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1話   始まりのナポリタン

『忘れ物の多い喫茶店』


季節は冬、1年で最も寒い時期だ。そんな日に俺は馴染みの喫茶店に来ている。

外はもう真っ暗だが室内の灯りがどこか優しく、疲れている俺を癒してくれているかのようだ。

 

「あぁ……やっぱりこの店は落ち着くな…」

 

俺はカウンター席に座りながらそう呟いた、まるで現実逃避をするように。

なぜ俺がこんなにも憂鬱なのかと言うと、それは今目の前で厨房内をうろつくじいちゃんの姿にある。

つい数時間前に葬儀が終わったばかりだというのに、死んだはずのじいちゃんが普通に歩き回っているのだ。

しかもその様子から察するに本人にはこの現象が当たり前かのように見える。

一体どうなっているんだ? そもそもあの神様の言ってることもまだ理解できないし……。

 

『よし!大丈夫そうだな』

 

じいちゃんは冷蔵庫の食材を確認して満足したのかこちらへ戻ってきた。

そして俺の前に立ち止まり、いきなり頭を鷲掴みにして無理やり目線を合わせてきた。

 

「ちょっ!?痛いっ!」

 

突然の行動に抗議しようとしたが、じいちゃんの目を見て思わず言葉を飲み込んでしまった。

なぜならば、そこには先ほどまでの優しい表情ではなく真剣そのものの顔があったからだ。

 

『じゃぁ今から入るぞ』

 

「……え?」

 

じいちゃんの言葉の意味がわからず戸惑う。

そもそもなぜこうなったかと言うと、話は数日前に遡る――――



 


 俺は坂本歩夢、どこにでも居る普通の20代会社員だ。

特に入りたいと思ってもいない会社に入社し何となく生きているどこにでもいる普通の男だ。

いつも通り仕事終わりで疲れた身体を風呂で癒やし、テレビを見ながら携帯を触っていたところ、父親からの着信が入った。

電話の内容は至ってシンプルだった。

 

『じいちゃんが死んだ』

 

ただそれだけである。

最初は何かの悪い冗談だと思っていたが、父親の声色からそれが嘘ではないことがわかってしまった。

詳しい事情を聞くために実家に向かい、変えることの出来ない現実と向き合い葬儀に参列することになったのだ……

 


じいちゃんは喫茶店を経営しており、地元のお客さんにも愛される店だった。

俺はじいちゃんの喫茶店が大好きだった。

小学生の頃から喫茶店に入り浸り中学に上がった頃にはホールの手伝い、

高校に上がってはキッチンに入りじいちゃんの料理の手伝いとホールと接客、

時には俺の料理をじいちゃんが味見をしダメ出し……

たくさんの思い出が頭の中を巡っていく中、淡々と葬儀は進まれていく。

両親もちろん、俺が喫茶店を手伝う前から常連さんだというお客さんも葬儀に参列している。

そのため葬儀には親族以外にも多くの人が訪れた。

 

「………」

 

俺はただ無言で遺影を見つめていた。

写真の中のじいちゃんはとても楽しそうな笑顔を浮かべている。

その笑顔をみていると自分がダメになりそうで……

いなくなってしまった悲しみからなのか、それとも自分が情けなくてどうしようもない感情からくる涙なのか

俺には分からなかった。

あの日、俺が最後の喫茶店の手伝いをした日にじいちゃんとした会話を今は必死に思い出さないように、

何も考えないように葬儀が終わるのをひたすらに待つ。


――相談したかった、謝りたかった。

しかしそれも全て叶わない願いとなってしまった。

涙を拭うこともせずただ下を向き涙をこぼす俺、

すると横にいる母親がハンカチを差し出してきた。

 

「はいこれ使ってね」

 

「……ありがとう」

 

「いいのよ…」


そんなやり取りをして母からのハンカチを受け取り涙を拭う。

俺もそうだが母さんの表情も酷いものだった。

亡くなったのは母型のじいちゃん、母さんからすれば父親を亡くしたのだ。

俺には知らないじいちゃんとの思い出が母さんにはある、

今も涙が止まることはなく、母さんの目は腫れている。

その横では父さんが座り、まっすぐと遺影を眺めていた。

俺の横には誰も座っていない椅子が置いてある、姉貴が座るべき席だ。

何故いないかというと姉貴は海外で働いているのもあるが、一番の原因は両親との喧嘩別れにある。

一応連絡はしたらしいが、案の定来てはいないらしい……

まぁ後日行くと俺にだけ連絡はきたが……


 

葬儀も終わり、両親は親族の人達や来てくれた人たちと話し始めた。

俺も同じ様に話しかける、中には変わらず俺のことを覚えている常連さんなど

たくさんの人と話し合った。

しばらく時間が経ち落ち着きを取り戻した頃、母親が話しかけてきた。

 

「ねぇ歩夢、ちょっといい?」

 

「ん、何?」

 

「実はおじいちゃんから歩夢にって預かっているものがあるの」

 

「俺に?」

 

なんだろう? 手紙か何かかな?

疑問に思いつつも俺は母親について行くことにした。

案内されたのはじいちゃんの家、2階の物置部屋だった。

中に入るとホコリっぽく薄暗い空間が広がっていた。

中央のテーブルの上に見覚えのない箱が置かれていることに気付く。


「母さん、あれのこと?」

「うん、あれを歩夢にって書いてあってね…」

 

箱の上には一枚の紙が置いてあった。

そこにはこう綴られている。

 

『歩夢へ、これはお前が持っておくべきものだから渡しておく。捨ててくれても構わないが任せる』

 

そう書かれていた。

 

「俺が持っておくべきもの?」

 

ますます意味がわからなくなった。

 

「じゃぁ私はこの後の準備があるから戻るわね」

 

「あ、わかった」


母さんも居なくなり部屋には俺1人だけ、

俺は箱に近づき恐る恐る蓋を開ける。中には数枚の写真とネックレス、鍵が入っていた。

写真を手に取り眺めると懐かしさが込み上げてくる。それは小さい頃よく喫茶店に訪れた際に毎回撮っていた写真だった。

 

「あぁ……こんなところにあったのか」

 

少しだけ嬉しさを感じたものの、この写真を見る度にじいちゃんの死を思い出してしまうため複雑な気持ちになる。

そんなことを考えながら写真を見ていくと最後の1枚だけ見覚えのないものだった。

そこには若い時のじいちゃんと女性、そして恐らく俺であろう赤ん坊をじいちゃんが抱っこしている姿が写っている。

女性は微笑んでいるのに対してじいちゃんは困ったような顔をしていた。

 

「なんだこれ?…もしかしておばあちゃんか?」

 

俺の記憶では会ったことがない人だ。

おばあちゃんは俺がまだ小さい時に病気で亡くなったと聞いている。

そのため物心ついた時にはすでにおばあちゃんは亡くなっていた。

 

「……なんか不思議な感じだな」

 

写真を元に戻そうとした時、ふとその写真の背景が気になった。

 

「この背景……どこかで見たことがある気がするんだけどなぁ」

 

思い出そうと記憶を探る。

確か喫茶店の裏手の方でこんな景色を見たことがあったはず……

写真に写る赤ん坊の背後に神社で見るような小さな祠。

祠は記憶にないが間違いない、この場所は喫茶店の裏手にあるはずだ。

でも何でわざわざこんな場所で写真なんて撮ったんだろう?

普通お店の前とかで撮ったりするんじゃないのか?

 

「…まぁいっか」

 

考えていても仕方がないと思い、ネックレスと鍵を見ることにする。

まずはネックレスだが特に変わったところはない、ただ現代でよく見るようなシルバーやゴールドではなく

木製のネックレスだ。チェーンの部分は小さい数珠のような丸が連なり先に木製の板が付いている。

板には何か書かれているとは思うのだが、相当古いのもあり文字が潰れてしまっていて読めない。

次に鍵を見てみる。

 

「何の鍵だ?」

ネックレスもそうだが鍵も結構古いものだ。

そしてその形に見覚えがあった。

 

「これってもしかして……」

 

喫茶店の裏手にでる扉、いつもそこにネックレスと一緒に鍵も掛けてあった気がする、ということはつまり……

 

(これ全部喫茶店に置いてあった物だよな?)

 

何でこれを俺に?

じいちゃんの考えが全く読めず困惑してしまう。

 

(………あれ?でも確か最後、喫茶店の手伝いの日に何か裏手の事でじいちゃん話してた気が……)

 

確かあの時――――――



 

 

「…今日で最後か」

 

じいちゃんは慣れた手つきで厨房の片付けをしている。

俺はその様子をカウンター席に座って眺めていた。

 

「しょうがないだろ、明日引っ越しで東京行くんだから」

 

「寂しくなるな…」

 

「そう言ってくれるのは嬉しいけどさ」

 

俺は高校卒業後、東京で一人暮らしを始めることになっていた。

その為今日が最後の喫茶店勤務になる。

 

「それに調理師免許だったり色々な料理を学ぶ為に専門学校にも通うつもりだし」

 

「そうか……」

 

「……じいちゃん?」

 

じいちゃんは何かを考え込むように黙り込む。

普段ならもっと厳しく凛々しいのだが、今日はどこか上の空だ。

 

「歩夢」

 

「ん?」

 

「お前に話した事あったか?裏手の事」

 

「裏手?……いや、知らないよ」


裏手には使わない器具や段ボールを一旦置くために行くくらいだ

 

「そうか…………実はあそこは神様が出てくるぞ」

 

「.........はぁ?」

 

突然の事に思わず声が出てしまう。

とうとうじいちゃんはボケてしまったのだろうか?

 

「何の冗談だよ」

 

「冗談じゃない」

 

じいちゃんの目を見ると真剣そのもので少し俺はビビってしまう。

 

「わしにも見えたが、家内も見えていた」

 

「……神様じゃなくて幽霊なんじゃないの?」

 

俺の返答にじいちゃんが微笑む。

まるで前に同じことを言われたかのように。

 

「幽霊………確かにそれも間違ってないな!」

 

笑いながら話すじいちゃんに呆れてしまう。

 

「もういいって。なんで急にそんなこと言い出したんだよ」

 

「前にも聞いたがあの裏手に出る扉、歩夢にはどう見えてる?」

 

「そりゃただの古びたドアだけど……」

 

「それだけか?」

 

じいちゃんの真剣な問いに戸惑ってしまう。

 

「えっと、後は……」

 

「後は?」

 

俺はじいちゃんの後ろにあるドアを見ながら答える。

 

「……後はあれだろ、何でか鍵穴が2つあるじゃん」

 

小さい頃から疑問だったがその扉には取手の下にある鍵穴以外にもなぜか中央にも鍵穴がある。

最初はそういうデザインかなと思っていたが、裏手に行く時中央の鍵穴がデザインではなく

本当に鍵穴だったことに驚いたことがある。

 

「…やっぱりそうか」

 

「何が?」

 

「お前には行く資格があるってことだ」

 

「資格?どういうこと?」

 

冗談かと思ってはいるが、じいちゃんの顔を見る限り冗談をついているとは思えない。

 

「まぁいきなりこんな事言われても信じられないだろうな、わしもそうだった」

 

昔を懐かしむようにじいちゃんが語り始める。

 

「一応教えておく、あの扉に掛かっているネックレスを首にかけ、あの鍵穴に鍵を挿せば神様がいる裏手にいける」

 

「......はぁ、その中央の鍵穴に挿す鍵は?」


疑問は数多くあるが俺はとりあえず話を聞くことにした。

 

「わしが持ってる」

 

じいちゃんはポケットから古ぼけた鍵を取り出し見せてきた。

 

「一応今はまだわしが持っておく、何かあったら歩夢に渡す」

 

じいちゃんの今まで見た事のない真剣な顔を見て少しだけビビってしまう。

 

「……わかったよ」

 

「それで良い」

 

満足そうな顔をすると片付けに戻った。

 

「後言い忘れていたがお供物は忘れずにな、持っていかないと顔を出さんらしい」

 

「何だよそれ?」

 

「神様もタダじゃ助けてくれないってことだ……」

 



 


――確かあの時こんな話をしていたはずだ。

神様とかあの時は正直冗談半分で聞いていたがまさか本当にいるのか?

俺は箱の中に入っていた鍵とネックレスを手に取りじっと見つめる。

このネックレスと鍵を使ってあの扉を開けると……

本当に神様が出てくるのか?

 

「うーん……」

 

考えれば考えるほど意味がわからなくなる。

でも嘘であろうとじいちゃんが俺にこれを渡したってことは何か意味があるはず。

とりあえず今は考えても仕方がないと思いネックレスと鍵を仕舞う。

再度写真を手に取り眺めていると母さんが俺を呼ぶ声が聞こえた。

 

「歩夢ー!ちょっと手伝ってほしいんだけど」

 

「あぁ、今行くよ」

 

写真を仕舞い、部屋を出る。

そして母さんの元へ向かう途中ふと思う、

もし仮に今生きていたら謝りたかった。

嘘をついてしまった事を。

 

「じいちゃん……」

 

呟いた言葉は誰にも聞かれる事なく消えていった。



 

葬儀も終わり親戚一同が帰った後、じいちゃんの家で家族3人で久しぶりに会話をしていた。

 

「こんな事になるなんてね……」

 

母さんがお茶を飲みながらしんみりした様子で言う。

 

「本当だな」

 

父さんは疲れたのか

ソファーで横になりながらテレビを見ているがどこか寂しそうだ。

 

「一番ショックなのは歩夢でしょ?」

 

「……うん」

 

本当は今も悲しくて泣いてしまいたい気持ちだが泣けない理由があった。

 

「大丈夫か?」

 

心配そうにお父さんがこちらの様子を伺ってくる。

 

「うん、大丈夫だよ」

 

そう言って無理矢理笑顔を作る。

 

「それと、お姉ちゃんは時間空いたらこっちに帰ってくるって」

 

「そうか」

 

「…………」

 

お父さんは簡潔に一言だけ、お母さんは何も言わず目を伏せる。

喧嘩別れしたのは分かってはいるがこういう時くらい両親も姉貴も大人になって欲しいものだ。

 

「…あのさ、喫茶店の鍵もらってもいい?」


俺は空気感を変えるために話を変えた。

 

「全然いいけど何に使うの?」

 

「ちょっと見ておきたいなって思ってさ」

 

「そっか」

 

お母さんもお父さんも俺が小さい頃からじいちゃんの喫茶店で働いているのを知っているため、

特に不審がらずに納得してくれた。

 

「じゃあ渡しておくわよ、後今日は泊まるの?」

 

「明日休みだから泊まるよ」

 

「そう、じゃあお風呂入ってきなさい。その後鍵渡すわ」

 

「わかった」

 

俺は着替えを持って脱衣所に行く

久しぶりに帰ってきた実家はやはりどこか安心感はあるが……

 

(じいちゃん……)

 

未だ実感が湧かず悲しいというより混乱している自分がいる。

ささっとシャワーを浴び終わった後髪の毛を乾かし、ゆっくりするよりかは早く喫茶店に行こうと思い支度をする。


「もしかして今から行くの?」

 

玄関で母さんが不思議そうな顔で聞いてきた。

 

「あぁ、ちょっと散歩がてら喫茶店に行くよ」

 

「暗くなってきたんだから気をつけなよ、はい鍵」


相変わらず心配性なお母さんだがこのやりとりが実家に帰ってきている事を彷彿とさせる。

俺はその鍵を受け取りながら靴を履く。

 

「わかってるって」

 

ドアノブに手をかけ、外に出ようとする。

 

「それじゃ行ってくるよ」

 

「行ってらっしゃい」



 

外に出るとまだ日が落ちていないせいかそこまで暗くない。

駅の方面へ歩いていくと段々辺りは人通りが多く商店街の明かりがどこか心地よく感じた。

しばらく歩いていると子供の時から何度も通っていたおじいちゃんが経営している喫茶店が見える。

じいちゃんの喫茶店は駅近で商店街の通り、ではなく一つ路地に入った先にある。

ちなみに商店街の方は入口から出口まで屋根があり雨が降ってもそこまで困らないのだが、

喫茶店は路地に出てしまうため屋根が無い。

まぁ数メートルで商店街に入るので実際そこまで困った経験は無いのだが……

 

「……」


外から店内を覗くと分かってはいたが、じいちゃんが働いている姿は無い。

俺は鍵を開け店の中に入ると、薄暗い店内には昔のままの雰囲気でコーヒーなどの香りが鼻腔を刺激する。

――あぁ、この香りだ。

昔から好きなこの場所の香り、帰ってきたんだと思ってしまう。

カウンター席に座って外を眺めているとじいちゃんがいつも座っていた椅子が目に入る。

いつも業務終わりにそに座り、テレビで競馬やらニュースを見ていたあの姿が俺には見える。

俺はゆっくりとその椅子に座り目を閉じた。

じいちゃんは昔から俺にとって憧れの存在だった。

俺が困っている時は必ず助けてくれて、俺が悩んでいる時は相談に乗ってくれた。

 

「……っ」

 

思い出すだけで涙が出そうになるが必死に堪える。

持ってきたネックレスと鍵を手に取り握り締める。

 

「……開けてみるか」

 

いざ開けようとキッチンに入りそのまま例の扉に近づくがお供物を用意していないことに気がつく。

 

「あー、どうしよう」

 

店内を見渡すと冷蔵庫が目に入った。

 

(何か入ってるかも……)


まだ電気や水道は止められておらず普通に使えたので冷蔵庫も無事なはずだ。

中を開けると牛乳や卵など色々と入っておりその中には恐らくお客さまからの貰い物であろう果物の詰め合わせもあった。

 

(ごめんじいちゃん……使わせてもらうね)

 

心の中で謝りつつ苺やゼリーを拝借して扉の前に立つ。

首にネックレスをかけ真ん中の鍵穴に鍵を挿し込み回すとカチャッと音が鳴った。

恐る恐る扉を開けるとそこには……特に変わり映えしない、いつもの裏手。

少し雑草が生えており、換気扇やバケツなどが置かれている。

しかし見た事もない林の中に続くように奥へと続く道があった。

 

(……嘘だろ?こんな道あったか?)


 

よくここでじいちゃんがタバコを吸っていたりゴミを置いたりしていたがこんな道あった覚えはない。

そもそも裏手は少しそういったスペースがあるだけで普通に建物があったはずだ……

少し不安になるが好奇心の赴くまま進んでいくと林の奥の方に写真で見た小さな祠が見えた。

 

「あれだよな……」

 

俺は足早に祠に向かう。

近づくにつれその全貌が明らかになっていく。

 

「これ……」

 

思わず声が漏れてしまう。

目の前にあったのは想像していたよりも遥かに小さく、そしてボロかった。

正直この中に神様がいると言われても信じられないくらいだ。

だがやはり写真で見た通り、確かにこの祠は存在していた。

 

「……とりあえずお供物をするか。」

 

果物とゼリーをお供えした後、一応両手を合わせておく。

 

(……これでいいんだよな?)

 

疑問に思いながらも感謝の気持ちは忘れずに祠を見続ける。

特に何も起きわけなく、時間が過ぎる。

諦めて帰ろうかと思った時、急に祠がガタガタと揺れ始める。

 

「うわぁ!」

 

驚きすぎて尻餅をついてしまった。

 

「な、なんだ?」

 

動揺しながらも立ち上がりもう一度祠を見ると、今度は勢い良く扉が開いた。

 

「久しぶりの飯じゃーー!」

「!?」

 

祠の中から出てきたのは女性?だった。

見た目は神社で見る巫女服のような格好をしている。

そこだけを見れば特に驚くほどの事ではないが頭に狐のような耳が生えており、狐のような尻尾がある。

 

「ん?」

 

目が合うとその女性はこちらに向かってきた。

 

「……ほうほうよく似ておる」

 

まじまじと見つめられるが何が起きているのか全くわからない。

 

「えっと、あの…」

 

戸惑いながらなんとか言葉を発する。

 

「お主名前はなんと言うんじゃ?」

 

狐の耳が生えた女性からの質問に戸惑ってしまうが

姿勢を正しその質問に答える。

 

「あ、歩夢です。坂本歩夢です……」

「歩夢か、いい名前じゃのう」

 

そう言って微笑む彼女を見てドキッとする。

喋り方や雰囲気は子供のような無邪気さを感じられるが、スタイルや顔の美しさは

綺麗な女性のように感じた。

 

「あ、ありがとうございます」

 

何故名前を褒められたのか分からず曖昧な返事をしてしまう。

 

「それで、今日は何用でわしをここに呼んだ?」

 

彼女は先程とは打って変わって真剣な表情になる。

 

「何って言われましても……」

 

ほぼほぼ好奇心で来たため理由がない。

後はじいちゃんの言っていたことが本当かどうか確かめに来ただけなのだから。

 

「……ふむ、まぁよい」

 

そういうと女性は俺がお供えした苺やゼリーをバクバクと食べ始めた。

フォークやスプーンは用意していなかったからなのか、それとも元からなのか分からないが

両手でそのまま食べ始める狐耳の女性。

 

「うん!美味しいのじゃ!!」

 

とても幸せそうな顔をしながら次々と口に運んでいく。

その姿はまるで子供のようだ。

頬いっぱいにし次々と食べ進める。

しばらく眺めていると満足そうな顔になり、一息ついた後口を開いた。

 

「まじまじとこちらを見おって、言いたいことがあれば言わんか」

 

どうやら見すぎていたらしい。

 

「す、すみません……」

 

謝ると彼女は笑い出した。

 

「冗談じゃよ、そんなに畏まるでない」

 

無邪気なその笑顔はとても美しく見え、どこか人間には無いオーラみたいなものが見えた

気がする……

 

「……そろそろ本題に入ろうかの、ここまで来たということは誰から教えられてここに来たのじゃ?」

 

彼女の雰囲気が変わった気がする。

今までは子供のように無邪気だったが今はどこか威厳を感じる。

俺はゆっくりと深呼吸をしてから答えた。

 

「はい、祖父であるじいちゃん、龍馬さんから聞きました」

 

それを聞いた途端、彼女の目が大きく開かれた。

 

「龍馬?何じゃ昭恵から教わったのではないのか?」

 

昭恵とは俺のばあちゃんの名前である。

ちなみにじいちゃんの名前は龍馬だ。

 

「はい、じいちゃんに教えてもらって、それで試しにやってみようかと思いまして……」

 

俺が答えると女性は腕を組み、少し考えるような仕草をした。

 

「なるほど……随分と見なくなったが昭恵と龍馬のやつは?」

 

「………2人とも亡くなりました」

 

「……そうか」

 

「はい。」

 

それからしばらくの間沈黙が続く。

木々が風にゆらめく音が辺りに静かに響き渡る。

そんな中、女性は頭の中で何か探っているのかずっと考え込んでいる。

 

「おっ!おったおった!」

 

急に大声を出し手を叩く。

先ほどの沈黙が嘘かのように女性は何か嬉しそうにはしゃぐ。

 

「どうしました?」

 

「いや、すまんすまん。久しぶりに人間と話せたのじゃ嬉しくなってしまっての」

 

「……そうなんですか」

 

「うむ、さてどうしたもんかの〜」

 

また考え込む女性。

いまだに何かのコスプレかと思っている自分がいるが、正直見覚えのないこの場所やあの祠から出てきたこと、

何より直感としか言えないが人とは違う何かをこの女性から感じる。

これが神聖とかいうやつか……?

 

「えっと……何かあったんですか?」

 

「ん?あぁ、これからお主に起こることをどう説明したものかと思っての」

 

「えっ……」

 

「心配せんでも大丈夫じゃ、悪いようにはしないぞ」

 

少し不安になる、ただでさえ今目の前で起こっていることが理解できていないのにさらに不安要素が増えるなんて勘弁してほしい。

 

「ん?いいのか?それならわしは楽だがの」

 

女性は俺ではない誰かと会話するかのように独り言を言い始めた。

俺にではなく上、空の方を見ながら会話をしているのだ。

 

「ではそれで頼む、いや〜久しぶりに違う甘いものを食べれて満足じゃ!」

 

一体何をしているんだ……

疑問が浮かぶ中、女性が話しかけてきた。

 

「よし、これで問題ないな」

 

「あの……何がですか?」

 

「気にしなくて良い、ではパパッと呼ぶとするかの」

 

そういうと女性は両手を合わせ目を閉じた。

すると突然風が吹き始め、女性の髪がなびく。

あたりも急に風が吹き、木々がざわめき出す。

 

(なんだよ!?)

 

その光景に驚いていると、急に視界が光に包まれる。

突然の眩い光に目を閉じてしまう。

しばらくして光が収まったと思い目を開けるとそこには女性だけではなく、1人の男性が立っていた。

その男性は間違いなく死んだはずのじいちゃんだった。

 


『いやー、こっち目線でくることになるとはな…』

 

「じ、じいちゃん!?」

 

『なんだ?』

 

「なんで!?どうして!?」

 

混乱してうまく言葉が出てこない。

目の前にいるのは確かに爺ちゃんだ。

いつも着ていたラフな白Tシャツにジーパンを履いている、

俺が小さい頃からほとんどこの服装姿しか見たことがない。

ちなみに冬でも上着が増えるくらいでこの服装だった。

顔も数時間前に棺桶で見た皺皺の生気の無い顔ではなく、いつも通り

これから営業でもするのかと思うほど元気があるようだ。

 

『落ち着け歩夢』

 

「落ち着いてられるわけないだろ!?」

 

感情が昂りすぎて自分でも訳がわからない。

 

『まぁ慣れてないうちはこうだよな、とりあえず歩きながら説明するぞ』

 

そう言ってじいちゃんは俺に着いて来いと言わんばかりに先に歩いていく。

どこかぶっきらぼうで大股開きな歩き方はいつも見ていた爺ちゃんの背中だ。

 

「ちょ、ちょっと待ってくれよ!」

 

慌ててついていく。

 

「おーい、そこの若いの歩夢じゃったか?」

 

後ろから先程の狐耳女性の声が聞こえてくる。

 

「えっ、あっはい!」

 

振り返りながら返事をする。

 

「今度来る時は甘いものではなく酒を持ってくるんじゃぞ!!」

 

手を振りながら笑顔で叫ぶ彼女に軽く会釈をして再び前を向く。こちらの事など気にする様子もなく歩くじいちゃんの元へ急ぎ足で向かって行った。




 


「じいちゃん、これはどういうことなのか教えてくれないか?」

 

歩きながら俺はじいちゃんに問いかけた。

 

『まぁ簡単に言うとあの神様は死んでしまった人を少しの間だけこの世に呼ぶことができるんだよ』

 

「はぁ……」

 

正直まだ信じられないが現にじいちゃんが目の前にいる以上信じるしかないだろう。

 

「ちなみに何でじいちゃんが呼ばれたんだ?」

 

『呼んだのはお前だよ歩夢』

 

「俺が?」

 

あの祠でじいちゃんを生き返らせてくれ〜なんて頼んでないはずだ。

むしろ祠汚いな〜とか思っていたくらいだぞ?

 

『…まぁとりあえず店に戻るぞ』

 

「あぁ。」

 

俺はじいちゃんの後について行った。





 

そして時間は今に戻る。

目の前で少し半透明な姿のじいちゃんが厨房内をうろうろしている姿はやはり違和感がある。

夢なら早く覚めてほしいところだ、

半分以上夢では無いんだろうなと諦めは付いてはいるんだが……

 

「じいちゃんさっきから何してんだ?」

 

俺が質問するとこちらを見て答えた。

 

『何って見りゃわかるだろ?食材の確認してんだよ』

 

「いやそれは見れば分かるけど……」

 

何故今それをしているのかを聞いたんだが。

 

「まさかじいちゃん……」

 

『おう!料理作るぜ!』

 

やっぱりか……

 

「でもじいちゃんもう死んでいるし、フライパンとか握れんの?」

 

『霊体だから触れないぞ、頑張ってみれば少しは動くだろうがな』

 

そんなポルターガイスト嫌すぎる。

 

『だから今から歩夢の中に入るぞ』

 

…………はい?

 

「いや、いきなり言われても困るんだけど……」


意味がわからない、入るって何だ?

  

『大丈夫大丈夫、家内もやってたし特に害は無かったから』

 

「はぁ……ってかばあちゃんもやったのかよ!?」

 

初耳である。

 

『じゃあ行くぞ〜』


そう言うと爺ちゃんは足を伸ばしたり軽く準備運動をする。

運動が終わったな否、俺めがけて一直線に向かってくる。

普通にテーブルをすり抜けて走ってくる姿は普通に怖い!

 

「えっ……マジなの!?」

 

『おらっ!!!』

 

じいちゃんが俺の胸にダイブしてきた。

水泳選手のスタートのように綺麗なアーチを描いて――

その衝撃で椅子に座っているにも関わらず後ろに倒れてしまった。

背中に痛みを感じつつ起き上がると目の前に自分の手が見えた。

でも何か可笑しい、まるで自分ではない何かが体を動かしているみたいだ。

自分の意図していない動きを両手がするのはとても不気味だ。

 

「うわぁ!なんだこれ!?」

 

『おお!成功だな!』

 

じいちゃんが嬉しそうにしている。

さっきから俺の肩をブンブンと振り回して具合を確かめているようだが……

痛いんでやめてもらっていいですかね?

 

「成功したな!....じゃないよ!どうなってんだこれ!?」

 

『まあまあその内慣れるって』

 

「慣れるか!」

 

『とりあえず準備するぞ!』

 

「おい無視すんな!」

 

こうして2人で初めての共同作業が始まったのであった……



 

 

『よし、とりあえずこんなもんか?』

 

「そうかよ…」

 

勝手に動く体に戸惑いながらも何とか材料を並べる。

テーブルの上にはパスタ、トマト、玉ねぎ、ピーマン、ソーセージ、ケチャップや調味料、油等が並んでいる。

この食材って……

 

「ナポリタンでも作るのか?」

 

『正解、歩夢の好物だしな』

 

確かに俺は昔からナポリタンが好きだった。

小さい頃から俺が店に通う度にじいちゃんがよく作ってくれたのもあり

大好物の一つになっている。

 

「懐かしいな……」


昼ピーク終わりの休憩時間に食べるあのナポリタンが

俺の脳内を駆け巡る。

 

『小さい頃は暇さえあればうちに来て食ってただろ』

 

じいちゃんの家に行く度にナポリタンを作ってもらっていた。

じいちゃんの作ったナポリタンは絶品で何回もおかわりした記憶もある。

流石に今はおかわりは厳しいが。

 

『それじゃあ早速作り始めるぞ』

 

そう言ってじいちゃんは俺の体を使いエプロンを身に着け、調理に取り掛かる。

無駄のない動きで食材をカットし始めると…..

 

『……………』

 

じいちゃんの手が止まり、しばらく沈黙が流れる。

 

『なぁ歩夢』

 

「なんだよ?」

 

『お前が作れ』

 

「はっ?」

 

突然何を言っているんだこの人は……

 

「いや、じいちゃんしか作ったことないだろうちのナポリタンは」


厨房で手伝っていたことはあるが、メインの料理を爺ちゃんの前で作ったことは今まで一度もない。

 

『調理師免許とって飲食店で働いてるんだろ?気が変わった、レシピ教えるから作ってくれ』

 

「急に言われても……」


爺ちゃんの無茶振りには慣れてはいるが……


『別に普通に作ればいいだけだ』

 

「わかったよ……」

 

じいちゃんの圧に押され渋々納得する。

じいちゃんが俺の体から出た瞬間、体の感覚が戻ってきたため軽く肩を回し食材に向き合う。

 

(ふぅ、やるか………)


手汗が出てきたのを実感出来るくらいに、俺は緊張していた。

料理の味を見る時はいつも厳しかった、子供だからといって優しくされた覚えはない。



 

『上にレシピがあるから参考にしてくれ』

 

じいちゃんが上を指すように手を動かし、俺の前でジェスチャーをする。

その指先を見ると棚の上にクリアファイルがあり、その中には手書きでたくさんのレシピ集があった。

 

「凄い量だな」

 

『全部ばあちゃんの手作りだぞ』

 

「マジかよ……」

 

驚きつつもクリアファイルに手を伸ばす。

小さい頃から何のファイルか気にはなっていたがまさかレシピがあるとは……

 

『確か一番右のファイルがうちのメニューのレシピだ』

 

言われた通り一番右側のファイルを手に取りページを開く。

そこにはうちのメニューほとんど書かれており、一番最初のページにナポリタンの作り方が書かれていた。

 

「よし、やるか」

 

俺は意気込みを入れ、いざ調理を開始した。

まずは麺を茹でるため鍋に水を入れる。

その間に具材の準備だ。

 

(じいちゃんに見られながらだと緊張するな……)

 

じいちゃんにバレないように深呼吸をして心を落ち着かせる。

そして俺は自分を鼓舞し調理に取り掛かった……



 

辺りはトマトのいい香りが漂っている。

 

(そろそろか……)

 

茹で上がったパスタの水分を切り、フライパンに乗せる。

ジュワーッという音と共に更に食欲を刺激する匂いが部屋中に充満していく。

緊張しながらもパスタとソースを絡めていく。そして皿に移し、仕上げのパセリをふりかける。

 

「よし、完成!」

 

目の前には完成したナポリタンがある。

 

『上出来』

 

後ろから声をかけられ振り向く。

するとじいちゃんが納得したような表情をしていた。

 

『レシピ通りで無駄なく出来たな』

 

「まぁな」

 

じいちゃんに褒められるなんていつぶりだろうか?

 

『さて冷めないうちに食うぞ』

 

「おう」

 

俺はいつもの席につき手を合わせる。

ちなみにいつもの席とはカウンター席で一番厨房がよく見える席だ。

 

「いただきます」

『いただきます』

 

フォークを手に取り、ナポリタンを口に運ぶ。

口の中に懐かしい味が広がる。

 

「美味い……!!」

 

俺は思わず感動してしまった。自分で作った料理だが、

じいちゃんのナポリタンを食べたのはもう数年前で忘れかけていたが、その味は昔と変わらず絶品だった。

 

「うん、やっぱりじいちゃんの料理は最高だな!」


俺はチラッと横目で爺ちゃんの様子を伺う。

俺の不安をよそに、じいちゃんも満足そうに食べ勧めている。


(ていうか幽霊でも問題なく食えるんだな……)


そんなことを考えながら俺達は無言で黙々と食べ続ける。

俺は気づけなかったが横に座るじいちゃんは黙々と食べている俺を嬉しそうに見つめていた。




 

「それにしても何で俺に作らせようと思ったんだ?」


俺と爺ちゃんはナポリタンを完食し、水を飲みながら一息ついていた。

2人並んでいつも通り座るこの姿は閉店した後の馴染みの光景だ。

 

『まあ、たまには孫の成長した姿を見たかったってのもあるが、本当は違う理由もある』

 

「理由って?」

 

『あの神様にも言われたが、わしは元々成仏する予定だった』


あの神様とは狐耳をして巫女服の女性のことだろう。

それにしても……


「成仏する予定だった?」


『でも何故か今こうしてここに呼ばれてしまった』

 

「……」


爺ちゃんはどこか儚げにナポリタンの色がついた皿を見つめる。

俺は何も言えずただ黙って爺ちゃんの言葉を待った。

 

『あの神様に言われた、歩夢が呼んでいるとな』

 

「……....」


ずっと爺ちゃんに言いたかったことがあったのは確かだ。

だがあの祠の前で会いたいとは祈っていなかったはずだ……


『それで呼ばれて来てみれば、何とも酷い顔した孫が目の前にいてな』

 

「じいちゃん……」

 

『……呼んだ理由は何だ?話してみろ』


 

俺は正直に全てを話すことにした。

嘘をついてしまったこと、謝りたいことを。



 

 

「実は……」

 

決心したはずが、言葉が詰まる。

もう安心して逝っていいはずなのに、迷惑をかけている自分が本当に情けなくて嫌になる。

チラッと爺ちゃんの様子を伺ってみると、

じいちゃんは優しく微笑み、ただグラス片手に待っている。

 

「……ごめんなさい」

 

何とか言葉を絞り出す。

 

「東京行ってちゃんと調理師免許は取った、その後レストランとか色々な飲食店に就職したんだけど...…」

 

そこでまた言葉が出なくなる。

 

『……だけど?』


爺ちゃんの持つグラスの中の氷がカランっと静かな部屋に響く。


「……....辞めたんだ」

 

『そうか』


特に何の反応もしない爺ちゃんが意外で俺は驚いてしまう。

 

「……怒らないのか?」

 

『別にお前の人生だからな』

 

じいちゃんの優しさに涙が出る。

それとも特に興味がないからこんな対応なのか、

上京する時あんなことを爺ちゃんに言ったのに本当に情けない……

 

「……料理すること自体はすっごい楽しいんだ、けど職場の人間関係とか上手くいかなくて」

 

『ほぅ』

 

「仕込みとかは全然良いんだけどなかなか料理の勉強とか将来のための貯金とかもなかなか出来なくて…」

 

『……』

 

「このままじゃ駄目だってわかってる、わかってるけど怖くて逃げちゃったんだよ……情けないよな、俺……」

 

気付けば泣いていた。

今までずっと我慢していた気持ちが溢れ出し止まらなかった。

子供の時から爺ちゃんにあんな事を言っていたのに――――

 

 


「爺ちゃんより料理上手になって最高のお店を作るんだ!」


『ふーん』


新聞片手にテレビの競馬中継を見ながらつまらなそうに呟く爺ちゃん。


「本当だからな!そんで俺がこの――」

 



 

『…………別に逃げたって良いだろ』

 

「え?」

 

予想外の返答に驚いてしまう。

 

『誰しもが成功できるわけじゃない、むしろ失敗する方が普通だ』

 

「……」


爺ちゃんはそう言いながら席を立ち、厨房に入る。

 

『それに、俺なんて元々料理はてんでだめだったぞ』

 

「えっ、じいちゃんが?」


意外だった、俺が物心ついた時には1人で店を切り盛りしていたから

最初っから料理人として凄い人だと思っていた。

 

『言ってなかったか?そもそもこの店は家内が1人で切り盛りしていたお店だ』

 

初めて聞く話に驚きを隠せない。


『元々普通のサラリーマンで土日や休日このお店に通うのが唯一の楽しみだった』

 

「じいちゃんって元々サラリーマンだったんだ…」


あの爺ちゃんがスーツ着て出社してたなんて一ミリも想像できない……

 

『ああ、それで通ってるうちに家内が料理を作っている姿に惚れてな』

 

「へぇー」

 

『プロポーズしたら即OK貰えてそのままゴールインだ』

 

「展開急すぎない?デートとか誘ったの?」

 

『一々お前にどんなデートしたとか話すかバカたれ!』

 

「痛いっ!」

 

頭をグーで叩かれる。

昔から聞かれたくない話とかおちょくったりすると毎回これだ。


『それでわしも料理できるようになれば家内の負担が減らせると思って必死になって練習したんだ』

 

「凄いな……」

 

『それで免許も取って、無事家内にも料理の腕を認められてわしも料理人になったんだ』

 

「……」


理由や経緯はどうであれ、俺は爺ちゃんを人としても料理人としても尊敬している。

爺ちゃんが最初から料理人を目指していなかった事が意外で俺はただ茫然と話を聞いていた。


『まぁ、最初は失敗続きで上手くいかない事もたくさんあったが、何とかなるさ精神で頑張ったよ』

 

「……」

 

『だから大丈夫、焦らなくてもいい』

 

「うん……」

 

じいちゃんの優しさが身に染みる。

俺はじいちゃんの目を真っ直ぐ見て答える。

 

「ありがとう、じいちゃん」

 

『おう、頑張れよ』

 

そう言ってじいちゃんは笑っていた。

少しだけ心が軽くなった気がした。

 

『後合格だから歩夢』

 

「……....はい?」

 

何の合格なのか理解できず聞き返す。

するとじいちゃんはニヤリと笑い

 

『だから家の喫茶店継ぐならいいぞ』

 

その一言で一気に現実に引き戻される。

そんな簡単に継ぐなんて決めていいのか!?

 

「いやいや!無理だろ!」

 

『わしの時もそうだった、家内にナポリタン作って美味しかったら合格だったぞ』

 

「マジか……てかナポリタンくらい作れるわ!」

 

思わず突っ込んでしまった。

そんな簡単に料理一つで店を継いで良いなんて訳が分からない。

そんな簡単に……決めないで欲しい。

あの時上京する前、爺ちゃんの前で高らかに宣言したあの日のことはずっと忘れていない。

思い通りにいかず料理の道から離れてしまったが、今でも朝や昼、夕飯は料理やお弁当を作るようにしている。

休日は色々なレシピ本やネットで料理の勉強をし実践をしている。

とりあえず生活のために営業の仕事はしているが、いつか納得できる料理人になり爺ちゃんを驚かせたかったんだ。

爺ちゃんに俺が作った料理を沢山食べて欲しかった、それでダメ出しなんてされず認めてほしかった……

死ぬ前に認めて欲しかった……


『もう一回言うが合格だ、歩夢』

 

「……本当にいいのか?」


まだ納得できていない自分がいる。

 

『ああ、それにお前は昔から料理が好きだろう?』

 

「うん」

 

『継ぐも継がないも歩夢の自由だ』

 

「……………」



その後、俺達は他愛もない話をして過ごした。

俺の進路についてだが、まだはっきり決めてはいないが、 もし継ぐことになった時は全力で取り組もうと思う。

そんなことを考えながら俺は爺ちゃんと話した、専門学生の時の事、姉貴のこと、料理の事を沢山話した。

爺ちゃんは俺の話をただただ微笑みながら聞いてくれた。

長く話していたからか、外はすっかり暗くなり街灯が築き始めた頃――

 

『さて、じゃあそろそろ行くかな』

 

じいちゃんは立ち上がりにっこり笑う。

その笑みはどこか楽しげな雰囲気だ。

 

「もう?」


俺は寂しさを隠せず、まるで子供の頃のように聞いてしまった。

 

『ああ、わしは成仏しないといけないからな』

 

「……そっか」

 

『……もう大丈夫か?』

 

俺を見つめる目は変わらず優しげで、どこか儚い。

年甲斐もなく甘えたくなってしまうが、本来爺ちゃんはもう亡くなっている。

もう安心させてあげたい……

 

「ああ、大丈夫だよ」

 

俺は笑顔で答えた。

精一杯の笑顔で。

爺ちゃんは何も言わず裏口ではなく正面の扉に向かって行く。

その背中はどこか薄い、本当に薄くなっているのであろう少し透明で

爺ちゃんの背中から向こうの見えないはずの景色が見えていた。

何となくだがお別れの時間が来たことが俺には分かった。

 

「………あのさ!」

 

俺も立ち上がり、じいちゃんに精一杯声を張り上げる。

 

『ん?』


爺ちゃんは軽く顔をこちらに向ける。

 

「やっぱりこの店継いでいいかな?俺このお店好きなんだ!大好きな場所だし、じいちゃんみたいに料理うまくないけど、いつかじいちゃんみたいな料理上手になるのが今の目標なんだ!!」

 

勢いよく喋りすぎて息切れする。

じいちゃんは黙ったまま何も言わなかった。

 

「……駄目か?」

 

不安になり聞いてみると、 じいちゃんは微笑み、

 

『お前がそうしたいんならそうすれば良い』

 

特に間を開けることなく爺ちゃんはそう言った。

 

「本当?」

 

『ああ』

 

「……」

 

俺は安心してその場に座り込んでしまう。

まだ現実味が無い。

 

『死人に許可を求めるとは変な孫だな』

 

「うるせぇ!」

 

『はっはっはっ!!!』

 

久しぶりにじいちゃんの大爆笑を聞いた気がした。

 

『……あ、そうだもしまたあの祠に行くなら営業時間終わりに行け』

 

「えっなんで?」


あの祠とは狐耳女性が出てくる場所だろう。

夜にならないと現れないのか?

 

『忘れ物をとりに来る客は営業時間終わりに来るからな』

 

「はあ?意味わかんねぇよ?」


忘れ物を取りに来る?別に次の日の昼とかでも良いだろ。

 

『今回は歩夢が忘れ物を取りに来た客だったからな』

 

「はぁ……」

 

『まぁそのうち嫌でも慣れる』

 

当たり前のように受け入れている今の現状もだが、色々とわからない事だらけだ。

 

「……まぁとりあえず営業時間終わりに祠に行けばいいんだろ」

 

『毎回じゃない、勝手に呼ばれるように行くから大丈夫だ』

 

「ええ……」

 

何だそれは……

こっちの事情とか関係ないのか?

 

『まぁ頑張れよ』

 

「えっ……あ、はい」


俺がそう答えると、じいちゃんは満足そうに笑う。

悔いなんて何一つ無いかのように軽い足取りで扉に向かう。

 

『じゃあな、全く家内に会う前にこんなことになるなんてな……』

 

そう言い残し、扉を開けると光に包まれ爺ちゃんは消えていった。

店には俺1人だけ、これが夢なのかどうか確かめるために頬をつねってみる。

しっかりと痛みは感じるし何よりカウンターに置いてある少し赤いお皿は、確かに2つ並んでいる。

キッチンにも食材を切ったまな板、ナポリタンを炒めたフライパンが置いたままだ。

分かってはいたがやはりこれは夢ではない、現実だ。

 

「……ありがとうじいちゃん」

 

誰もいない店内で静かに呟いた。





 

俺は急いで戸締りをし店を出る。

店を継ぐと決めた以上やらなきゃいけないことはたくさんある、俺はやるしかない。

まず今勤めている会社を辞めて相続の準備をしないと、それで色々落ち着いたらお礼を言いにあの祠に行ってみよう。

今後やるべきことを考えながら今一度店を見る。

店の看板と名前に目をやると俺はどこか納得したかのように、小さく笑みを浮かべた。

 

(あー、店の名前の由来はもしかしたら……)

 

じいちゃんの喫茶店の扉や看板には小さく可愛らしい狐のキャラクターが、そしてお店の名前は『忘れ物』と書かれていた。

 

(喫茶『忘れ物』って変な名前だよなーって思ってたけどもしかすると……)

 

そう思うと笑ってしまう。

俺は走りながら実家に向かう。

今日の朝帰ってきた時とは違く、まるで何かを取り戻したかのように楽しそうな笑みを浮かべていた。



街灯の灯りが商店街を明るく照らし、仕事終わりのサラリーマンや大学生達が居酒屋で楽しい時を過ごす中

商店街を走り抜ける若い男性がいた。周りの人達はは一瞬チラッと横目に見るだけで気にもとめないが

走る男性の口元は少しだけ赤くなっていた…………


 


―――ーーーーーーーーーーーーーーーーー

じいちゃんの喫茶店を継いだ歩夢は早速忙しい日々を送っていた……

お礼を言いに祠に赴くとあるお願いをされる………

「あの〜すみません………」

「あ!大丈夫ですよ入って!」

次回

『忘れたくない ケチャップチャーハン』

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