁ、ゴート。君の邪魔はしないから、僕もこの部屋を使わせてもらってもいいかな? どうにもね、一階の連中がにぎやかすぎて落ち着かないんだよ……」


 また、ペラリと本のページをめくる音がする。ゴートは僕などに興味はいっさいないようで、その視線は手元の開いた本だけに向けられていた。

 ただ、一度だけ口がぼそりとつぶやく。「俺の部屋ではない。好きに使えばいいだろう」と。


「ありがとう、助かったよ」

「…………」


 軽く礼を述べても、彼の反応は薄かった。

 それでもいいやと思いながら、僕はズボンのポケットから懐中時計を引っぱりだした。ただいまの時刻は六時四十分──ゴートと二人っきりは緊張するが、どうせわずかな時間のあいだだけである。


 とりあえず、なかへ入ろうとドア元から離れようとした。

 そのときだ、ふいに空気の冷たさを感じた。紅茶色の前髪を、ひんやりした風がすくい上げる。


 室内なのに、風?

 僕はきょとんとして、冷たい空気の道筋をたどった。見当した方向へ視線を向けると──西側の窓辺に目が留まった。


 そこには縦に細長い、上げ下げ窓があった。窓の向こうはすでに薄暗く、雨粒の線がきらめている。ちなみにこのたった一つの窓以外、空き部屋にはほかの窓はなかった。


「……窓が開けっぱなしじゃないか」


 その窓が少しばかり開いていたのである。いまも開いた隙間から雨風が侵入していた。


 閉め忘れたのかなと、僕がゴートのほうへ視線を向けるも、当人はやっぱり手元の本に集中していて反応すらなかった。単にぼくのことをわずらわしく思っていて、無視しているだけなのかもしれないが。


 仕方なく、僕が窓辺に近寄った。中途半端に開いている窓を下ろそうと、窓枠に手をかけた……のだが。


「ん……んんっ?」


 下ろし窓が動かない。


 ぐっと手に体重をかけても、木枠がきしむ音すら立たなかった。んぎぎ……とムキになってうなっていると、背中側からぼそっとして声が聞こえた。


「その窓、壊れて閉まらないぞ」


「ハァハァ……そういうことは先に言ってくれよ」


「秘書のシトラスが言っていたが、明日、業者を呼んで見てもらうらしい。だから、窓はそのままということになっている」


 木枠から手を離して、僕はしげしげと半開きの窓を見つめた。少し身をかがめて、開いた窓の位置に自身の頭部を合わせる。


「ということは、今晩はずっと開きっぱなしになるのか。それは不用心だよ……でもまぁ、この幅なら泥棒も入ってこれないかな?」


 試しに、開いた隙間に頭をくぐらせてみた。

 外は雨が降っているため、雨粒が冷たい──じゃなくて、僕の頭は難なく隙間を通ることができた。


(だけど、肩が無理だな)


 よほど華奢(きゃしゃ)な人間でないかぎり、この窓の隙間を通り抜けることは不可能だろう。

 これなら泥棒に入られる心配もない。もっとも、二階の高さをわざわざ登ってまで、侵入しようとする人間がいるとは思えないが。


 壊れた窓は事務所の西側に面しているため、景色は見えない。見えるのはお隣の建物の壁だけだ。左向きに首を傾ければ、建物の合間から通りが見えた。


 ふいにその通りを、ひづめの音とともに一台の馬車が走り去る。僕は慌てて、窓から首を引っこめた。


 きっとあれは、デュバン所長の乗った馬車にちがいない。外から変なところを見られたのではないかと思うと、恥ずかしさから顔が熱くなった。


 ほてる顔に、雨にぬれた髪の冷たさが心地よかった。髪についた雨粒を払いつつ、僕は窓辺を離れた。そして今度は、おもむろに室内を見まわしてみる。


『空き部屋』というのは、あくまでも事務所の人間が口にしている呼び名であって、なにもがらんどうの部屋ということではない。所長室とおなじく、こちらの一室も必要最低限の家具はそろえてあった。


 主に来賓用(らいひんよう)のソファ、飾り気のないシンプルなテーブル、ほかチェストなどなど……それから書き物机があるため、書類整理などの仕事にもってこいの部屋なのである。


(そういえば、昨日、僕はこの部屋で夜通し雑用をしていたんだったな……)


 書き物机に手を置いて、ふと思い返す。脳裏によみがえる昨晩の記憶に引きずられて、睡眠不足だったことも思いだした。なんだか急に体がだるくなったようで、乾いた目を手でこする。


(この部屋は、よくギルのやつが仮眠を取るために使っているんだよな。部屋の鍵を閉めて独り占めするもんだから、みんなに文句を言われてて……)


 あいにく横になれるソファは、いまゴートに陣取られている。ぼんやりと彼のほうを見ていると、視線が合った。けげんそうに睨まれたので、僕はごく自然を装って舌を動かす。


「昨日、僕が仕事をしていたときは……あー、普通に開け閉めできたんだけどなぁ。いったいいつ、この窓は壊れたんだろう?」


 適当につむいだ言葉だったけれど、ゴートは「今日の午後に、メイラがな」と返してきた。わりと律儀な性分なのかもしれない。


「いらついていたのか、力まかせに窓を開けようとしてこうなったらしい。本人は自分のせいじゃないと、さらにヘソを曲げていたがな」


「ハハハ……まぁ、そうだね。この建物も古いようだし、窓の枠がゆがんでいても仕方がないよ」


 相変わらず、彼は手元の本に集中している。一方で僕は、彼との会話が続いたことで少しばかり調子がついてきた。


 珍しく、僕はこのゴート・イラクサという男と、このまま話を続けてみたいと思った。おそらく、さっき階段の上で感じた

疎外感の反動だろう。誰かとおしゃべりすることで、空虚な気をまぎらわせたかったのだ。


 ゴートは無口で、無愛想な男だ。

 けれど、根は僕とおなじで真面目な人間らしい。


 それともう一つ。

 彼もまた、僕と年の近い若者の部類に入るのだが、事務所のほかの探偵とちがって欲深い様子を見せていない。富や名声などその手の話題が上がるとき、彼は決まってつまらなそうな表情をしているのだ。


(そこに親近感を覚えるんだろうな、僕は……)


 いま一度、懐中時計の文字盤を見る。それから空き部屋のドアへ視線を向ける……ドアの向こうは静かで、まだギルが帰ってきた気配はなかった。


 談話室へ向かうのは、最悪、今晩の主役が到着してからでもいいだろう。

 その(あいだ)、僕はゴートとの会話を試みることにした。

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