年中無休の社畜だった俺、召喚された異世界で自給自足スローライフ……のはずが畑から白骨化死体出土(中)
仕事依存性のキミアキのために、私――クラリスが一肌脱いでやるとしよう。
スローライフとは何か、その実践方法について分かりやすく説明しよう。
題して「バカでも分かるスローライフ講座」。心して聞くように。
1 時間を気にするな
「スローライフ」とは、時間や効率に捉われない生き方のことだ。
キミアキがいた世界だと、おそらく皆が時計を気にして、短時間でどれだけ成果を上げるかを競い合っているんだろう?
そんな愚かな生き方をしてたら、当然、心も身体もすぐに壊れてしまう。
スローライフの第一歩は、時間を気にしないこと。
キミアキがさっきからチラチラと気にしてる平べったい機械も、どうせ時刻を表示するものなんだろ。そいつは真っ先に捨てておけ。
スローライフには、時計も必要ない。太陽が昇る時間に活動を始め、太陽が沈む頃に活動を終えれば良いんだ。天気が悪くて太陽が見えない日はどうするかって? 家でじっとしてれば良い。
時間の鎖から解き放たれた時、生き物は生き物らしい生活を取り戻せるんだ。
2 煩わしい付き合いを避けろ
スローライフは、ストレスを徹底的に回避する生き方だ。
そして、ストレスの大半は、他者との付き合いから生じているんだ。
ゆえに、スローライフでは、他者との煩わしい付き合いを避けることを推奨する。
キミアキ、何を名残惜しそうに平べったい機械を見てるんだ? それは他者ともコミュニケーションが取れるものなのか? だとしたらなおさらさっさと処分だ。
他者との付き合いを避けるためには、田舎暮らしが有効だ。
まさに私たち家族がしているようにね。
この家の周辺には他の民家は一つも存在しない。ここは社会から隔絶された「楽園」なんだよ。
3 自給自足せよ
スローライフは、生きることそれ自体を楽しむ生き方なんだ。
それを一番実感できる生き方こそ、必要なものは自分自身で生産すること――自給自足だ。
食べ物ができるまでの全ての過程に関わることで、食べることの真の喜びに気付くことができる。
種を蒔き、水をあげ、収穫すること。
家畜を育てて、ミルクを取り、最後に肉をいただくこと。
それこそが食べること、そして、生きることの真の喜びなんだ。
私たちの家の敷地には、野菜を育てる畑、小さいけれど穀物を育てる田んぼもある。
それに、牛、豚、鶏といった家畜も飼育してる。
キミアキも後で案内するよ。
自給自足をすることで、生きることで得られる充実感を最大まで高めることができる。
それに、貨幣社会から切り離されることで、余計な他者との関わりも断つことができるしね。
4 生命の恵みに感謝せよ
スローライフをする中で、否が応でも、どんなバカでも気付くのは、生命のありがたさだよ。
生き物は、基本的には他の生き物の生命をいただくことでしか生きていけないんだ。
自給自足で、自ら育てた野菜、それから家畜の生命をありがたくいただく。
そして、奪った生命に失礼のないように、自分自身もしっかりと生き抜く。
それこそがスローライフの本質であり、生きることの本質だと私は思う。
5 お風呂にゆっくり浸かろう
どうだい? ここまでの説明は分かりやすかっただろう? バカなキミアキにもよく分かっただらう?
……あれ? 腑に落ちない表情だね。
でも、大丈夫。スローライフを、そんなに難しく考える必要はないんだ。
とりあえず、まずは時間を気にせず、ゆっくりとお風呂に浸かろう。
何も考えず、無の時間を過ごすんだ。
実はもう、お風呂を沸かしてあるんだ。
さあ、キミアキ、私たちと一緒にお風呂に入ろう!
……あれ? どうした? そんなに顔を赤らめて。何か余計なことを考えてないか? これは無の時間を過ごす練習なんだよ。
え? そんな状況じゃ無にはなれないって?
まあ、キミアキはまだスローライフの「ス」の字も分かってないからな。
とりあえず、一人でお風呂に入ってきな。みんなで一緒にお風呂に入るのは追々で大丈夫。
私が今話したことを実践していく中で、きっとキミアキの病気も治ると思う。
もちろん、すぐに効果は出ないだろう。何週間、いや、場合によっては何ヶ月もかかると思う。
その日が来るまで、私たち姉妹がサポートするから安心して。
……え? それまでの間、私たちの家に泊まって良いのかって?
もちろんさ!
キミアキ、これからよろしくな!
…………
「今日はキミアキが我が家に来て一ヶ月の記念日だ! おめでとう!」
俺は姉妹と乾杯をする。グラスの中の自家製ぶどう酒がゆらゆら揺れる。
テーブルは、俺がはじめてこの家に来た時と同様に、大小の皿に入った料理で埋め尽くされている。
もっとも、一ヶ月前と違い、この料理を作ったのは俺だ。
「少し発酵させすぎたかな? 甘味が弱いかも」
ぶどう酒を舌の上で転がしながら、俺は反省を口にする。
「そうかな? 私はアルコールがキツめの方が好きだから、ちょうど良いけど」
クラリスは、あっという間にグラスのぶどう酒を飲み干した。
「キミアキ、甘さとアルコール度数って関係あるの?」
姉とは対照的に酒に強くないシャナは、ぶどう酒を舐めるようにして味わった後、俺に尋ねる。
「あるよ。アルコールは、糖が分解されることによってできるんだ。アルコールが弱いぶどう酒は、糖が分解されずに残ってるから甘い。アルコールが強いぶどう酒は、糖が分解されて少なくなってるから甘くないんだ」
「へえ、そうなんだ。はじめて知った」
シャナは、目を見開いて、心底感心している様子を表した。
「ぶどう酒はさておき、メインディッシュのタンシチューは自信作なんだ。仕込みに丸三日もかかったけど。食べてみて」
ブラウンソースに浸かったお肉は、力を入れずとも重力だけでフォークが刺さってしまうほどに柔らかく仕上がっていることを確認済みである。
「キミアキ、だいぶ板についたな」
「板についた、って何が?」
「もちろん、スローライフがだよ」
クラリスは、最近、そうやって俺のことを褒めてくれることが増えた。
「ありがとう。優秀な先生方のおかげだよ」
「ううん。才能だよ」
「キミアキにはスローライフの才能があったんだよ」とシャナは言う。
「料理もすごく上手だし、牛も豚も鶏もキミアキにすごく懐いてるし」
「そうかな?」
「そうだよ。キミアキは、生活そのものちゃんと楽しめてる」
シャナが言ってくれたことについて、俺にも自覚があった。
料理を作ることも、野菜を育てることも、家畜の世話をすることも、家事の全てが楽しい。
今の俺の人生は、毎日が充実しているのである。
「仕事したいしたい病は治ってきたみたいだな。顔色もすっかり良くなった」
「おかげさまでね」
そんな名前の病気であったかどうかはさておき、体調がすこぶる良いのは事実である。
何か憑き物が落ちたかのように、心の方も軽い。
仮に、現実世界に再召喚されたとすれば、すぐさま会社に退職届を突きつけられるほどにコンディションは万全だ。
「まあ、私たちと一緒にお風呂に入ることはまだできていないけどな」
クラリスが俺をからかう。
スローライフが上達したところで、ロリ系美少女との混浴が平気でできるようになるとは最初から思っていなかったが、やはりそのとおりだった。
というか、スローライフと混浴は全然関係がない。クラリスが混浴にこだわる理由が、俺にはさっぱり分からない。単なる痴女、というわけではないと思うのだが……
スローライフによって穏やかな心を得ても、未だに分からないことはほかにもある。
「クラリス、シャナ、やっぱり俺には分からないよ」
「はぁにが?」
クラリスが、熱々の牛タンを口に入れながら尋ねる。
「君たち家族が俺を厚遇してくれる理由が」
「ふぁあ」
ここに来た初日に同じことを尋ねた時には、姉妹にうまくお茶を濁された気がするのである。
たしかに俺は「客人」で、姉妹は「親切」な人であることは間違いない。
姉妹だけではない。姉妹の両親も、柔和な人たちで、俺を親切にもてなしてくれているのである。
この家族には本当に下心はないのだろうか――
「最初に言ったじゃん。キミアキは客人だから」
ようやく牛タンを飲み込んだクラリスは、やはりそう言う。
「でも、他の客人からはちゃんとお金を取ってるよね?」
家族は建物を二棟所有している。そのうちの一方は居住用だが、もう一方は両親が経営する旅館なのである。
大繁盛とまではいかないが、ここ一ヶ月、途切れることなく常に一、二組の客人が泊まっている。そして、当然、それらの客人は宿泊料を支払っている。
「キミアキはこの世界のお金を持ってないだろ?」
「だったら、俺を見捨てるのが普通なんじゃないか?」
「だって、キミアキは特別な客人だから」
「特別? 何が?」
「それは、なんというか、それは、その……」
「お姉ちゃん!」
しどろもどろになりつつあったクラリスを見かねて、シャナが口を挟む。
「お姉ちゃん、誤魔化すのはもうやめようよ。キミアキに正直に話そう」
「正直に話す!? シャナ、バカなんじゃないか!?」
「そりゃ、私だって話したくないけど、いつか打ち明けなきゃいけない話なんだからさ」
「今打ち明けたら、キミアキが逃げちゃうかもしれないじゃないか! バカ!!」
俺が逃げる? どういうことだ?
姉妹が俺を匿っている目的とは一体――
「お姉ちゃんは黙ってて! 正直に言うね。私たち――」
シャナは顔を赤らめながら、言う。
「私たち、結婚相手が欲しいの」
…………
シャナ――私がトマトの苗に水をあげていると、母が畑までやってきて、私を呼びつけた。
母によると、私と同い年くらいの女性が旅館に訪問してきて、私と話したいと言っているそうだ。
その女性の名前は、ユグナというそうだ――聞き覚えのない名前である。
私と面識のない女性が、当然やってきて、一体私に何の用があるのだろうか――
その女性は、旅館のロビーにある長椅子に掛けていた。やはり見覚えのないブロンズ髪の女性だった。
「こんにちは。私のこと呼びましたか?」
「ええ」
「どこかでお会いしたことありましたっけ?」
「いいえ」
ユグナは、はっきりとそう答えた。
私は、ユグナと肩を並べるようにして、長椅子に腰掛けた。背中側にある窓は開け放たれており、爽やかな春風が、二人の長髪を撫でつける。
「私に何の用ですか?」
しばらくの沈黙の後、ユグナは答える。
「私の父のことです」
「あなたのお父さん? あなたのお父さんと私は知り合いなんですか?」
「おそらく」
「お父さんのお名前は?」
「ガロアといいます」
「……聞き覚えはありませんが」
「おそらく偽名を名乗っていたんだと思います。父はそういう人ですから」
一体どういう人なのだろうか。偽名を使わなければならない状況というものに、少なくとも私は出会したことがない。
「どういう偽名を名乗ってたんですか?」
「分かりません」
「お父さんの写真は?」
「ありません」
ならば、本当に私がユグナの父と知り合いなのかどうかは確かめようがないではないか。
「私はどこであなたのお父さんと知り合ったのですか?」
「この旅館です」
「とすると、あなたのお父さんはこの旅館の宿泊客ですか?」
「はい。泊まったのは比較的最近だと思います。数週間前だと思います」
ようやくユグナの父と私との接点が見えた。
とはいえ、旅館に泊まった時期が「数週間前だと思う」というのはあまりにも漠然としている。
それに――
「主に旅館の切り盛りをしているのは、私ではなく、私の両親です。私はたまに手伝っているくらいで、宿泊客の方とはあまり関わりがなくて」
「そうなんですか!?」
ユグナが驚嘆の声を上げる。
そんなことすらも知らないで、どうしてユグナは私を名指しで呼びつけたのだろうか。
「ですので、お父さんのことが知りたいなら、私の父か母に訊いてください」
私が、長椅子から立ち上がり、踵を返しかけたところで、「ちょっと待ってください」とユグナが呼び止める。
「私はシャナさんに訊きたいんです」
「何をですか?」
「父の行方です」
「行方?」
どうやらユグナの父は行方不明ということらしい。
「父は、行方を眩ます直前、ここの宿に泊まっています。それは事実なんです」
「この旅館に泊まったのを最後に消息を絶ったんですか」
「ええ、そうです」とユグナは頷いた。
「警察には通報しましたか?」
「はい。とっくに」
「お父さんが行方不明とは大変お気の毒ですが、あなたのお父さんの居場所について私には心当たりはありません。おそらく私の両親にも……」
「あなたの双子のお姉さんには?」
「……はい。姉にも心当たりはないはずです」
ユグナは、なぜ私に双子の姉がいるのことを知っているのだろうか?
そもそもなぜ私の名前を知っていたのだろうか?
旅館に泊まったというお父さんから聞いた――ということはないだろう。ユグナの話によれば、ユグナのお父さんは旅館に泊まった直後に行方を眩ませているのである。
ユグナの情報源がどこにあるのかが気になったが、それを探りたい気持ちよりも、早く話を切り上げたい気持ちの方が勝っていた。
私は、「お役に立てずごめんなさい」と頭を下げた後、いよいよその場を立ち去ろうと、ユグナに背を向けた。
私の後ろ髪を引いたのは、ユグナの衝撃的な一言だった。
「私、父はあなたたち家族に殺されたのではないかと思ってるんです」
私たち家族がユグナの父を殺した?
そんなの――
「とんだ言いがかりです!」
私は、振り返るとともに、大声を上げた。
「私たちの家族が人殺し!? そんなわけありません!」
ユグナは、私の顔をじっと見上げながら、「どうしてそんなに興奮してるんですか?」と憮然と問う。
「当たり前じゃないですか! 人殺しだなんて言われたら、当然、誰だって怒ります!」
「私の父を殺してないならば、冷静に否定すれば良いんじゃないですか?」
「クッ……」
私は唇を噛み締める。
ユグナは、私が躍起になって否定したことが、人殺しの証拠だとでも言いたいのだろうか。
そんなの無茶苦茶な論法である――
そもそも、私は人を殺したことなんて一度もない。そんな当たり前のこと、私自身が一番分かっている。
それに、クラリスだって、私の両親だって、人殺しなんてしたことはないはずだ。私の家族は皆、穏やかの生活を愛しているのである。どんな状況に追い込まれようとも、人殺しなんてするはずがない。
「とにかく、あなたのお父さんの失踪と、私たちの家族とは一切関係ありません! あなたのお父さんが数週間前にこの旅館に泊まったあとに行方を眩ませたのは、偶然です!」
冷静さを装おうとしたのだが、どうしても声量は大きくなってしまう。
そのことでさらに嫌疑を強めた、というわけではないかもしれないが、ユグナは、私にこう言い放つ。
「警察には、あなたたち家族を見張るように言います。悪く思わないでください。私は父の行方を知りたいだけなんです」
…………
シャナがこんな大声を出すところを、俺は初めて目撃した。
窓の外から旅館のロビーを覗く気など、本当はなかったのである。
しかし、シャナが大声を出し、しかもロビーの窓が全開だったため、近くを通りかかった際に、否が応でも聞こえてきてしまった。
そして、シャナの発していた言葉はあまりにも刺激的なものだったのだ。
人殺し――
それは、シャナの家族が人殺しなどはしていない、という否定の文脈で使われていた。
しかし、俺は、その言葉を額面どおりに捉えることができなかった。
なぜならば、旅館の前を通りかかる直前、俺は、あるものを見つけてしまっていたからである。
それは、畑に埋まっていた人骨だった。
鍬で畑を耕している時に、偶然掘り当ててしまったのである。そこは畑の端の方であり、クラリスに耕すように命じられた場所とはだいぶ離れたところだった。
なぜそんなところに鍬を突き刺してしまったのかというと、俺がボーッとしていたからだ。
一昨日から、俺の心はずっと浮ついていた。
シャナとクラリスが、俺をお婿さん候補としてこの家に置いていることを知ったからである。
シャナとクラリスは見た目が良くて器量も良いが、人里離れた田舎で、人付き合いを避けて生活をしているため、出会いが一切ないのだという。
正直、シャナとクラリスは俺にとっての理想の女性ではない。俺はロリ系美少女よりも、セクシー美女の方が好きである。
しかし、シャナもクラリスも俺にとって勿体無いほどの逸材である。そんなシャナとクラリスのいずれかをお嫁さんに迎えられるだなんて、夢のような出来事だ。
優等生タイプのシャナとツンデレタイプのクラリス――甲乙つけ難い二人のうちどちらを選ぶべきだろうか――
そんな贅沢な二択について涎を垂らしながら考えているうちに、気付いたら、耕す予定のなかった畑の端の方まで行ってしまっていたのである。
そこで掘り当ててしまったものは、俺の頭を一気にクールダウンさせるのに十分過ぎるものだった。
俺は、臭いものに蓋をするがごとく、反射的に人骨を土に埋め直した後、鍬を捨て、駆け出していた。
何から逃げていたのかといえば、人骨から逃げていたのである。もっと丁寧に言えば、幸福なスローライフに水を差す「衝撃の事実」から逃げていたのである。
ゆえに、どこか行き先があるわけではなかった。
そのため、ちょうどシャナが大声を上げた瞬間に、旅館の窓の外を通りかかったのは、まさに偶然であり、「第二の不幸」ともいえるものだった。
シャナは、ブロンズ髪の来客に対して、「私たちの家族が人殺し!? そんなわけありません!」と叫んでいた。
俺はシャナのことを信頼しているが、あの人骨を見た後だと、どうしても疑ってしまう。
あの人骨は、シャナやクラリス、もしくは二人の両親が、誰かを殺して埋めたものなのではないだろうか――
盗み聞きした話によると、ブロンズの女性は、行方不明になった父親を探していて、その父親は「数週間前」に旅館に泊まっていたのだという。
俺は、人間が白骨化するまでの過程についてあまり詳しくないが、わずか「数週間」で人体が完全に骨と化すとは思えない。
俺が見つけた人骨は、余計なもののついていない、綺麗な白骨だった。
とすると、俺が畑で見つけた人骨は、ブロンズ髪の女性の父親のものではないと考えるべきだろう。
この事実は、決して、俺を安堵させるものではない。
この家族が、常習的に人を殺し、埋めている可能性を示唆しているからだ。
シャナに追い出されるようにして、ブロンズ髪の女性が、旅館から出てくる。
見つからないように、俺は慌てて茂みに隠れる。
茂みの陰でしゃがみながら、俺は必死で呼吸を整えようとする。
俺はとんでもない家族に拾われてしまったのかもしれない。
これから先俺は一体どうすれば――