秘書のお姉さんⅡ
お茶の葉、書類用の紙束、青黒いインクに換えのペン先、それから忘れてはならないのが石けん。室内を彩る季節の花に、なにに使うのか卵が六つ、あとは煙草の箱と、瓶詰めと、そのほかいろいろ……。
(大きな街の利点は、欲しいものがなんだってそろっていることに尽きる)
多様な店が軒をつらねる街一番の大通りに、僕はいる。教会で出会ったシトラスの買い物を手伝うために、ロイを入れた三人で協力して店をまわっていた。
買い物をリストをすべて埋めきるのは、さほど時間がかからなかった。ちなみに自ら手伝いをすると調子よく名乗り出たロイ少年であったが、荷物持ちの役は僕に押しけた。たった一つ、卵の入った籠だけは持っていてくれたのだが……それも、いまは僕の片腕にぶら下がっている。
「すみません、ちょっとこのお店に寄ってもいいですか?」
すぐ戻りますので。
そう言い残して、彼はいましがた一件の古びた雑貨屋のなかに入っていったのだ。仕方がなく、僕とシトラスは彼の用事が終わるまで店の外で待つことにした。
「ハロウさん。夕べのお仕事、大変だったんじゃありませんか?」
唐突にシトラスから尋ねられた。僕は一瞬きょとんとしたが、すぐに昨晩の徹夜仕事のことだと察して、慌てて首を左右に振った。
「いえ、それほど大した仕事じゃありませんでしたよ。いつもやっているような書類整理が中心でしたし」
「でも昨日、わたしが帰るとき、手紙の仕分けもされてましたね? あれ、かなりの量がありましたでしょう?」
「ははっ、それはまぁ……」
「事務所もだいぶ有名になりましたもの。あちこちから届く依頼人のお手紙を読んで、内容を検討……その詳細を記録しつつ、一つ一つ丁寧な返事を書いていく。本当に骨の折れる作業です」
探偵事務所に事件の依頼を届ける手段は、主に二つに分かれる。一つは依頼人が事務所を訪ねること、もう一つは依頼の手紙を送ることである。
基本は手紙のほうが多い。事件を表立たせなくない心情を考えれば当然だ。ただ手紙の場合は、イラズラやしょうもない内容がつづられていることもあるので、一通一通、丁寧に目を通さなければならない。
「手伝ってくれるハロウさんやロイくんには、いつも助けられてばかりです。だからこそ、申し訳なく思いますの。だって、見習いとはいえお二人は探偵……本来あのような雑務は、わたしみたいな裏方の人間の仕事ですから」
見習い探偵は補佐が仕事だ。それは事務所内の雑用も含まれ、探偵の助手役につかないときはもっぱら秘書のシトラスの手伝いにまわっている。
「気にしないでください。むしろ僕はああいった仕事のほうが好きなんです。自分の性分にとても合っているので」
言葉に偽りはなかった。
探偵の仕事よりも、僕は断然、裏方の作業のほうがいい。だからつい、返事に声を弾ませてしまった。
「あら、そうなんですの?」
シトラスが驚いたように目を見張った。
これも当然の反応である。どこの世界に、本業とは別の下っ端がやるような仕事を喜ぶ者がいるだろうか。
だが、彼女の反応に、僕は逆に考えを巡らせた。
本来なら、こんな消極的な話を人に話すべきではないのはわかっている。ましてや、おなじ職場の仕事仲間に、だ。しかし、教会でシトラスが自らの身の上を語ったとき……僕も少しばかり、自分の内面を打ち明けたい気持ちに駆られてしまったのだ。
(それに彼女は心優しい人だ。多少内気でも、受け入れてくれるだろう)
外から窓を覗き、ロイがまだ店内にいることを確認する。それから「ここだけの話なんですが──」と軽く前置きをした上で、僕はこそっとシトラスに打ち明けた。
「やっぱり僕、思うんですよ。自分には探偵は務まらないなって」
「…………」
「目立たない舞台の裏で、細々と生きているのが性に合っているんです。夕べの件だって、僕が先日、探偵の仕事でやらかしたヘマが発端ですから……」
先日、はじめて一つの事件を担当することになった。
見習いとして誰かの補佐にまわるのではなく、一人の探偵として事件の依頼を受けたのだ。
『そろそろ、ハロウくんも表舞台に立つ時が来たようだね』
ほがらかな顔で、所長が僕にそうおっしゃったのをよく覚えている。
『これはテストでもある。ロイくんを助手につけて、自分の力でこの難事件を解決してみてくれたまえ』
顔が別の意味で熱くなる──隣にシトラスが立っていることを思いだして、僕はごまかすように苦笑った。
初担当した事件の概要はこうだ。
所長から渡された依頼の手紙を元に、僕とロイはウォルタから少し離れた位置にある小さな町へ向かった。依頼人は、頬のこけた役人の男で、会うなり『誘拐事件だ!』とひどく興奮した口調で僕たちに迫ってきた。
「いきなりびっくりしましたよ。誘拐だなんて、手紙には内容が伏せられてましたからね。あまりにも鬼気迫った様子に、僕も取り乱してしまいまして……」
最初の時点で、僕は大きな勘違いをしていた。
もっとも、『愛娘を取り返してくれ!』なんて言い方をされては、誰もが間違えてしまうだろうけれど。
「聞きましたわ。誘拐といっても、人ではなくてペットの子猫ちゃんがいなくなってしまったのですよね?」
くすっと笑うシトラスに、僕は情けなく正直にうなずいた。
「それでも一応は、身代金を要求する脅迫状が届いてらしたんでしょう? 依頼人のご自宅のポストへ」
シトラスの言うとおり、脅迫状は届いていた。『下手なことをしたら、おまえの愛娘を殺す』という脅し文句がつづられており、だからこそ依頼人は秘密裏に探偵に助力を求めたのだ。
「大事な人命がかかっているとばかり思って……それにはじめて担当する事件だったことも重なり、僕は完全に冷静さを欠いてました」
およそ三日間、僕はこの脅迫状に翻弄された。
捜査のさなかも、犯人からの脅迫状が届いた。紙は僕と依頼人をからかうようにあちこちに出没しては、細かな指示を出してきた。これがまた子どもの遊びのようで、『屋根に上れ』だだの『池に向かえ』だの、その先で新しい紙を見つけては次の指示に従わされるはめになった。
終わりの見えない遊戯に、僕の精神と体力は限界まですり減らされた。
そんななか、助手役のロイが誘拐された子猫を発見したことで、事件は驚くほどあっさり解決に至った。
「まさか誘拐犯が、依頼人の奥さんだったなんて……」
愛娘ことペットの子猫が発見されたのは、その奥さんの私室であった。どうも依頼人が子猫にばかりかまけるものだから、嫉妬心から今回の事件を起こしたらしい。
「まぁ……もしかすると所長も、最初から事件の真相に気づいていたのかもしれませんね」
「そうですね。いま思えば、僕の実力を試すにはもってこいの簡単な事件でしたから」
依頼人が奥さんに謝り、ひとまず夫婦の仲は円満に戻った。
『これからは夫婦一緒に、子猫をじつの子どものように愛して暮らしていきます』と、当人たちが満足げに述べ、無事に事件の幕は下りた。
しかし、僕が見当違いな推理をしていたことに変わりはない。 テストはもちろん不合格。いままでどおり、見習い探偵として事務所に居座ることになった。
「所長はお優しい方ですから、『失敗は誰にでもある』と前向きな言葉をくださったんです。でも、あのギル・フォックスは僕のやらかしを甘く捉えなかった……」
鋭い青の眼光が僕に突き刺さった。『ロイが途中で間違いに気づいたからよかったものの、危うく事務所の信用を損なうところだったぞ』と、厳しい口調で彼が僕の過ちを咎めた。
「それで罰として雑用を……というわけです」
「そうだったんですか。ギルさんからの言いつけだったんですね」
「彼はとてもストイックな男です。特に事務所で一番名前が売れている、いわば花形探偵なんですよ。事務所の信用問題に誰よりも敏感なのは当然のことです」
失敗談を笑い話にやわらげて、僕は肩をすくめた。
ひとしきり吐きだしてすっきりしたのか、そこで舌が止まってしまった。シトラスのほうも振る話題がないらしい。お互いなにも返さず、しばし二人の間に奇妙な沈黙が漂った。
(もしかして、あまりに情けない吐露だったからあきれてしまったのかな?)
いまさら心配になって、ちらりと横目を向ける。彼女はただ無表情のまま、少し頭をうつむかせていた。
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