忠犬ハチ殺(コロ)【事件編】
本日11月1日は〈犬の日〉です。
新生ミステリ研究会の会長である庵字さんが毎年〈猫の日〉(2月22日)に【猫ミステリ】をアップしているのに対抗して、猫アレルギーで犬派の菱川は、〈犬の日〉に【犬ミステリ】をアップすることしました。
全2万字の3話構成で、残りの2話もタイマー設定(2話目は12時10分、3話目は17時10分)して、今日中にアップします。
犬好きの方も猫好きの方も、お楽しみいただければと思います。
…………
【2024年9月25日 米国ワシントン州スティーブン郡】
森林保安官が森林地帯をパトロールをしていたところ、車道にポツンと座っている1匹の犬を発見した。
飼い主が近くに見当たらなかったため、森林保安官は犬を保護することにし、車に乗せようとしたものの、犬は決して車に乗らなかった。
その代わり、犬は、森へと歩き出した。
犬の誘導に従い、森の中へ入っていった森林保安官。誘われた先には、1軒の小さなコテージがあった。
コテージのそばの地面には、高齢男性が倒れていた。その犬の飼い主である。
84歳の飼い主は、定期的に投薬治療が必要な病気を患っており、もしも森林保安官の発見が遅れていたら、助からなかっただろうという。
飼い主の命を助けた犬は、実は元々救助犬として訓練された経験のある犬で、名前を『ギタ』といった。
ギタは、郡保安事務所のSNS投稿をきっかけに、世界中からの称賛を集めた。
…………
衛藤敦己の元に、また〈疫病神〉からの着信があった。
衛藤は、ちょうど、元雇い主である彼の登録名を『疫病神』と変更しようか悩んでいたところであったが、現段階ではまだ、ディスプレイには彼の本名が表示される状態となっている。
瀬身譚太郎——それが、事件の引き寄せ能力に長け過ぎた、不幸な元探偵の名である。
「もしもし」
「瀬身さん、また捕まったんですか?」
「衛藤君、挨拶代わりの言葉がそれかい? あまりにも無礼だね」
「だって、『三度あることは四度ある』と言うじゃないですか」
「そんな諺はない。それに衛藤君、『四度目の正直』ということだってありえるじゃないか」
「……そんな諺はありません」
電話口の瀬身のアハハという乾いた笑い声を聞いて、衛藤は確信する。
——やはり、また、なのだ。
瀬身は、事件に愛されている。
そして、その深い愛は、約1年前、瀬身が逃げるようにして探偵職を退いた後、さらに重さを増した。
探偵時代には、宿泊先の旅館で連続殺人が起きたり、遊びに行った行楽地でバラバラ死体が見つかったりしたが、せいぜいその程度だった。まあ、巷間の探偵にはよくある話である。
しかし、事件の〈関係者〉となってしまうことに気を病んだ瀬身が探偵を辞めた後、瀬身は、事件の〈関係者〉を超えて、事件の〈当事者〉になるようになってしまった。
瀬身の役割は、探偵から、容疑者へと〈進化〉したのである。
最初は自動販売機のペットボトル飲料に毒を仕込んだ無差別殺人犯と疑われ、2回目には死体を分解して珊瑚礁に飾った偏執殺人犯と疑われ、3回目には大物コメディアンを轢き殺した国民的殺人犯と疑われた。そして、3度目の件では、勾留もされている。
ならば、4度目は——。
「瀬身さん、回りくどい話は要らないです。早く教えてください。今度は何をして捕まったんですか?」
「いやいや、衛藤君、さっきから君は誤った決めつけをしているよ。仮に私が逮捕されていたとしたら、君に電話できるはずがないじゃないか。留置施設では電話は使えないからな」
「……たしかに」
とすると、今回は、事件に巻き込まれたわけではないということだろうか。また〈スリル〉を味わえることを期待していた衛藤は、不謹慎ながらも、少しガッカリする。
「じゃあ、瀬身さん、どうして僕に電話なんかしてきたんですか? もしかして、単に僕の声が聞きたかったんですか?」
「そんなわけないだろう。付き合いたての恋人同士じゃあるまいし。……ただ、そうだな。衛藤君、私は、君の意見は聞いてみたい」
「何に関しての意見ですか?」
「犬に関してだ」
「は?」
明らかに無礼に聞き返してしまったのだが、瀬身はそのことを咎めず、ある1匹の犬について語り始めた。
それは、『ギタ』という名前の元救助犬の話である。
瀬身曰く、ごく最近ネットで話題となった話らしいが、衛藤には初耳だった。
瀬身は、ひととおり語り終えた後、平たい声で衛藤に尋ねる。
「衛藤君、どう思うかい?」
「良い話だと思いました。悪者が一切出てこない、ハートウォーミングな話ですね」
「悪者が一切出てこない……か」
瀬身は、反芻するかのように、衛藤の言葉をゆっくりと繰り返す。
「瀬身さん、違いますか? 登場キャラは、善良な犬に、善良な飼い主、それから、善良な森林保安官ですよね」
「飼い主が善良だと判断した根拠は?」
「え?」
たしかに、飼い主がどういう人物なのかというのは、瀬身が語ったエピソードには一切出てこなかった。そこで、衛藤は、なんとなくです、とお茶を濁した。瀬身は、うむ、そうか、とやはり平たい声で言う。
「まあ、そんなことはどうでも良いんだ。私が衛藤君に聞きたい意見というのは、そういうことじゃない」
「じゃあ、どういう意見が聞きたいんですか?」
衛藤は苛ついていた。
衛藤に尋ねたいことが予め定まっているのであるば、意見を聞きたいなどと漠然としたことを言わずに、単刀直入に質問して欲しい。この男の回りくどさには、本当に辟易とする。
「私が衛藤君に聞きたい意見は……たとえばそうだな……胡散臭いとは思わないかい?」
「胡散臭い? 何がですか?」
「ギタの話だよ。私は今、ネットニュースに上がっていた話をそっくりそのまま君に聞かせたんだが、この話が作り話ではないと君は断言できるかい?」
衛藤が想像していない角度からの質問だった。衛藤は、少し考えた後、言う。
「そりゃ断言できるかと訊かれれば、断言できるとまではなかなか言えませんよ。でも、救助犬としての訓練も受けてたんですから、ギタがそういう利口な行動をとることもあり得るんじゃないですか? それに、元ネタは郡保安事務所の投稿なんですよね? 郡保安事務所に嘘を吐くメリットはあるんですか?」
瀬身がどう言い返してくるだろうかと身構えたのだが、電話口の元探偵は、それはそうだな、と衛藤の考えをそのまま認めた。
一方で、奇妙なことを言う。
「衛藤君、もしも犬の名前が『ギタ』ではなく、『ハチ』だったらどうかい?」
「……は?」
「それでさらに、ハチは救助犬の訓練など積んでいないしがない柴犬で、森林保安官ではなく交番の警察官に助けを求めたとしたら?」
「瀬身さん、それは一体何の話ですか?」
もちろん現実の話だよ、と瀬身は吐き捨てるように言う。
「衛藤君、私は君に電話をした理由は、ほかでもない。君に助けを求めるためだよ。犬が絡んだ厄介な事件の〈重要参考人〉として警察にマークされていてね」
「……え? でも、さっき、瀬身さんは今回は事件に巻き込まれてるわけじゃないって……」
「そんなことは一言も言っていない。私は、まだ逮捕されていないと言っただけだ」
衛藤は、電話口の瀬身にも伝わるように、分かりやすく大きなため息を吐く。
——なんて回りくどい男だろうか。
…………
【2024年10月○日 東京都×区】
常駐の警察官が2名いるだけの小さな交番で、若い巡査が、応接用のデスクにおいて、『落とし物をした』という女性に応対していた。
そうしたところ、交番の建物の中に、1匹の柴犬が侵入してきた。
柴犬には首輪とリードが付いていたものの、そのリードの先を持つ飼い主の姿は見えず、リードの紐はペタンと床に付いている。
柴犬は、応接用のデスクの前に来ると、ちょこんとおすわりをした。
落とし物をした女性が、どうしたの、と声を掛けながら立ち上がると、柴犬は、リードの紐を引き摺りながら彼女に飛びかかった。彼女がリードの持ち手を持つと、柴犬は、誘導を始めたのである。若い巡査は、落とし物をした女性と柴犬を追いかけた。
柴犬は、街中を通り過ぎ、近隣住民から『ザワザワ森』と呼ばれる雑木林へと、女性と巡査を誘った。
果たして『ザワザワ森』の中では、一人の高齢の男性が倒れていた。
男性は、柴犬——名前を『ハチ』という——の飼い主であり、心臓に重たい持病を持っていた。
巡査は急いで男性に心臓マッサージを施すとともに、女性に命じて119番通報をさせた。
もっとも、処置は手遅れで、搬送先の病院で男性の死亡が確認された。
…………
「へえ、瀬身さんってこういうところに住んでいるんですね」
「衛藤君、それはどういう感想かい? 私がこんな狭い荒屋に住んでるとは思わなかったとでも言いたいのかい?」
「いやいや、荒屋だなんてとんでもないです」
実のところ、想像していたよりもだいぶ綺麗なところに住んでいるな、というのが紛うことなき感想だった。たしかに狭いアパートのワンルームであるが、まるでホテルのように整理整頓がされており、葉っぱの大きい観葉植物が飾ってあったり、ランタンを模した照明器具などの洒落た調度まで拵えてある。
同棲中の恋人でもいるのではないかと邪推したくなるほどの環境である。とはいえ、そんな邪推を口にすると臍を曲げられることは明らかだったので、衛藤は無難な質問を選択する。
「瀬身さんって元々綺麗好きでしたっけ?」
「元助手の君がよく知るとおりだ」
「つまり、答えは否だと」
「まあな」
探偵事務所をやっていた頃、瀬身の机の上はいつも散らかっていて、書類の山が、崩れそうで崩れない奇跡的なバランスを保っていた。衛藤はその光景を思い出し、懐かしい気持ちになる。あの頃は忙しかったけれども、その分毎日充実していた。
「瀬身さんに片付ける能力がないとすると、この部屋は一体誰が綺麗にしてるんですか? まさか……」
「衛藤君、頼むからツマラナイことは言わないでくれよ。もちろん、私自身がこの部屋をクリーンに保ってるんだ。苦手な整理整頓に励んでな」
「……どうしてですか?」
「この前、例の轢き逃げの件で留置所暮らしを強いられただろ。警察署内の留置施設というのは、本当に劣悪な環境でね。人間の生活において衣食住をきちんと整えることがどれだけ大事かということを学ばされたというわけさ」
へえ、と適当な相槌を打ちながら、衛藤は、瀬身の身体を見回す。いつもの無精髭は跡形もなく取り除かれており、いつものシワの寄ったシャツもピシッと伸びている。本人には言えないが、一度捕まってみたことは瀬身にとって良かったことなのかもしれない。まあ、三日坊主でまたすぐにボロボロの身なりに戻ってしまうのかもしれないが。
瀬身の案内によって衛藤が座椅子に腰掛けると、瀬身は、自家製のジンジャーエールはいかがかい、などとらしくないことを言う。
「要りません。それより、事件のことを教えてください」
「そうか。7種類のスパイスを組み合わせた自信作だったんだが」
心底残念そうにそんなことを言う瀬身を見て、衛藤は、なんだか調子が狂うなと思った。
「……まあ、いいや。自家製ジンジャーエールどころではないことは私も分かってるんだ。このままだとまた留置所送りという切迫した状況下だからね」
「瀬身さん、僕には全然状況が見えてないんですが、瀬身さんは一体どうして今回の事件の〈容疑者〉になってしまったんですか?」
「衛藤君、〈忠犬ハチ公〉のニュースについては調べたかい?」
「はい。報道されているものは一応」
ここでいう〈忠犬ハチ公〉というのは、渋谷の銅像のモデルとなり、ハリウッド映画のモデルにもなった犬のことではない。同名の〈別犬〉とのことだ。
その〈別犬〉の柴犬は、〈本犬〉同様に、人間に忠実な名犬ぶりを発揮し、飼い主の命を救いかけたのである。
結果として救助は間に合わなかったのだが、主人が危機に陥っていることを最寄りの交番まで伝えにきて、主人が倒れている雑木林へと警察官らを誘った〈別犬〉の『ハチ』の話は、ワイドショーなどで〈感動の逸話〉として取り上げられ、『第二の忠犬ハチ公』などと持ち上げられていた。
「報道を見てもよく分からないんですが、瀬身さんはこの〈忠犬ハチ公〉事件のどこにどう関わっているんですか? そもそも、これは〈事件〉なんですか?」
たしかにハチの飼い主は死亡している。とはいえ、それは単なる病死である。事件性を有する死ではない。
瀬身は、私はこの事件には断じて一切関わっていないと述べた上で、淡々と説明を始めた。
「これはまだ報道されていない警察内部の情報なんだが、実は、死体近くの木の根本から〈あるもの〉が見つかったんだ」
「〈あるもの〉?」
「吐瀉物だよ。そして、鑑定の結果、そのゲロは、ハチの飼い主のものだということが発覚した」
「……それがどうしたんですか?」
「衛藤君、心臓の持病を持った人物が、普通、死ぬ前に吐くかい?」
「ああ」
言われてみるとそうである。心臓発作で死亡したのだとすれば、突然、うっ……と胸を押さえて、そのままコロリだろう。吐く間もない。
「心臓病での死亡と矛盾する証跡がある以上、当然に事件性が疑われ、司法解剖が行われることとなる」
「それで死因は……」
「毒死だよ。ハチの飼い主は、何者かに毒を飲まされていたんだ」
衝撃の事実である。その事実が公になったら、〈感動の逸話〉だと持て囃していたメディアの人間の顔は、みな青くなるだろう。
「それで、その毒を飲ませた〈何者か〉が瀬身さんなのではないかという話なんですね」
「……まあ、捜査機関の頭にあるのはそういう話だ。荒唐無稽で、全くもって馬鹿げた話なんだが」
瀬身の声に怒りが籠る。捜査機関の無能さを語るとき、この男の感情は最も発露する。
「だいたい、普通、犯行を疑う場合には、その人物にアリバイがないことをまず確定させるべきじゃないのか? それなのに、あの低脳な警察どもは、私がいくらアリバイを主張しても、一切聞く耳を持たないんだ!」
「瀬身さんにはその時間にどういうアリバイがあるんですか?」
「外でウォーキングをしてたんだ。2時間ばかりな」
「それは……」
果たしてアリバイといえるのだろうか——。
おそらくウォーキングは家の周りで行っていたのだと思うが、この家は、事件のあった『ザワザワ森』と同区内にある。雑木林である『ザワザワ森』には監視カメラはないだろうし、瀬身のウォーキングコースに設置された監視カメラも数が限られるだろう。
捜査機関は万能ではないかもしれないが、瀬身の〈アリバイ〉が万全でないことも、同時にまた事実なのである。
「……まあ、アリバイの点はおいておくとして、なぜ瀬身さんが犯人の〈筆頭候補〉になるんですか? 被害者との間に金銭の貸し借りでもあるんですか?」
そんなものは一切ない、と強い口調で答えたあと、ただ、と瀬身は声を落とす。
「被害者と全く面識がないわけではないことも事実なんだ。被害者が住んでいた一軒家は、この家のすぐ近くにあってね。ウォーキング中に顔を合わせて挨拶をしたり、一言二言……いやもう何言かを話したりすることもあった」
「人間嫌いの瀬身さんにしては、意外と深い関係があったんですね」
そう茶化した衛藤に対して、瀬身は、悪い人間じゃなかったんだ、とだけ答えた。
交友関係の面からも、瀬身は犯人候補から除外されないようだ。とはいえ——。
「被害者と面識があっただけでは、〈重要参考人〉にまではならないですよね」
「そうだろうな」
「じゃあ、他に何があるんですか? 瀬身さんと事件との接点は?」
瀬身は、眉を顰める。
そして、おもむろに座椅子から立ち上がると、言う。
「衛藤君、ベランダに来てくれ。私の自慢の家庭菜園を披露したいんだ」
自慢したくなる気持ちもよく分かる、立派な家庭菜園だった——。
部屋同様、ベランダも決して広くはない。敷布団と掛け布団と、それに加えて洋服を2、3着干せばもうパンパンというくらいの広さしかないのである。
瀬身は、その狭小スペースを有効活用し、鉢植えをパズルのように隙間なく置き、そこでプチトマトやラディッシュといった小型の野菜や、色とりどりの花を育てているのである。
ベランダの隅には、金属製のジョウロが置かれている。今の瀬身は、このジョウロを使って、毎日欠かさずに植物に水を遣ってるのだろう。探偵事務所をやっていた時には、〈忘れてた〉という理由で何度も給料の遅配を起こしていた男が、そこまで劇的に変われるだなんて——。
「どうだい? なかなかのものだろう? 一階で日当たりが悪くても、それぞれの植物の特性を踏まえて配置を工夫すれば、それなりのものになるんだよ」
「へえ」
明らかに瀬身はお手製の家庭菜園についてもっと語りたそうだったが、衛藤が聞きたいのはそういう話ではなかった。
「瀬身さん、この家庭菜園が事件とどう関わってくるんですか?」
瀬身が衛藤をベランダに連れてきた契機は、衛藤が〈瀬身と事件との接点〉を尋ねたことだった。この家庭菜園は、事件とのかかわりを持っているはずなのだ。仮にそうでなければ——ジョウロで殴る。
「衛藤君、そこの隅にある植木鉢を見てくれ」
「そこの隅……というと、このヨモギみたいな葉っぱが生えているやつですか」
「ああ。そうだ」
ベランダの家庭菜園で最も地味な見た目をした植物だった。雑草と見間違うほどに。
「……この植物がどうしたんですか?」
「素敵だろ」
その植物の正体を瀬身が明かしたのは、衛藤が金属製のジョウロに手を伸ばしかけたタイミングだった。
「その葉っぱはトリカブトなんだ」
「トリカブト……って、あの猛毒で有名な?」
「そうさ。美しいだろ」
見た目は何の変哲もない葉っぱにうっとりと見惚れている男を見て、衛藤はついに確信する。
「瀬身さん、あなたが犯人です!」
「いきなり人の腕を掴んで何のつもりなんだ!? 衛藤君! 早く手を離せ!」
「きっとこれまでの3つの事件の犯人も瀬身さんだったんですね! 瀬身さんは、得意の詭弁を弄して、〈真犯人〉をでっち上げて……」
「何を言い出すんだい!? 衛藤君、冷静になりたまえ!」
瀬身は、狭いベランダの植木鉢を倒さないような最小限の身のこなしによって、衛藤の拘束から抜け出た。おそらくは、警察に突然逮捕された場合に備えて、最近身に付けた護身術だろう。
「衛藤君、君は何か大きな勘違いをしているようだが、トリカブトは法律で飼育が禁止されている植物ではない。成分を抽出して毒物を製造さえしなければ、何の犯罪にもならないんだ」
「……え? そうなんですか?」
「栽培自体が禁止されてる大麻とは違うんだよ。観賞用に私が育てていても一切問題がないんだ」
〈一切問題がない〉という自分が発した言葉を、瀬身は噛み締めるようにしてもう一度繰り返した。
「一切問題がない……はずなんだよ。不幸な事件に巻き込まれない限りはな」
「どういう意味ですか?」
「例の〈忠犬ハチ公〉事件のことだよ。司法解剖の結果、被害者の体内から検出された毒物はトリカブト毒だったんだ。そして、犯人は、あろうことか、そのトリカブト毒を私のベランダの家庭菜園に忍び込んで入手したらしい。それが、つまり、今回の事件で私が〈重要参考人〉となっている理由なんだよ」