燃やされた恐竜
【出題編】ペーパー
「イロハ検事、南雲の取調べの感触はどうですか?」
「……多分、彼はやっていない」
私――小野寺彩映の回答に、鰤谷優希は目を丸くする。まん丸の身体にまん丸の目。ちょっとブサカワなマスコットみたいである。
鰤谷は検察事務官であり、私は検察官。検察庁のような上下関係の厳しい組織において、事務官が検察官のことを下の名前で呼ぶなど、本来であれば言語道断である。ただし、私はそれを許容している。〈オノデラ〉より〈イロハ〉の方が語呂が良いことは認めざるを得ないし、第一、私は、庁内の体育会系の雰囲気は好きではない。
目の前のブサカワマスコットは、まん丸の目のまま、検察官室の自席に座った私のことをじっと見つめている。事務官として私の取り調べに立ち合った鰤谷は、私が、被疑者である南雲隆房が〈やっていない〉、つまり、〈冤罪である〉と判断した理由をつらつらと述べるのを待っているのだ。そのことに気付きつつも、私は、ブラックコーヒーを少し口に含んだ後、あえて茶化してみる。
「鰤谷、大事なことを忘れてる」
「……え? 取調室に何か忘れ物しましたか?」
「違うよ。刑事裁判の大原則〈疑わしきは被告人の利益に〉を忘れてる。南雲は、まだ起訴前だから被告人じゃなくて被疑者だけど」
「ああ」
「だから、私たちは、この人は〈やっていない〉をスタート地点にしなきゃ」
目だけでもなく、口までもまん丸に開けた呆けた顔の鰤谷を見て、思わず私は口の中のコーヒーを吹き出しそうになってしまう。
ただ、いくら鰤谷のリアクションが面白いからといって、揶揄いっぱなしというのはさすがに意地悪が過ぎるだろう。
私は、眉と口元に力を入れ直す。
「南雲隆房の被疑事実は、現住建造物等放火未遂罪。まあ、仮に起訴するとしたら、建造物等以外放火罪に落とすかもしれないけど」
「どうしてですか?」
「南雲が火をつけたとされるものは何?」
質問を質問で返すと、鰤谷は、恐竜です、と言う。鰤谷は真顔であるし、鰤谷の発言は真実である。
南雲が火をつけたとされているのは、スピノサウルスという名の恐竜なのである。ただし、それは模型である。もっというと、それは、ダンボール箱を使って作成した巨大な工作なのである。
「南雲が火をつけたとされるのは、恐竜なの。それは建物そのものではないし、そこから延焼して建物にまで火がつく可能性も、おそらくなかった。実際に、燃えたのは恐竜の右脚の一部だけで、床には焦げ跡すら残ってないしね」
私は、紐で綴られた事件記録をパラパラとめくる。そこには、事件現場となった市立博物館で撮られた写真が数多く掲載されている。
全焼は免れたとはいえ、右脚に黒々とした焦げ跡の残った二足歩行の恐竜を見て、私はいたたまれない気持ちになる。決して、命の宿っていない工作に同情しているわけではない。私の同情の対象は、子どもたちである。実物サイズの恐竜を作製したのは、地元の小学生数名で、着色も含めた完成までに、三か月もの月日がかかったのだという。その力作が寄贈先の博物館において燃やされてしまっただなんて、あまりにも不憫である。
「大切な恐竜がこんなことになっちゃって、子どもたちも泣いちゃいますよね」
ちょうど鰤谷も私と同じことを考えていたらしい。
「しかも、燃えた原因が、タバコのポイ捨てだなんて、大人が嫌いになりますよ」
タバコのポイ捨て――南雲の犯罪行為はそのように説明されている。
南雲は、当然禁煙であるはずの博物館内において、堂々と紙タバコを吸っていた。そして、吸い終わった紙タバコを、ポイっと捨てた。そのタバコの残り火が、恐竜の右脚に引火した――というのが、捜査側の見立てである。
しかし――。
「恐竜の脚を燃やしたのは、本当にタバコの残り火なのかしら?」
「え? イロハ検事、まさかそこを疑ってるんですか?」
鰤谷は、フンっと鼻を鳴らす。
「発火の原因がタバコがあることは明らかですよ。燃えた恐竜のすぐそばでタバコの吸い殻が見つかってますし、周辺にはほかに火元はないんですから」
鰤谷の口調は、あたかも年下の女性に諭すようなまどろっこしいものだ。まあ、実際に私は鰤谷よりも年下の女性なのだが。
「それから、そのタバコが南雲が吸った物であることも明々白々です。タバコに付着した唾液から、南雲のDNAが検出されてますからね。それに、南雲自身も、博物館でタバコを吸っていたことと、吸い殻をポイ捨てしたことを認めてました」
「鰤谷、ちょっと待って」
「僕が今言った情報に誤りがありましたか?」
誤りはない。ただ――。
「一番大事なことが抜けてる。南雲は、タバコをポイ捨てしたことは認めてるけど、ポイ捨てした場所は恐竜が展示された場所ではないと供述してる」
本件は、認め事件ではない。南雲は無実を訴えているのだ。南雲曰く、タバコを捨て場所は、広間の隅にある飲水機のそばであり、それは広間の中央に展示されていた恐竜からは二十メートルほど離れている。そして、南雲は、タバコを捨ててから数分後、恐竜の工作のそばでぼーっと立っていたところ、突然、恐竜が発火し始めた、と言うのだ。
「イロハ検事は、〈あんな奴〉の言い分を信じるんですか?」
鰤谷が、南雲のことを〈あんな奴〉と侮蔑を込めて表現したのは、南雲の過去の行いによる。現在七十歳の南雲は、定年で仕事を辞めた五年前から公民館や図書館といった公共施設に入り浸っては、禁止された場所での喫煙を繰り返していたのである。さらには、喫煙行為を注意をした職員を殴り、公務執行妨害罪で勾留された前歴も持つ。
「〈あんな奴〉だからこそ、慎重に捜査しなきゃいけないの。偏見は冤罪の温床だから」
「イロハ検事の言ってることは正論ですよ。でも、本件では目撃証言もあるんです。飯塚楽人が二階から南雲がタバコをポイ捨てしているシーンを目撃してるんです」
飯妻は、大学院を卒業後、三か月前からこの博物館で勤務をし始めた新人学芸員である。
「飯妻は、南雲は、恐竜の方へとタバコを投げ捨てた、とハッキリと証言しています。イロハ検事は、学芸員が嘘を吐いているとでも言うのですか?」
「その可能性は捨ててはいけないと思う。飯妻は、三階の廊下から一階の広間の南雲を目撃してる。果たしてその距離から捨てたタバコの行き先まで見えるのかしら?」
この博物館の広間は天井まで吹き抜けになっており、広間中央の展示ブースは、上階の廊下から見下ろせる構造となっている。当時、三階は展示入れ替え作業のために閉鎖中で、若い学芸員は、三階の天体コーナーの備品を搬入する最中、一階の広間にいる南雲のポイ捨てを目撃したのだという。
「そりゃたしかにハッキリと見えたかどうかは分かりませんよ。でも、かといって、飯妻に嘘の供述をする動機はあるんですか?」
「南雲は、ここの博物館を含め、市内の公共施設の職員から嫌われていた〈有名厄介客〉でしょ。飯妻が、南雲をハメようとした可能性がどうして否定できる?」
「とはいえ、飯妻は、博物館に勤務して三か月の新人ですよ。長年南雲と対峙していた職員ならまだしも、勤務ホヤホヤの新人が、厄介客に対してそこまで深く憎しみを募らせるものですかね?」
鰤谷の指摘するとおりだ。私は飯妻の証言を疑っているが、かといって、飯妻が虚偽の証言をする動機も薄いと思う。
すると、鰤谷の言うとおり、南雲の供述を疑うべきなのだろうか。先ほど取り調べをした直感としては、南雲は、良くも悪くもバカ正直で、嘘を吐いているようには感じなかったのだが――。
私は、事件記録にある飯妻の供述調書を読み返してみる。私の目に留まったのは、事件目撃時に飯妻が目撃していた〈備品〉が、展示を観察するための巨大なレンズであること、それから、飯妻が大学院において恐竜をはじめとする古代生物の研究をしていたということである。
「恐竜ねえ……」
私は、少しも恐竜に詳しくない。しかし、専門外の情報を避けていては、この仕事は務まらない。
私は、デスクのディスプレイに正対すると、キーボードをカタカタと叩く。私が検索窓に打ち込んだカタカナ七文字は『スピノサウルス』。
表示された画像――帆のような大きな突起を背中に立て、四つん這いになった恐竜の姿――を見た私は、呆気にとられる。
そして、確信する。
――なるほど。これが動機か。
…………
【解決編】WEB
翌日、私は、取調室に被疑者を呼びつけた。
その被疑者は南雲ではない――飯妻である。
四角い縁のメガネを掛けた、いかにも実直そうな青年は、私に動機を言い当てられたことで、あえなく自白をした。
「検事さんの言うとおりです。僕は、絶対に許せなかったんです。あの〈恐竜〉が」
飯妻の自白は以下のとおり。
博物館で勤務を始めた飯妻にとって、悩みのタネは二つあった。
一つは、禁煙である館内で堂々と喫煙をする〈有名厄介客〉である南雲の存在であるが、これはまだ我慢ができた。もっとも、もう一つの方は我慢の限界だった。それは、自らの美学に反する展示の存在である。
飯妻が許せなかった展示――それは、最新の科学的知見に反して、二足歩行で直立している〈スピノサウルス〉の工作だった。
スピノサウルスは、近年で、その姿形を変えた恐竜である。すなわち、当初、スピノサウルスはティラノサウルスなどと同様に、直立二足歩行のできる恐竜と考えられていた。しかし、最新の研究によって、スピノサウルスには水掻きがあったことなどが判明し、スピノサウルスは水棲生物であり、その姿形はワニに近く、完全な四足歩行型であるということが明らかにされたのである。
もっとも、〈スピノサウルス〉として人口に膾炙しているのは、過去の、二足歩行型の姿形である。『ジュラシックパークIII』の影響だ。そのあまりにも有名なハリウッド映画は、当時の知見に基づき、スピノサウルスを二足歩行型の恐竜として登場させ、主役級の活躍をさせたのである。
そして、地元の小学生も、『ジュラシックパークIII』を見て、スピノサウルスの工作を作製した。そもそも、その映画を見ていなければ、スピノサウルスの名を知ることさえ無かっただろう。
大学院で恐竜を研究していた飯妻は、博物館の中央に、最新の科学的知見に反した〈スピノサウルス〉が展示されていたことが許せなかったのである。地元密着をアピールするという目的は知っているが、かといって、博物館としての矜持は絶対に捨ててはならないはずだ、と考えた。
そこで、飯妻は、〈有名厄介客〉に罪をなすりつけつつ、博物館の看板に泥を塗る展示を燃やしてしまうことを決心したのである。
三階の展示入れ替え作業中、飯妻は、上階から、一階の様子を観察していた。そして、南雲が、タバコをポイ捨てし――ただし、捨てた場所は、南雲の供述どおり、引水機のそばである――例の恐竜の工作のそばに寄ったところで、飯妻は、着火作業を行なった。
飯妻は、三階の廊下において、巨大なレンズに、展示物を照らす強力なライトを組み合わせて、焦点距離を調整し、恐竜の足に光を集中させた。そして、恐竜の足に火がついたことを確認した段階で、一階に降りて、騒ぎに乗じて、南雲が引水機のそばに捨てた吸い殻を拾い、恐竜のそばに捨て直したのである。
「僕は、どちらかというと、飯妻に同情しますね」
飯妻の取り調べを終え、裁判所に逮捕令状を請求するための書類を作成していた私に、隣のデスクの鰤谷が声を掛ける。
「どうして?」
「だって、なんとなく頷ける動機じゃないですか。博物館に非科学的な展示があるのが許せないって」
「意外ね。鰤谷って科学信奉者だったんだ」
いやいや違いますよ、と鰤谷はたるんだ顎を横に震わせる。
「僕の考え方は、飯妻と丸っきり同じってわけではありません。ただ、熱っぽく恐竜への想いを語ってる飯妻を見ていたら、飯妻の考え方も無下にはできないなって」
「……それで?」
「もちろん、頑張って模型を作った小学生の気持ちも分かりますし、最新の知見とはズレていたとしても地元の小学生が作った工作を大々的に展示したいという地方の博物館の気持ちも分かります。でも、飯妻の考え方も、それはそれで一つの〈正義〉だと思うんです。それぞれ違った〈正義〉があって、そのいずれかが本当は〈悪〉だ、と決めつけるのは忍びないなあ、と」
「じゃあ、文句無しの悪人である南雲に罪をなすりつけた方が良いかしら? そのための証拠のねつ造でもしておく?」
「いやいやいや」
鰤谷の顎のぜい肉が、先ほどよりも激しく揺れる。
「もちろんそんな恐ろしいことはできませんよ! 検察庁の威信が地に落ちちゃいます!」
「私は鰤谷に同意できない」
「……え!? イロハ検事は、証拠ねつ造肯定派なんですか?」
「違う。そっちじゃない。さっきの〈正義〉の話」
ああ、と鰤谷が安心して息を吐く。
「人それぞれに〈正義〉があって、社会の中でその〈正義〉がぶつかり合ってるというのは、そうだと思う。だけど、その〈正義〉の中から、偽物の〈正義〉を見つけ、それが〈悪〉だと暴くことが私たちの仕事じゃない」
「……じゃあ、イロハ検事は、飯妻の〈正義〉も肯定するんですか?」
やり方の問題だよ、と私は答える。
「飯妻の〈正義〉は否定しない。ただ、飯妻は〈正義〉の実現の仕方は明らかに間違ってる。展示の恐竜が気に食わなかったとして、その解消方法が〈燃やす〉ことだなんて、どう考えたって視野狭窄でしょ?」
「……でも、他に方法はありますかね?」
「あるよ。だって、飯妻は博物館の組織の一員なんだから。上司に理由を説明して展示を取り下げさせることだってできるだろうし、展示を維持したままだとしても、〈最新の知見〉についての但し書きを付けることくらいはできたでしょ?」
「……たしかに」
鰤谷は深く頷く。
組織の内部にいれば、組織を変えることができる――。それこそ、私が検察官を志した動機なのだ。冤罪を無くすための、最も手っ取り早い方法は、検察が公訴権を正しく行使することなのだ。
弁護士が無罪判決を取れば全国区のニュースになるかもしれないが、私が無辜の者を不起訴にしても検察庁内ですら話題にならないだろう。
――それでも構わない。
私は、私なりの、しかし、私が絶対に正しいと考える方法で、これからも〈正義〉を実現していくのだ。
(了)
こちら前回の文学フリマ福岡での無料配布短編となります。こうしてなろうにアップしてしまうと仕掛けが分かりにくいのですが、工夫した点としては、出題編と解決編とを分けて、出題編をペーパーで配布して、解決編をWEB公開(要パスワード)としたことですかね。
短いストーリーの中に、簡単ながらもハウダニットとワイダニットを入れて、要領良くまとめたつもりですが、いかがでしょうか。
この作品に登場する小野寺検事は、実は過去作に登場させたキャラクターで『密室ショートケーキ』という作品が、このサイトではなく、視葭よみさんが運営する『探偵役と謎』というミステリ専門サイトに投稿されています。
同サイトでは、ミステリアンソロ企画を不定期で行っており、最近では、〈りんご〉・〈宿題〉・〈アリバイ〉の三つを強制語句としたアンソロ作品がアップされ始め、菱川は『りんごに捧ぐ』という中編を書いてます。こちらもぜひご覧ください。
さて、お決まりの文学フリマの宣伝ですね。
もう明後日に迫ってますが、12月1日(日)に文学フリマ東京が開催されます! 会場は過去最大規模で、なんと、かの東京ビックサイトです!
菱川は『新生ミステリ研究会』の一員として、出入口近くのなかなか良い場所にブースを構える予定です。『新生ミステリ研究会』のブースには、他にも庵字会長や、初参加のKanさんもいらっしゃいます。それと、おそらく4才の我が子もいます(文学フリマ札幌で〈お店屋さん〉をしたのがよほど楽しかったらしい)。
さらに隣のブースは、凛野冥さんと視葭よみさんが中心となった姉妹店である『名探偵、皆を集めてさてと言い』があります!
前回の東京ではなかった作品がたくさんあります! 今回の合作本『Mystery Freaks vol.4』は新メンバーの樹智花さん、さらに、新メンバー(文学フリマ自体はほとんど毎回来ていましたが)の尾ノ池花奈さんのエッセイに加えて、夏の合宿で行った『姑獲鳥の夏』読書会が収録されています!
近郊の方はぜひお立ち寄りください!
なかなかチャレンジングな無料配布短編も用意しています!
余力があれば、文フリ東京までに、もう一本短編をアップしたいです。余力があれば。




