忠犬ハチ殺(コロ)【解決編】
あの時、居留守を使ってしまったことに関しては、反省しています。
たしかにその日は朝から何度も家を訪れる者がありましたが、まさか警察官の方だとは思わなかったのです。
どうせ宗教勧誘か何かだろうと高を括り、モニターを見ることさえしませんでした。
警察官の方が何度も電話をくださったようですが、その日は携帯電話の電源も切りっぱなしでした。
近頃は、プライベートな時間を邪魔されるのが何よりの苦痛なもので。
まさか来訪者が警察官の方だとは思いませんでしたが、それ以上に思いもしなかったことは、その警察官の方がわざわざ解錠業者を伴って私の家に来ていたことです。
その警察官曰く、朝から何の音信もないため、私が室内で自殺をしている可能性を見込んだとのことですが、あまりにも早合点が過ぎると思います。
たしかに私はトリカブトを飼育していますが、あれはあくまで観賞用であって、自ら服毒自殺を図るためではありません。
ましてや、近所に住む老人を毒殺するためにトリカブトを育てているだなんてことは、断じてないのです。
……私があなた方警察を信用していないように、あなた方警察も私を信用していないことはよく分かっています。
私としては、これで四度目ということですので、本当に辟易していますが、仕方ありません。元探偵の推理を披露しましょう。一字一句漏らさずに録取していてください。
まずは、今回の事件に関する警察の見立てからです。
警察は、以下のようなことが起こったと思い込んでいます。
すなわち、『ザワザワ森』において、ハチの散歩中、赤間は何者か——おそらくは気の狂った元探偵——にトリカブト毒を飲まされた。
苦しみながら倒れる飼い主を見て、〈助けを呼ばなきゃ〉と考えたハチは、『ザワザワ森』を離れ、交番まで駆け込んだ。
その時、交番にいた警察官と女性——〈落とし物〉をしたらしい岩本という女性とが、ハチに誘導されて『ザワザワ森』へと行き、倒れている赤間を発見した。
〈忠犬ハチ公〉の活躍も虚しく、救助は間に合わず、赤間は命を落とした。
私から言わせてもらうと、端から端までツッコミどころ満載なストーリーです。どうやらあなた方には現実と虚構の区別がついていないらしい。
……そんな怖い顔をしないでください。私があなた方を真相へと導いて差し上げますから。
ハッキリと言います。
〈忠犬ハチ公〉は完全なでっち上げです。
真実は、ハチは、〈バカ犬〉とまでは言えずとも、決して並外れた知能を持った犬ではありませんでした。
少なくとも、飼い主を救うために交番に行き、警察官に助けを求めるなどということはできません。そんなこと、普通の犬にはできないんです。なぜって、当たり前じゃないですか。通常、犬には、人間社会における交番の意味が理解できっこないんですから。
交番にいけば警察に助けてもらえる、というのは、あくまでも人間社会での〈決まりごと〉です。
よって、渋谷の銅像にまつわる一件はさておき、今回の〈忠犬ハチ公〉に限っていえば、それは人間によって仕組まれたでっち上げに過ぎないのです。
そして、このでっち上げの中心的人物は、間違いなく、交番にいた岩本という女性です。
岩本は、〈落とし物〉をして、たまたま交番にいたわけではありません。
〈落とし物〉をしたというのは、岩本の作り話であり、岩本は、ハチを〈忠犬〉に見せかけるために、交番でハチを待ち構えていたのです。
あるネットニュースによれば、ハチが交番に訪れてから、ハチが誘導を始めるまでは、以下のような流れになっています。
…………
交番の建物の中に、1匹の柴犬が侵入してきた。
柴犬には首輪とリードが付いていたものの、そのリードの先を持つ飼い主の姿は見えず、リードの紐はペタンと床に付いている。
柴犬は、応接用のデスクの前に来ると、ちょこんとおすわりをした。
落とし物をした女性が、どうしたの、と声を掛けながら立ち上がると、柴犬は、リードの紐を引き摺りながら彼女に飛びかかった。彼女がリードの持ち手を持つと、柴犬は、誘導を始めたのである。若い巡査は、落とし物をした女性と柴犬を追いかけた。
…………
ハチがどのようにして交番に来たのか、という点は後で説明しますので、ここではその後の展開を追いましょう。
柴犬=ハチは、交番を訪れたのち、応接用のデスクの前に来て、『ちょこんとおすわり』をしたのです。
これは、決して、応接用のデスクにいる若い巡査に自らの存在をアピールするわけではありません。
その対面に座っていた岩本に、おやつをねだるためなのです。
岩本は、日頃はケアマネジャーとして勤務しており、赤間の担当ケアマネジャーとして、赤間の家にも何度も訪れていました。
その際、岩本は、手土産としてハチにおやつを買って来て、与えていたのでしょう。
そのため、交番に岩本の姿を見つけたハチは、迷わず岩本のそばに寄っていき、〈おすわり〉をしたのです。
この〈おすわり〉は、いわゆる〈待て〉です。
犬にごはんやおやつを与える際に、〈いただきます〉を言わせる代わりに、〈待て〉→〈よし〉の流れを実行する人間がいかに多いことか。
ハチの身体にもその一連の流れが身に付いており、おやつをもらうために〈待て〉=〈おすわり〉をしたのです。
そして、ネットニュースには、その後、『落とし物をした女性が、どうしたの、と声を掛けながら立ち上がると、柴犬は、リードの紐を引き摺りながら彼女に飛びかかった』とあります。
これは、『リードの紐を引き摺りながら』などという余計な修飾語があるため、まるで、女性=岩本に、リードを持つように求めたかのような印象を与えますが、実際のところは、岩本がこっそりとおやつをポケットから取り出し、そのおやつを目掛けてハチが飛びかかった、という感じでしょうね。
さらに、その後、『彼女がリードの持ち手を持つと、柴犬は、誘導を始めたのである』とありますが、ここにも〈しょうもないトリック〉が使われています。
簡単な話です。実際のところ、ハチは誘導する側ではなく、誘導される側であり、実際に誘導を行っていたのは、ハチではなく、岩本だったのです。
岩本は、リードを使ってハチを誘導し、赤間がいる『ザワザワ森』へと向かいました。
これに同行をした若い巡査は、ハチが岩本を誘導している、と騙され、それが件の〈感動の逸話〉へと繋がります。
では、なぜ若い巡査は、誘導する側と誘導される側を誤ってしまったのか。
これに関しては、二つのバイアスが指摘できるでしょう。
一つ目は、岩本は、たまたま交番にいた〈落とし物をした〉女性であるため、単に事態に巻き込まれているだけだろうと考えてしまった〈先入観〉。
二つ目は、行き先にハチの飼い主である赤間が倒れていたことから、遡って、ハチが飼い主の危機を警察官に知らせたかったに違いないと考えてしまった〈後知恵バイアス〉。
加えて、岩本が誘導したコースが、ハチの普段の散歩コースと丸々重なっていたことから、実際にハチがリードをグイグイ引っ張っていたということもあったのでしょう。犬も自らの散歩コースくらいは覚えてますからね。
こうして、岩本は〈忠犬ハチ公〉の〈感動の逸話〉をでっち上げたのです。
……そんな口をあんぐりと開けて、アホ面をしてどうしたんですか?
たしかに今の私の話は、早合点しがちなあなた方警察官にとっては盲点だったに違いありません。
とはいえ、私は、まだ事件そのものについては何も謎を解き明かしていないじゃないですか。事件そのもの——つまり、赤間がトリカブト毒によって死んだ件については。
この服毒事件に関して、まず最初に明らかにしなくてはならないのは、用いられたトリカブト毒は、たしかに私のベランダの家庭菜園に由来するものかもしれませんが、決して私が赤間に毒を飲ませたわけではないということです。
つまり、私のベランダの家庭菜園から、トリカブトを盗み取った人物がいるということです。
その人物とは——。
——岩本富士子で間違いありません。
私のベランダには監視カメラは設置されていないため、直接的な証拠はありません。しかし、先ほど〈感動の逸話〉のでっち上げの場面で説明したとおり、岩本は、どう考えてもこの件に深く関与しているのです。
とはいえ、得意の早合点はまだやめてください。
私は、岩本が、赤間にトリカブト毒を飲ませたとは一言も言っていません。
また、私は、赤間が誰かにトリカブト毒を飲まされたとも言っていません。
ようやく分かりましたか?
赤間は、岩本から渡されたトリカブト毒を自ら飲んだのです。
つまり、今回の事件の真相は、赤間の自殺なのです。
赤間の自殺に関して、最も重要なのは、ワイダニット——なぜ自殺をしたのか、もっといえば、なぜこのような迂遠な方法で自殺をしたのかという動機の部分ですが、これは後で説明します。お楽しみは最後にとっておきたいですからね。
ということで、ハウダニット——どのようにして自殺をしたのか、という点から先に説明します。
その点において、重要なのは、ハチが交番を訪れた時点で、赤間はまだ生きていたということです。
それどころか、その時点では、赤間は交番のすぐそばにいたのです。
なぜなら、ハチを交番の前まで連れて行ったのは、赤間なんですから。
赤間は、ハチのリードを引き、ハチを交番の前まで連れて行くと、リードを放しました。そして、ハチに、交番の中にいる岩本の方へと向かうように指示をしたのです。
指示をした、といっても、『あっちにおやつを持ってる女の人がいるよ』とか、そんなことを伝えた程度でしょう。もしかすると、交番の中の岩本に目配せし、岩本は持っているおやつをハチにちらつかせたのかもしれません。この事件において、赤間と岩本とは明らかに〈共犯〉なのです。
とにかく、赤間はハチを交番へと誘いました。
その後、自由のきかない右脚を引き摺りながら、交番のすぐ北の道、つまり、最短ルートを通って、『ザワザワ森』へと向かいました。いくら脚が悪いとはいえ、この最短ルートを使えば、いつもの散歩道である遠回りルートを通ってくる岩本と巡査よりも先回りができたわけです。
そして、『ザワザワ森』に着くとすぐ、赤間は、岩本から受け取ったトリカブト毒を自ら飲んだのです。
なお、赤間は、私がベランダの家庭菜園でトリカブトを飼育していることを知っていました。立ち話の際に、私が赤間に自慢したことがありましたからね。
それにもかかわらず、なぜトリカブト毒を自ら入手せずに、赤間に用意させたのかといえば、赤間の右脚が不自由だったからです。私の家のベランダはアパートの一階にあるとはいえ、侵入するためには、フェンスを越えなければなりませんからね。赤間は、私のベランダの家庭菜園に忍び込むことができなかった。
ゆえに、ケアマネジャーとして、赤間のことを甲斐甲斐しく世話をしてくれていた岩本に頼んだのです。
そして、ここで赤間のことを弁護しておきましょう。私は誤解を解きたいのです——すなわち、赤間は私をハメるために、私の家庭菜園のトリカブトを使ったのだという誤解を。
赤間は、お人よしで善良な老人であり、私に対して恨みを抱いているということもありませんでした。
赤間の自殺に〈事件性〉が生じて、警察が毒物の出処から私を犯人として疑ってしまったことは、赤間の誤算によるものだったのです。
それはどういうことか。
赤間は、自らを〈病死〉に見せかけるためにトリカブト毒を飲んだのです。
赤間は重篤な心臓病を患っていましたから、心臓発作によって病死したとして処理されるだろう、と赤間は高を括っていたのです。
まあ、いかにも毒物の素人が考えそうな、甘い考えです。
実際に毒を飲んでしまえば、前日から食事を控えて胃の中を空っぽにしておくなどの相応な準備をしない限り、とてつもない吐き気に襲われ、嘔吐を余儀なくされてしまうのに。
赤間は、トリカブト毒を口に含んだ後、吐くのを必死に我慢したことでしょうが、我慢しきれませんでした。
そのせいで、鈍感な警察も、赤間の死が単なる病死ではないと気付きしまったのです——それは誰のためにもならない気付きだというのに。
あと、説明を残すところは、ワイダニット部分だけですね。
なぜ赤間は、自らトリカブト毒を飲んだのか。
冷静に考えるまでもなく、赤間には、苦しみと吐き気の中で死ぬ必要などなかったのです。もう少し待っていれば、心臓の病で自然と天に召されていたことでしょうから。
それにもかかわらず、赤間が自殺をしなければならなかった理由。それは——。
——ほかでもない、愛犬ハチのためです。
赤間は、自らの亡き後、取り残されたハチが平穏に暮らせるために、今回のような一計を練ったのです。
赤間には、身寄りが一切ありませんでした。太平洋戦争の空襲により、親戚の多くが死んでしまい、また、自らは子宝に恵まれなかったからです。
そのため、赤間が死んだ後に、ハチを引き取ってくれるような親戚は誰もいませんでした。
なお、赤間と比較的近い間柄であった岩本も、消費者金融の取り立てに困っているくらいに苦しい生活を送っていましたから、ハチを飼うような余裕はありません。
また、赤間には、さしたる財産もありません。死後にペットの面倒を見てくれるような有料サービスを利用することはできなかったのです。
もしかすると、死後に〈身寄りのなくなった〉ペットを無料で引き取って世話をしてくれるような慈善団体に依頼するという選択肢はあったのかもしれません。
しかし、少なくとも、赤間の中にはそのような発想はありませんでした。おそらく、自らが孤児院にいた経験から、そういった慈善団体を信用できない何かしらの事情を抱えていたのかもしれません。動物愛護団体が実は裏で動物に苛烈な扱いを強いていたという例は、悲しいことですが、全くないわけではありません。
すると、自らが亡き後のハチの運命は、殺処分をされる、というのが既定路線ということなってしまいます。
しかし、ハチはまだ3歳です。後先が短い赤間と比べるまでもなく、まだまだこの先も生を謳歌できる若犬なのです。
赤間は、自分の亡き後も、ハチには変わらずに幸せに暮らして欲しかった。
そのためには、自分の死後、ハチが、ちゃんとした家庭に引き取られて、大切に育てられる必要がある。
とはいえ、ハチは、ごくごく普通の柴犬であり、このままでは引き取り手が見つかるとは思えない。
ゆえに、赤間は、ハチを〈忠犬〉に仕立て上げることで、ハチに〈箔〉を付けることとしたのです。
ハチが、飼い主の最期の場面で、飼い主の命を救うために奮闘した〈忠犬〉であるという評判が世間に広まれば、ハチを飼いたがる者が必ず現れるであろう。そして、その者は、そんな〈忠犬〉をないがしろにせず、最期までちゃんと世話をしてくれるだろう、と赤間は考えたのです。
そのための手口として、最近アメリカで実際にあった『ギタ』の逸話を大いに参考にしたのでしょう。
赤間は、信頼していたケアマネジャーである岩本に、自らの計画を共有し、協力をさせました。もしかすると、交換条件として、残っていたわずかな貯金を交付したのかもしれません。
赤間の思惑どおり、〈忠犬ハチ公〉の〈感動の逸話〉は全国ニュースとなり、ハチは世間に持て囃され、私がテレビで見たところによると、ハチを引き取りたいという飼い主候補からの問い合わせが全国から殺到していて、引くて数多だそうです。
赤間の計画は、自らを病死と見せかけるということができず、意図せず私を巻き込んでしまったという点では失敗していますが、ハチを〈犬死〉させないで済んだという点では大成功だったわけです。
これまでの私の供述を聞いて、警察官のみなさんもよく分かったかと思います。
今回の事件は、このままそっとしておいてやるべきなのです。
それが赤間の最期の意思にも適いますし、何よりハチの将来のためにもなります。
その上で、一刻も早く、無辜の私の身を解放してください。
さもなくば、あなた方〈権力の犬〉が、ワンコロも知能が低いことが明らかとなるのですが、それでよろしいのでしょうか?
(了)
お読みいただきありがとうございました。
この作品は、ネットニュースを眺めていたところ、作中でも紹介されている『ギタ』の実話を見つけ、それを題材にした……と言いたいところですが、そうではなく、『ギタ』の実話は執筆を始めてから発見して、ちょうど良いじゃん、と思って採用しました。あくまでも本作の執筆動機は、最初の【前書き】で書いたとおり、「〈犬の日〉に合わせてなんか犬の作品を書いてやる」という先走った気持ちであり、庵字会長への対抗心でした笑
この作品のミステリとしての構成は、『ワイダニット』(なぜ赤間は自殺をしたのか)を中心としつつ、『ハウダニット』(〈感動の逸話〉をどのように捏造したか)にも仕掛けを施したということになるかと思います。
筆者の思惑としては、〈感動の逸話〉が作られたものであるということには気付いた読者が、他方で、犯人は岩本だとミスリーディングをし、明らかに遠隔地にいる岩本がどのようにして赤間を殺したのか(上記とは違う意味での『ハウダニット』)という点に悩む、という読ませ方を狙いました。すると、自殺という意外な真相と、その独特な動機が響くかな……というのが筆者の狙いです。
容疑者探偵瀬身譚太郎シリーズは本作が四作目ですが、過去三作は新生ミステリ研究会としての活動を始める前でした。新生ミステリ研究会で揉まれて成長した部分(具体的には、フェアプレイを意識した手がかりの出し方と注意深い読者を意識したミスリーディング手法)が本作で上手く出ていることを祈ります。
また、〈犬の日〉ミステリという観点としては、『〈おすわり〉=〈待て〉=おやつをねだっている』のくだりが犬好きに刺さってくれないかなと期待しています笑
来年以降も〈犬の日〉ミステリをやるかについては、今回の反響を踏まえて考えます苦笑