その後と両眼の行方Ⅰ
【ネタバレ注意!】初めての方、途中の方はネタバレにお気をつけください。
ドンッ。
突然、重たい物音に空気が震えた。
音と振動の拍子に、僕は目を覚ます。
パチパチとまぶたをまばたかせ、紅茶色の髪を左右に振って──向かいの席にいる相手に謝った。
「……すみません、少し意識が飛んでいました」
「…………」
角張った机を挟んだ向かい側の椅子に座る、しかめ面の中年男──ウォルタの街の守衛長を務める、オルソー・ブラックは短い嘆息をこぼした。
彼は面倒くさそうに顎をしゃくる。
促されるままに視線を動かせば、テーブルの端に大きめの皮袋が置いてあることに僕は気づいた。
さっきの物音の正体は、これのようだ。ぎっしり中身が詰められているようで、袋の口はややだらしなくへたりつつも腹は丸いふくらみを見せている。
ここは、ヘリオス探偵事務所の談話室ではない。
まったく見慣れない場所──守衛所内の一室であった。
教会での決着に幕が下りたあと、僕は守衛所に連行された。
逮捕されたのではない。今回の一連の事件の関係者として聴取を受けていたのだ。
長い長い聴取であった。激動の展開の末に、精神が限界まで摩耗していたこともあって、終幕からどのくらいの時が経過したのか把握できていない。
ただ、以前の連行とはちがって窓のない牢屋に通されたわけではなかったため、何度か日の出と日入りをくり返したのだけは覚えている。
いまはうっすら日の光が入り込んでいる。おそらく時間帯は明け方くらいであろう。
「こいつは、あの名探偵気取りの若造がいままでうちの連中に握らせていた小金だ」
皮袋に視線を向けながら、オルソーは説明を入れる。各個人からしぼり取ったため金品がごっちゃになっているが、合算しても相当の金額になるらしい。
「汚れた金は要らん。死んだ当人の代わりに、とりあえずおまえに返しておく」
「はぁ……」
「手切れ金でもある。こいつを持って、荷物をまとめ次第、この街から出ていくんだな」
それだけを言うと、オルソーは席から立ち上がった。いかつい部下を一人残して、自身は部屋から立ち去ろうとする。
くたびれた背中に向かって、僕は「……あの」と声をかける。無視されると思いきや、存外、オルソーの足は律儀にぴたりと止まった。
「……僕を捕まえないのですか?」
「おまえは犯人じゃなかったからな」
「……あなたも、教会で僕の話を聞いていましたよね。だったら──」
「……管轄下じゃあない。十年以上前の、それも遠い地方で起きた殺人事件なんて……裁きを求めるのなら、故郷の判事なりを当たってみることだな」
もしくは好きに死んでろ。
と、オルソーは言った。
僕は黙って頭をうつむかせた。自身の膝の上に置かれた左手が否応なしに目に留まる。巻かれた白い包帯の下で、いまもジクジクと傷が膿むように痛んだ。
「おまえのような行き場のない若者を、あの男はわざわざ念入りに選んでいたようだな」
背中を向けたまま、オルソーはしゃべる。
彼が言った『あの男』という言葉に引き寄せられて、僕は再び顔を上げた。
「言葉巧みに、やれ才能があるとか、やれ素質があるとか……相手をうまいこと舞い上がらせて、やつは自分の獲物をそろえていった。ったく、身の丈以上の成功を望む青いやつほど、ころっと騙されちまうんだから……」
肩をすくめる仕草の反面、オルソーの声は淡々としていた。立ち止まった状態で、彼の目は明後日の方角を見つめている。
「夢を餌に喰われたか……まぁ、これもよくある話ってやつだな」
「ちがいます。あの人は……所長は……」
それだけは否定したかった。僕は即座に椅子から立ち上がるも、瞬間、教会でのやりとりが頭のなかでぶり返した。
ヘリオス探偵事務所の所長、デュバン・ナイトハート。
彼は過去に、とある人物を短剣で刺し殺した。
その人物とは、彼の仕事のパートナーであり、親友とまで語っていた名探偵のヘリオス・トーチである。
(所長はこんなことを言い残した……)
あのお方と出会って、自分は積年の罪から解放されたのだ、と。そして命令に従って一連の殺人事件を実行した、とも。
かつて自らが犯した耐えがたい罪を正当化すべく、デュバンは友の死を『永遠』という言葉で飾った。
そして悲劇をくり返さんと、友とおなじ探偵を集めたのだ。正確には、探偵の代替となる七人の罪なき若者たちを……最初から、自ら手にかけるためだけに。
(まったく、わけがわからない……)
通らない理屈に頭を抱えようとしたそのとき、オルソーが「それと、おまえだけに伝えたいことがある……」と神妙な口ぶりで話をはじめた。
「シトラス・リーフウッドだが……彼女は自害した」
さらなる衝撃が脳天を打つ。
これにはたまらず、僕はオルソーの元へ駆け寄った。彼の肩をつかみ、無理やりこちらへ顔を向かせようとする。
「シ、シトラスさんが……自殺した……?」
「さっき、部下からの報告が入った」
ヘリオス探偵事務所の秘書、シトラス・リーフウッド。
わけへだてない優しさを振りまく仮面の裏で、凄まじい恨みを抱きしめていた冷たい微笑の女。事件の犯人であるデュバン・ナイトハートの共犯者……。
「嘘だッ!」
僕は強く叫んで否定した。
「あの人は、大切な幼なじみの冤罪を晴らそうとしていたんです! 共犯を経て、ギルへの復讐は叶ったかもしれない……けれど! まだフロスト卿の別荘地で起きた事件の、本当の意味での真相は明らかになっていないんですよ!」
「…………」
「それなのに、自ら命を断ったなんて……どうして……!」
オルソーは動じず、静かに僕を見つめ返す。「……彼女が死んだのは移送中の出来事だった」と、彼はぼそっとつぶやいた。
「移送……中……?」
「ああ、判事の元まで馬車で移送中にな。運悪く馬車の車輪が故障してな、停車していたときに事は起きたんだ」
誰かさんのときと、まったくおなじように。
冷めた息をこぼすオルソーに、僕は顔を引きつらせた。
「なかで見張りをしていた守衛も、修理に協力するために外に出た。その離れた隙を突かれて……彼女は自害したってわけだ」
「自害って、どうやって……」
「毒を飲んだんだ」
「毒……」
「ああ、事切れていた彼女の傍らに、蓋の開いた瓶が置いてあったんだ。どこに忍ばせていたのやら……ご丁寧にスプーンまで添えてあったよ。
瓶の中身をすくって口に運んだんだろう、黄色い色をした──」
──黄イチゴのジャムを。
「…………」
その言葉を吐くなり、オルソーが突然、僕の服の襟をつかんだ。強い力で引き寄せられ、低い小声で警告を口にする。
「……忘れろ」
「…………」
すぐにぱっと離れて、彼はのそりと部屋を出ていった。
* * *
聴取から解放された僕は、のろのろと足の動くままに街なかを移動した。
気づけば、公園までやって来ていた。
時刻は早朝である。人影はほとんどないに等しい。事件現場となってしまった教会の近辺だけあって、もっと人が慌ただしく行き交いしているかと思いきや僕の予想は外れた。
いまは朝靄とともに静寂が漂うだけだ。
ふと見上げた先の教会も、いつか見た光景と重ねたって見劣りはしない。ただうっかり鐘楼に目を留めてしまった僕は、あそこから落ちていったデュバン所長の最期を思いだして……ぎゅっと目を閉じた。
守衛たちの仕事は素早かったようだ。すでに事件の後始末を終えてしまったのだろう。
僕はよろよろと歩みを進めて、手近なベンチへと腰を落ち着かせた。息苦しさと鼓動が安定するまで、しばし呼吸のみに専念をする。
……これから、どうする?
ふと思考がよぎった。
すぐに探偵事務所の外観が頭に浮かぶも、もうあそこには誰もいない。
誰も待っていないし、誰も迎えてはくれない。
そもそも最初からすべて仕組まれていて、雲をつかむような偽の幸福感があっただけなのだ。
いまこの手に残っているのは、はした金のみ。
自嘲する力も、僕には残っていなかった。
「ハロウさん」
ふいに、聞き覚えのある声が耳をかすめた。
顔を上げれば、そこには少年が立っていた。
彼の名はロイ・ブラウニー。
僕とともに見習い探偵をやっていた少年である。
僕が言葉をつむぐ前に、彼は言った。「お別れのあいさつをしにきました」と。
「ハロウさんには、いろいろとお世話になりました。
探偵事務所があんなことになっちゃって、僕もすっごく残念に思います。……けれど、こればっかりはどうしようもありませんよね」
だって、みんな死んじゃったんですから。
と、少年は肩をすくめて嗤った。
その時、僕の赤い目はあるものを捉えていた。
少年のすくめた肩の向こう──遠方の並木道のそばに、奇妙な黒い塊を。
否、黒い馬車を。
「お別れの前にいくつか聞いてもいいかな?」
僕が問えば、少年は「はい」とにっこり笑顔で返した。
「シトラスを殺したのは、おまえだな?」
彼の表情に変化はない。息をつかせぬ間に、僕は続けざまに言う。
「あと、ギルの死体から両眼を奪ったのも」
おまえしかいない。
と、僕は最後の真実をロイに突きつけてやった。
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