自動「無差別殺人」機
「衛藤君、ある事件の解決に君の力を貸して欲しいんだ」
衛藤敦己が、瀬身譚太郎から半年ぶりに受けた電話でこのように告げられたとき、衛藤は、やはり来たか、と思った。
半年前まで、瀬身は都内で探偵事務所を開いており、衛藤は瀬身の助手をしていた。
しかし、ある「探偵特有の悩み」によって、瀬身は事務所を廃業することにし、助手の衛藤には暇を出していたのだ。
その「探偵特有の悩み」とは、事件の引き寄せである。
瀬身が行く先々で、ことごとく殺人事件が起きるのである。
花見に行けば公園のレジャーシートに死体がくるまっているし、海水浴に行けば砂浜から手首だけが飛び出している。紅葉狩りにいけば川から死体が流れきて、冬に旅館に泊まれば大雪で外部との連絡が取れなくなって連続殺人が始まる、といった具合である。
楽天家の衛藤からすると、それは悩むことではなく、探偵としての誇るべき才能なのではないか、と思っていたのだが、瀬身は、自分が周りに不幸を運んでしまっていると塞ぎ込み、ついに探偵を辞める決意をしたのである。
助手業を気に入っていた衛藤にはだいぶ心残りはあったものの、かといって探偵張本人のやる気がなければどうすることもできず、瀬身の決断を尊重した。
ここ半年は、衛藤は、仕方なく、実家の定食屋の厨房を手伝ったり、プログラミングの資格の取得に向けた通信講座などを受けたりして過ごしていたのである。
それはそれは退屈な日々だった。
「瀬身さん、どうしたんですか? 事件というのは、もしかして殺人事件ですか?」
「ああ、もちろん」
電話口の瀬身は、重度のうつ病患者のような重い声だったが、衛藤は、不謹慎ながらも心が踊った。
瀬身とともに殺人事件の解決にかかわることこそが衛藤の生き甲斐であり、「我が探偵」の瀬身が、探偵を辞してもなお殺人事件を引き寄せる才能を失っていなかったというのは、衛藤にとっては朗報に他ならなかった。
「衛藤君、殺人事件と聞いて、君は内心喜んでいるだろう?」
「ええ。よく分かりますね」
「腐っても探偵だからな。……いや、私はもう探偵を辞めたんだ。もうこれ以上血なまぐさい事件には関わりたくなくて。なのになんでまた事件に巻き込まれなきゃいけないんだ。くそ……」
「とか言いつつ、瀬身さんも、そういうのが好きなんじゃないですか? だって、仮に身の回りで殺人事件が起きても、関わりたくなければ関わらなければいいじゃないですか。警察に捜査を任せればいいじゃないですか。でも、僕と一緒にまた事件に取り組みたいって言うんですから、なんだかんだで瀬身さんも好き好んで事件に首を突っ込んでるんですよ」
「違う!!」
電話口の瀬身が突然語気を荒らげたので、僕は思わず肩をすくめる。
「違うんだ。衛藤君、私はどうしてもこの殺人事件を解決しなければならないんだよ。私はこの事件を解決しない限り、この事件から逃れることができないんだ」
「どうしてですか?」
「だって、私は、この殺人事件の容疑者だから」
これにはさすがの衛藤も言葉を失う。瀬身の事件を引き寄せる才能は、探偵を辞めてもまだ健在だっただけではない。さらに磨きがかかっていたのである。
……………………
探偵事務所のオフィスとして賃貸していた部屋は、廃業したときにすでにオーナーに返してしまっていたので、衛藤と瀬身とは、元探偵事務所があったビルの向かいの喫茶店「シチュアシオン」で半年ぶりの顔合わせをすることにした。
都心では今は珍しい、チェーンに属しない個人経営のこじんまりとした店である。
丸机が3つと、カウンター席が5つしかない店内には、半年前とは変わらず、洒落たジャズが流れていた。
「やあ、衛藤君、久しぶり。君は半年前と少しも変わっていないようだね」
当然のように待ち合わせ時間に遅れて登場した瀬身は、衛藤に対して「少しも変わっていない」と述べたが、衛藤としては、そっくりその言葉を返したい気分だった。
半年ぶりの瀬身は、ボサボサの髪型も、だらしのない無精髭も、サイズの合わないブカブカの縞シャツも、探偵時代のままだったのである。
瀬身が「シチュアシオン」で語った、自分が容疑者となっている事件とは、概略、以下のようなものだった。
事件があったのは、東京都墨田区の路上。
被害者の蓮根京実は、哀れなことに、亡くなった当時、まだ14歳だったという。
通っている中学校は夏休みで、授業はなく、受験について考えるにはまだ早い中学2年生の蓮根は、毎日、学校の体育館で部活動に精を出していた。蓮根の中学校は、バドミントンの強豪校で、蓮根は中心選手の1人だったのである。
事件があった日も、蓮根にとって典型的な夏休みの1日であった。
いつもどおり朝に学校の体育館に向かい、夕方までみっちり練習し、同じ部活の友達と帰路についた。
しかし、蓮根が、夕飯を作って待っていた家族に迎えられることはなかった。
その帰路において、彼女は尊い命を落としてしまったのである。
これも、蓮根にとって、いつもどおりのルーティンだったのだが、蓮根は、部活の友達とともに、直帰をせず、中学校のすぐそばの、かろうじてベンチだけは置いてあるもののほとんど空き地のような公園へと向かった。
この公園で、「いつメン(いつものメンツ)」と小1時間程度たむろすることが、バドミントンを除けば、蓮根にとっての唯一の楽しみだったのである。
太陽は沈みかかっているとはいえ、季節は夏である。
屋外にいると、無条件で喉が渇く。
そんなわけで、公園に着き、荷物を置いてベンチを確保すると、「いつメン」たちは真っ先に公園を出てすぐの路上にある自動販売機へと向かった。
自動販売機は、大手メーカーが設置している、全国流通しているお馴染みのものだ。大体120円くらいの価格帯で缶飲料が、150円くらいの価格帯でペットボトル飲料が買えるアレである。
カラカラの喉を潤すために、「いつメン」はそれぞれのお小遣いで、いずれもペットボトル飲料を購入した。
そして、ベンチに戻った蓮根は、購入したペットボトル飲料に口を付けた。
そうしたところ、蓮根の身に即座に異変が起きた。
蓮根が飲んだ飲料に、人為的に混入させられたとしか考えられない量の、強力なヒ素が含まれていたのである。
哀れな女子中学生は、喉を焼かれる苦しみによって、公園で倒れ、そのまま息を引き取った。
「以上が、事の顛末だ。なお、言うまでもないが、これは、私が、私の事情聴取をする警察官からかろうじて聞き取れた内容に限られるから、事件の全貌とはほど遠い」
「ちょっと、待ってください」
瀬身は知っていることを一通り話したつもりになっているのかもしれないが、そんなことはない。
瀬身が間違いなく知っている事情のうち、1番肝心な部分についての説明が抜けている。
「瀬身さん、どうしてあなたが容疑者として疑われてるんですか? もしかして、被害者のJCと出会い系サイトか何かを通じて知り合っていたとかですか」
「違うよ。違う。そんな不審者みたいな扱いをしないでくれ。私は、偶然、自動販売機に飲み物を入れてただけなんだ」
「……はい?」
瀬身の言葉の意味が理解できなかった衛藤は、口をぽかんと開けたまま硬直する。
「そんな唖然としないでくれ。別に何も難しい話じゃない。言葉をそのままの意味で受け取ってくれ。探偵を廃業した私は、『普通の生活』に戻りたくて、まず、派遣会社に登録したんだ。半年間で色々な仕事をやったよ。コールセンターとか営業とか本当に色々。そしてたまたま今夏に任された仕事が、自動販売機の飲み物を補充する仕事だったんだ」
「はあ」
たしか瀬身は、有名大学の法学部を卒業していたはずである。
ゆえに衛藤は、探偵を辞めた後も、瀬身は何かしらのインテリ系の仕事をしているものかと思ったが、違ったようだ。余程「普通の生活」とやらに憧れていたらしい。
「それでたまたま私が担当して、前日に飲料を補充した自動販売機で、件の毒殺が起きたというわけだ」
「そりゃ容疑者として疑われますよね」
「だろ? 警察によれば、ヒ素が入っていたのは被害者が口を付けたペットボトル飲料だけであり、他の自動販売機内の飲料も回収したが、毒入りのものは他になかったとのことだ。ゆえに警察は、『頭の狂った』元探偵業の派遣社員が、日頃溜まった鬱憤を晴らすため、毒物入りのペットボトル飲料を1本だけ自動販売機に忍び込ませて、無差別殺人を計画した、と見立ててるんだ」
「なるほど」
衛藤は、深く頷く。
「衛藤君、納得してる場合じゃない!! その見立ては完全に間違ってるんだ!! だって、私はそんな殺人狂ではないからな!!」
「それはもちろん分かってますよ。僕は瀬身さんのことは1ミリも疑っていません。小心者のあなたには、人を殺すような度胸なんてないですから」
「一言多い気もするが、まさに衛藤君の言うとおりなんだ。私は犯人ではない。これだけは断言できる」
「瀬身さんが犯人ではないとすると、真犯人はどのようにして被害者の飲み物にヒ素を混ぜたんですかね?」
「そこが問題なんだよ」
瀬身は丸机に片肘をつき、頭を抱える。
「警察の話では、被害者は、自動販売機で飲み物を買った後、50メートル離れた公園のベンチにその飲み物を持って行き、ベンチに着くや否や飲み物に口をつけたというんだ。そして、最初の一口で被害者は絶命している。つまり、第三者が毒を入れる隙なんてこれっぽちもないんだよ」
「うーん」
元探偵の話を聞き、衛藤も彼同様に頭を抱えた。
「じゃあ、どうしてペットボトルには毒が入ってたんだろう……」
「そこを突き止める協力を君にして欲しいんだよ。衛藤君」
瀬身のシリアスな声は、助手に仕事を頼む探偵というよりは、弁護士に冤罪の証明を頼む被告人のようである。
「私には今、圧倒的に情報が足りない。警察官から聞き出せた情報もあるが、むしろ、大事な情報ほど警察官は私に漏らさない傾向にある。秘密の暴露を狙ってるんだ。警察からも含め、『容疑者』である私が関係者から聴取できる事実には限りがあるんだ」
「そこで僕の出番というわけですね」
「そうだ。君は事件の部外者だ。事件の部外者だからこそ、自由に動き、自由に聞き回れることがあることは、我々が行く先々で巻き込まれた過去の事件の経験から、身を持って知ってるだろう? それに、君は、見てくれは背の高い好青年だ。怯えた女子中学生だって、君には心を開いて色々と話してくれるだろう?」
自分で言うのも難だが、たしかに衛藤は、相手に与える第一印象の良さには自信がある。目の前のくたびれた服を着た男とは違い、日頃ファッションや清潔感にもちゃんと気を遣っている。
「とはいえ、瀬身さん、僕は何を聴取すればいいんですか? 少しも検討がつかないんですが……」
「大丈夫。心配ない」と、瀬身は、ポケットから、4つ折にしたルーズリーフを取り出し、丸机の中心に置いた。
「調査事項はすでにここにまとめてある。あとは、君が白い歯を見せながら、適当に質問してメモを取ればいいだけさ」
ルーズリーフを開くと、瀬身の考えた調査事項は、衛藤の想像よりもはるかにコンパクトにまとまっていた。
……………………
【調査事項】
1 いつメンは、どのような順番で飲み物を買ったのか
2 被害者が自動販売機で買う飲み物はいつも決まっているのか
3 被害者が口をつけた毒の入った飲み物は一体何だったのか
4 毒が入っていたペットボトルには接着剤等が付着していたのか
5 被害者が倒れた後、誰がどのようにして119番に通報したのか
6 その日の被害者の行動に何か不審な点はなかったか
……………………
3日後、瀬身と衛藤は、同じく「シチュアシオン」の丸机で落ち合った。
心なしか瀬身は3日前に会ったときよりも痩せ細って見えた。
衛藤がそのことを指摘すると、「連日連夜の取調べのせいだよ」とジョークなのか本当なのか分からない言葉が、苦笑いとともに返ってきた。
「本題ですが、瀬身さんに調査を頼まれた事項については、ちゃんと調査完了しました」
「さすが優秀な助手だ」
「もっと褒めてください。それこそ僕の方が痩せ細りそうになるくらいに大変だったんですから。どうやって刑事から捜査記録の情報を盗んだと思いますか? 検察庁の職員のフリをして、電話で訊いたんですよ。すごい度胸だと思いません?」
「まるで半年前の君を見ているようだ」
たしかに探偵助手をやっていた頃も、同じようにして警察から情報を盗んでいた。もっと危ない橋もたくさん渡った。
衛藤は、そういうことが苦手ではなかった。むしろ、スリルを味わうことこそが人生の醍醐味だと思っている節がある。
この3日間は、慌ただしかったが、探偵助手時代の刺激的な毎日が戻ってきたようで、とても楽しかった。
「順に報告していきますね。まず、『1 いつメンは、どのような順番で飲み物を買ったのか』についてです。そもそも、『いつメン』というのが、一体誰なのかというと、被害者を含めて3人であることが分かりました。被害者を除く2人は、万場つかさと取手笑茉。いずれも被害者と同じ中学2年生の女子バドミントン部員です」
「そういう情報は助かるよ。刑事は、こんな基本的なことすら『お前には関係ない』と言って教えてくれないんだ。果てには、『会って脅して証言を変えさせる気だろ』とか言って。衛藤君、私はそんな粗暴な人間に見えるかい?」
もちろん見えない。女子中学生にすら返り討ちにされそうなくらいに気弱で非力に見える。
ただ、ここで率直な感想を述べても、話があらぬ方向に行くだけなので、衛藤は瀬身の質問をあえて無視し、説明を続けることにした。
「それで飲み物を買った順番ですが、取手、万場、被害者の順。つまり、被害者が一番最後だったそうです」
「なるほど……。それはそうだよな」
瀬身が一体何に納得したのかはよく分からなかったが、衛藤は、淡々と次の報告に移ることにした。
「次に、『2 被害者が自動販売機で買う飲み物はいつも決まっているのか』ですが、これはYESです。彼女はいつも決まってスポーツドリンクを買っていたとのことでした」
「おお。それはよかった」
「何がよかったんですか?」
「簡単な話さ。犯人は、被害者がどの飲み物を買うのか、ということを予測できていた、ということだよ。つまり、犯人は気の狂った無差別殺人者じゃない。最初から被害者を狙って、スポーツドリンクに毒を仕込んでおいたんだ」
なるほど。瀬身はその可能性を考えて、衛藤に対して、被害者がいつも買う飲み物を調査させたのか。
この事件が無差別ではなく、選別された殺人だと明らかにできれば、瀬身の身の潔白にも繋がるだろう。
ただ――
「瀬身さん、それは違います」
「……え?」
早速、元助手に推理の腰を折られた元探偵は、豆鉄砲で撃たれた鳩だった。
「……衛藤君、何が違うんだ?」
「それは、次の調査事項の回答を聞けば分かります。『3 被害者が口をつけた毒の入った飲み物は一体何だったのか』についてです。ミネラルウォーターでした。普段はスポーツドリンクばかり飲んでる被害者でしたが、この日だけはミネラルウォーターを飲みたい気分だったんです」
「はあ……」
瀬身としては、調査事項2のいつも飲んでいる飲み物と、調査事項3の事件当日飲んだ飲み物とは当然に一致するだろうと思っていたに違いない。
しかし、真実は、瀬身の期待を裏切った。
犯人が被害者を狙ってペットボトルに毒を仕込んだという仮説は、被害者の「気まぐれ」に潰されてしまったのである。
目の前の男にとっては危機的な状況である。
なぜなら、犯人が被害者を狙い撃ちできなかったということは、殺人は無差別に行われたということになる。
それは瀬身犯人説を強力に裏付ける。
「ちなみに、衛藤君、その日、他の2人が飲んだ飲み物も分かるかい?」
「ええ。調べましたよ。万場はコーラ、取手はメロンソーダ。この2人は炭酸飲料ジャンキーで、決まって炭酸飲料しか飲まないらしいです」
「そうか。うーん」
こちらの回答も、瀬身の期待どおりとは行かなかったようだ。
「やはり限られた情報で推理をするのは難しいね。ヒントが『白と黒』と『格子の中』だと、答えがオセロなのか囚人なのか分からない。もしかすると檻の中のパンダかもしれない!」
「ちょっとよく分からないので、調査報告を続けますね」
「ああ。続けてくれ」
「『4 毒が入っていたペットボトルには接着剤等が付着していたのか』ですが、これも答えはYESです」
「やっぱりね」
「うっすらながら、ペットボトルには全体的に接着剤のようなものが付着していた、とのことでした」
「全体的に? ……なんでだろう?」
「瀬身さんは、どこに接着剤が付着してると思ってたんですか?」
「蓋だよ。蓋。犯人は、蓋に軽く接着剤を塗ることによって、本当は開封済みのペットボトルを、まだ未開封のペットボトルであるかのように見せかけたはずなんだ」
なるほど。今回の事件では、被害者は、最初の一口で絶命している。
最初の一口の直前には、当然、ペットボトルの蓋は閉まっているはずだから、犯人は、一旦ペットボトルを開封し、ヒ素を混入させ、その後、また蓋を閉めたはずなのだ。そのときに接着剤で少し引っかかる程度に蓋を留めておけば、被害者がペットボトルの口を開けるときに、過去に一度開封されていたことに気付かれにくい。
「とすると、犯人は、蓋にだけ接着剤をつけるつもりが、あまり器用ではなかったために、ペットボトル全体に接着剤を付着させてしまった、ということですかね」
「その可能性もあるね。ただ、ちょっと引っかかるな……」
衛藤は、これまで、瀬身の華麗な推理とそこに至る過程をいくつも見てきたが、経験上、瀬身が「引っかかる」と言った点には、事件の本質が深く関わっていることが多い。
今回の、ペットボトル全体に付着した接着剤も、真犯人の特定につながる重大なヒントなのだろうか。
「まあ、後で考えよう。とりあえず次だ」
「はい。『5 被害者が倒れた後、誰がどのようにして119番に通報したのか』ですね。これは、万場です。イマドキの中学生はみんなスマホを持ってるんですよね。しかも、部活にもちゃっかり持ち込んでいる」
「中学生全員が全員そうじゃないとは思うが……。もう一人の取手は何をしてたんだ?」
「誰か大人を探しに行ってたみたいです。被害者が倒れた当時、公園内には他に誰もおらず、また公園付近の路上にも誰もいなかったので、救命措置等を手伝ってくれる大人に助けを求めるため、公園のある住宅街を抜けた先にある大通りの方へと奔走していたみたいです」
「それは取手の判断か? それとも万場の指示か?」
「万場の指示みたいです」
瀬身は、喫茶店の換気扇が回るのを見上げながら、何かを考え込んでいる。
しばらく待っても、調査事項5についてのこれ以上の質問はないようなので、衛藤は、最後の調査事項6の報告へと移った。
「最後の『6 その日の被害者の行動に何か不審な点はなかったか』です。これは他の調査事項と比べて漠然としていてどう調査すればいいか分からなかったのですが、僕が、その日被害者と行動を共にしていた万場と取手に直接訊いた限りですと、『特に何もない』が答えでした」
「『特に何もない』……衛藤君、それはないだろう。だって、現に、被害者の蓮根は、この日、不審行動をとっている」
「え? 何ですか?」
「だって、普段は買わないミネラルウォーターを買ってるじゃないか」
「ああ」
「これは極めて不審な行動だ。少なくとも私は、中学生の頃には自動販売機でミネラルウォーターを買うことなどなかった。子どもの頃は、やけに甘いものが魅力的で、とにかくジュースばかり買って飲んでいたよ。わざわざお金を払って味のしない水を買うなんて、とんでもない無駄遣いだと思っていた」
「僕もそうだったかもしれません……」
衛藤の場合は、自動販売機で水やお茶を買うようになったのは、18歳を過ぎた頃くらいだった。この頃から味覚が変わって、甘いものをあまり受け付けなくなっていったのである。
「被害者は普段とは違う不審な行動をとっているんだ。この、ミネラルウォーターを購入するという不審な行動について、万場と取手は何か指摘しなかったのか。例えば、被害者がミネラルウォーターを購入した直後、口をつけるまでの間に、『どうして今日はスポーツドリンクにしなかったの?』などとは質問してないのか?」
「うーん、そんなことは万場も取手も言っていなかったと思います……。たしか取手はこんなことを言ってました。『あのとき京実が、いつものスポーツドリンクではなくミネラルウォーターを買っていたということは、私は警察に指摘されて初めて気付きました』って」
瀬身は、丸机を両手でバンっと叩き、突然立ち上がった。
「衛藤君、それは極めて重要な発言だ!! 見えたぞ!! 私にはこの事件の真相が見えた!!」
元探偵が事件の真相にたどり着いたのと、「シチュアシオン」に「招かれざる客」が現れたのは、同時だった。
カランコロンと喫茶店の扉を開け放ったのは、令状を持った警察官だった。
「瀬身譚太郎、お前を殺人の容疑で逮捕する!!」
…………………
自動販売機で購入した直後のペットボトル飲料を飲み、毒死した女子中学生。
齢わずか14にしてこの世を去ったスポーツ少女のことを考えると、涙が出てきます。彼女は、人生とは何かを知ることもないままに、志半ばでその旅を終えてしまったのです。私は、蓮根京実という一人の少女が哀れで仕方ありません。
しかし、同時に、私は、あなたたち警察の人間のことも、哀れで仕方ないと思っています。
あなたたちは、この凶悪な殺人事件について、このような見立てを持っています。つまり、半年前に探偵業を廃業して派遣社員へと身を落とした男が、精神を病み、誰でも良いから殺してやろうとやけっぱちになり、無差別殺人を試みた。そして、哀れな女子中学生が、偶然その餌食になってしまった。
しかし、この見立ては、真実ではありません。警察は、見事に犯人に誤導されてしまっているのです。
しかも、その犯人は中学生ですから、あなたたちの能力は中学生以下なのです。
こんなに哀れなことがあるでしょうか。
今から、私が、あなたたち警察を、ちゃんと真実へと導いて差し上げます。
優秀な元助手の助けによって、私は、あなたたちが辿り着けなかった真実へと到達したのです。
まず、早速ですが、犯人の指摘をしたいと思います。
犯人は、万場つかさ。
被害者と同じ学校のバドミントン部に所属する女子中学生で、被害者が死亡したとき近くにいて、警察に通報に行った第一発見者でもあります。
万場と被害者との間に何があったのかは分かりません。同じサッカー部の先輩を好きになってしまい、恋敵として争いあっていたのかもしれません。もしくは、バドミントン部で熾烈なレギュラー争いを繰り広げていたのかもしれません。
ただ、1つたしかなこととして、万場は被害者に対して、明確な殺意を抱いていました。その理由については、後ほど警察の方で明らかにしていただければと思います。
明確な殺意――そうです。明確な殺意がなければ、今回の事件は起こせないのです。
今回の事件は、決して衝動的な犯行ではありません。
稚拙ながらも計算され尽くした完全犯罪計画なのです。
まず、万場は、自宅で毒入りのペットボトルを準備しました。その入手経路については私の知るところではありませんが、彼女は猛毒のヒ素を手に入れて、それを市販のミネラルウォーターの中に混入させたのです。
そして、そのペットボトルの蓋を閉め、蓋を接着剤で軽く留めました。
こうすることにより、被害者に対し、ペットボトルが未開封であると見せかけたのです。結果、被害者はその罠にハマり、何の違和感を抱くことなく、「買ったばかり」のミネラルウォーターと死の接吻をしました。
万場は、蓋を接着剤で留める以外にも、ペットボトルに「ある細工」を施したのですが、それについては後で触れます。
先に、毒入りペットボトルを「買ったばかり」のペットボトルに見せかけるために万場が行ったことについて、全てクリアにしましょう。
そもそも、この疑問を説明しなければならないのです。
万場は、どのようにして毒入りペットボトルを自動販売機の中に入れたのか。
もちろん、彼女は中学生であり、自動販売機の中身の交換作業を請け負った派遣社員ではありませんので、特殊な鍵で自動販売機を開け、毒入りペットボトルを中に入れることなどはできません。
そもそも、そんな手段では、蓮根を狙い撃ちすることもできません。
万場は、蓮根が飲み物を買う直前に、同じ自販機でコーラを購入しています。
彼女は、取り出し口からコーラを取り出す時に、カバンの中に保冷剤に包んで予め準備していた毒入りペットボトルを取り出し口の奥に入れたのです。
奥、すなわち、飲み物の排出口の近くに入れたのには2つの意味があります。
1つは、取り出し口にペットボトルを入れたことをバレにくくすること。
そしてもう1つは、被害者が新しく購入したペットボトルを排出口で突っ掛からせ、あたかも万場の入れたペットボトルが新たに排出口から出てきたペットボトルかのように見せかけること。
この方法によって、万場は、被害者に、買ったばかりに見せかけた毒入りペットボトルを掴ませたのです。
ところが、ここで大きな疑問が出てきます。
それは、どうして万場は、普段はスポーツドリンクばかりを買っている被害者が、この日に限ってはミネラルウォーターを買うと予測できたのか、です。
普通に考えれば、万場は、例によって被害者はスポーツドリンクを買うだろうと踏んで、毒入りのスポーツドリンクを用意するかのように思われるのです。
仮にそのようにした場合には、この日たまたま被害者はミネラルウォーターの購入ボタンを押したにも関わらず、取り出し口からはスポーツドリンクが出てくることになるため、先ほどのトリックが通用しなくなります。被害者は、自らが買っていないスポーツドリンクに不用意に口をつけることはないでしょう。
ここで万場が使ったトリックこそが、あなたたち警察官をまんまと騙し、私の誤認逮捕という大失態を引き起こしたのです。
その極めて悪質なトリックについて説明しましょう。
万場は、毒入りミネラルウォーターを創出する際、蓋を留めるだけでなく、別の用途でも接着剤を利用しました。
彼女は、毒入りミネラルウォーターのペットボトルに、スポーツドリンクのラベルを接着させたのです。
そのようにして、万場は、ミネラルウォーターをスポーツドリンクに見せかけました。いずれも液体は透明色ですから、ラベルさえ上貼りしてしまえば、ミネラルウォーターをスポーツドリンクに見せかけることはできます。たしかにスポーツドリンクの方は水よりも若干白く濁ってはいますが、事件の当時は、すでに日が暮れた時刻でした。被害者の目を誤魔化すためには十分過ぎる細工です。
ここまで説明すれば、鈍臭い警察のみなさんもお気付きかと思います。
自動販売機で被害者が購入したのは、いつもどおり、スポーツドリンクだったんです。そして、取り出し口から被害者が取り出したのも、スポーツドリンクのラベルが貼られたペットボトルだったのです。
被害者は、スポーツドリンクだと思ってペットボトルに口を付けたところ、実際には、それは毒入りのミネラルウォーターであり、あっけなく命を落としてしまいました。
被害者が倒れた後、万場は、その場にいた取手に対し、助けを呼ぶように指示を出します。
これはもちろん、取手をその場から追い払うための方便であり、万場が、周りに誰もいない状態で証拠隠滅を行うためです。
証拠隠滅として行ったことは2つです。
1つは、自動販売機の取り出し口から、被害者が購入した本物のスポーツドリンクを回収すること。
もう1つは、死体のそばに落ちている偽物のスポーツドリンクのラベルを剝がし、元々のミネラルウォーターのラベルを露出させることです。
目撃者である取手は、このように証言しています。「あのとき京実が、いつものスポーツドリンクではなくミネラルウォーターを買っていたということは、私は警察に指摘されて初めて気付きました」と。
それもそのはずです。取手が見たのはスポーツドリンクのラベルであり、毒入りペットボトルは、取手がその場を離れた後に、ミネラルウォーターへと変貌したのですから。
このラベルのトリックによって、我々は、いつもはスポーツドリンクばかりを買っている被害者が、この日だけは気まぐれによってミネラルウォーターを購入したと錯覚していました。
その錯覚によって、犯人が被害者を狙い撃ちすることは不可能だった、つまり、これは無差別殺人である、と誤導されていたのです。
それこそ、まさに万場の思惑通りでした。
「気の狂った無差別殺人者」という犯人像を作り出すことで、自分に容疑がかからないようにしたのです。
そして、これも彼女の思惑通り、自動販売機の飲み物補充を行っていた無垢な派遣社員が生贄となってしまったのです。
私の推理は以上です。
これは供述調書なので、推理ではなく、供述という扱いになるのかもしれませんが。
ともあれ、予告通り、私は、あなたたち警察を真実に導いて差し上げました。
プロの探偵はすでに辞していますので、あなたたちに対して報酬は請求しません。
その代わり、私の身柄を一刻も早く解放していただくことをお願いします。
なぜ短編にしたんだ……って感じですね。短くまとめることに腐心しました。
長編を書こうと思うと短編のアイデアばっかり思いついて、短編を書こうと思うと長編のアイデアが思いついてしまうのはあるあるですよね。今作は完全に長編のアイデアでした。。
ミステリ作家を名乗ってるくせに、探偵小説を書くのを苦手としています。
ただ、今作はそれなりによく書けたんじゃないかな、という手応えがあります。
自らが容疑者になってしまう元探偵、という設定が良かったですね。じゃあ、なぜ短編にした。。