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その後と両眼の行方Ⅱ

【ネタバレ注意!】初めての方、途中の方はネタバレにお気をつけください。

「わぁ、お見事です! ハロウさんには、もう全部お見通しなんですね!」


 丸っこい焦げ茶色の目をぱちくりさせて、ロイははしゃいだ。わざとらしい緩慢な拍手まで送ってくる始末である。


 いっさいの悪ぶれのなさに、僕の唇が震える。つかみかかりたい衝動に駆られるも、そこはぐっとこらえた。拳を固く握りしめるだけにとどめて、代わりに口での勝負を続ける。


「簡単だ、すでに密室の謎は解けたんだ。デュバン所長がギルを刺したあと、ギル本人が空き部屋に逃げこみ内側から鍵をかけたことで、あの密室は出来上がった。

 その状況下で、室内で事切れていたギルの死体から眼球をくり抜くことができたのは……たった一人しかいない」


 一番に窓から部屋に侵入した、ロイ・ブラウニー少年だけである。


 鍵を開ける前に、彼は死体から『真実を映す両眼』を失敬したのだ。多少、手や体が血に汚れても、ドアを開けるために死体を動かしたとでも説明すれば、誰にも疑われることはない。


 さすがに、生の眼球を手元に持ち続けることは困難だ。どさくさにまぎれて、どこかに隠したのだろう。おそらく一階の水場やその近くの戸棚など、守衛たちがふれなさそうな場所を選んだにちがいない。


「ナイフを突き刺した人間、密室をつくった人間……そして、眼球を奪い去った人間。

 それぞれ、別々の人間がしたことだったんだ。最初から犯人は一人だと決めつけていたからこそ、不可能な現象に見えていただけ──これが名探偵殺人事件の謎を解くカギだ」


 ロイは口をすぼめて息を吐いた。

 体中から空気を抜ききり、肺をしぼますような長い長い……吐息であった。それから乾いた唇を赤い舌先でちろっとぬぐい、「こればっかりはボクもうかつでした……」と話しはじめる。


「思わぬ形であの男の眼球をえぐり取るチャンスがまわってきたもので、つい先走ってしまったんです。あとから思えば、犯人にはボクの仕業だとバレていたでしょうね」


 そう言って、ロイは自身の懐へ手を突っこんだ。ある物を握りしめて、僕の目の前へ取りだして見せる。


 それはジャム瓶であった。


 僕は大きく目を見開く。瓶のなかは透明な液体に満ち満ちていて、なかに丸い目玉が二つ浮いていた。


 かろうじて、虹彩(こうさい)の色を判断できた。

 まごうことなく、奪われた真実を映す両眼こと──ギル・フォックスの青い眼球であった。


「真犯人は誰か、ボクにはてんで見当がつかなかったから内心ヒヤヒヤしていましたよ。

 でも犯人のほうも、僕がしたことを指摘すれば、ハロウさんという都合のいい隠れ蓑を失うことにつながりますからね。……なかなかに、スリリングな睨み合いでした」


「……シトラスの殺害はどうなんだ? 認めるんだな?」


 もう一件のことついても、ロイに問い詰める。少年は素直にこっくりと、頭を縦にゆらした。


「彼女の死を、守衛側は自殺と判断した。こればかりは、おなじやり口を仕掛けられた僕じゃないと勘づけないことだ……」


「ふふっ、自分でも芸がないなぁと思います」


「…………」


「やだな、そんな怖い顔で睨まないでくださいよ」


 肩を小刻みにゆらして、少年は笑う。

 罪悪が抜け落ちたような態度に、デュバン所長のときとはまたちがった異質さを感じた。まるでいたずらっ子のように、彼はにやけた笑みを見せている。


「なぜ、殺した? と、でも聞きたそうですね?」

 

 丸い瞳を光らせて、ロイはまっすぐ僕の顔を覗きこんでくる。


「……ああ、聞かせてもらおう」


「残念ですが、ここまでです。僕の口からすべてを語ることは許されていないんですよ。でも、ヒントくらいは差し上げてもいいですよ?」


「ヒント?」


「ええ、ヒントです。ヒントはですねぇ──」


 黄イチゴのジャム。

 と、少年は身をかがめて、僕の耳に直接ささやいた。


(……黄イチゴのジャム)


 僕はこの短い言葉を知っている。何度か聴覚を通して、脳裏に刻まれた重要な言葉である。


 浅い記憶からたどると、まずシトラスが死に際に口に含んだのがその黄イチゴのジャムだ。オルソーの話ではジャムのなかに毒が入っていて、それが死因となった。


 そして、フロスト卿の別荘地で起きた殺人事件でも(くだん)のジャムは登場する。乳母殺しの冤罪を着せられたメイド、サティ・ベリーズもまったくおなじものを口にして死んだ。


「…………」


 二人の死……毒入りのジャム……自殺と判断されて……。


「ボク、もうそろそろ行かなくちゃ」


 少年は彼方を振り向く。その方角には、並木道の脇に停まる黒い馬車があった。


 恐ろしい真実に凍りつく前に、僕の舌が素早く動いた。


「おまえは、フロスト卿の関係者か?」


 体の向きはそのままに、ロイはくりっと視線だけをこちらに向ける。小さな唇が「惜しい」とささやくようにつむいだ。


「ボクが(つか)えるのは卿ではなく、卿のお嬢さまです。小間使(こまづか)いと言いますか、下僕と言うか、はたまた遊び相手とでも言いますか……うーん……」


 顎に手を当てて考え出す少年に、僕は「なんだっていい」と冷たくさえぎって自分の見当を伝えた。


「わかっているのは、おまえが人を殺すことにまったくためらいを覚えない悪魔のような子どもだってことだ。

 ギルが『命を狙われている』と神経質になっていた理由が、いまわかったよ。本当に命を狙われていたんだ。罪なきメイドに冤罪をひっかぶせた共犯者が裏切らないよう、監視する目的でおまえは探偵事務所に潜入してきたってところだろう」


 言いきると、ロイは「ハロウさん、()えてるぅ!」とはしゃぐように手を叩いた。


「そうです、そうなんです! 万が一、あの男が害をなす行動を取るつもりなら、即座に息の根を止める気でボクは探偵事務所にやってきました。

 結果的に、やっかいなことに巻きこまれてしまいましたが……一緒に思いも寄らない拾い物ができたのは、たいへん幸運でしたよ」


 思いも寄らない拾い物。

 それはもちろん、サティ・ベリーズの冤罪に疑問をいだく人間──シトラス・リーフウッドの存在である。指摘するとロイはそのとおりだと、うれしそうに頭をうなずかせる。


「余計な芽は早々に()むことに限ります。まぁ、彼女の一人がどうこうわめいたところで大した障害にはならないとは思いますが……念のために、ね?

 お嬢さまのためにも、あのメイドには罪をかぶってもらわないと困るので」


 胸くその悪さに、体が前へ動いた。しかし、ベンチから腰を浮かしかけた瞬間、冷たい感触が首元に走る。


 ナイフだ。

 少年が細いナイフの刃先を、僕の首筋に当てている。


「……本当なら、ハロウさんもちゃんと殺さなきゃいけないんです」


「……っ!」


「でも、あなただけは特別ですよ?」


 片手でナイフを、もう一方の手で眼球入りの瓶を掲げながら、少年は言う。微動だにできない僕は、その訳を問うことも叶わず静かに息をのんだ。


 無邪気な悪魔が目を細める。真正面から僕を映す、その瞳は恍惚(こうこつ)の色に染まっていた。


「ボクとおんなじ、人殺し同士ですもんねっ!」


 吐瀉物(としゃぶつ)のような求愛だった。


「はじめて会った時から『なんか異様に親しみを感じちゃう人だなぁ』って、自分でも不思議がってたんです。それで教会の前でこっそりハロウさんの昔の話を聞いてて……ああっ、やっぱりって!

 人を殺したことのある人間って、ほかとはちがう特別な匂いがするんですもの。ボク、すっごくうれしかったなぁ」


 これ以上、狂った()(ごと)を聞いてはいられなかった。

 首が切りつけられたって、かまうものか。僕は素早く腕を伸ばして、少年の手から瓶を引ったくろうとした。


 しかし、「おっと!」とからかうような声を上げて、彼は手とともに体を反らす。くすくす喉を鳴らしながら、何ごともないようにおしゃべりを続けた。


「──だから、あなたを生かすのは僕の独断です。特別に命までは取らないであげましょう。お許しは得ていませんが……まっ、あなた一人くらいなら大丈夫でしょう」


 ロイは「それじゃあ!」と、陽気に手を振って背を向けた。その手にはギルの目が入った瓶が握られている。無論、このまま逃がすわけにはいかない。


「待てッ! その目だけは返してくれないかッ!」


 すかさず、少年の背を追いかけた。がむしゃらに振り上げた手で彼の肩をつかもうとするも、器用にかわされてしまう。


 つんのめって、僕は無様に地面へ倒れた。

 鈍痛に顔を歪めていると、頭上から「これはお嬢さまのものです」と冷酷な声が降る。


「名探偵などと、図に乗っていた愚か者の芸術作品としてお屋敷に飾っておくとか……。ボクも悪趣味だとは思いますけれど、命令なので」


「……うぅ……くそっ、かえ……せ……」


 伸ばした手も(むな)しく、少年は走り去ってしまう。その姿はあっという間に小さくなり、彼方の黒い馬車に乗りこんだ。


「さようなら、ハロウさんっ!」


 さわやかな別れのあいさつだった。

 直後に鞭のしなる音が響き、二頭の馬がいななく。僕を置き去りにして、ロイ少年を乗せた馬車は……行ってしまった。

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