年中無休の社畜だった俺、召喚された異世界で自給自足スローライフ……のはずが畑から白骨化死体出土(下)
「クラリス、話しかけて大丈夫?」
作業中、突然背後から声を掛けられて、クラリス――私は「キャッ」と思わず女々しい声を上げる。
振り返ると、私の約二メートル後ろに、キミアキが立っていた。
「バカ、びっくりさせないでよ」
「ごめん。なかなか声を掛けるタイミングが見つからなくて」
キミアキはずっと私の背後に立っていたということだろうか。
豚たちに、トウモロコシと大豆を混ぜたエサをあげるのに夢中になっていて、少しも気付かなかった。
「クラリスは豚をすごく可愛がってるよね」
「だって可愛いじゃないか」
私は当然のことを言ったつもりだったが、それがおかしかったようで、キミアキはあははと笑った。
「なんだキミアキ? わざわざそんなことを指摘するために、私の作業を邪魔したのか?」
「違うよ。怒らないで。クラリス、大事な話があるんだ」
キミアキは、笑うのをやめ、声のトーンも落とした。
シリアスな雰囲気に、私も、餌の入った籠を一旦地面に置く。
「俺、偶然聞いちゃったんだ。旅館の窓の外から」
「偶然聞いた? 何を」
「シャナとお客さんとの口論を」
キミアキが何のことを指して言っているのか、すぐには分からなかった。
「ブロンズの女性が、自分の父親が行方不明になったって言ってて……」
「ああ、その話か」
「クラリスも知ってるの?」
「シャナから聞いたよ」
「迷惑客」が来た、とシャナから報告を受けていたのである。その「迷惑客」がやってきたのも、それについての報告を受けたのも昨日のことだ。
「そのブロンズの女性が、自分の父親をここの家族に殺された、って言ってて……」
キミアキが神妙な面持ちとなるのも理解ができる。「迷惑客」はあまりにも物騒なことを喚き散らしていたのである。キミアキは、私たち家族に不信感を抱いているのだ。
「出鱈目だよ。私たちは誰もそんなことはしていない」
「この家族は人殺しじゃないんだね?」
「当たり前だ」
キミアキはしばらく私の目をじっと見つめた後、「そうだよね」とため息をつくように言う。
「疑ってごめんね。クラリス」
私が嘘を吐いていないことがキミアキに伝わったようである。
私たち家族は人を殺したことなどない。
厳密にいえば、私が断定できるのは、私自身が人を殺したことなどない、という点に尽きる。
ただ、シャナだって、パパとママだって、殺人なんて大それたことをするような人間ではない。
「本当に疑ってごめん。でも、安心したよ」
私の断言によって、キミアキの表情が完全に晴れたか、といえばそうではないように見える。キミアキの中には、まだ何か引っかかっていることがあるのかもしれない。
とはいえ、キミアキが「安心した」と言ったのだから、この話を続ける必要はない。
私は、大きく話題を変える。
「そんなことより、キミアキ、もう選べたかい?」
「ん? 選べたって?」
「もちろん、私かシャナかだよ」
三日前、シャナは、「結婚相手が欲しい」とキミアキに伝えたのち、「私とクラリス、どっちが好き?」とキミアキに尋ねたのである。
顔を紅潮させたキミアキは、しどろもどろになって、「今は選べない」と言った。
それに対し、シャナは、「じゃあ、私たちの誕生日までに、私とクラリスのどっちかを選んでね」と期限を切ったのである。
あの後、私とシャナは話し合って、キミアキの意思を尊重し、キミアキが選んだ方がキミアキを独り占めすることを約束したのだ。
運命の日――私たちの誕生日は、今日からちょうど一週間後である。
「……ごめん。まだ選べてない」
キミアキは、三日前同様に顔を紅潮させている。
「私じゃ不満か?」
「いやいや、全然そんなことはないんだけど」
キミアキは慌てたように首を激しく横に振る。なんとも可愛らしい反応だろうか。私は、キミアキのことを心底愛おしく感じていた。
「クラリスはものすごく魅力的だよ。でも、シャナもその……負けていないというか……いや、でもクラリスの方が、その……」
これまた可愛らしい反応である。
一週間後の誕生日には、キミアキには必ず私を選んで欲しい。
キミアキは私のものだ。
絶対にシャナに渡したくない。
…………
ついにこの日が来てしまった――
今日は姉妹の誕生日――俺の運命の日なのである。
雲一つない青空。春の暖かな陽光が、元気に農場へと降り注いでいる。
いつもの白衣装に加え、花かざりを頭につけた姉妹は、俺よりも一足早く外に出ていて、畑と畜舎との間の広々としたスペースで、石材を使って何かを組み立てていた。
「かまど?」
俺が尋ねると、「そんな感じかな」とシャナが答える。
そして、石材を持ったまま俺の方を振り向くと、満面の笑みを見せる。
「キミアキ、おはよう。いよいよ今日だね」
シャナだけでなく、クラリスもニヤニヤしながら言う。
「キミアキ、ついに待ちに待った日の到来だね」
きまりが悪くなった俺は、地面を見つめながら言う。
「……二人とも、お誕生日おめでとう」
今日の主役は、間違いなく姉妹である。それにも関わらず、あたかも主役が俺かのように囃し立てる姉妹の態度に、俺はかなり戸惑っていた。
「そのかまどでは何を調理するの? 豚?」
「そんな感じかな」とまた言いながら、シャナが持っていた石材を、かまどの上部に置く。
「よし、これで完成」
「豚の丸焼きなんて、誕生日っぽくて最高だね」
たしか現実世界では、誕生日に豚の丸焼きを食べる風習を持っている国があったように思う。贅沢で、お祝い感があって良いなと思う。
俺は「楽しみだなあ」とぼやくことで、無理やりテンションを上げようとした。
しかし、案の定、豚をこんがり焼く前に、俺にとって「憂鬱な」イベントが待っていた。
姉妹が、俺の目の前まで駆けてくる。
そして、水色とピンクの髪を接点で重ね、肩を寄せ合いながら、言う。
「さあ、キミアキ、決断の時だ」
「キミアキは私とクラリス、どっちを選ぶ?」
――ついにこの時が来てしまったのである。
「キミアキはツンデレが好きだよな?」
「キミアキは真面目な子がタイプでしょ?」
俺は、この時まで一生懸命考えあぐねた。
クラリスとシャナのどちらと結婚したいか――だけではない。
畑で白骨化死体を見つけてしまった俺は、そもそもこの家で、この家族とともに生活を続けるべきかどうかも判断しなければならなかったのである。
ブロンズの女性の父親の件を考えても、この家族が「殺人一家」である可能性は否めない。
畑に埋まっていた人骨は、この家族が「普通ではない」可能性を示してあまりあるものなのである。
もっとも、俺は、俺の命の恩人でもある姉妹のことを心から慕っている。
またとない奇跡的な出会いを、決して無駄にしてはならないと考えている。
ゆえに、俺は、割り切った判断をすることにした。
姉妹が殺人鬼でなければ、それで良い、と。
俺が盗み見てしまった、旅館のロビーでのシャナとブロンズの女性とのやりとりからして、俺は、少なくともシャナは人殺しではないと判断していた。
殺人を否定するシャナの鬼気迫る態度は、迫真のものであり、決して演技には見えなかったのである。
そして、クラリスには、俺が直接確認した。
殺人を否定するクラリスの態度も、やはり迫真のものであり、嘘を吐いていない、と俺は判断した。
ゆえに、俺は、姉妹は殺人鬼ではないと判断したのである。
とすると、白骨化死体は、姉妹ではなく、姉妹の両親の手によるものだと考えられそうである。
つまり、クラリスとシャナの両親が、宿泊客を殺害し、畑に埋めているのである。
なぜそのようなことをするのかといえば、おそらく金銭目当てだろう。
この家族は自給自足生活を基本としているものの、貨幣経済から完全に切り離されているかといえば、そうではない。
家には、買ったものとしか思えない家具や調理器具があるし、そもそも建物だって、業者にお金を支払って建てさせたものに違いない。
クラリスとシャナの両親は、旅館を経営することによって、金銭を得ている。
しかし、それに飽き足らず、両親は、宿泊客から金品を強奪し、殺害の上、畑に埋めているのだ。
ブロンズの女性の父親はその被害者だろう。そして、両親は、それ以前にも同様の犯罪に手を染めているに違いないのだ。
もちろん、それは、俺にとっても恐ろしいことである。同じ屋根の下に殺人鬼がいるということなのだから。
しかし、クラリスとシャナが人殺しでないのであれば、この家で生活を続けることはギリギリ許容できると判断した。
俺がこの家で長い時間を一緒に過ごしているのは、クラリスとシャナである。
基本的に旅館の経営にかかりきりな両親とは、たまに会話をするくらいなのである。
クラリスとシャナの身の潔白さえ確信できれば、俺はそれで良い。
少なくとも、今の幸福なスローライフをあえて捨ててまで、この家から逃げ出そうとは思わない。
そもそも、この世界に、俺の居場所はここしかないのである。ここを離れれば、いつかの羽の生えた虎みたいな化け物に襲われないとも限らない。
むしろ、この家から逃げ出すことの方が、俺にとってはリスキーなのだ。
ということで、今後もこの家族とともに過ごすことに関しては、俺の心は決まっていた。
しかし――
「クラリス、シャナ、ごめん。俺、選べないよ」
期待に目を輝かせていた姉妹が、シュンと同時に眉を顰める。
「俺、クラリスのことも好きだし、シャナのことも好きなんだ。だから、二人のうち一方に絞ることなんてできない」
この優柔不断な回答が、二人を失望させるであろうことについては、予め分かっていた。ゆえに、俺は、今日を迎えるのが憂鬱だったのである。
しかし、俺がいくら悩んでも、これ以上の答えは出てこなかった。
「俺は、これから先、クラリスともシャナとも、ずっと一緒にいたいんだ」
「分かった」
「仕方ないね」
姉妹は落胆した様子を隠そうとはしなかったが、それでも俺の回答を一応は受け止めてくれた。
「じゃあ――」
クラリスとシャナが声を揃えて言う。
「キミアキは、二人で仲良く分け合って食べることにするよ」
…………
――食べる?
思わず耳を疑った俺だったが、目の前の光景は、俺に聞き間違いがないこと、さらに、「食べる」ということが性的な比喩でもないことを如実に物語っていた。
クラリスとシャナが、俺に向けて、同時に杖を向けていたのでいる。
その杖は、クラリスが、化け物から俺の命を救った時に掲げていたもの――魔法の杖である。
俺は、双子の姉妹にチェックメイトされてしまっているのである。
「……俺を食べる? 冗談だよね?」
「冗談じゃないよ」と、シャナが真顔で答える。
俺が後退りをすると、それに合わせて、姉妹も一歩前に踏み出す。
「そんな、俺を殺して食べるだなんて、悪い冗談だよ。あはは」
「だから、冗談じゃないって」と、クラリスが俺の薄ら笑いに釘を刺す。
「それに『殺して食べる』というのは、なんだか悪い表現だね。私たちはキミアキの命をありがたくいただくんだ」
俺は後退りを繰り返していたのだが、ついにこれ以上後ろにいけないところにまで追い詰められてしまった。
俺の背後にあるのは――
「まさか、このかまどは、俺を焼くためのものなの?」
「そうだよ」とシャナは即答する。
「俺はてっきり家畜の豚を焼くためのものかと……」
「今日は私たちの誕生日という特別な日。だから、特別な家畜であるキミアキを丸焼きにするんだ」
俺が家畜? そんなの狂ってる。だって俺は――
「家畜じゃなくて人間じゃないか! 二人がやろうとしてることは人殺しだ!」
俺がそう叫んでも、姉妹の憮然とした表情は少しも崩れなかった。
そして、シャナは、躊躇なく言う。
「キミアキは人間じゃないよ。キミアキは異世界生命体だ」
異世界生命体? 何だそれは――
「キミアキは異世界からやってきた。この世界で生まれた私たち人間とは違った生き物――異世界生命体なんだ」
だから、とシャナは続ける。
「キミアキを殺しても『人殺し』にはならない。だって、キミアキは人間じゃないんだから」
――そんなの屁理屈だ。
「おかしいよ! 狂ってるよ! だって、俺とシャナやクラリスは、何も変わらないじゃないか! 同じ人間だ!」
躍起になる俺のことを、クラリスがフッと鼻で笑う。
「何も変わらない? そんなことないだろ? 私たちとキミアキは全然違う。髪の色が違う。目の色が違う。肌の色だって微妙に違う」
それに、とクラリスは、ギュッと杖を握る手に力を加える。
「キミアキは、私たちと違って魔法が使えないじゃないか」
それはそうかもしれないが、しかし――
「そんなの些細な違いだよ! 俺らは同じ哺乳類じゃないか!」
「豚や牛だって哺乳類だよ」
「二足歩行だし!」
「鶏だって二足歩行だ」
「同じ人間だ!」
「違う。私たちは人間だが、キミアキは異世界生命体だ」
「そんな線引きは間違ってる!」
「なぜそう言えるんだ?」
俺はクラリスに言い返す言葉を失ってしまう。
たしかに、どこまでが自分たちと同じ生命体で、どこからが自分たちとは違う生命体なのかという線引きは、案外はっきりとしないものなのである。
たとえば、現実世界に目を向けてもそうである。
同じ人間同士であっても、黒人は白人とは異なっているとされ、黒人のトイレが分けられていた時代もあった。
ナチスは、ゲルマン民族とユダヤ人とをはっきりと区別し、まるでゴキブリを扱うかのようにガス室で大量のユダヤ人を殺している。
食の対象についてもそうだ。
俺らは、牛や豚は食べるものの、基本的に犬猫は食べない。
別に、犬猫に毒があるからというわけではない。現に、犬猫を食べる習慣を持つ地域も世界には存在している。
俺たちは、何を食べて何を食べてはいけないかということに関して、恣意的な線引きをしているのである。
クラリスとシャナの線引きの仕方は、間違っていると俺は思う。ただ、絶対的に間違っているとは言い切れない。
少なくとも、クラリスとシャナにおいては、その線引きは絶対的なものなのである。
そうである以上、双子との間で議論をして、論理を詰めても意味はないだろう。
理屈で攻めても響かないのであれば――
「……クラリス、シャナ、君たちは本当に俺を殺すのか?」
「キミアキ……何が言いたいの?」
「だって、俺たちはこれまで仲良く楽しく暮らしてきたじゃないか! 俺たちは仲間だろ! 二人は俺に対して愛着はないのか?」
少しの沈黙の後、シャナが、
「もちろん愛着はあるよ」
と答える。
「私はキミアキのことは大好きだし、愛してる」
「だったら殺すなんておかしいじゃないか! 君たちは愛する者を殺すのか」
シャナは、うんと頷く。
「もちろん無駄に殺すことはない。さっきお姉ちゃんと言ったとおり、私たちはキミアキの命をありがたくいただくんだよ」
俺には「ありがたくいただく」は「殺す」の単なる言い換えに過ぎないように思えた。しかし、姉妹にとっては、その二つの表現の間に大きな違いがあるらしい。
「私だってキミアキのことを心底愛おしく思ってるよ。今日までキミアキと過ごせて本当に楽しかった。だからこそ、私たちはキミアキの命を決して粗末にはしない」
「クラリス、だったら俺を食べるのはやめて、生かしておくべきじゃないか。これからも一つ屋根の下で一緒に暮らそうよ!」
「それはキミアキの命を粗末にしてることになると思う」
だって、とクラリスは続ける。
「たとえばキミアキが魚料理屋だとして、入荷した魚を生け簀に入れたまま放っておいたら、それはその魚の命を無駄にしてないか? ちゃんと捌いて調理するのが、その魚の命に対しての精一杯の敬意を示すことじゃないか?」
「俺は生簀の魚じゃない! 一ヶ月半の間、二人と一緒に暮らしてたじゃないか! それに二人は、俺を愛してるんだろ!?」
「私は、キミアキよりもずっと長く一緒に暮らして、ずっと長く愛情をかけてきた牛や豚や鶏の命だってありがたくいただいてるぞ」
たしかにそれはそうもしれない。クラリスが家畜に並々ならない愛情を注いでいることは、俺もよく知っている。
「キミアキはバカじゃないからもう分かっただろう。キミアキは、私たちにとって、牛や豚や鶏と同じ家畜なんだ」
「……つまり、シャナは、最初から俺を家畜にして食べるつもりで、化け物から俺を助けたってことだね?」
「そうだよ」とシャナは臆することなく答える。
「キミアキがいた森のあたりは、よく異世界生命体が出没する場所なの。だから、定期的に巡回してるんだ。化け物に先に食べられる前にキミアキを見つけられて良かったよ」
化け物を呪文によって追い払ったシャナは、「間に合って良かった」と笑顔を見せていた。あれは、先に獲物を取られずに済んだことの安堵だったらしい。
そして、今の話だと、シャナは、定期的に森を巡回し、「食用」の異世界生命体を探しているとのことだ。
それはつまり――
「この家の畑に埋まってる白骨化死体も、全て君たちが食べた異世界生命体ということだね?」
二人が、今日初めて驚いた表情を見せる。
「キミアキ、どうしてそれを知ってるんだ?」
「クラリスに畑を耕すように命じられた時に見つけたんだよ」
「私は、畑のその部分は耕すように指示してない」
それは事実である。あの時の俺は、姉妹のどちらかと結婚できることに浮かれていて、無意識のうちに命じられてない部分の畑を耕してしまっていたのである。
「まあ、今さらキミアキに隠すことは何もないな。そうだよ。あれは私たちが食べた異世界生命体の骨だ」
ただし、とクラリスは続ける。
「あれは決して『白骨化死体』なんかじゃない。私たちはそんなもったいないことはしないよ。あれは、肉を余すことなく全て食べ切った後に残った骨だ。元々白骨だよ。それを肥料にするために畑に埋めていたんだ」
「そうやって命を全て使い切ることが、私たちにできる最大限の感謝だからね」
この姉妹にとっては大事なことなのかもしれないが、白骨化死体だろうが、白骨になるまで食べ切った死体だろうが、俺にとっては大差はない。
俺は、自分が家畜であること、そして、今後の俺の運命について完全に悟った。
とはいえ、まだ分からないこともいくつかある。
「君たちが最初から俺を食べるつもりだったなら、どうして俺を家で匿って延命させたんだ? どうしてスローライフを教えて俺を幸福にしたんだ?」
「だって、最初、キミアキは不味そうだったから」
クラリスはいとも簡単にそう答える。
「現実世界で働き詰めだったキミアキは、完全に病気の状態だった。顔色も悪く、頬もげっそり痩せててさ。だから、食べる前に『治療』が必要だったのさ」
たしかにクラリスは「治療方法」としてスローライフを提案してくれたのである。
「ストレスが溜まってると、家畜の肉っていうのは不味くなるんだよ。だから、キミアキからストレスを取り除く必要があった」
クラリスが提案してくれたスローライフはストレスフリーな生き方であった。クラリスの提案に、そんな邪な思惑があるなどとはつゆ思わず、俺は今まで姉妹に心から感謝していたのである。
「結婚の話はどうなんだ? 俺を結婚相手にするためにこの家に置いているという話は嘘だったのか!?」
案の定、シャナは「嘘だよ」と答える。
「そりゃなるべく嘘はつきたくなかったんだけど、あの時、この家で『世話』をされていることに疑問を持っていたキミアキを納得させるためには、必要な嘘だったの。鶏が逃げないようにケージで囲うのと一緒で、異世界生命体を逃がさないためには最低限の嘘は必要なんだよね」
ちょっと待って、とクラリスが口を挟む。
「シャナの嘘は突発的なもので、私も面食らった。だけど、私たち姉妹は君の意思を尊重することにしたんだよ。シャナが嘘を吐いた後に、私たちは二人で約束をした。私かシャナ、君が選んでくれた方が君を独占して食べれるということをね」
クラリスはニヤリと笑う。
「今日を迎えるまでドキドキだったよ。私は、キミアキのことが大好きだ。だから、キミアキは絶対に私が食べたかったんだ」
「私だって、キミアキを食べたい」
目の前の美少女二人が、俺の目には悪魔にしか見えなくなっていた。
「結果として、キミアキは、私たちのうち一方に絞れない、と言ったよね。私たち二人とずっと一緒にいたいと言ったよね」
シャナが、宝石のついた杖の先端を、俺の胸にぴったりと付ける。
「私たちは、キミアキの意思を尊重するよ。キミアキは、私たち二人で仲良く分け合って食べる。そうすれば、キミアキは私たちの身体の一部となって、私たちとずっと一緒にいられるでしょ? これでキミアキのお望みどおりだよね? ね?」
…………
「思わず長々と説明しちゃたね。本当はこういうシリアスな話はあまり良くないんだ。キミアキにストレスが溜まっていけばいくほど、キミアキの肉の味が落ちていくからな」
シャナに続き、クラリスも、杖の先端を俺の心臓に向ける。
「これ以上ストレスがかからないように、一瞬で死なせてあげる」
どうすることもできない状況に、俺は心の中で笑うしかなかった。
せっかく社畜をやめることができたと思いきや、社畜から家畜に変わっただけだったのである。
俺は誰かに利用される立場からいつまでも抜け出すことができなかったのである。
俺は、俺の運命を変えられない。
よく考えてみれば、シャナの言うとおりかもしれない。
どうせ死ぬのであれば、俺の肉は、俺の命の恩人である美少女二人に食べてもらいたい。それは、決して悪くない最期なのだ。
人骨になってこの家の畑で土と一緒になるというのは、これ以上なく安定した状態の継続であり、もしかすると、究極の「スローライフ」かもしれない。
だから、俺は、姉妹の目を見て、言う。
「ありがとう」
と。
「フルシフール!」
あの時俺の命を救った呪文の詠唱が、俺の最期を告げる言葉になる――
――はずだった。
なぜか遮断されなかった俺の視界が捉えたのは、信じられない光景だった。
赤い閃光によって吹き飛んでいたのは、俺の身体ではなかった。
水色の髪の少女と、ピンク色の髪の少女の身体が宙を舞い、ドサッと牛舎の屋根に落ちる。
双子の姉妹は、呪文を唱える側ではなく、唱えられる側だったのである。
そして、呪文を唱えたのは――
「キミアキさん、やっと会えましたね」
それは巨大な獣の上に跨った女性――いつか旅館のロビーでシャナと揉めていたブロンズの女性だった。
「……どうしてあなたが……」
「私のことはユグナと呼んでください」
「ユグナさん、どうして……」
「説明は後です。早くしないとまた双子に邪魔されてしまいます。今のうちにキメラに乗ってください」
「……キメラ?」
「私が今乗ってる動物です」
ユグナだけでなく、俺は、「キメラ」と呼ばれた動物の方にも見覚えがあった。
それは、一ヶ月半前に俺を襲った、巨大な虎に羽の生えた化け物だったのある。
それゆえに、キメラに乗れと言われても、恐怖が先立ち、俺はすぐに動き出すことができなかった。
そんな俺の様子を見かねて、ユグナは叫ぶ。
「早くしてください! キミアキ、あなたはもう気付いているでしょ? どちらが味方でどちらが敵かに!」
その言葉で目が覚めた俺は、ユグナの方へと駆け寄る。すると、キメラの羽が俺を包み込み、背中まで持ち上げてくれた。
「すぐに飛び立つので、私の背中に掴まってください!」
「……は、はい!」
最初はユグナの着ているジャケットを掴んだのだが、バサバサとキメラが羽ばたいて浮き上がるときの揺れは想像以上であり、俺は咄嗟にユグナの身体に抱きついた。
むにゅという柔らかい感触。
間違いない――ユグナは、俺好みのセクシー美女である。
バサバサ――
キメラの上から、牛舎の屋根が見える。
そこには、クラリスとシャナが二人仲良く目をつぶって横たわっている。
その様子に心を痛めなかったかといえば嘘になるが、先ほどユグナが言っていたとおり、あの双子は俺の命を奪おうとした敵なのである。
俺は双子から目を逸らす。
「本当にクレイジーな子たちでしたね。異世界から来た人間を殺して食べてしまうだなんて」
ユグナは、俺のことを、異世界生命体ではなく、人間であると認めてくれているようだ。それだけでとても心強かった。
「助けてくれてありがとうございます」
「どういたしまして」
「突然現れてびっくりしました」
「キメラは羽音がうるさいですからね。バレないように、近づく時は陸路を歩いて来ました」
あの時は恐怖でしかなかったバサバサという羽音も、今ではとても頼り甲斐があると感じる。
俺は少しずつ事態を飲み込み始めていた。
「一ヶ月半前も、俺を助けてくれようとしたんですね」
「そうです。クレイジーな双子に邪魔されてしまいましたが」
異世界召喚されたばかりの俺は、最初にして最大のミスを犯していたのである。
キメラは俺の敵ではなく、味方だった。
あの時、キメラは俺を襲おうとしたのではなく、俺を迎えに来てくれていたのである。
「あの時のことに関しては、私も反省しています。キメラにお迎えを任せず、私も同行するべきでした。キメラは見かけ倒しなんです」
「見かけ倒し?」
「キメラは移動手段としては便利ですが、戦闘能力は皆無なんです」
それは本当に見かけ倒しである。鋭い牙は一体何のためについているのだろうか。
「森の付近に『異世界人狩り』をしている者がいることは分かってたんです。もっと警戒すべきでした」
「異世界人狩り」をしている者とは、ほかでもない、クラリスとシャナである。
定期的に森を巡回し、異世界生命体を捕獲している、とシャナは自白していた。
俺は、ユグナと話しているうちに、あることに気が付いていた。
「俺を異世界召喚させたのは、ユグナさんだったんですね」
「そのとおりです。どうして分かったんですか?」
「声です。異世界召喚された時、俺はユグナさんの声を聞きました」
職場で倒れた時に聞いた「キミアキ、あなたの居場所はこの世界ではありません」という透き通った声。それは間違いなくユグナの声なのである。
その透き通った声が、説明をする。
「キミアキが召喚された森の上空付近に、世界と世界を繋ぐ空間の歪みがあるんです。キミアキは、その歪みを使って私が異世界召喚を試みた五人目の人物です」
「俺以外の四人は……?」
「双子の胃袋の中です」
ユグナは少し茶化すように言ったが、全くもって笑える話ではない。俺もあと少しでそうなるところだったのだ。畑に埋められる五体目の人骨になるところだった。
「五回目の正直がようやく上手くいって良かったです。シャナにキメラがやられて、キミアキを連れ去られた時はどうなるかと思いましたが」
グォンとキメラが短く唸る。
「キメラさん、あの時は散々な目に遭わせちゃってごめんなさいね。怪我も長引いちゃいましたね」
シャナの呪文で攻撃され、足を引きずりながら、弱々しく飛んで逃げていったキメラの姿を俺は思い出す。
他に聞くべきことといえば――
「そういえば、ユグナさん、ユグナさんのお父さんは?」
ユグナのお父さんは、旅館に泊まったのを最後に行方不明となってしまったのである。今はもう見つかったのだろうか――
「私の父?」
ユグナは大きく首を傾げた後、「ああ」と声を上げる。
「旅館のロビーでシャナにした話ですね。あれはもちろん作り話です」
「作り話?」
急に肩の力が抜ける。
「ええ。私は、怪我して帰ってきたキメラの報告を受けて、キメラを攻撃したピンク髪の女の正体を探ったんです。そして、一ヶ月ほどかけて、人里離れた家に住む双子のかたわれであるシャナという女が怪しいという情報を掴みました」
キメラは人語を話せはしないが、人語を理解している様子はある。とはいえ、どのようにキメラがユグナに報告したのかは俺にはよく分からない。それはさておき――
「俺を救出するために、シャナとコンタクトを取ったということですね。でも、一体何のために、お父さんが行方不明になっただなんて作り話をしたんですか?」
「それは、キミアキさんを守るためです」とユグナは答える。
「当時はキミアキさんがあの家に連れ去られたかどうかの確信もなかったですし、キメラの怪我も回復しきってませんでしたので、今日みたいに突撃することはできませんでした。突撃態勢が整うまで、少し時間稼ぎをする必要があったのです」
「時間稼ぎ?」
「ええ。そのために、私は、シャナに対して、キミアキに対してしばらくの間は下手なことをしないように警告したかったんです」
「だったら、直接そうシャナに伝えれば……」
「それはダメです。『証拠隠滅』のためにキミアキさんがすぐに殺されかねません。キミアキさんの名前も、異世界人狩りのことも言及するべきではありません。キミアキさんを回収するという私の真の目的は、絶対に悟られてはならないのです」
たしかにユグナの言うとおりだ。
「ゆえに、父が行方不明になったという話をでっち上げ、『警察には、あなたたち家族を見張るように言います』とシャナに伝えました」
なるほど。あの時のユグナの訪問の目的は、「警察がこの家を見張ってる」と伝えることで、双子が俺を殺してしまわないように牽制するというものだったのか。
「まあ、結局、異世界人を人間だと認識していないクレイジー姉妹に対しては、警告はそれほど効かず、大した時間稼ぎにはならなかったみたいですけどね」
ユグナは呆れたようにため息を吐く。
「それでも、今日の突撃まで時間が稼げて良かったです。あの姉妹はなかなか手強そうでしたが、奇襲攻撃が上手くいきました」
「本当にありがとうございます」
ユグナに背後から抱きついている俺は、ユグナに見えないことは分かりつつも、深くお辞儀をする。
俺が匿われていた民家は、もうすでに見えなくなっている。
仮に姉妹が目を覚ましていたとしても、俺を探し出すことはもうできないだろう。ユグナの打撃力と、キメラの移動性能の勝利である。
ユグナとシャナのやりとりについての謎は解けた。
しかし、一番肝心なことの説明がまだである。
「ユグナさん、何のために俺をこの世界に召喚したんですか?」
俺だけではない。結果として姉妹に食べられてしまった四人の「先輩」も、あえてユグナが異世界召喚しているのである。
そこには確固とした目的があるはずだ――
「それはこの世界を救う救世主とするためです」
「救世主?」
「はい。この世界は今、魔王の力によって闇に包まれようとしています。その強大な悪に立ち向かう素質を持っているのは、異世界からやってきた勇者だけなのです」
俺ははっきりと認識した。
俺の異世界召喚物語が、スローライフ型テンプレートから、冒険者型テンプレートへと路線変更したことを。
「でも、俺は、勇者なんて器じゃないです」
俺は単なる社畜に過ぎない。一旦は社畜から家畜になりかけたのだが。
「いいえ。あなたは天才的な才能を持っています。私は異世界でのあなたの様子をちゃんと観察していました。あなたは勤勉で努力家で従順です。それは勇者にもっとも大切な素質なんです」
ユグナに褒められると悪い気はしない。ただ、一つだけ引っかかった。
「従順? それって必要なんですか?」
「もちろんです」とユグナは大きく頷く。
「紹介が遅れましたが、私は聖女です。魔王退治に必要不可欠なのはこの私です。これからの冒険の舵取りは、聖女である私が行います。私の懐刀として、常に私の指示に従い、常に私を守り抜くことが勇者の使命です」
要するに、勇者とは、聖女ユグナの下僕なのである。だとすると、社畜スキルがそのまま役に立つということにも頷ける。
「キミアキさんには早速今日から徹夜で訓練し、魔法と戦闘能力を身につけてもらいます。キミアキさんは勤勉で努力家なので絶対にできるはずです。そして、一日三時間睡眠で、四六時中私のために尽くしてください」
「はあ……」
「私の命令には絶対に逆らわないでくださいね」
「ええ、まあ……」
「返事は『はい』ですよ」
「はい」
異世界には来たものの、結局はスローライフなどは夢幻で、現実世界同様にこき使われる運命らしい。
まあ、それも悪くはないか――
俺は、聖女ユグナ――俺のタイプど真ん中のセクシー美女――との今後の旅路をアレコレ想像し、心を弾ませた。
(了)
これは2万8000字ですので、短編の定義に入りますよね(確信)
ミステリというよりもハイファンな作品ですが、姉妹の視点で叙述トリックっぽいこともやっているので、ミステリとして許容されるかなと思っています。
なお、筆者は、ロリ系美少女の方が好みです。
さて、本作を年末年始に慌てて書いたのは、2024年1月14日の文学フリマin京都に「新生ミステリ研究会」の一員として参加することを宣伝するためなのです。
庵字さん、凛野冥さん、片里鴎さんというなろうミステリ界の人気者たちとともに合作本を作りました。
そして、菱川最大のヒット作の「殺人遺伝子」を本にしてみました。
ご関心のある方は、菱川の活動報告をご覧いただければと思います。
何卒よろしくお願いします。