継がれる意志Ⅱ
【ネタバレ注意!】初めての方、途中の方はネタバレにお気をつけください。
僕も膝を折って、崩れた彼の元に寄り添った。
前のめりに傾く肩をつかんで、姿勢を支える。首がこちらへと向いたが、その目の焦点はもう定まっていないように見えた。
「最後に、君の話を聞けてよかったよ……」
「しゃべらないでください。傷に障りますから……」
「ハロウくんには、悪いことをしてしまったと気にかけていたんだ。ほかの者の目を欺くためとはいえ、君がギルくんを殺した犯人であると、誤った見立てに私は賛同してしまった……」
「……もう、そんなことどうでもいいですから……」
「あのとき、君の味方になってあげられなくて、本当にすまなかった。守衛所で取り調べを受けている間に、速やかにほかの探偵たちを殺して、捜査をかく乱しようとは思っていたのだが……」
「いいですから……しゃべらないで……」
「まさか移送が思いのほか早く、さらに君が大胆にも守衛の馬車から逃げだすなんて、ね……。いつもおとなしくて控えめの君がと思うと、ふふっ、とても驚かされたよ……」
血を咳きこみながら、デュバンはかすれた声で続ける。
死が近づいているというのに、時折おもしろおかしそうに喉を鳴らして、目尻をつくるさまは……かつての所長の姿となに一つ変わりはしない。冷たい風を浴びるなか、僕の目は熱くにじんでいた。
「君は憶することなく、この一連の殺人事件と向かい合った。そして疑惑の闇をすべて打ち消し、真実の明かりを灯すことに成功したのだ……。
……ああ、ハロウくん。君はすばらしい……ぜひ君もヘリオスと一緒に、永遠の形にしてあげたかった……」
所長の手が探るように這い、自身の肩に置かれた僕の左手へと重なった。すくい上げるよう、互いの手のひらを合わせて……握手が交わされた。
傷だらけの左手は痛みを訴えるも、僕はそれをこらえて、強く握り返した。
「でも、私は君を殺さない」
「…………」
デュバンの声は安らかだった。「君には才能がある」と言ったその言葉に、僕の肩はピクリと反応する。
一字一句、声色も表情もまったくおなじであった。
それはまさしく四カ月前の冬の夜……僕がはじめて所長と対面した時にかけられた言葉そのものであった。
「すばらしい適正だとも……」
「ッ……!」
焦点の定まっていない彼の目を前にして、僕はそっと自身のまぶたを閉じた。
まぶたの裏で、あの時の光景がよみがえる。
ギルの小ずるい工作だったとはいえ、奪われた手荷物を持って現れた僕を、あの人はいたく歓迎してくれた。熱い称賛、新たなる希望の種火を見つけたと、らんらんに目を輝かせていた。僕の手を取り、いまのように固い握手を交わして……彼はこう言ったのだ。
「君の罪は浄化できる」
ちがう、そうじゃない。
まるでちがう言葉を吐かれて、僕の思い出は砕け散った。僕はまぶたを開ける……水滴がこぼれ落ちるのも気にせず、静かに首を振った。
「……できません」
「無意味な罪悪感から解放され、新しい世界の扉を開く時が来たのだ……」
「……開きたくありませんよ、そんなの」
僕はさらに力を込めて、重ね合っていた手を握る。
自分で、自分の痛みを確認するよう、強く、強く……。
「僕の罪は僕のものです……僕が一生背負っていくもの……けして、許されることのない咎なのです……」
彼は優しく笑った。「器用じゃない性格だね」と気さくに言われたのに対し、「いいです。壊れるくらいなら不器用のままで……」と僕は静かに答えた。
僕らは互いに微笑したまま、儚く見つめ合った。
しばらくして、デュバンの手が離れた。彼は急にすくっと立ち上がると、ふらついた体のまま足を動かしはじめた。
「そろそろ、お別れだ」
「所長……?」
道を引き返すわけでもなく、デュバンの体がゆらりと前へ進む。
「これもあのお方からの言いつけの一つなのだが……我々の存在は秘匿にしなければならない。万が一、秘密が暴かれそうになったそのときは、自ら幕を閉じるよう仰せつかわされているのだ」
鐘楼は四角柱の塔である。
戻る通路以外、周囲にはなにもない。動いた所長の足が、高く積み上がった石材の縁を踏んだ。
「さようなら、ハロウくん」
もう反対の足が、空に向かって振り上がった。
そして、次の瞬間──デュバン・ナイトハートの体は落下した。
「所長ッ!」
寸前で僕は足元を蹴り、腕を目いっぱい伸ばす。右手で鐘楼の柱を抱え、左手で落ちゆくデュバンの手をつかんだ。
「ぐぅッ! ッ……!」
全身が引きちぎれそうな感覚に、僕はうめく。
肉が断裂してもおかしくなかった。半端な体勢、腕力だけで人一人の体重をつなぎ止めるのには無理がある。
ましてや、楔となる左手は負傷しているのだ。
血が滑り、徐々に彼の手がずり落ちていく……それでも、僕は必死にその手をつかみ続けた。
ぜったいに、この人を失いたくはなかったのだ!
「逃がしませんよ……! デュバンッ、しょ……ちょう……ッ!」
あなたは、僕とともに罪を償うべきなのだ。
食いしばった口ではまともに言葉をつむげない。代わりに強い意志を込めて、その手を握りしめる。全身全霊で、彼の落下をわずかでも食い止めようとした。
「認め……ま、せんッ! 犯した罪が……浄化、されるなんてことっ……僕は……けっしてっ、認めないッ!」
所長は見上げるように、僕の顔を見つめていた。
腕一本に支えられた宙ぶらりん状態でも、彼は屈託のない笑みで「もっと自信を持ちたまえ」などと、僕に言ってくる。
「何度でも言おう、君には適正がある。君もあのお方に選ばれるはずだ。もうなにも苦しまなくていいんだよ……罪から解放され、我々は新たなる存在として生まれ変わるのだ。
そう──」
悔しいけど、痛みが限界だった。
離したくない。
離してはいけない。
ぜったいに離すものか……。
「──神眼の洗礼者として」
ずるりと、皮膚がこすれる感触。
手から重みがなくなった。
もう一度つかもうとしても、遅かった。
彼の体はまっすぐ鐘楼から落下し──外門の鉄柵に貫かれた。
「…………」
音はなかった。
遅れて夜の静けさのなかに、外で待機していた守衛たちのどよめく声が湧く。
「…………」
僕はしばらく腕を垂らしていた。
夜風が僕の紅茶色の髪をさらう。指先から血の雫がしたたり落ちて、闇に消えていった。
──事件はいったん、重い幕を下ろした。
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