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スマートキ(ラ)ー【出題編①】

 瀬身シリーズの第3弾です。今作は【読者への挑戦状】も付ける予定です。ハウダニット(HOW DONE IT)一本勝負ですので、ぜひとも真相を見抜いてみてください。

「カッコいいな……」


 無意識のうちにそんな言葉が衛藤の口をつく。

 自分では、物欲はない方だと思っている。自動車がステータスなどというのは、一時代昔の話だと思っている。


 それでも、ショールームにディスプレイされたピカピカの高級車を見ると、いいな、欲しいなと思ってしまう。価格表の桁を見れば、到底無理だは分かるものの、自分が所有する姿を想像して、胸がときめいてしまう。



「お客様、お目が高いですね。今見てるモデルは、最新デザインでとても人気があるんです」


 ビシッとスーツを着た物腰の柔らかい壮年男性は、ディーラーというよりは、まるで銀行員のようである。



「見た目は外車みたいですよね」


「ええ。そうなんです。スリムなフォルムで、今まで国産車に興味がなかった方々にもお買い求めいただいてます」


 衛藤が今いるのは、国内最大の自動車メーカーのショールームである。

 都内の一等地に立地するだけあり、陳列されているのはいずれも高級車だ。一般庶民には立ち入ることすら憚られる。



「お客様はこれまでは外国車を中心に保有されていたんですか?」


「いいえ」


 それどころか自動車を保有したことすらない。免許は持っているが、運転するときは常にレンタカーである。都内に住んでいる限りは、それでも十分に用が足りるのだ。


 場違いな場所に来てしまっているな、と我ながら思う。

 購入する気は一切ないのに、堂々とショールームに入っているのだから。


 とはいえ、衛藤は決して冷やかしのためにここに来たのではない。


 「探偵助手」として、調査のためにここを訪れたのだ。



「ディーラーさん、質問したいことがあるんですが」


「なんでしょうか?」


「自動車の鍵のことです。御社のスマートキーについていくつか伺わせてください」




…………




「衛藤君、今度は私は車で人を轢いてしまったようだ」


 それは、宮古島から帰ってきて、わずか2ヶ月後の瀬身からの電話であった。



「自動車事故……ということですか?」


「ああ、そうだ」


 つくづくツイてない男だ。

 とはいえ、自動販売機の件と、グラスボードの件と今回とではだいぶ性質が違うように思える。

 今までの件は、瀬身がやっていない殺人事件について、あらぬ嫌疑をかけられていたのである。つまり冤罪だ。


 しかし、今回は、自動車で人を轢いたというのである。単なる瀬身の不注意だ。それによって何か責任を負わされるとしても、自業自得だ。



「瀬身さん、任意の自動車保険には入ってないんですか? 最悪の場合でも自賠責では対応できますよね?」


「衛藤君、そういう問題じゃないんだ」


 電話口の瀬身は言う。



「もしかして刑事事件になってるんですか? 被害者が亡くなってしまったとか」


「それはそうなんだが、そういう問題でもないんだ」


 なんだかハッキリしないもの言いである。



「瀬身さん、どういう状況なんですか? 分かりやすく説明してください」


 瀬身の口から出てきたのは、衝撃的な、ただし、もはやお馴染みとなりつつあるフレーズだった。



()()なんだよ。衛藤君、私は人を轢いてなどいないんだ。しかし、轢き逃げ殺人犯だと疑われてしまっている。申し訳ないが、衛藤君、また私を助けてくれないか?」


ーーなんてことだろうか。二度あることは三度あったのである。




…………




 待ち合わせ場所に指定されたのは、いつもの都内の喫茶店「シチュアシオン」だった。


 瀬身が三たび事件に巻き込まれたと聞いた時は、内心、前回の宮古島のように観光がてら遠くに行けることを期待していた。しかし、今回の事件現場は生憎東京都内だということだ。



 たった2ヶ月ぶりの再会なので、感慨のようなものはない。挨拶代わりに、「瀬身さん、だいぶ焼けましたね」と言うと、「君もね」と帰ってきた。

 お互いに宮古島での滞在歴をまだ肌に残したままなのだ。



「瀬身さん、いつの間に東京に戻ってたんですね」


「ああ、離島にはもう懲りたからね。留置施設から釈放されてすぐに飛行機で東京に戻ったんだ」


 それならば、東京にいる衛藤にすぐに連絡を寄越せばよいのに、とも思ったが、瀬身はそういう人間である。何か用事がない限り、瀬身の方から連絡をしてくることは滅多にない。


 日曜日の昼だというのにガラガラの店内。

 それなのにあえて2人は隅のテーブル席を選んで座っていた。探偵と助手の関係だった時代から、そこを定位置としていたのである。



「瀬身さん、新しい仕事は都内で見つけたんですか?」


「都内と言っても、多摩だがね」


 瀬身はブラックコーヒーを啜りながら、そう吐き捨てた。



「あきる野市だから、とんでもない田舎だよ。ボタンを押さないと電車のドアが開かないんだ。2分に1度電車がやってくる23区内とは別世界だよ」


 毒づいてはいるものの、その環境を選んだのは瀬身自身のはずだ。



「今もまだそっちに住んでるんですか?」


 いや、と瀬身は首を横に振る。



「今回の轢き逃げの件があって、追い出されてしまったよ」


「追い出された?」


「住み込みの仕事だったんだ」


 続けて瀬身は有名人の名前を口にする。



喜多原きたはらひろひこは知ってるだろ?」


「コメディアンの喜多原ですか?」


「そうだ」


 もちろん知っている。

 というか、日本で住んでる者であれば、もれなく知っているはずだ。芸歴40年を超える大物コメディアンであり、現在もテレビのゴールデン帯に複数のレギュラー番組を持っている。



「私は2ヶ月弱、彼の家に住み込んで、専属の運転手をやっていたんだ」


ーーなぜだ。なぜなんだ。そういう仕事は、普通、喜多原に憧れてて、喜田原に弟子入りしたい者がやるものではないのか。


 まさか瀬身はコメディアンでも目指しているのか。


 衛藤がそのように訊くと、瀬身は、鼻で笑った。



「そんなわけないだろ。たとえ大金をもらえるとしても道化師にだけはなりたくないね」


 「短期間に何度も捕まったり釈放されたりというのは道化の類ではないのか」という冷やかしが頭に浮かんだが、口に出すのはやめておく。



「ネットで求人が出てたから応募しただけだよ。前任者が辞めてしまい、急遽募集してたんだ」


「……芸能人の専属運転手ってそうやって求人されてるんですか?」


「普通は違うだろうな。やりたい人は多いだろうからね。でも、喜多原に関しては、運転手の成り手があまり確保できなかったんだ。実際に働いてみるとよく分かるよ。彼は、根っからのパワハラ体質なんだ。わずか2ヶ月弱で、気が病みそうだったよ」


「喜多原にいじめられたから、その意趣返しで、瀬身さんは喜多原を殺害したんですか?」


 瀬身がブラックコーヒーをカップの中に吹き出す。



「バカなことを言わないでくれ。第一、君にも伝えてるだろ。今回の事件は、轢き逃げなんだ」



 瀬身が話した事件の概要は以下のとおりである。



 瀬身は、コメディアンの喜多原の専属運転手として、東京都あきる野市にある喜多原の家で住み込みで働いていた。


 喜多原はすでに70歳を超えており、4人の子どもはいずれも成人し、独り立ちしていたから、喜多原は妻である範子のりこと2人暮らしだった。


 喜多原の豪邸は、2人で暮らすには幾分にも広く、3人で暮らしてもなお広い。

 本来であれば家政婦も必要そうなところであるが、働き者の範子の努力と、本来は運転手のはずである瀬身の助力によって、なんとか家事は回っていた。



 轢き逃げ事件があった日、喜多原と範子は、朝から2人で出かける予定があった。



「夫婦して渓流釣りが趣味なんだよ」


と瀬身が説明する。

 1週間前に秋川でヤマメ・マス釣りが解禁されており、夫婦は釣りに出掛けたのだという。わざわざあきる野市という辺鄙な場所に邸宅を構えたのも、渓流釣りができる川があることを気に入ったからだということである。



「釣り場までの運搬は瀬身さんが行ったんですか?」


「もちろん。そのために私が雇われているんだ」


 瀬身の話によると、夫婦が気に入っている釣り場までは、喜多原の邸宅からは車でおよそ30分とのことである。


 喜多原の愛車は、国産の高級車である「プレミアム・レスト」である。


 高級車の時点で目立つのに、真っ赤なボディなので目立って仕方がなかった。

 地元民はみな真っ赤な「プレミアム・レスト」を見るたびに、それが喜多原の愛車だと分かっていた。



「喜多原はとにかく赤いものが好きなんだよ。服も赤いものばかり着ている。カープファンだしな」


というのが瀬身談。



 その「プレミアム・レスト」の助手席に範子氏、後部座席に喜多原ひろひこを乗せ、喜多原の邸宅を出発したのは午前9時頃、その30分後である午前9時35分頃には、釣り場に到着した。



 そこで夫妻を降車させると、瀬身はすぐ近くの駐車場に「プレミアム・レスト」を停めた。



「あれ? そのまま瀬身さんだけ邸宅に戻らなかったんですか?」


「なんのために戻るんだ? 私の家ではないんだぞ」


「でも、住み込みなんですよね?」


「あんな家じゃ少しもくつろげないよ」


「じゃあ、夫婦が釣りを終えるまでどうしてたんですか?」


「川の近くにある喫茶店で、電子書籍を読んで時間を潰してたんだ。前回送迎したときに発見した穴場でね。この『シチュアシオン』のように居心地が良いんだよ」


 要するに、常時空いているということだろう。

 客のいない喫茶店で読書とは、いかにも人間嫌いの瀬身らしい。


 とにかく瀬身は、夫婦から迎えの指示があるまで、喫茶店「バイ・ザ・リバー」にいた。

 なお、位置関係としては、釣り場から駐車場、駐車場から「バイ・ザ・リバー」まで、それぞれ徒歩2分弱とのことである。


 喜多原と範子は、16時頃まで釣りを楽しんだ後、釣り場から徒歩で20分ほどのところにある行きつけのレストラン「山犬」に行き、食事とお酒を楽しむことにした。



「その時の移動には、瀬身さんは駆り出されなかったんですか?」


「ああ。ウォーキングも夫婦の趣味なんだ。山道を20分くらいへっちゃらだよ」



 そんなわけで、瀬身は、「山犬」への迎えを要請されるまで、喫茶店「バイ・ザ・リバー」に居続けてたらしい。


 範子から迎えを要請されたのは、20時のことである。

 約10時間もの間、瀬身は「リアル・リバー」で電子書籍を読み耽っていたことになる。



「海外の学術論文を30編以上読んでしまったよ。医学から法学まで様々だよ」


と瀬身が誇らしげに言う。掘り下げるとうんちくを語られるに違いなかったから、衛藤は「へぇ」と軽く流した。



 「今から『山犬』まで迎えに来て」という範子のLINEを受け取った瀬身は、「バイ・ザ・リバー」を出発し、「プレミアム・レスト」の停めてある駐車場に行き、その高級国産車に乗って「山犬」に向かった。


 駐車場から「山犬」までは徒歩で20分程度だが、車だと5分ほどである。20時10分頃には、瀬身は「山犬」に到着した。



「そこで喜多原夫婦を迎えて、20時30分頃までには車で『山犬』を出発した。そして、山道を走行し、21時5分頃に喜多村の邸宅に着いたんだ」


「それからどうしたんですが?」


「どうしたって、風呂に入って歯を磨いて寝ただけだ」


「あれ? いつ人を轢いたんですか?」


「だから、私は人など轢いていない!!」



 轢き逃げ事件の日、瀬身には車で人を轢いたという認識は一切なかった。



 しかし、翌日、喜多原宅に警察が来て、昨日に轢き逃げ事件があったこと、その事件の調査のために喜多原の愛車を調べさせて欲しい、と告げたのだという。


 喜多原は二つ返事で調査に応じたらしい。



「そして、見つかったんだよ。『プレミアム・レスト』のボディから被害者の血痕とそれらしき凹みが、ね」


「はあ……」


 何が何だか分からない話だな、というのが率直な印象である。



「今の話だと、事件があった日、喜多原の車を運転したのは、瀬身さんしかいないんですよね?」


「ああ……おそらく……多分……そうだ」


 なんだか煮え切らない返事である。

 認めたくないものの、客観的な証拠状況からして認めざるを得ない、といったところだろうか。



「瀬身さん、被害者の名前は分かるんですか?」


「分からない」


「轢かれた時間は?」


「分からない。私は被疑者だからな。そんな基本的な情報すら警察は教えてくれないんだ」


 そのために元探偵は元助手に調査を依頼しているのである。同様の話は、過去2回の事件でも聞かされている。


 ただ、と瀬身は暗い声を出す。



「喜多原宅の車庫には防犯カメラがあるんだ。数年前、近所の子どもにイタズラをされて高級車のボディを傷つけられたことがあって、神経質になっていてね。その防犯カメラ映像は確認しているが、事件の日は、9時頃に私が運転した車が出発し、21時5分頃に私が運転した車が到着した以外には、車庫の車の出入りはなかったんだ」


「要するに、瀬身さんの前にも後にも『プレミアム・レスト』を運転した人間はいないということですね」


「ああ」


 

 瀬身が弱々しく答える。今回は、いつにも増して状況が悪そうだ。



「だから、どうしても衛藤君の助けが欲しいんだ。このとおりだ」


 「このとおりだ」と言ったので、まさか土下座でもするのかと思いきや、やはりそんなことはなく、代わりに瀬身はポケットから「いつも」のルーズリーフを取り出した。衛藤が行うべき調査のポイントが端的にまとめられたメモである。


 それによると、今回の調査事項は、以下のとおり。




…………


【調査事項】


1 被害者が車に轢かれたとされる時刻


2 被害者が轢かれた場所その他被害者に関する情報


3 範子氏が川で無くした指輪について


4 車のボディについていた血痕、凹みに不自然な点はなかったか


5 車のキーの偽造・複製可能性


6 車のキーの特徴について




…………



「瀬身さん、3の『範子氏が川で無くした指輪』っていうのはなんですか?」


「『山犬』からの帰りの車内で、夫妻が話し合ってるのを聞いたんだが、事件のあった日、範子は川で指輪を落としたらしいんだ」


「それが事件と何か関係してるんですか?」


「現時点ではよく分からない。ただ、関係があるかもしれないと私は思っている。詳しいところは、私ではなく喜多原夫妻に直接訊いてくれ」


 あ、と小さな声をあげて、瀬身が付け足す。



「喜多原夫妻に事情聴取する際には、君が私の味方だということは隠した方がいい。夫妻は、私のことを目の敵にしているからね」



…………




 あきる野市を管轄しているのは、五日市警察署である。


 その面会室で、衛藤は瀬身を待った。


 やがて厳つい顔の警官に連れられて、アクリル板の向こうにあるドアから現れた瀬身は、いつにも増して疲れている様子だった。



 面会室を出て、留置施設へと戻る警官の足音が聞こえなくなってから、瀬身は、元気がないながらもニヒルに笑って見せた。



「衛藤君、いつの間に弁護士資格を取ったんだい?」


「今朝です」


 衛藤は、アクリル板越しに、偽造した身分証明証を見せる。

 顔写真は衛藤のものだが、名前や生年月日は全く別人のものである。

 実在の弁護士から勝手に拝借したのだ。



「留置施設の面会は、警官立ち会いの下、1日15分に制限されてるんです。ただし、弁護士であれば、接見交通権が保障されてますので、警官に聞かれることなく、何時間でも面会できるんです。チートですよね」


「君のやってることがな。私なんかよりも君の方がよっぽど刑法に違反しているじゃないか。警察は捕まえる相手を完全に間違えてるね」


 そうやって相変わらず毒を吐いたものの、瀬身の表情は嬉しそうである。

 逮捕・勾留され、五日市警察内の留置施設に身柄拘束されてしまったことがよほど心細かったのだ。



 できることならこうなる前に調査を終え、瀬身を冤罪から救ってあげたかったのだが、瀬身が逮捕されたのは「シチュアシオン」で衛藤に【調査事項】メモを渡した翌朝のことだった。

 衛藤からすれば、完全に不可抗力である。



「さあ、衛藤弁護士、腕前を見せてくれたまえ。その力量で無辜の民を救ってくれたまえ」


 両手を広げる大袈裟なアクションとともに、瀬身が茶化す。



「もちろん僕のやるべきことは全てやりました。ただ、僕がしたことは事実調査だけです。事件の真相はちっとも分かりませんよ」


 謙遜ではない。事実を知ったところで、この事件は本当に何が何だか分からないのである。



「それで構わない。なんたって君の依頼者は、優秀な元探偵だからな」


 ワハハと瀬身が高笑いをする。


 先ほど留置係の警官と雑談する中で聞いた話によると、瀬身は逮捕されて以降、完全黙秘(カンモク)を貫いているとのことだ。

 さらには単独で留置されているとのことだから、人と話すことが久しぶりなのだ。

 ゆえに妙にテンションが上がっているに違いない。



 衛藤は「調査事項」の書かれたルーズリーフを広げ、瀬身に正対する向きでテーブルに置いた。

 アクリル板越しなのでちゃんと見えているのか心配だったが、衛藤の書き込みに対して「相変わらず女子みたいな細かい字だね」と茶化せる程度には見えているようで安心した。



 それでは始めますね、と衛藤は切り出す。




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― 新着の感想 ―
[一言] これはまた不思議な事件ですね。 というかパワハラな人と一緒にいたって知った辺りから瀬見さんが満身さんに一瞬見えたぜ(ぇ
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