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探偵事務所の所長さんⅢ

「ハロウくん」

「はい」


 所長は再び、僕の向かいへ腰を下ろす。思いつめたような面持ちでこう言った。


「ささいなことでもいい。なにか気づいたことがあったら、そのときは遠慮なく私に教えてくれ」


「なにか、ですか?」


「輝かしい栄光の裏では、必ず影が生まれるものだ。ヘリオスの場合もそうだった……輝きを強めていったがゆえに、最期は人の暗い意思によって(ほうむ)られてしまった。

 この職業は、なにかと人の恨みを買いやすい一面もある。だから、私はギルくんのことが心配でたまらないのだよ」


「と、おっしゃると──」


 すっと息を吸いこんだのち、僕はまっすぐ所長の目を見据えて問いかけた。


「ギルに危害を加える人間が現れるということですか?」


 僕の問いに、所長は口を一文字(いちもんじ)に結んだ。しばらく黙っていたが、折れたように頭を傾けてうなずく。


「けして、まわりの人間を疑っているわけじゃないんだ。ただ、私は怖いのだよ、また誰かを失ってしまうような気がして……」


「…………」


「いやぁ、ハハ……変な話をしてしまったね。どうにも年を取ると、妙に心配性というか、気が弱くなって困ったものだ。こういうときにこそ、君たち若者の活力を見習わなくては!」


 ヘリオスと別れてもう幾年が経つ。もはや遠い出来事のように感じるよ、と所長はぼんやり口にした。


「気持ちまで老いたくないものだね」


「いえいえ、所長の情熱には誰も勝てませんよ。ヘリオスさんとは仕事仲間というよりも……親友のような間柄だったんですよね?」


「そうとも。私が彼の相棒であり、彼もまた私の相棒であった。ともに若さの熱量に乗っかって、多くの事件を解決したものだ」


「いいですね。互いに支え合い、気の許すことができる友人がいるのは……」


 僕はヘリオス・トーチという男をうらやましく思った。

 死してなお己のことを忘れずに、いつまでも想ってくれる友人がいる……これほど幸福なことはないだろう、と。


「……ハァ。情けないことに、私はいまだ彼の亡霊を追いかけているのかもしれないな」


「それだけ所長にとって、かけがえのない大切な人だったということですよ。ひとりで気負わないでください。ギルやほかのみんなの件に関しては、微力ながら僕も協力しますから」


 本当に微力でしかないのが、申し訳ないところである。

 そんな皮肉めいた気持ちは、心の奥にそっととどめておく。僕の言葉に、少し顔色が晴れた所長は「そうか、ありがとう」と言ってくれた。


 からのティーカップの真上で、僕は両手の指を絡め合わせる。大きなことを口にした反動か、自信のなさが仕草に現れたようだ。そわそわと何度も、交差する指の形を組み変えていった。


 自覚しているだけあって、よりもどかしく思う。左手の内側を器用に隠しながら、僕はぎゅっと双方の指に力を込めた。


 するとふいに、デュバン所長が向こうから身を乗りだしてきた。


「ハロウくん、君を頼りにしているよ」

「!」


 壮年の(しわ)が刻まれた手が、そっと僕の両手を包む。

 ほの暗い影が、僕の上に覆いかぶさった。そのなかで身をかがめる所長は、あくまでも微笑を続けている。


「君は優しい人だ。どうかみなを導く……かがり火になってくれたまえ」


 ハイ。

 ……という返事の言葉は、緊張のあまり喉の奥で奇妙な音にしかならなかった。


 素直にうれしかったのだ。人から信頼されて、期待を受けるということが。心が満ち満ちする──それは僕の暗い人生のなかで、すっかり忘れ去られていた感情でもあった。


 脳裏に古い記憶がちらつくも、いまのこの幸福には敵うまい。


(やっぱりそうだ。僕の見立ては間違ってはいない、所長はとてもいい人だ。誰がなんと言おうと、この人だけは……裏切りたくないな)


 ──コンコンッ。


 所長室のドアからノックの音が聞こえた。

 僕と所長はそろって、ドアのほうへ顔を向ける。「どうぞ」と所長が声をかければ、半分開いたドアの隙間から秘書のシトラス・リーフウッドが顔を覗かせた。


「お話し中にすみません」


 物腰やわらかく、彼女はおじぎをした。


「所長、表に馬車が到着しました」

「馬車?」


 シトラスの言葉の一部を拾って、僕が不思議そうに反復すると、所長がすくっと立ち上がった。


「おおっ、もうそんな時間だったのかね」


 これはいかん。と、所長は仕事机のほうへ向かい、椅子にかけてあったコートをはおる。そのままいそいそと身支度をはじめた。


「どこかに出かけるのですか? いまから」


 時刻は夕方の六時を過ぎている。窓の外を見てみれば、冬場ほど重ったくないとはいえ、すでに夜の(とばり)は下りかかっていた。


 所長は「ああ、そうなのだよ」と、支度をしながら僕の問いに答える。


「じつは事務所のお客さんから、演劇の鑑賞の誘いがあってね。これから街外れの劇場まで足を運ばなければならないんだ」


 僕はまばたきをして、所長とシトラスの両方を見た。予定が入っているなんてまったく知らなかった。知っていれば……自分のためなどに、時間を使わないよう止めていたのに。


 先程の幸福感は失せ、後ろめたい気持ちに浸食される。そんな僕に、部屋のなかに入ってきたシトラスがさらなる情報をこそっと口にした。


「そのお客さま、ギルさんのお得意さんなんです」

「ギルの……?」


 まさかと、嫌な予感に僕は眉を寄せた。

 僕が見せたけげんな表情に、シトラスもこくりとうなずく。


「演劇のチケットは、ギルさん自らが用意されたようです。そうでしたよね、所長」


「ああ、そうとも。なんでも彼のお客さんが、事務所の所長である私と歓談(かんだん)をしたいそうなんだ。ギルくんは私とお客の間を取り持ち、今回の場を設けるのにひと役買ったとかなんとか……」


 支度を終えた所長は軽やかな足取りで、ドアのほうへ向かう。あとに続こうとするシトラスも含め、僕は慌てて二人を呼び止めて、その劇の公演時間について尋ねた。


 そろって、開演は七時であると教えてくれた。


「そんな、七時って……」


 今晩の七時。


 僕が絶句していると、所長がドアをくぐり抜けた先で足を止めて振り返った。いたずらっ子に悩まされる教師のような苦笑いで、こう続ける。


「そう、七時だ。話は聞いているよ……ギルくんの招集(しょうしゅう)で、おなじ時刻に談話室でなにかを(もよお)すようだね」


「え、ええまぁ、そういうことになっています……」


「どうやら、その場に私がいてもらっては困るようだ。ふふ、抜け目ない彼らしい細工だよ。厄介払いの意図も込めて、彼は私にこのチケットを渡したのだろう」


 所長は懐から取りだしたチケットの紙を、まじまじと見つめた。その後ろで、シトラスが短いため息をつく。


「本当に悪い知恵を働かせるお人ですね、ギルさんは」


「約束は一昨日(おととい)にしてしまったんだ。いまさらこちらの事情で予定を変更するというのも、相手がたに悪いだろう」


「…………」


 僕が口を閉ざしていると、シトラスがそれに気づいて「ご心配なく、所長の代わりにわたしが事務所に残りますから」と、軽くほほ笑んでくれた。


「ということだ。あとのことは、ひとまずシトラスくんにまかせている。私も、元より人との駆け引きは得意ではないんでね。ほどよく相手と楽しんだら、できるだけ早く切り上げてここへ戻ってくるつもりだ。

 先程言ったことと重なるが……ハロウくん」


「はい」


「よろしく頼むよ。みんなの雰囲気が険悪にならないよう、どうか見守っていてくれたまえ」


「それは……ええ、もちろんです。わかりました」


 僕たちは所長室をあとにした。


 二階の廊下を所長、シトラス、僕の順で一列になって進む。 向かいの部屋のドアを通り過ぎた突き当たりに、一階へ下りる階段がある。先に下りていった所長とシトラスに続いて、僕も段差に向かって一歩足を浮かせた。


 玄関まで、デュバン所長をお見送りするつもりだった。

 だが、パタパタと一階の廊下から別の足音が響く。


「あら、これからお()になるのですか? 所長」


 階段を見下ろす位置からでは姿こそ確認できないものの、その声は探偵の一人、メイラ・リトルのものだ。妹のマリーナ・リトルも一緒にくっついているようで、はしゃぎ声が重なる。


「劇場へ足を運ばれるんですよね? すてきっ! ワタシも一度でいいから、誰かにご招待してもらいたいなぁ」


 天真爛漫な妹を、姉が咳払いをしてたしなめた。「雨脚(あまあし)が強くなってきていますから、どうか気をつけてくださいね」と、メイラは丁寧につけ足す。

 

 姉妹探偵と所長のやりとりを耳にしながら、僕は浮かせた足を途中で引っこめた。すでに数段下りていたシトラスが、振り返って僕の顔を見上げる。


「ハロウさん?」

「…………」


 階段の上で突っ立ったままの僕を見て、シトラスは小首をかしげる。階下ではまた誰かが加わったようで、にぎやかな声が一段と大きくなった。


(昼間に声を荒げた一件から、どうにも事務所のみんなと顔を突き合わせるのが気まずいんだよなぁ……)


 所長にみんなのことを頼まれた手前で、自分でも情けなく思う。階段を上ろうとするシトラスを制して、僕はいま事務所に誰がいるのか彼女に尋ねてみた。


「いま、事務所にいらっしゃる方ですか? ギルさん以外は全員そろっていますよ。

 メイラさんとマリーナさん、それから談話室から出てきたシルバーさんもすぐそこにいらして……ロイくんはさっきお台所でジャムをつまみ食いをしているのを見かけました。あとは──」


「ああ、いいんです。わかりました」


 玄関の重たい扉が開かれたようだ。雨と風の音が廊下を伝って、僕の耳に響いてくる。


(所長には悪いけれど……)


 僕はシトラスに「所長室に置きっぱなしになっているカップを片づけてくる」と適当な理由を口にして、くるりと階段から身をひるがえした。


 僕なんかよりも、あのにぎやかな連中に見送られたほうがずっと気持ちがいいだろう。

 うっとおしい雨音と、せわしない出発がうまく隠してくれることを祈って、僕は心のうちで「いってらっしゃい」と所長に告げた。


 そして音もなく、その場をあとにした。

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