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『忘れ物の多い喫茶店』 第2話



じいちゃんの喫茶店を継ぐことを決め、すぐ仕事を辞めてたくさんある手続きを終わらせてから数週間。

両親に話した時はめちゃくちゃ驚いていたけど、応援すると言ってくれた。

元々ごひいきにしてくれていた常連さんもみんな温かく受け入れてくれて……本当にいい人たちに恵まれたと思う。

仕入れ先の業者の方にも挨拶に行ったが、特に問題もなくスムーズに進んだ。

準備に1月程時間はかかったが、そんなものだと自分を納得させる。

ただ一つだけ問題があったとすれば経営方針だろうか?

 

(土日限定のランチメニューとか作ってみるか?)

 

アイデアを捻り出しメモをしていく。

元々じいちゃん1人で経営していたとはいえ、常連さんは結構多かったしコーヒーや紅茶の種類も多かったからそれなりにお客さんを呼び込むことが出来てはいたが、みんな結構なご高齢だったのだ。

 

(新規お客様をもっと呼び込めれば利益も上がるんだけどなぁ)


やはりお手伝いと経営者では大きな違いがあるものだなと肩を落とす。

そんな日々を過ごしながら今日も仕込みを始める。

 

「さーて!開店するか!」



 

無事開店して1週間、ようやく落ち着いてきた。

最初は慣れない作業でてんやわんやだったが、今となっては余裕すら感じる。

まあ、まだまだ勉強中だし、これからも精進しないとだけどね。

流石に最初はモーニングで朝の7時には開店するようにしていたから体が辛いと思ったけど、今はもう慣れて大丈夫だ。

というのもこの店、平日は朝7時から夕方7時までの営業なのだ。

なので朝4時くらいには起きないといけないのだが、早く起きることは慣れているし苦ではない。

 

(休日の営業時間を変えてみようかなぁ)

 

平日と休日の客入りや客層が違うので、その辺の調整も必要だろう。

あと、モーニング以外のセットメニューを作るのもいいかもしれない。

一応ランチ用のセットメニューは作っておいた。

なんてことを考えながら店内を見渡す。

テーブル席がいくつかあってカウンターもある、所謂昔ながらのレトロな喫茶店といった感じである。

壁際に本棚があり、中にはじいちゃんが集めてきたであろう本がびっしりと並んでいる。

漫画から小説、なぜか画集まで置いてあり少しカオスになっている。

また、窓際には小さな観葉植物が置かれている。これは俺が小さい頃にじいちゃんと一緒に育てていたものだ。

ちなみに今はサボテンを育てているが、これがなかなか難しい。

たまに水をあげすぎて腐らせることもある。

閑話休題。



 

さて開店して早々モーニングを食べに来たお客さんの接客をしているわけだが……

 

「しかしあの頃はこんなに小さかったのにね〜」

 

「ほんとよねぇ〜いつの間にか大きくなって」

 

「そりゃ大きくなるよ……」

 

この人達は俺が生まれる前からずっと通ってくれてる常連さん達で、俺のことも爺ちゃんのこともよく知っている人達である。

だからこうして話しかけてくることもよくあることだ。

そして俺はというと、恥ずかしくて上手く話すことが出来ない。

小さい頃ならまだしも、大きくなったらなんか気まずくなるよね?そういうもんだと思うんだ。


 


「…………やっと落ち着いた。」

 

あれからしばらく時間が経ち昼のピークも終わった所でようやく落ち着きを取り戻した。

最初の忙しい時間帯が終わり一息つく。

そんなに混んだりする店ではないがピーク時に1人で切り盛りはまだまだ慣れそうにない。

すると平日のこの時間帯ではあまり見ない学生服を着た女の子達が入ってきた。

 

(珍しいな……)

 

「いらっしゃいませー」

 

反射的に声をかける。

 

「うわー何かいい雰囲気なお店だね」

 

「うん、私こういうお店が好きだなぁ」

 

「じゃあさ、ここにしない?」

 

女子高生3人組がそんな会話をしながら店内に入る。

うちの常連さん達は皆年配の方が多いから新鮮味を感じるなぁと思いつつ彼女達の元へ向かう。

 

「3名様でしょうか?こちらへどうぞ」

 

(あの制服って確か近くの女子高だよな?)

 

あまり学校には興味が無いので詳しくは知らないけど、この辺りでは結構な有名校だと聞いたことがある。

 

(あーあれか、午前中に学校が終わったから遊びに行くってところか。)

 

そう考えながらテーブル席に案内し、お水とおしぼりを渡す。

 

「ご注文が決まりましたらそちらのベルを押してください」

 

そう言いキッチンに戻る。

キッチンから様子を伺ってみると、

女子高生達は初めてのお店ということでメニュー表を見ながら何を頼むか悩んでいるようだ。

 

「ランチメニューあるよ」

 

そう言うと1人の子が反応する。

 

「えーどれどれー?あー美味しそう!」

 

「いいね、値段も千円超えないくらいだし。私はこれにしようかなー」

 

「私はこれ!」

 

それぞれ決まったようなのでベルがなる前にオーダーを取るため、彼女たちの元へ向かう。

 

「ご注文お決まりでしたら伺います」

 

「はい!ランチメニューA、B、Cそれぞれ一つずつお願いします!」

 

「かしこまりました。ランチセットの方ですがコーヒーか紅茶どちらになさいますか?」

 

「あ、それなら私がコーヒーで」


「じゃあ私は紅茶を」

 

「私も紅茶で」

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

伝票を書き上げ厨房に戻り早速調理に取り掛かる。

ランチセットはパスタとサラダ、ドリンク付きで千円超えない値段で提供している。

なので若い人でも手を出しやすいように工夫している。

といっても凝ったものではなくシンプルなものだが。

ただ従来よりもパスタの種類は豊富にしてみた。

今回頼まれたのはナポリタン、カルボナーラ、明太子のパスタである。

まずはサラダの盛り付けを始め、ドレッシングも用意していく。

うちの店はドレッシングはかけて提供ではなく好みでかけるタイプだ。

用意したドレッシングはオリジナルのドレッシングと和風、若い子向けにシーザーとゴマの全4種類を用意している。

ちなみにこれは爺ちゃんの代からずっと続いているうちの店のこだわりの一つだ。

3人分の麺を茹で始めるのと同時にサラダを提供しにいく。

 

「お待たせしました。こちらがランチセットのサラダになります」

 

「ありがとうございます」

 

「お好みでこちらの中からドレッシングをお選び下さい、では失礼いたします」

 

そう言い厨房に戻る、1人で経営しているためマルチタスクが大変である。

それぞれのパスタのソースを作りながら客席から聞こえる声を俺は聞いていた。

 

「ドレッシング選べるの嬉しいね」

 

「うんうん、私好きなやつあったからそれにしたんだー」

 

「そうなんだ。私はちょっとずつ味変したいから全部試してみようっと」

 

「おお、チャレンジャーだねぇ」

 

そんな会話を聞きながら、ドレッシングを数種類用意しておいてよかったと心の中でガッツポーズをする。

喫茶店といっても若い子からの評判も良くなければお店はいつかやっていけなくなってしまうからな。

とはいっても、最近ニュースで見るような写真だけ撮って食べ残すみたいなお客さんは来て欲しくはないが……

 

「よし、出来た」

 

メインの料理が出来上がったので提供する。

 

「おまたせいたしました。ランチセットのA、B、Cです」

 

「わぁ、おいしそー」

 

「写真撮ろっ」

 

そう言ってスマホを取り出し写真を撮り始めた。

パシャッと音が鳴り3人揃って満足げな表情を浮かべていた。

 

「ごゆっくりどうぞ、この後紅茶、コーヒをお出ししますので」

 

そう言ってその場を離れる。

その後も彼女達の声が聞こえてきたのでキッチンの片付けをしながら耳を傾けてみる。

 

「明太子たくさん入ってて美味しい!」

 

「ほんと、このパスタ好きだなぁ」

 

「でしょー、ここのパスタめっちゃ美味しいんだよ」

 

「へぇー今度他のも食べてみたいなぁ」

 

そんな会話が聞こえてきて、1人だけここのパスタを食べたことがある人がいる事に少し嬉しく思った。

 

(常連さんではないよな?爺ちゃんが経営していた時に来てくれてたお客さんかな……)

 

そんな事を考えながらコーヒと紅茶の準備をし始める。

コーヒーは昔からオリジナルブレンドでよく香りが引き立つようにドリップしている。

紅茶はアッサムティーを使っている。

これはミルクティーにしても合うし、ストレートでも楽しめる万能な茶葉だ。

ドリンクの準備も出来たので、提供しに行く。

 

「お待たせいたしました。こちらがコーヒーと紅茶になります」

 

そう言ってカップを3人の前に置く。

 

「あ、いい匂いですね」

 

「うわぁー本格的ー」

 

「わぁーいいなー」

 

三者三様の反応を見せる。

そして彼女達はゆっくりと飲み始め、感想を言い合っていた。

 

「あ〜何かこのお店良いかもね」

 

「うん、落ち着く感じするね」

 

「でしょ」

 

気に入ってもらえたようで良かったと思いつつ厨房に戻る。

 

(ふぅ、やっと落ち着いた)

 

ようやく落ち着いたので皿を洗い始める。

1人で回しているためランチタイムに皿を洗う暇が無いため洗い場には沢山のお皿が積み重なっている。

洗おうとするとカウンター席に座る常連さんから話しかけられる。

 

「若い子も来るようになって、時代の移り変わりかしらね」

 

そう呟くのはじいちゃんの頃からの常連さんの1人である、千晶さんだ。

俺が学生の時あたりから常連さんになった人であり、スーツを着ていかにも

仕事ができそうな印象の女性だ。

ちなみ年齢は知らない、以前聞こうとしたらはぐらかされたのでそれ以来聞いてはいない。

  

「あはは、そうかもしれません。ランチ限定メニュー作ったからですかね?」

 

「そういえばそうだったかしら。じゃあ今度はランチを頂こうかしら」

 

「ぜひお待ちしております」

 

そう言って笑顔で返す。

千晶さんは決まってカウンター席で紅茶とデザートを注文してくれる。

ちなみに今日はチーズケーキだ。

千晶さんは2、3日に一回は顔を出してくれる、大変有難いお客様である。

 

「あら、もうこんな時間。仕事があるからそろそろ行くわね、ごちそうさま」

 

「はい、ありがとうございました」

 

会計をし、お店を出る彼女を見送る。

ちなみに仕事は何をしているのか聞いたところ上手くはぐらかされてしまい、結局知らないままである。

歳も仕事も分からない何ともミステリアスな女性だ……

予想だが30〜40代だとは思う…多分。

そんな事を考えているうちに、店内はノートに何かを書いている男性と女子高生3人組のみとなった。

その男性は前にも見たことがあり恐らく勉強中だろう。

俺は皿を片付け仕込みの量の確認をした後、考案中のデザートのレシピを書く。と言ってもほとんど決まっているようなものだが。

紙に書いてあるのはプリンとパンケーキのレシピだ、安く提供でき、女性受けが良さそうなメニューがあった方がいいかと思い現在思案中である。

レシピを考案していると女子高生3人組の声が聞こえてくる。

 

「ねえ、これめっちゃ美味しいね!」

 

「でしょ!」

 

「うんうん、こっちも好き〜」

 

「えーどれ?私も食べるー」

 

それぞれのパスタをシェアしているようだ。

ゆったりと休憩できる場所が喫茶店のいい所でもあるが、こういう和気藹々とした雰囲気も

このお店には合っていて嫌いではない。

 

「はい、これもあげるー」

 

「やったー、ありがとう」

 

楽しそうに過ごしているのを見ると喫茶店冥利に尽きるというものだ。

じいちゃんはよく言っていた、美味いだけではなく過ごしやすい環境を作るのも喫茶店の大事な要素だと。

確かにそうだと俺も思っている。

そんな事を思いながら彼女達の会話をBGMにして、俺はデザートのレシピを書いていくのであった…………


 


 ________________________________


 


「どう?元気出た?」

 

「え?」

 

突然そんな事を言われて戸惑ってしまう。


「なんか暗い顔してたけど、大丈夫かなって思って」

 

「あ、うん大丈夫だよ!」

 

「そう、ならよかった」

 

そう言って美紀は笑った。

今日はテスト期間のため学校が早く終わり、私は友達の美紀とあやと一緒にお気に入りの喫茶店に来ていた。

お気に入りと言っても来るのは久しぶりだが……

 

「そうだよねー?元気ないように見えるんだけど……」

 

「あやもそう思った?志緒里元気ないよねー」

 

「そ、そんなこと無いよ!ちょっと疲れてるだけだと思う」

 

「大会のことでしょ」

 

いきなり悩み事の核心を突かれてびっくりしてしまう。

だが、悩み事は1つでは無いのだが……

 

「えっと、まあそうです、はい……」

 

「やっぱりねぇ」

 

私の返事を聞いて、納得したような表情を浮かべる美紀。

前から私も思ってはいたが美紀は面倒見が良い、クラスから美紀ママとか言われているのも納得だ。

 

「怪我の痛みはどうなの?」

 

「あ、うん。まだ少し痛むけど日常生活に支障はないかな」

 

「無理しないでよ?」

 

「わかってるよ、でももう陸上はやれないって言われた時は本当にショックだったけどね」

 

そう言って苦笑いをする。

目線は美紀には合わせられないけど……

 

「そっかー、好きだったもんね志緒里は」

 

私は昔から走ることが大好きだった。

だから高校でも陸上部に入部した。短距離走で県大会にも出場するほどの力を持っていた。

しかし先月事故にあい足を骨折してしまったのだ。

幸いにも命に関わるような大きな事故では無かったが、今後陸上を続けるのは厳しいと医師から告げられた。

 

「うん、正直見てるだけって辛いし、部活辞めようかとも思ってるんだけどね」

 

「もったいないなぁ、せっかくいい記録持ってたのにね」

 

「ほんとにね……」

 

「はぁ」

 

思わずため息が出てしまう。

すると美紀は何か思いついたように口を開く。

 

「ねえ、気分転換にテスト終わったら遊びに行かない?」

 

「お、それ良いね」

 

「うん……」

 

「あ、もしかして用事があるとか?」

 

「ううん、そういう訳じゃないんだ」

 

「じゃあ行こうよ、たまには遊ばないと」

 

「……うん、いいよ。」


「よし、決まりね!」

 

こうしてテスト明けに遊ぶことが決まり3人とも美味しいランチタイムを過ごす。

食べ終わった後はいつものように他愛のない話をしていた。

 

「――じゃあそろそろ帰ろうか」

 

「そうだね」

 

「本当いいお店紹介してくれてありがとうね、志緒里」

 

「こちらこそありがとね」

 

そう言って私たちは会計を済まし、店を出た。


 


 ______________________



 

(俺の高校時代はどんな感じだったっけ?)

 

そんな事を考えながら女子高生3人組を見送る。

 

(ほぼ土日ここの手伝いしてたな…)

 

高校生の頃は別にボッチとかではなく普通に友達はいたが、バイトばかりしていた気がする。

今考えるともう少し青春っぽいこともしておくべきだったと思うが……

まあ過ぎ去ったことは仕方がない。それに今は充実しているし後悔はしていない。

そんなことを考え、テーブルの片付けをしていると

 

(ん?)

 

テーブルの下に何か落ちているのを見つけた。

拾い上げてみるとそれは可愛らしいストラップでパンダのぬいぐるみが付いているものだった。

恐らくあの3人組の誰かの落とし物だろう。

店内を見渡す、勉強している男性は集中しているようでまだ会計はしないであろうと予想する。

俺は小走りで外に向かう。

扉を開け、辺りを見渡す。

しかし女子高生の姿は見えず、仕方なく店内に戻ることにした。

 

(とりあえず保管しておくか……)

 

そう思い、レジ下の棚にそのストラップを置いた。

 

(取りに来るかもしれないしな…)

 

そう考え、俺はカウンターに戻りこれからの食材の減りを計算しながら仕込みの量を確認していくのであった。



 

 _______________________________________________



 

「ありがとうございました!」

 

ラストオーダーも終わり、店を出るお客様をお見送りしていく。

 

「ふうー。」

 

平日の営業も慣れてきたものだ。

じいちゃんと比べるとまだまだだが、少しずつ成長しているはずだ。

そんな事を思いながら、閉店の看板を表に出し一息つく。

慣れてきた影響か疲れてはいるが心地よい疲労感だ。

さっさと片付けと掃除を終わらせるか。

そんな事を考えていると

 

(そういや日本酒貰ったんだっけ…)

 

色々と開店準備に手間がかかってしまい1月程店を閉めていたからか、俺が開業した途端お祝いとして常連さんから色々なものを貰ってしまった。

中には高価なものも混ざっており、本当に申し訳ない気持ちになったが……

その中で頂いたものの中に純米大吟醸酒があったのだ。

 

「そういえばあの神様酒を持ってこいとか言ってたな…」

 

あの濃い一日は今でも鮮明に覚えている。

次は酒を持ってくるんだぞ!的なことを言っていたし、

初めて会った時の第一声も「久しぶりの飯じゃー!」だったしな……

俺は苦笑しつつ、キッチンへと向かう。

 

「確か冷蔵庫に入ってるはず……」

 

冷蔵室を開けるとそこには1本の酒瓶が入っていた。

 

「あったあった」

 

(これならあの神様も満足するよな?)

 

そんな事を考え自分の夕飯、もとい賄い作りにとりかかる。

今日はたまたま仕入れ先の肉屋で砂肝が安く売っていたため試しに買っておいたのだ。

料理の研究用と自分の賄い用で2人分は買った、

 

(賄い用でとりあえずガーリック炒めにしてみるか)

 

調理に取り掛かるが、これもあの神様に食べさせてあげたいと思った。

 

(まあ日本酒に合うしつまみに丁度いいだろ)

 

まるで居酒屋に出てくるようなメニューだと笑ってしまう。

だがこの喫茶店は一般的な喫茶店よりかはキッチンが広く、食堂の厨房並みに大きいのだ。

だからうちの喫茶店は色々なメニューが作れる。

ちなみに中華鍋もあったりするが使ったことはない、一体じいちゃんはどこで使っていたのか……

そんな事を考えつつ、ガーリック炒めを作り終えた。

スープやサラダ、ご飯はすぐ作れる為、さっさと用意を進める。

 

(お礼を言わないとな……そういえばあの神様は名前なんて言うんだろう?聞いてみるか。)

 

そんなことを考えながら、俺はお供物の準備をする。


 


ネックレスをかけ鍵を差し込み裏手にでる、やはりそうすると見たことのない林がありその中に続くように道ができている。

その光景にまだ慣れはしないが、俺は迷わずその道を進んでいく。

すると開けた場所に出る。

そこには変わらず少しボロい小さな祠があった。俺は祠の前に行きしゃがみ手を合わせる。

 

(神様、じいちゃんに会わせてくれてありがとうございます。こちらはそのお礼です。)

 

そう心の中で呟き、作ってきた砂肝のガーリック炒めと頂いた日本酒を置く。

 

(喜んでくれるといいんだけど……)

 

そんな事を考えながら、その場から少し離れる。

すると以前見た時と同じように祠がガタガタと揺れ始める。

知らない人が見たらホラー映像だよなこれ……

 

「来るかな…」

 

そんな発言と共に出てきたのは……

 

「酒とつまみじゃー!!」

 

変わらず巫女服姿の狐耳を生やした綺麗な女性だった。

ボロボロの祠から不釣り合いだと思ってしまうほど綺麗で美しい姿だ。

コスプレするのとは訳が違うと感じてしまう。

何と表現して良いのかは分からないが、オーラ?というものが違う。

 

「このタイプの酒は久しぶりじゃの〜しかもつまみまで!」

 

随分機嫌が良いようで尻尾を振り回している。

 

「おお!これは美味いの〜」

 

早速肴に手をつけている。

そんな姿を見ていると作って良かったと心から思う。

 

「あの、この間はありがとうございます。」

 

俺はきちんと頭を下げお礼を言った。

 

「ん?」

 

「えっと、前にじいちゃん呼んでもらったじゃないですか」


酒を飲むのを止め、こちらを見る女性。

胡座をかいて座る姿でもどこか神聖さを感じる。

 

「ああ、あの時のことか。別に気にするでない、わしはお前の願いを叶えただけじゃからの」

 

「それでも助かったので……」

 

「律儀な奴じゃの、ところでまだ自己紹介をしてなかったのぅ。わしの名は小稲荷じゃ。」

 

(……コイナリ?まさか稲荷様みたいなものか?)


ようやく聞きたかった名前を聞けたのはいいが、その名前に驚きを隠せない。

日本で稲荷様って言ったら商売繁盛とか家内安全とかめちゃくちゃご利益があるイメージだけど……

 

「あー、えーと、改まして坂本歩夢です」

 

「律儀じゃの〜別にそんな畏まらんでも構わんぞ」

 

「いえ、そういうわけにはいかないですよ」

 

神様相手に無礼な態度をとるなど恐れ多いことだ。

それにしてもこんな若い見た目なのに凄い貫禄だな……

そんな事を考えていると

 

「その格好してるってことは店を継いだのかの?」

 

 唐突に質問された。

 

「あっ、えっと……はい継ぎました」

 

そう返すと小稲荷は嬉しそうに笑う。

酒瓶を片手に持ちながら。

 

「そうかそうか、それはめでたいの!」

 

「あ、ありがとうございます」

 

小稲荷は酒瓶を直で飲みながら上機嫌に笑う、その姿だけではただの酔いどれ美人なお姉さんにしか見えない。

 

「――そうじゃった!そうじゃった!、どれどれ〜」

 

突然酒瓶を置き、何かを思い出したかのように腕を組み空を見上げ、

じいちゃんを呼んだ時のように突然唸り始める。

 

「ふむ……なるほどの〜」

 

また俺ではない誰かと話すように独り言を言い始めた。

 

「どうやらお主は昭恵に似たの〜」

 

酔いが回ってきたのか少し舌足らずになっている。

神様は酒に強いイメージがあったが、子稲荷様はそうでもないのか?

 

「昭恵?……おばあちゃんにですか?」


昭恵という名前は俺の婆ちゃんだ、といっても俺が生まれてすぐに亡くなってしまったので

あまりよく知らないのだが。

 

「いやいや人気者じゃな〜、では呼ぶとするかの!」

 

酔っているからかこちらの質問には答えず上機嫌だ。

小稲荷様はそういうとじいちゃんの時と同じように突然手を合わせ目を閉じた。

すると風が辺りに吹き始め、目の前に光が灯る。

瞬発的に目を閉じてしまう。

じいちゃんの時と一緒だが心の準備が出来ていないため驚きを隠せなかった。

少しづつ辺りの光が落ち着いてきたのを感じたので俺は目を開ける。

その光はだんだんと人型へと変わっていく。

 

『誠に申し訳ございません、この度はよろしくお願いいたします』

 

突如目の前に現れた人は女性で30か40代くらいであろうか、とても美人で上品さを感じる。

スレンダーな体型で家で着るようなラフな服装、こちらにお辞儀する姿はとても真面目な人だとわかる。

 

「えっ、あの……」

 

いきなりのことで戸惑いを隠せない。

前はじいちゃんが現れたから対応できたが、今目の前にいる人は知らない人である。

……………本当に誰だ?

 

『ああ、すみません挨拶が遅れてしまいましたね。私は高梨幸枝と言います。』

 

そう言って再び頭を下げる女性。

 

「あっ、坂本歩夢です。」

 

つられてお辞儀をする。

名前を聞いて俺はもう一度思う……本当に誰だ?

失礼のないよう必死に思い出そうとするが、やはりまったく覚えが無かった……

爺ちゃんの知り合いか?

 

『あなたとは初めましてですね』

 

そう言い微笑んでいる彼女はとても優しげで、どこか母性を感じるような人だった。

初めましてってことは初対面か………やはりこの人と会った記憶はないのは正しいようだ。

 

「あの、小稲荷様これは一体?」

 

「おお、すまんのう〜つい忘れておったわ」

 

そう言うと小稲荷様は立ち上がりフラフラとこちらに歩いてくる、凄い酔ってらっしゃる…

 

「実はの、前みたいにお主の中に入って料理したいんだとよこの奥方様がの」

 

「…………はい?」

 

「だから〜あのじじい呼んだ時と一緒じゃて、ほら行った行った。」

 

手を振り払うかのように酒をあおりながら、俺を追い出そうとする。

爺ちゃんと一緒とは俺の中に入るということだよな?

 

「えっと……」

 

「大丈夫じゃよ、悪いようにはせんから」

 

『本当に申し訳ございません、よろしくお願い致します』

 

高梨さんはまたお辞儀をする。

 

「えっと、わかりました……」

 

何が何だがわからないまま俺はとりあえず了承した。

……えっ、女性が入るの?


 


 

「……えっとそれで、俺の中に入って料理をするんですよね?」

 

祠からの帰り道を高梨さんと歩く、俺は気になっていたことを尋ねた。

 

『はい、娘がいましてその娘に食べさせてあげたいんです』

 

「はぁ、そうなんですか?」

 

よくわからず曖昧な返事をしてしまう。

 

『はい、あの子最近食欲がなくて心配で……』

 

「なるほど………」


親からすれば娘が食欲がなく食べれていないのは心配して当然だろう。

 

『一昨日なんてあの娘無理して食べて吐いてしまって……このままじゃいけないと思って何とか出来ないか考えていたら

あの神様に呼ばれまして……』

 

「な、なるほど……」


一体どういう仕組みなんだ?あの神様やあの場所の秘密なのか?

 

『それで話を聞いてみたら面と向かって会話はできないけど、とある体を使って料理は出来ると言うので

 それなら私も協力できると思いまして』

 

とある体っていうのはおそらく俺であろう。

まぁ俺は死人から見たら便利な体ってことだろうな。

 

「はあ、でも俺料理以外特に何もできませんよ?」

 

『大丈夫です、今はあの娘にとにかく食べさせてあげないといけませんから!』

 

ガッツポーズをしながら力説する幸枝さん。

なんだろう、凄く優しいお母さんなんだな……

礼儀正しく優しいお母さんとか凄く良い親だな。

 

『その為お身体を借りるのですが、何かありましたらすぐ言ってくださいね』

 

「ああ、大丈夫ですよ」

 

じいちゃんの時と同じ感覚が俺に襲うという事だけはわかった。

それに、話していて高梨さんは、俺の体で変なことはしないだろうと思ったので俺も安心している。

 

「あっ着きましたね、どうぞ」

 

そんなことを考えながら歩いていると店に着いたので案内する。

俺と高梨さんは裏手の扉から厨房に入る。

 

『わあ〜広い厨房ですね』


店に入った矢先、高梨さんは広いキッチンを見た感想を言う。

高梨さんは興味津々に辺りを見渡す。

 

「広いですよね、喫茶店にしては広いキッチンだと俺も思います」

 

『喫茶店なんですか?あら……』

 

幸枝さんは厨房から客席の方に出る。

カウンターをすり抜けテーブル席から外の景色を見る高梨さん。

 

『あの、もしかしてここって喫茶【忘れ物】ですか?』

 

「はい、そうですが?」

 

『やっぱり!娘が小さい頃何度か来たことがあるんですよ!』

 

「そうだったんですか?」


まさか店に来たことがあるお客さんだとは思わなかった。

 

『はい、懐かしいですね〜確かオムライスを食べに来たのが最初でしたかね〜』

 

「それはありがとうございます」

 

例え昔でも来てくれていたお客様がいた事に嬉しく思った。

 

『まさか知っている場所でこんな事ができるとは思ってませんでした!』

 

幸枝さんのテンションが上がっていく。

それも当然だと俺も思う。全く知らないところで行われるよりも知っている場所で不思議な体験が

出来ると知ったらこうなるのも当然だろう。

 

『さてと、時間も限りがあるらしいので早速準備を始めましょうか』

 

「あっ、はい」


俺も切り替え手洗いを済ます。

 

『まずは食材の確認をしないと、多分大丈夫だと思うんですが…』

 

幸枝さんは厨房内をウロウロしながら、色々と確認している。

慣れないキッチンなので食材の保管場所等分からないのは当然なので、

色々な場所を開けては確認をする高梨さん。

 

「あの〜、お聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

『んっ、どうしましたか?』

 

俺はずっと疑問に思っていた事を口に出す。

 

「そもそも何を作るんですか?」

 

『あっ言ってなかったですね!ケチャップチャーハンです!』

 

幸枝さんは自信満々に答えた。

 

「えっ?」

 

思わず驚きの声が出てしまった。

 

「…………ケチャップチャーハン?」




 


ケチャップチャーハンとはライスを炒めたものにケチャップ等を加えるだけの簡単な料理である。

ちなみにそこに鶏肉が入るとそれはケチャップライスではなくチキンライスになるらしい。

まぁケチャップライスと言う家庭もあればケチャップチャーハンという家庭もあるらしいので

一概にこれと決まっている料理では無いと俺は思う。


「ケチャップチャーハンですか……珍しいですね」

 

『そうなんですか?私の家庭ではポピュラーなものなんですが……』

 

結構好き嫌い分かれそうなメニューだと思ったのだが幸枝さんの家庭では人気メニューのようだ。

ちなみに俺の家庭では出たことはない。

 

「なんだかんだ言って自分でも作ったことないかも知れないですね、大抵オムライス用のチキンライスになってしまうので…」

 

『ですよね…………そうだ!ここでも食べさせてもらったんですよ、ケチャップチャーハン!』

 

どう言うことだろうか?

うちのメニューにケチャップチャーハンは載っていないはずだが………

過去のメニュー表も全部チェックしてあり、そこには確実にケチャップチャーハンは載っていなかった。

 

『まだ娘が小さい時にこれ食べたい!ってわがまま言ってしまったんですよ』

 

なるほど、小さい娘ならよくあることだろう。

それならメニュー表に載せていなかったのも納得だ。

俺にもそんなわがままを言う時期があったのだろうか?思い出せない。

 

『そうしたらマスターさんがこれなら簡単に作れるよって言ってくれて』

 

爺ちゃんならやりそうだな〜と心の中で思う。

俺が手伝いをしていた頃からそれくらいのサービスは簡単にこなしていた。

……俺も頑張らなきゃな。

 

『あの時はヒヤヒヤしましたよ店内でわがまま言う子供なんて他のお客様からしたらご迷惑かもしれませんしね』

 

高梨さんは苦笑いをしながらあの時のことを思い出すかのように話をしてくれた。



 

 ___________________________________



 

 

「ほら、今日は何食べる?」

 

小学生になったばかりの娘にメニューを指差して尋ねる。

 

「えっとね、このオムライスにしたいけど……」

 

来る前は随分と機嫌よく走り回っていたはずの娘が何故か今は元気がない。

初めて行くお店で緊張しているのだろうか?

 

「うーんとね、あのね…」

 

「うん?」

 

「……なんでもない」

 

何も話してくれない娘に少し悲しくなる。

いつも明るく何でも話すのに…………

 

「どうかされましたかな?」


物腰柔らかそうな店主さんが水を出しながら話しかけてくれた。

60代はいっていると思われるが服装からはとても清潔感を感じる。

 

「あっ、大丈夫ですよ」


私は迷惑をかけたく無いためやんわりと断る。

 

「……いいよ、何が食べたいんだい?メニューに載ってなくても大丈夫だよ」

 

店主は私だけでなく娘の方にも目を配り、屈んで娘に

視線を合わせ優しく声をかけてくれる。

 

「……えっと、オムライスなんだけど」

 

「けど?」

 

「………卵いらない………」

 

そう言いながら娘は下を向いてしまう。

卵がいらないって?それだと……

 

「卵なしかい?ならチキンライスで大丈夫かな?」

 

「……チキンライス?違う!お家だとケチャップチャーハン!」

 

娘は大きな声で主張する。

どうやら娘はたまに家で作るケチャップチャーハンが食べたいようだ。

ここに来てまさかそんなことを言うとは思わ中った私は少し強い口調で娘を叱ってしまう。

 

「こら!そんなわがまま言わないの!」

 

「でも、今食べたいの……」

 

そう言いながら泣き出しそうになる娘。

本当に困った……ケチャップチャーハンなら家で食べているのに……

 

「大丈夫ですよ、ケチャップチャーハンですね」

 

店主はそんな娘のわがままにも暖かく接してくれる。

ありがたいが、親としては少し恥ずかしい。

 

「そんなわざわざメニューにないものを……」

 

「いえ、大丈夫ですよ。食べたくなっちゃったんだからしょうがないもんな嬢ちゃん」

 

「うん!」

 

娘は笑顔になり大きく返事をする。

食べたい物を食べられると知ってからか、娘は上機嫌に足をプラプラさせている。

 

「良いんですか?」

 

「構いませんよ、高級な料理を要求されたわけでは無いですし」

 

「おじちゃん!ありがとう!」


娘はきちんとお礼をする。

こう言うところはちゃんと教育しといて良かったと思う。

 

「ちゃんとお礼を言える良い娘だな」

 

「えへへ〜」

 

娘は照れくさそうに笑う。

 

「じゃあすぐできるんで待っててくださいね」

 

「本当にすみません」

 

「謝らなくて大丈夫ですよ……そうだ、家ではどんな感じのケチャップチャーハンを?」


店主からの問いに家で作るケチャップチャーハンの調理工程を頭に思い浮かべる。

 

「えっと、普通にチャーハンを作る要領で夕飯の余り物とか、ケチャップを加えるくらいなのですが…」

 

「じゃあ胡椒とかはかけても大丈夫なんでかね?」

 

「はい、大丈夫です」


恐らく辛いものや苦手なものがないかの確認だろう。

本当に優しい店主で良かった…

 

「了解しました」

 

そう言い店主は厨房に戻る。

何事も無かったかのように普段通りに調理にかかる姿はかっこいいなと私は思った。

メニューに無い料理なんて大抵どこでも拒否されるのが普通なのだから。

それから数分後注文した品が出てくる。

 

「お待たせしました」

 

「わぁ〜美味しそう!」

 

店主が作ったケチャップチャーハンには具材としてウィンナーと玉ねぎ、そして中央には可愛らしくコーンが乗っていた。

子供が好きな食べ物が乗っているからか娘はさらに上機嫌だ。

 

「いただきます!」

 

娘は我慢する様子もなく、スプーンでチャーハンをすくい口に運ぶ。

 

「んっ!」

 

「ど、どう?」

 

私は恐る恐る娘に聞く。

ここまでして貰って失礼な言葉が出るかと思ったら気が気でない。

 

「おいしい!!」

 

満面の笑みを浮かべて答える。

私は安心してソファの背もたれにゆっくりと体を預ける。

失礼な事を言わなくて良かった……

 

「なら良かった」

 

「本当にありがとうございます」

 

「良いって良いって、料理人冥利につきるってな」


全く気にせず私が頼んだパスタセットを出す店主。

その後は私も娘も美味しく料理を全て食べ、お腹いっぱいになる。

またこのお店に来て改めてお礼を言わなくてはと私は思い、忘れないよう携帯にメモをする。

 

「また来てくれな、嬢ちゃん」

 

「うん!絶対くるね!おじちゃん、ばいばーい!」


会計後、お店を出る時にそんな会話が娘と店主の間で交わされる。

私は静かにお辞儀をし店をでる。

帰り道、娘の嬉しそうな後ろ姿は忘れられないだろう。

 

……そんなに走らないの!こら志緒理!

 

子供が元気に走り回る姿は微笑ましいが、こんなに走るとは思っていなかった。

まぁこんな娘の姿を観れるのは一瞬だからと自分を納得させ、勝手にどこか行かないように

娘の手を握り2人一緒に歩いて帰る。

今度はお父さんも一緒に3人で行こうね。……えっ、お父さんはいいの?

……お父さんの前ではあまり言わないようにね。分かった?

 


 _______________________



 


『――という事があったんですよ』

 

「……なるほど」

 

俺は高梨さんの話を静かに聞いていた。

流石じいちゃんだなと思う。

 

「爺ちゃんに負けないように頑張らなくちゃな」

 

『爺ちゃん?もしかしてお孫さんなの?』


高梨さんはまじまじと俺の顔を見る。

 

「そうですね、一応小さい頃から休日だけですけど店の手伝いとかしてました」

 

『そうなのね、休日は来たことなかったから分からなかったわ!』

 

昔話に花を咲かせていると、高梨さんは使う食材を決めたようで改めてこちらを見つめ深呼吸をする。

 

『……じゃあ入って良いかしら?』


何故だろう?じいちゃんの時は何とも思わなかったが女性が入ってくると思うと変な緊張が俺を襲う。

変な風にならないよね?不安がすごいんだが……

 

「はい……大丈夫ですよお願いします」

 

『ふう……行きますね!』

 

こちらに走って向かってくる高梨さん。

俺は目を瞑って待機していると胸の方から衝撃が走る。

身構えていたからか倒れはしなかったが少し後ろによろけてしまった。

体勢を戻そうとすると体の感じがおかしい事に気づく。

この感じは……

 

『うわー男の人の手ってこんなに大きいのね!』

 

「ちょ、ちょっと!」

 

『ごめんなさい、ついテンションが上がっちゃって。』

 

自分の両腕が勝手にグルグルと動かされる。

自分では絶対にしない動きに違和感しかない。

 

『さて作りますか!』

 

幸枝さんはやる気十分と言った感じで調理を始める。

俺の体で食材を切っていく幸枝さん、自分の体なのに他人が動かしている感覚はやはり慣れない。

 

『どうかしましたか?』

 

「いや、何でもないです」

 

『そうですか?なら良いですけど』

 

その後も危なげなく料理を進める幸枝さん。

こうやってみていると切り方やフライパンの扱い方にも個性が表れていて面白い。

そんなことを考えながら見ていたらいつの間にか後はご飯を入れ炒めるだけの状態になっていた。

 

『よし!あとはケチャップを入れて……』

 

そう言い、慣れた手つきで混ぜていく。

その手付きは何回も料理しているのが分かるくらいスムーズだ。

しばらくするとケチャップの酸味のある良い匂いが店内に充満していく。


 

「なんか、お腹空いてきました」

 

『ふふっ、そうですね。もうすぐ出来上がりますよ』

 

あっという間に完成してしまったケチャップチャーハン。

本当にチャーハンを作る要領でケチャップを加えたくらいだ。

分かってはいたが本当に簡単に作れる料理だなと、見ていてそう思った。

 

「うわ〜美味しそうですね」

 

『でしょう!我が家の伝統の味ですから!』


高梨さんは誇らしげに腰に手を当てる。

目の前のケチャップチャーハンはとてもシンプルで家庭的だ。

ネギや卵、少し変わっているのはソーセージが入っている事くらいだろうか。

 

「一口だけ食べてみても良いですか?」


俺は料理人として我慢できずそんな言葉を口に出してしまう。

 

『ええ、勿論です!』

 

「じゃあ……」


心配もよそに俺の言葉を受け入れてくれた高梨さん。

スプーンですくい口に運ぶ。

ケチャップの甘い香りとチャーハンの香ばしさが合わさり絶妙なバランスになっている。

普段食べるチャーハンも良いが、こちらは甘さと若干の酸味がクセになる。

まぁトマトが好きな人なら簡単に受け入れられそうな味だなと俺は思った。

 

「んっ、美味しい」

 

『でしょう!』


どこか嬉しそうな高梨さん。

自分の家庭の味が褒められたら嬉しいのも当然だ。

 

「良いですね、自分初めて食べたかもしれないです」

 

『あら、それは光栄です』


そんな会話をしながら俺は気になったことを尋ねる。

 

「そういえばこれを幸枝さんの家に届ければ良いんですか?」

 

『いえ?あの神様から聞いた話ではこのお店に来るって言ってたわ』

 

「えっと、この後来るんですか?」

 

爺ちゃんのときは一緒に祠から来て、店で食べたから良いものの娘さんはこの後来る? 

もう店は閉まっていて表にもcloseの看板が立っているはずだが………

 

『私にも詳しいことは分からないわ。ただここに来れば会えると言われただけで……』

 

「そうなんですね……」

 

店の表に目を向けてみる……あれ?closeの看板が裏返っている。

きちんと看板を立てたはずだが…

するとタイミング良く扉が少し開く、隙間から顔を出すように女性が顔を出す。

 

「あの〜すみません、まだやってますか?」

 

その女性はフードにダウンを羽織りいかにも寒そうだ。

恐らくまだ10代の女性だろう。

走ってきたのか髪は乱れており顔色も少し悪い。

もしかしてこの娘が……

 

「あっはい!大丈夫ですよ、どうぞこちらの席に」

 

「すみません、ありがとうございます」

 

高梨さんはいつの間にか俺の体から抜けておりその女性を心配そうに見つめている。

 

『志緒里…』

 

俺は店内の明かりをカウンター席側のみ明かりをつける。

一応表にcloseの看板を今一度立てて置く。

 

「あの………すみません、もしかしてもう営業終わりでしたか?」

 

俺の一連の行動を見た女性は申し訳なさそうに聞いてくる。

 

「いや、問題無いですよ。」

 

そう言い少し明るくなった店内で女性の顔をまじまじと見る。

どこか見覚えがある顔だな……

確か今日の昼過ぎ辺りに来た女子高生3人組の内の1人だ。

そんなことを考えていると高梨さんはその女性の周りを忙しなく動き回っている。

 

『本当にごめんね志緒里、ごめんね…』

 

高梨さんは涙を流し謝り続けている。

手を娘さんの方に添えようとするがすり抜けてしまう。

 

(この子が娘さんか………)

 

目元が少し腫れている事から泣いていたのだろうか?高梨さんは変わらず娘の頭を撫でなでている。

しかし娘さん、志緒理さんはのその姿が見えていないのか、下を向いており表情が見えないままだ。

 

「………」

 

しばらく沈黙が続く。

俺も声をかける事が出来ずにいるとようやく娘さんの口が動く。

 

「……あの、そういえばここに忘れ物をしたと思うのですが」


はっきりと顔を上げた娘さんの顔はやはり顔色が少し悪い気がする。

 

「忘れ物ですか?……ああ確かストラップが一個だけ落ちていましたが」

 

「それです!」

 

よっぽど大事な物だったのだろう、勢いよく立ち上がり俺を見つめる。

少しだけ顔に覇気が戻ったか?

 

「今とってきますので少々お待ちを」

 

俺はレジ下の棚からストラップを取り出し娘さんへ渡す。

 

「これであってますか?」

 

「はい!これで間違いないです!良かったぁ〜」

 

心底安心したという感じでストラップをまじまじと見つめる。

相当大事な物なのだろう、両手でしっかりと握る様子からそう感じた。

 

『そのストラップ………』

 

高梨さんは娘さんの手にあるストラップを見て呟く。

俺はとりあえず切り替え、水とおしぼりを用意する。

 

「あっすみません、ありがとうございます」

 

娘さんは軽く頭を下げながら受け取り、そのまま手と口を拭く。

 

「いえいえ、お気になさらず」

 

『……』

 

高梨さんは黙ったまま何か考えているようだ。

……どうするか、今出せるのは高梨さんが作ったケチャップチャーハンぐらいしかない。

 

「あの………この匂いって…」


出来立てのケチャップチャーハンの香りに娘さんは反応したのか

俺に匂いの素を尋ねる。

 

「…………ああ!今賄いで作ってるんですよ、ケチャップチャーハン」

 

「ケチャップチャーハンですか!?」

 

彼女がいきなり大声で叫ぶものだから驚いた。

 

「えっ、ええそうですけど……」

 

「私、ケチャップチャーハン大好きです!!」

 

「そっそうですか……」

 

あまりの迫力に圧倒されてしまい何も言えなくなってしまう。

何かあったのだろうか?母親を亡くして、元気がないだけでは無さそうだが……

 

「丁度閉店したので、今すぐ出せるのがケチャップチャーハンしか無くて……」

 

「全然良いですよ、こちらこそ閉店間際にすみません……」

 

申し訳なさそうに頭を下げながら話す彼女に俺は笑顔で答える。

 

「別に大丈夫ですよ、すぐお出しますね」

 

「すみません、お願いします」


綺麗にお辞儀をしそう答える娘さん。

高梨さんを見るとずっと横で心配そうに娘さんの周りをあたふたしている。

どこか怪我ない!やお父さんにちゃんと言ってる!等ずっと声をかけ続けている。

しかし俺にしかその声は聞こえていない、娘さんは静かに席に座るだけだ。


『志緒里……』


高梨さんの心配そうな声が聞こえる中、俺はケチャップチャーハンの準備を始める。

何か俺に出来ることはないかと考えながらも、現状俺は何も思い浮かべないでいた……

せめて志緒理さんが少しでも元気になれば良いが……


 


「はい、こちらケチャップチャーハンになります」

 

俺は志緒里さんに出来上がったばかりのケチャップチャーハンを置く。

冷めることない状態で出せたので湯気がホカホカと天井に昇っていく。

 

『……』

 

高梨さんは変わらず志緒里さんの横に座り、その様子を見守っている。

志緒里さんは目の前のケチャップチャーハンをただ食い入るように見つめている。

何かあったんだろうか?

もしかして食べれないかと思っていたら志緒理さんはスプーンを持ちゆっくりと口に運ぶ。

 

「…………美味しいっ」

 

志緒里さんはスプーンを止めず無我夢中で食べ進めていく。

 

「美味しい……」

 

「大丈夫ですか?」

 

「美味しいよ……」

 

そう呟きながらただひたすらに食べ進める。

目からはいつの間にか涙を零しながら……

 

『志緒里……』

 

「お母さんが作った味と同じだ………」

 

『……』

 

高梨さんは娘の言葉を聞き同じ様に泣き崩れてしまう。

小さく『ごめんねっ』と言い続け、ずっと謝っている。

反対に志緒里さんは、食べるのをやめ俺を真っ直ぐ見つめてくる。

その瞳は力強く決意に満ちたような表情だ。

 

「あの!これお母さんが作ったのと同じなんですけど………」

 

俺はその言葉を聞いて戸惑ってしまう。

俺ではなく高梨さん、あなたの母親が作った料理だと正直に言えずどうするか迷う………

俺の中にあなたのお母さんが入って作りましたなんて言ったら、ただのヤバいやつだしな……

 

「……あっ、そうなんですね!これはうちのレシピ集に入ってまして試しに作ってみたんですよ!」

 

俺は必死に誤魔化す。

これが一番辻褄が合うやり方だと短い時間の中で最適解を出した自分を褒めたい。

しかし、やっぱり母親が作った味というのはすぐ気づくらしい、

一応入っている具材は少し違うが何度も食べた母の味は誤魔化せないらしい。


 

「そうなんですか?でも凄く似てましたよ!」

 

「………あ!もしかしてお母さんの名前は幸枝さんですかね?」

 

俺は咄嵯に思い浮かんだ質問を志緒里さんにする。

これならうまく行くと信じて。


「え?はい、お母さんの名前は幸枝ですけど…」

 

『歩夢さん?』

 

幸枝さんは俺が突然名前を出したことを不思議がっているようだ。

 

「実はですね、幸枝さんから教わったんですよ」

 

「え?どういうことですか?お母さんが教えたって……」

 

志緒理さんは分かりやすく疑問の表情を浮かべながら俺を見上げる。

 

「このお店、前は俺の爺ちゃんがやってたんですよ。それでその時に教えてもらったというか……」

 

「爺ちゃん?」

 

「ええ、私も聞いただけですけど、以前このお店でオムライスではなくケチャップチャーハンを注文した人が居た事があって、

 その時のレシピが一応書いてあったんですよ」

 

「…………それってもしかして」


俺はそのまま話を続ける。

 

「親子で来てたお客さんで、お子さんのわがままからケチャップチャーハンを作ったらしくて、でもそれがとても好評だったとかなんとか……

それでその後じいちゃんが親の方に一応レシピを教わっておいてたらしくて、今日たまたま自分が練習がてら作ってたんですよ」

 

「……」

 

「それでそのレシピのタイトルが幸枝流ケチャップチャーハンって書いてあったのでもしかしたらと思いまして………」

 

俺は必死に説明をする。

志緒里さんは話を聞きながら俯き何か考えている様子だ。

やはり無理やり過ぎたか?でもこれしか最適な嘘が思い浮かばなかった。

 

「……小さい頃ここに何回か通ってたことがあって、その時わがまま言ったのなんとなく覚えてます」

 

志緒理さんは思い出を語る。

先ほど母親である幸枝さんから聞いた話通りである。

 

「小さい頃からお母さんの作るケチャップチャーハンが好きで、……運動会とか陸上の試合の前とかは必ず作ってくれるんです」

 

「良いお母さんですね」

 

「はいっ…」

 

志緒里さんはとても嬉しそうに笑う、だがその目からは涙が落ちる。

その涙は一向に止まることはない。


「……新しいランニングシューズを買いにお母さんと一緒に出かけて……その途中で…」

 

少しの静寂の後志緒理さんが再び口を開く。

俺はただ黙って聞いていた、聞くことしか出来なかった。

 

「その途中で、事故に遭って……私だけが助かっちゃって……ごめんなさい……」


志緒里さんは両手で顔を覆い、誰かに謝るように頭を下げる。

母親である幸枝さんが亡くなってしまった事を俺はすでに知ってはいたが、死に方までは知らなかった。

俺がそんな簡単に聞いて良い質問ではないと思っていたから。

目の前で母親が亡くなり、自分だけが助かる……そんな事を経験して簡単に切り替えて前向きに生きられる訳がないと

俺は思う。

志緒理さんが元気がなくやつれ気味な理由が俺は少しだけ分かった気がした。

 

『謝る必要なんてないの!』

 

大声で叫ぶ幸枝さん、

だがその叫びは志緒理さんには届かない。

 

『志緒理が無事で本当に良かった。でも私がいなくなってからいつも泣いてこんなにやつれて……もう泣かないで……』

 

優しく語りかける高梨さん。

志緒理さんの頭を撫でながらそう語りかける姿はどこか儚い。

今目の前にいる事を伝えてあげたい、だが……

 

「お母さん……」

 

志緒里さんはただただ泣くばかりだ。

ケチャップチャーハンを食べるては止め、啜り泣く音だけが響く。

 

『ごめんね志緒里』

 

高梨さんは撫でるのをやめ両手で顔を覆ったままの志緒理さんに目を合わせるように顔を向ける。

 

『本当はもっと一緒にいてあげたかった、ずっと傍にいたかった』

 

『でもね、私は志緒里にちゃんと幸せになって欲しい……ちゃんと前を向いて生きて欲しいの……』


たとえ聞こえなくても精一杯の本音を伝えた高梨さん、その声は微かに震えている。

目の前に大事な存在がいるのに何も出来ない、しかも自分のせいで悲しんでいる。

俺は言ってあげたかった、すぐそばにお母さんがいること。

泣かないでほしいと。

俺に何かできる事はないか……

 

「…………私もね、先月に爺ちゃん亡くしてさ、なかなか立ち直れなかったんですよ」

 

俺の言葉を聞いた志緒里さんは顔を覆うのをやめ、こちらを見る。

 

「実はさ、このお店継ぐ前は普通にサラリーマンしてたんだよ」

 

「えっ?」

 

志緒里さんは驚く。

そりゃそうだよな、いきなりこんな事言われたら……

 

「元々は爺ちゃんみたいな料理人になりたくて調理師の専門学校行って、卒業した後は色々なレストランで働いてたんだけどさ、

まぁ色々あって結局やめちゃって……」


俺はそのまま言葉を続ける、少しでも空気が変わるように願いながら。

 

「そんな中爺ちゃんが亡くなって結構落ち込んだりしたけどさ、爺ちゃんに言った料理人になるって夢諦められなくて、だからもう一度ここで夢叶えようと思ってこの店継いだんだ。」

 

「……」

 

志緒理さんは俺の話に耳を傾け続ける。

 

「今でもたまに思います……もし私があの時諦めてなくて料理人一筋でやってたら、もう少し頑張っていたら、爺ちゃんも心置きなくこの店を継がせてたのかなって」


今でも後悔していることだ。

たまたまこのお店の不思議な体験に助けられただけに過ぎないし、自分が情けなくて本当に嫌になる。

この感情、思いは一生忘れてはならないと自分の心に刻み込んでいる。


「時々挫けそうな時とかはこう考えるようにしてるんです、もし爺ちゃんが今横にいたらなんて言うのかなって」


俺の発言に思うところがあったのか志緒理さんは大きく目を見開いていた。


「多分なんですけど凄い怒るんと思うんですよね爺ちゃん。ウダウダ考えてる暇あるんだったら手を動かして失敗しろって言うんだろうな〜って」


「…………」


「だからいつまでもウジウジしてる姿は見せれないって、ひたすら頑張ろうって決めたんです」


高梨さんもただ黙って俺の話を聞く。

 

「……そんな直ぐ立ち直れるわけじゃないって分かってるけど、もし隣に今お母さんがいたらどんな顔するだろ?とか、なんて言うんだろうとか

 考えたりすると良いんじゃないかな?」

 

『歩夢さん…』


高梨さんは俺を見つめながら静かに呟く。

嫌なことや余計なことを言ってしまったのは分かってはいるが例え俺が嫌われようと伝えるべきだと思った。

このまま高梨親子が暗いままなのはダメな気がした。

元気づけるためにこの場所に来て、娘さんのために料理まで作ったのだ。

このままでいい訳がない、俺に出来ることなら何でもやろう。

この際もう言ってやる。

 

「俺は親になったことはないからはっきりとは分からないけど、私だけが助かっちゃってごめんなさいって言葉は親は聞きたくないと思う」

 

「あっ……」

 

志緒里さんは自分が言った言葉を今、理解したようにハッとした顔をする。

 

「そんなこと言っちゃたらさ、もし隣で今幸枝さんが聞いてたら幸枝さん泣いちゃうと思うんだ」

 

「……」

 

「それはダメだよ。親なら子供には笑っていて欲しいはずだから」

 

「……うん……」

 

志緒里さんは下を向き涙を拭う。

言い過ぎて嫌われなかっただろうかと心配していたが杞憂のようだ。

 

『志緒理ちゃん…』


志緒理さんの方ばかり気にかけてしまったが高梨さんからしては娘さんに対してキツイことを言った俺に

怒ってもおかしくはない。

 

『ありがとうございます。』

 

高梨さんは俺に頭を下げながらお礼の言葉を述べる。

良かった、こちらに嫌われてしまっては元もこうも無い。

俺はそれに笑顔で応える。

 

「お礼なんていいですよ!俺は思ったことを言っただけですし」

 

「えっ?」

 

志緒理さんが不思議そうに見ている。

当然だ、志織理さんには幸枝さんは見えていないのだから俺の言動は意味不明だろう。

しまった、気緩んで普通に受け答えしてしまった。

 

「あ、いえ何でもないです…」

 

ややこしいことになってしまった。

だが志緒里さんは何か吹っ切れたように再びスプーンを手に取り、チャーハンを口に運ぶ。

 

「おいしい……」

 

志緒里さんの頬を一滴の涙が流れる。

そんな簡単に悲しみが消えるわけではない、けれど今の志緒理さんの顔は少しだけ……

 

「お母さん……」

 

『志緒里ちゃん……』

 

二人の声が重なる。

志緒理さんは涙を浮かべながらも笑っていた。

食べる手を止め志緒理さんは静かに話す。

 

「……陸上もできなくなっちゃって、家に帰ってもお母さんはいないし、ずっと寂しかった」

 

決して話す内容は楽しくはないが、

入ってきた時と違い、志緒理さんの顔は少し明るくなったように見える。

 

「お父さんもね、お母さんが亡くなってから毎日無理やり仕事を頑張ってる……この前なんて私が元気でいてくれたらそれでいいって」

 

『そうなのね……』

 

幸枝さんは自分がいなくなった後の家族の話を聞き、少しだけ後悔が見える表情をする。

当然と言えばそうだが……

 

「家に帰るとキッチンとかリビングにお母さんがいないのを見て、いつも泣きそうになってました」

 

「……」


その感覚は少し分かる気がする。

俺も爺ちゃんが亡くなってから来たこのお店にそんな感情を抱いた。

 

「でも今日久しぶりにお母さんの手料理を食べれて本当に嬉しくて、また作ってくれるかな?なんて考えたりして、そうしたらもう我慢出来なくて……ごめんなさい、急に来て泣いたりして。」

 

『志緒里ちゃん……』

 

志緒里さんは再び目に涙を浮かべる。

俺もあの時泣いていた、たとえ自分で作ったナポリタンだとしても爺ちゃんと一緒に食えただけで嬉しかった。

 

「大丈夫ですよ、お母さんの作る料理って凄いですよね。それにおんなじ料理でもやっぱり作る人で味は変わってきますし」

 

俺は優しく微笑みかける。

俺が今作る料理は、メニューは爺ちゃんの時と同じでも味まで完全に一緒とは言えない。

やはりまだまだ精進しないといけないな。

 

「はい……とっても美味しいです。ケチャップチャーハン」

 

涙を流してはいるものの、その笑顔はどこか清々しい。

もう2度と食べれないと思っていた料理を食べれる、そんな感動を真っ直ぐに受け止められるようになれて

本当に良かった。

 

『……』

 

高梨さんは何も言わず、ただただ志緒理さんがケチャップチャーハンを食べ進めていく様子を眺めている。

その様子は小さい頃から娘がご飯を食べる時に見せる表情なのだろう、

俺には母親の気持ちや考え方なんてものは分からないけど、その姿はとても優しくて愛情を持つ母親が見せる姿なのかもしれないと、そう感じた………


 


「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです!」

 

「お粗末様でした。お腹いっぱいになりましたか?」

 

「はい、たくさん泣いておなか減ってたみたいで、おかげさまで満足しました」

 

志緒理さんは照れ笑いをする。

まだ顔色は少し悪い気がするが、雰囲気は少し明るくなったように見える。

 

「あっ、代金はいらないですよ、賄いなので」

 

「えっ、でもそれじゃ悪いですよ」


流石に今回の件で代金を頂くわけにはいかない。

 

「いえどうぞお構いなく。自分もまだまだ料理人としてペーペーなので」

 

「でも……」


なかなか折れてくれない志緒理さん、それなら……

 

「本当に大丈夫ですよ、それでも譲れないのでしたら次もまたこのお店にお客様として来てください」

 

「……はい、わかりました。絶対また来ます!」

 

「ありがとうございます」

 

話に折り合いがついたところで、志緒理さんは申し訳なさそうにしながらも席を立つ。

 

「本当にありがとうございました。」

 

そうお辞儀をする姿はどことなく幸枝さんに似ている事から親子なんだなと感じる。

 

「いえ、何もしていませんよ」

 

俺は苦笑しながら答える。

実際作ったのは高梨さんで俺は何もしていない。

強いて言うなら体と食材と場所くらいだ。

 

「あの、聞きたいことがあるんですが良いですか?」

 

「はい、なんでしょう?」

 

「お母さんの…あの、お母さんのケチャップチャーハンのレシピ私にも教えて貰えませんか?」

 

「えっ?」

 

予想外の質問で思わず驚きの声が出る。

レシピに関しては嘘なのだが、どうするか……

チラッと高梨さんの方を見ると両手を大きく挙げ丸を描いていた。

えぇ……まぁ元々今から書いて渡すつもりではいたんんだが……


「あっ、すみません!やっぱりダメですよね……」

 

「………ダメなわけないですよ、元々志緒理さんの、お母さんの料理なんですから」

 

「本当ですか!?」

 

志緒理さんは目を輝かせながらこちらを見る。

本当にお母さんが好きなんだな……

 

「はい、簡単な料理なので今書いて渡しますね」

 

「ありがとうございます!……あれ?何で志緒理って名前知ってるんですか?」

 

「……えっ?」

 

しまった!高梨さんが何回も言うから自分も言ってしまった!

雰囲気的に気が緩んでしまった!まずい、何と言い逃れるか……

 

「あーえっと、お昼頃来ましたでしょ?盗み聞きした訳ではないのですが聞こえてしまったので…」

 

焦りから変な口調になってしまったがこの際気にしてられない。

 

「そうだったんですね」

 

なんとか誤魔化せたようだ。

天然というか素直な人で助かった……

 

「はい、これがレシピです」

 

俺は紙を一枚渡す。

一応高梨さんにも見えるように渡し、これで問題ないですかという意味で目を合わせる。

高梨さんはレシピをまじまじと見つめ少しすると片手で小さく丸を作った。

作ったのは高梨さんだが、俺の体に入って作っていたので細かい調味料の量なども覚えやすかったのもあり

正確にかけていたようで良かった。

 

「はい、ありがとうございます!」

 

志緒理さんは大事そうにポケットにしまう。

 

「お母さんの料理、頑張って再現しますね!それでお父さんにも食べさせて、後お母さんがいつも作るサラダとかも……」

 

志緒理さんは楽しそうに話す。

これからやりたい事があるようで良かった。

高梨さんも横でその様子を楽しげに見ている。

 

「本当にありがとうございました!」


 志緒理さんはもう一度頭を下げてから、席を立ち出口へ向かう。

 

「……また来ますね!」


 志緒理さんは笑顔で手を振りながらお店から出ていく。

 

 

「今度来る時は忘れ物しない様にしてくださいね」

 

「はい!」

 

元気よく返事をしてドアが閉まる。背中しか見えなかったが、

来た時とは明らかに違うのは目に見えて分かった。


 


店内には俺と幸枝さんのみになったが先ほどの重い空気が嘘のように消えていた。

だがどこか……

 

『歩夢さん、ありがとうございます志緒理があんなに嬉しそうに……』

 

高梨さんは志緒理さんが見えなくなった後もずっと店の外を見つめている。

 

「俺はただ幸枝さんが作ったケチャップチャーハンを出しただけですよ」

 

『そんなことありません、本当に色々ありがとうございます』

 

少しでも手助けできたのであれば良かったと歩夢は思うことにする。

 

『本当に志緒理は良い子に育ってくれました』

 

「それはお母さんの教育の賜物だと思いますよ」


『そうですかね?昔っから直ぐ走っていなくなりますし、迷子にはなるわで大変でしたよ…』


娘が小さかった頃の事を思い出しているのだろう、数々の思い出が高梨さんの頭の中を巡っているに違いない。

 

「そうなんですね、でもちゃんとお礼を言えたり謝ったりするところは幸枝さんにそっくりです」

 

『そうですかね……』

 

幸枝さんはどこか嬉しげに微笑む。

 

『……あのストラップは小さい頃志緒理が欲しい欲しいってわがままいうから仕方なく買ってあげたんですよ」

 

「子供のわがままのあるあるですね」


子供の頃なんてそういうのは皆あるあるだろう。

俺もゲームだったり後は爺ちゃんの当たった馬券を欲しがったりしていたな……

 

『……もっと志緒理と一緒にいたかったな』

 

その言葉は俺に向けられたものではない事は分かった。

きっと自身に向けたものだろう。

親としてそう思うことは何もおかしくはない。

 

『あのまま怪我なく走り続けていたらもしかしたらオリンピック選手になっていたかもしれません……』

 

「………そうかもしれないですね」

 

俺は相槌を打つ事しか出来ない。

俺には何も言えない。

 

『後は……志緒里がどんな人と付き合うのか、結婚する姿も見てみたかったな…』

 

「……」

 

『……ふふ、ごめんなさいね、こんな話をしても困るだけですよね』


無理して笑う高梨さん。

 

「いえ……そう思うのは当然だと思います」


俺はまだ親になった事がないので、今高梨さんに何て声をかければいいのか分からない。

ありきたりな言葉しか出てこない自分が少し嫌になる。

 

『…私が湿っぽくなってもしょうがないですよね!あの娘は今必死に前に進もうとしているんです。それを見守る事くらいはしてあげないと!』

 

「……」

 

高梨さんは明るく振る舞うがその目からは涙がこぼれ落ちている。

此処に来た理由の通り、娘さんは元気になり前を向いて走り出した。

そんな中自分が、母親でありいなくなった自分が足を引っ張るわけにはいかない。

それが分かるからこそ、高梨さんのその姿はとても……

 

『私が泣いて、志緒理に心配かけさせちゃう訳にもいきませんからね』

 

高梨さんは袖で涙を拭き、無理に作った笑顔でこちらを見る。

俺はその笑顔をただ受け入れることしか出来ない。

 

『……ではそろそろ行きますね』

 

「……はい」

 

俺はそう声をかけることしか出来なかった。

 

『……本当に、ありがとうございました』


まるで教科書に載っているかのような綺麗なお辞儀を俺にする、その後、元々半透明な体が更に薄くなりながら高梨さんの姿は蛍が飛び散るかのように

光が四方に飛び、徐々に消えていく。

 

「……」

 

俺は黙ってそれを見送った。

だが自然と俺もお辞儀をしていた。

もっと良い言葉が送れたのではないかと思う。

だけど、自分には他に出来ることがなかった。

俺にできるのは料理と体を貸すぐらいだ。

志緒理さんがこれからどうなっていくかは分からないが、彼女が後悔の少ない人生を過ごせる事を祈る。

死後の世界は俺には分からないけど、高梨さんも次は此処ではなく家で娘さんの成長を見守っていてくれたら良いなと

勝手ながらそう思った。

俺は再度お辞儀をする、今度は両手を合わせて……



 

 

一応忘れ物がないかの確認をしながら店内を見渡し、再度店を閉める。

店内はどこか優しく儚い雰囲気に包まれていた。

 

「母親の手料理、最近食ってないな…」

 

高梨さん親子を見ていて俺も母親の手料理を食べたくなってしまった、

と言っても簡単な料理ばっかりで、凝った料理何て出たことないが……

 

「…俺も作り方教えて貰っとくか」

 

そんなことを考えながら、俺は自宅へと歩いていく。

忘れられない味が誰にでもあるように、人から受けた優しさも中々忘れられないものだと改めて感じた。


「……あっ、小稲荷様の所に酒瓶と皿置きっぱだ。」

 

片付けが出来ない料理人なんて100%爺ちゃんに怒られる。

一人前の料理人になる道はまだまだ遠い…………




 


―――ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ねぇこのカレーって…」

「お昼頃とか忙しくなってきたんじゃないの?」

「バイトか……」

「あの、すみませんまだやってますか?」

「あ!大丈夫ですよ、どうぞこちらの席に」


次回

「認めてほしい 海の幸カレー」

 

 

 

 

 

 

 

 

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