スマートキ(ラ)ー【解答編】
「水嶋弁護士」を名乗って、私と接見した人物が誰かという質問ですが、私には分かりません。
私はネットで検索して見つかった水嶋弁護士に依頼をしましたが、あの日、「水嶋弁護士」を名乗る男性が私に接見しに来るまで、私は本物の水嶋弁護士とは会ったこともなく、顔も知りませんでした。
ですので、弁護士にしては知性が欠けているなと訝しみこそしましたが、私は「水嶋弁護士」を名乗る男性が偽物だとは思いもしなかったのです。
弁護士の身分証明書を偽造し、警察官を騙すという手口は極めて悪質だと思います。
私は「水嶋弁護士」を名乗る男性のことを決して許せません。逮捕・勾留の上、厳罰を科していただきますようお願いします。
ただし、騙される警察の落ち度の方も決して見逃せないと思います。
身分証明書の偽造を見破れなかった点もそうですが、それだけではありません。
あなた方は、私を「轢き逃げ犯人」に仕立て上げた真犯人の細工にも見事騙されてしまっているのです。
これまで黙秘を貫いていましたが、今、ハッキリと申し上げます。
椎村を轢き逃げして殺してしまったのは、私ではありません。
ーー喜多原ひろひこの妻である範子氏です。
取調官が少しもピンと来ていないようで、唖然とした顔をしてますので、範子氏が施したトリックについて私が説明して差し上げます。
プロの捜査機関であるあなた方はすでに知っているはずですが、事件の1ヶ月前、範子氏は2台目の「プレミアム・レスト」を購入しております。
この「プレミアム・レスト」のボディの色は黒であり、夫であるひろひこ氏が所有している「プレミアム・レスト」とはボディの色が違っています。
ひろひこ氏は酔狂的に赤を好んでおり、彼の愛車の色は派手な赤色なのです。
さて、問題は、範子氏は何を目的として「プレミアム・レスト」を購入したのかですが、それを考える上で、ボディの色は重要なヒントとなります。
なぜなら、2台目の「プレミアム・レスト」の車体を何らかのトリックに用いるためならば、範子氏は、すでにひろひこ氏が所有しているものと同じ赤色を選んだはずだからです。
裏を返せば、範子氏にとっては、車体の色は何色でも良かったのです。
なぜならば、範子氏が「プレミアム・レスト」を購入した目的は、車体ではなく、キーを入手するためだったからです。
「プレミアム・レスト」のスマートキーは、高度に暗号化された情報を用いてますので、基本的に偽造や複製ができないものです。
ですから、購入元のディーラーに頼んでスペアキーを作成してもらわない限りは、キーは世界に1つしか存在しない完全オリジナルのものです。
しかし、それはスマートキーの「機能」に着目した話であって、キーの「外見」についてはその限りではありません。
「プレミアム・レスト」のスマートキーは、車体の色が何色だろうと、すべて外見上は同じデザインなんです。
すなわち、「PREMIUM REST」という金色の文字の下にリモコン操作用のスイッチが2つあるデザインに統一されています。
範子氏の目的は、ディーラーに複製履歴を残さないで、ひろひこ氏が所有している「プレミアム・レスト」と、同じ見た目のキーを入手することだったのです。
そのためにわざわざ高級車を1台購入してしまうのですから、金持ちの考えることは狂ってるとしか言いようがないです。
そして、それは、哀れな生贄である私を陥れるための罠にほかなりませんでした。
事件のあった日の前日、もしくは早朝に、範子氏は、玄関のフックに掛けてあるスマートキーを入れ替えました。すなわち、ひろひこ氏の購入した「プレミアム・レスト」のキーを回収し、新たに自分の購入した「プレミアム・レスト」のキーを掛け替えたのです。
事件当日、私はそのことに気付かないまま、「偽物」のスマートキーをポケットに入れ、釣り場に向けて出発しました。
「プレミアム・レスト」に乗り込む際、私のズボンのポケットにスマートキーが入っていたのであれば、私がドアのボタンを押すことによって、開錠がされます。いわゆる「スマートエントリー機能」によって。
しかし、私のポケットに入っていたのは、「偽物」のスマートキーですから、スマートエントリー機能は発動せず、「プレミアム・レスト」のドアは開かないはずです。
ただ、範子氏はそれを誤魔化すために、私がドアのボタンに触れた瞬間に、自らが持っている本物のスマートキーのスイッチを押し、ドアを開錠しました。
スマートエントリー機能の他に備わっている「リモコン機能」の方を用いたんです。
それによって、あたかもスマートエントリー機能が発動されたかのような状況を作り出し、私を錯誤させたのです。
さらに、「プレミアム・レスト」のエンジンは、運転席の半径1.5m以内にキー存在しない限りはかけられません。これもスマートエントリー機能の一種です。
これに関しては、範子氏は助手席に座っていましたから、問題がありませんでした。助手席は、運転席の半径1.5m以内にありますからね。
助手席に座っている範子氏が持っているスマートキーに反応することで、「プレミアム・レスト」のエンジンは無事にかかりました。
釣り場近くの駐車場に到着した際も同様です。範子氏は、私がドアのボタンに触れるタイミングで、手元のスマートキーのスイッチを押し、リモコン操作によって鍵を閉めたのです。
これが、「偽物」のキーを掴まされていたのにもかかわらず、私が喜多原邸から駐車場まで運転できた理由となります。
ここで大きな疑問にぶつかると思います。喜多原邸から駐車場までの運転に関しては、本物のキーを持っていた範子が同乗していたから問題ないとして、その約10時間後に、私が駐車場から「山犬」まで運転できたことについてはどのように説明できるのか、です。
あの時、私は1人きりでした。ゆえに、私の持っているキーが「偽物」である以上は、運転は不可能なように思えます。本物のスマートキーがない限り、ドアを開けることも、エンジンをかけることもできないからです。
ここで範子氏は大胆なトリックを用いました。
私が「プレミアム・レスト」に乗り込むのに先んじて、範子氏は、車のトランクの中に隠れて乗っていたのです。
そして、範子氏は、私の様子を観察し、私が運転席のドアに近付き、ドアのボタンに触れるタイミングを狙って、持っていたスマートキーのスイッチを押しました。
このようにして、不審感を抱かせないまま、私を無事運転席へと誘ったのです。
もっとも、トランクの中は、運転席から半径1.5m以内ではありませんので、このままだとエンジンがかかりません。
その点をクリアするために、範子氏は、予めスマートキーを釣り糸に結びつけておきました。
そして、私がエンジンボタンを押す直前に、スマートキーを運転席の背中目がけて投げたのです。
運転席の真後ろであれば、半径1.5m以内ですので、スマートキーに反応し、エンジンがかかります。
私は、まさか「1人きり」の車内の後部座席やトランクでそのようなことが行われているなどとは思いもしませんでしたし、それに気付くこともありませんでした。
スマートエントリー機能の仕組み上、一旦エンジンがかかれば、あとはキーがどこにあってもエンジンが切れることはありません。
ですので、私が運転に集中している最中に、範子氏はスマートキーにつけた釣り糸を手繰って、スマートキーをトランクの方へ導き、回収したのです。
私が「山犬」に到着し、車を降りるときも同様です。トランク内の範子氏は、私が車を降り、ドアを閉め、ボタンに触れるタイミングを狙って、リモコン機能を使って施錠したのです。
これにより、キーは「インロック」のような状態になります。本来、「プレミアム・レスト」のスマートキーではそのような事態は想定されないのですが、それはスマートエントリー機能を用いた場合の話です。
リモコン操作による施錠の場合には、運転者の手元にキーがあることは明らかですので、「インロック」防止のために施錠が禁止されるということはないのです。
範子氏の話によると、範子氏は釣り場で指輪を探しており、その後、私に迎えを要請してから「山犬」に戻ったとのことでした。
しかし、それならば釣り場に近い喫茶店にいた私に直接会いに来るべきですし、そもそも、私は「山犬」に向かう道すがらに範子氏に出会うことはなかったのです。
どうしてこのような「矛盾」が生じたのかについてはもはや説明の必要もありませんね。
釣り場で指輪を探していたというのも、徒歩で「山犬」に向かったというのも範子氏の嘘なのです。
真実は、範子氏は「プレミアム・レスト」の車内にいて、私と「同乗」する形で、「山犬」に向かったわけです。
そして、私が「山犬」に入るのに少し遅れて、釣り場から徒歩で帰ってきたフリをして「山犬」に現れたわけですね。
その後、「山犬」から喜多原宅に戻る時は、喜多原宅から釣り場に行った時と同様です。範子氏は助手席に乗っていましたからね。
こうして、範子氏は私を嵌めたのです。私に「偽物」のキーを掴ませながら、あたかも私が本物のキーを持っているかのように偽装したのです。
トリックの解説は以上です。
理解していただけたでしょうか。
ただ、取調官の表情を見ても、まだクエスチョンマークは残り続けているものと思います。
なぜ範子氏はそのようなトリックを用いたのかということも、椎村氏の死についてもまだ何も説明されていないからです。
このことを解明する上では、ある事実の指摘を欠かすことができません。
それは、範子氏の目的が、喜多原ひろひこを殺害することにあった、ということです。
喜多原ひろひこは、芸能界において大成功を収めたコメディアンですが、並々ならぬパワハラ体質でした。
それは使用人であった私に対しても遺憾無く発揮されていたわけですが、それ以上に、妻である範子氏に対して向けられ続けていたわけです。
長年耐え続けていた範子氏でしたが、ついに限界を迎えたのでしょう。
具体的にどのようなことがあったのかについては、ぜひ範子氏に直接聞いてみてください。きっと300ページを超える超大作の調書になりますよ。
いずれにせよ範子氏は、夫であるひろひこ氏を殺すことを決意したわけですが、有罪判決を受けて老後を刑務所で過ごすことは本意ではありませんでした。
そこで範子氏は、最近雇った新人運転手である私を犯人に仕立て上げ、自らの犯罪を成し遂げようとしたのです。
その計画を簡潔に説明するとこのようになります。
まず、トリックによって、「プレミアム・レスト」を運転できるのは私だけだという虚偽の外観を作り出す。
その間に、本物のスマートキーを持っている範子氏が「プレミアム・レスト」を運転し、喜多原ひろひこを轢き殺す。
ーーたったこれだけの計画です。
前半の虚偽外観部分については十分に説明しましたので、後半に関してのみ説明します。
事件当日、釣り場で渓流釣りをしている最中に、範子氏は、結婚指輪をわざと無くします。
おそらく、ひろひこ氏が見ていない場面で川に投げ捨てでもしたのでしょう。三桁万円もするものを川に投げるだなんて常人には理解できませんが、金持ちという生き物は本当に狂っていますから。
そして、「山犬」での飲食中に、範子氏は指輪の紛失に気付いたフリをして、「指輪を探しに釣り場に行く」と言って外出します。
しかし、実際には釣り場には行かず、釣り場付近の駐車場に行き、「プレミアム・レスト」に乗り込んだのです。
そして、しばらくしてから、夫であるひろひこ氏に電話をし、「指輪が見つからないから、釣り場に来て探すのを手伝って欲しい」とお願いし、ひろひこ氏に了承を取ります。
その後、「プレミアム・レスト」を運転して「山犬」の方へと向かい、暗い山道の目立たないところに車を停車させました。
そこで、獲物を待つ獣のように、ひろひこ氏が現れるのを待っていたのです。
ひろひこ氏が目の前に現れたら、「プレミアム・レスト」を急加速させ、轢き殺す予定でした。
そして、それを私の仕業に見せかけ、「完全犯罪」を成し遂げようとしていたのです。
しかし、範子氏には2つの誤算がありました。
1つ目の誤算は、電話口では「釣り場に行く」と言っていたひろひこ氏が、実際には「口だけ」であり、店内で常連客と話し込んだまま、釣り場へと行かなかったことです。
結婚指輪を無くしたといえばさすがに一緒に探してくれるだろう、という範子氏の期待すら、パワハラひろひこは見事に裏切ってみせたのです。
そして、2つ目の誤算は、喜多原ひろひこの「イメージカラー」を身に纏った男が、ちょうどその日のその時間に道を歩いていた、ということです。
その不幸な男こそが、今回の事件の被害者である椎村です。
あなた方は当然に被害者の写真を見てると思いますが、椎村は、轢かれた当時、赤いジャンパーを羽織っていました。
椎村が赤いジャンパーを着ていたのがたまたまなのか、それとも彼が赤がイメージカラーの浦和レッズの熱狂的なサポーターであったからかどうかは私には分かりません。
しかし、この日着ていた赤いジャンパーが、椎村を死へと導いたわけです。
範子氏は、電話口で了承の返事をしたひろひこ氏が、当然釣り場に向かう道に現れるだろうと信じていました。
そして、事件のあった現場は暗い山道です。当時、範子氏が「山犬」で飲酒をしていたことも、範子氏の視覚を鈍らせたことでしょう。
範子氏は、赤いジャンパーを羽織った椎村を、喜多原ひろひこと勘違いしてしまったのです。
そして、アクセルを強く踏み込み、誤って椎村を轢き殺してしまいました。
車を降り、死体の顔を見て、範子氏は唖然としたはずです。それは殺そうとしていた夫ではなく、全然知らない男性だったのですから。
とはいえ、ターゲットを間違えようが、殺人は殺人です。バレれば捕まって、重罰を受けることになります。
私に罪をなすりつけるために、範子氏は当初の計画を淡々と遂行しました。
まず、椎村の死体を引き摺って道端の茂みへと移動させます。
死体の発見を遅らせるため、そして何より、これからその道を往復する私に死体の存在を気付かれないためです。
仮に私がそこで死体の存在に気付けば、その時点で私が警察に通報するでしょうから、私を犯人に仕立て上げることは困難です。
それから、車を運転して駐車場に戻り、トランクの中に移動して、私に迎えを要請しました。先ほど説明したトリックを成立させるためです。
これが今回の「轢き逃げ事件」の真相です。十分にご理解いただけたでしょうか。
証拠ですか?
範子氏が2台目の「プレミアム・レスト」を購入し、乗りもせずに埼玉の駐車場に漫然と停めていることだけでは足りないとすれば、喜多原ひろひこの「プレミアム・レスト」のトランクの中を調べてみたらどうですか?
おそらく範子氏の髪の毛やら、何らかの痕跡が発見されるはずです。
さて、真実を目の当たりにした公僕であるあなた方がするべきことはただ1つ。
一刻も早く私の身柄を釈放することです。
仮にそうしないのであれば、私はあなた方が資格のない「偽物」の警察であると告発し、身分証明書を徹底的に調べていただくことにしますので、ご承知おきください。
(了)
推理を送ってくださった方ありがとうございました! 毎回そうなのですが、僕が考えている以上に読者様が注意深く読んでくださり、ほぼ正解な解答を送ってくださるのでドキッとします。
ただ、僕的には正答率50%くらいの難易度を目指してるので、喜ばしいことだと感じています。
今作ですが、もう何年も昔に裁判傍聴に行った時に、当時はそれほど普及していなかったリモコンキーが争点になっていた保険金請求事件(外国車の盗難保険に関するもの)を見たことが着想の大元です。
その中で「リモコンキーは偽造できるのか」ということが争点となっていて、その議論が未だに印象に残っていたのです。
いつの間にやら時代は流れ、リモコンキーすらもう古くなり、スマートキーが主流になりました。
懺悔しますと、僕自身は運転免許すら持っていません。都内住みなので必要性を感じないという理由と、それ以上に、運転したら事故る自信しかないという理由からです。
ですので、今作を書く上では、スマートキーについて相当ググりました。おそらく矛盾はないのではないとは思いますが、もし実際のスマートキーの機能と異なる部分を見つけましたら、そっと見逃してください(メンタル弱)。
おかげさまで現在64ブクマまで到達いたしました。もう合計20万字以上も書いてバテ気味なのですが、ブクマや評価が励みになって頑張れています。
早く「隣人」企画の執筆に取り組みたいので(笑)、ブクマをくださり、僕を解放してくださるとありがたいです。よろしくお願いします。
次回作は今のところサッカーをテーマにしたミステリーにする予定です。ただ、サッカーをテーマにしたミステリーで、重めのものと軽めのもので構想が2つあるので、どちらを先に出すか悩んでいます。
WBC期間中に大変恐縮ですが、当方はミラニスタ(ACミランファン)でして、ミランがCLで11年ぶりにベスト8に残ったことで脳内がサッカーで盛り上がっているという事情があるのです。
お酒を飲んでいるためか、後書きがいつもより長くなってしまいました。
今後とも引き続きよろしくお願いします。