大嫌いな客
ガールズバー「アフロディーテ」は、山手線の大塚駅北口を出てすぐの立地にある。
大塚は、お隣の池袋と比べるとマイナーな土地であるが、安い居酒屋や風俗店が軒を連ねる都内屈指の「歓楽街」である。
「アフロディーテ」はその中でも老舗であり、勤務する女の子も多い。
仕事帰りのサラリーマンが、駅前でこの店の客引きの女の子を見ない日はない。
マリとモモは、2人とも「アフロディーテ」に勤務する女の子――キャストである。
2人ともこの店に3年以上勤務している。
入れ替えが激しい業界であることを考えれば、最早ベテランの域とも言える(マリは24歳、モモは23歳の若さではあるが)。
「まったりになっちゃったね」
マリが、バーカウンターの向こうの空席を眺めながら、ボヤく。
店内に9つある座席は、1時間前には満席だった。
店内では常にカラオケが流れ、お客さんの声やらマラカスの音やらが鳴り止まなかった。
しかし、今日の団体客は、みな終電前に帰ってしまった。
1人で残って絡み酒をしていた常連客も、先ほど帰ってしまい、今は、キャストのマリとモモを除き、店内には誰もいない。
女の子の勤怠等を管理している男性スタッフも、こんな時間に買い出しに行っているのか、それともサボっているだけなのかは定かではないが、しばらく姿を見せていない。
「私、朝までシフト入れてるんだけど、誰もお客さんいないなら、帰っちゃおうかな」
マリは、今度は流しの中に目を遣る。
洗っていないコップが3つあるだけである。
これを片付けたら帰ろうと決意したのか、彼女は腕捲りをし、泡のついたスポンジを拾い上げた。
「ちょうどよかったわ。マリに話したいことがあったの」
モモの発言に、マリが、洗い物の手を止める。
「何? 話したいことって? また彼氏と喧嘩したの?」
「違う。とっくに別れたよ。あんなクズ男。言わなかったっけ? そんなことよりももっと大事な話」
モモは、裏面にラインストーンがビッシリと貼られたスマホを操作し、あるニュースサイトの記事にアクセスすると、それをマリに提示した。
「……何これ? ……殺人?」
「そう。昨日の夜、刺殺事件が起きたの。このお店の近くで」
たしかにその記事には、殺人事件が発生した場所は、「東京都豊島区」と書かれている。
「ふーん。……で、それがどうしたの?」
「被害者の名前を見てみて」
「飛鳥山……。珍しい名字ね」
「名字じゃない。下の名前」
「昌紀……。まあ、こっちはよくありそうね」
「誰か分からない?」
「ううん。知らない人」
「へぇ」
モモは口を尖らせることで、マリの反応に対して不服を示しつつ、スマホをマリの鼻先から取り下げた。
「マサキさんよ。知っているでしょ。このお店のお客さん」
「ああ、マサキさんならもちろん知ってるよ。週2くらいでお店に来るし」
ガールズバーの客で、自らのフルネームを名乗る者は、ほぼいない。好きなサッカー選手から名前を借りたり、アナグラムを使ったりする者もいる。
ただ、一番多いのは、自分の下の名前をそのまま使うパターンである。
ちなみに、これはキャストも同様である。
「マサキさんが殺されたの。マリ、率直に言って、どう思う?」
「……どう思うって?」
「悲しい?」
「……うーん、そうね。何と言えばいいのか……」
「悲しくないよね? むしろ、嬉しいでしょ?」
「……モモ、あなた何言っているの?」
マリは眉を顰めたが、モモはそれを意に介さず続ける。
「だって、マリにとって願ってもない展開でしょ。マサキさんは、あなたが一番嫌いな客だもんね」
お店に来た客に分け隔てなく接するのが、ガールズバーのキャストの仕事であるが、キャストも人間である。それどころか若い女の子である。当然、客に対する好き嫌いはある。
「……そりゃまあ、嫌いっちゃ嫌いだけど」
「マサキさん、酒癖悪くて、キャストにバカとかブスとか平気で暴言吐くもんね」
「私だけじゃなく、全キャストが嫌ってたよ」
「ただ、マリは格別。彼のことを心底嫌ってた」
「……どうしてそんなことが言えるの?」
「だって、私にも相談してたじゃない。マサキさんからストーカーされてるって」
マリとモモは、「アフロディーテ」の最古参キャスト同士であり、今日のように、朝まで2人だけでシフトが入っていることも、月に5度ほどある。
2人は、プライベートでも会って一緒に遊ぶほどの仲あり、お互いの悩みついてもお互いに打ち明けていた。
「……まあ、帰り道に尾けられたことはあるけど」
「それだけじゃなく、襲われそうになったこともある、って言っていたよね。夜道で後ろから抱きつかれて、通りすがりの人に助けを求めたって。先月くらいに」
「……そうだけど。……でも、だからと言って、死んで欲しいとまでは思わないよ。……というか、モモ、何が言いたいの? 私がマサキさんを嫌ってるとして、それがマサキさんが殺されたことと何か関係があるとでも言いたいの?」
モモは、しばらく黙り込んだ後、意を決したように、「ええ。そう」と短く答えた。
マリは再び眉を顰めた後、開いた手をモモに対して差し出した。
「さっきのニュース見せて」
モモは、マリの求めに応じ、スマホを手渡した。
画面は、先ほどのニュース記事のままである。
「ほら。犯人はもう捕まってるじゃない。『逮捕されたのは、会社員の宇賀元喬平』って記事に書いてある。私はそんな名前じゃないよ。性別も違う」
「ええ。マサキさんを殺したのはマリじゃない」
「じゃあ、私はマサキさんが殺されたことにどう関係してるの? まさか私が、この宇賀元喬平と共犯だと?」
「共犯……それは違うかな」
「じゃあ何? 私がどういう風に事件に関わっているって言いたいわけ?」
モモは、しばらく考え込んだ後、
「黒幕……かな」
と言った。
「黒幕」という物騒な言葉に、マリは、激昂するかとも思われたが、むしろ動揺する様子もなく、平素のすまし顔のままで、
「モモ、何か証拠はあるの?」
と問い質しただけであった。
「証拠? そうね。強いて言うなら、犯人とあなたとの関係性かしら」
「宇賀元喬平という人間と私との間に何かがあるってわけ?」
「ええ。そのとおり。だって、宇賀元喬平は、このお店の常連客の一人、キョンさんだからね」
モモ曰く、ネットニュースが報じた殺人事件は、被害者だけではなく、加害者も「アフロディーテ」の常連客だという。
つまり、このガールズバーの常連客同士の殺人、というわけだ。
「キョンさんが殺人? それは意外ね。あの人、すごく良い人なのに」
「そうね。キョンさんは良い人ね。でも、マリも知ってるでしょ? 彼は、今でこそ真面目なサラリーマンだけど、昔は暴走族でやんちゃしてて、刑務所帰りだってこと」
「そうなの?」
「とぼけないで。お店でキョンさんがその話をしてたとき、あなたもそばで聞いていた」
「……覚えてない。その日、飲み過ぎてたのかも」
「とぼけないで、って言ったでしょ」
モモは、トロリとした垂れ目がチャームポイントの女の子だが、今は目を釣り上げて、マリのことを睨みつけている。
「つい1週間前の話よ。キョンさんが、居酒屋で、当時付き合っていた彼女の悪口を言った友人をその場で締め上げて、半殺しにして、懲役刑を食らったって話」
「ふーん。聞いたような聞いてないような」
「マリ、あなたは『彼女さん羨ましい』とか、そんな相槌打ってた」
「ああ。そんなことあったかも」
「思い出してきた? じゃあ、もっと思い出させてあげる。キョンさんは言ったの。『男は、好きな女のためだったら後先考えちゃダメだ』って。それに対して、あなたは、キョンさんにこう言ったの。『じゃあ、キョンさん、私のために人を殺せる?』って」
モモの深刻な表情を見て、マリはわざとらしく鼻で笑う。
「単なるジョーク」
「ううん。違う。あなたは本気だった」
「どうしてそう言えるの?」
「分かるよ。マリとは長い付き合いだから。あのときのマリは、真剣な目をしてた」
それに、とモモは続ける。
「何より、結果が全てを物語ってる。キョンさんとマリとのやりとりの1週間後、実際に、キョンさんが、あなたの大っ嫌いな客をナイフで刺して殺してるんだから。キョンさんとマサキさんとの接点はこの店しかない。わざわざナイフを用意するほどの殺意なんて、普通生まれない。キョンさんは、好きな女のためなら何でもやる人だと知って、あの後、あなたは、2人きりになるタイミングを見計らって、あえてキョンさんに話したのよ。マサキさんにストーカーされてて、レイプされそうになった話を。その話をすれば、キョンさんがあなたのために一肌脱ぐと信じて」
マリは、モモの推理を、相変わらずのすまし顔で聞いていた。
そして、モモが話し終わると、両手を額の高さに挙げ、ゆっくりと拍手をし始めた。
「モモ、素晴らしい推理ね」
「マリ、認めるんだね。キョンさんを殺人に利用したことを」
「……私がそれを認めたら、モモ、どうするの? 私を警察に売るの?」
モモは、何かを言いかけたが、そのまま口籠もってしまった。
「モモ、私たち、友達だよね?」
「……友達だよ。もちろん」
「じゃあ、友情と正義、どっちが大事なの?」
「それは友情だけど……」
「だけど? だけど何なの?」
モモが、また何かを言いかけて口籠る。
マリは、ニヤリと白い歯を見せる。
「モモが何を言いたのか、私にはよく分かるよ。だって長い付き合いだからね。モモはこう言いたいんでしょ。『友情よりも恋が大事』って」
マリの発言に、モモが目を丸くする。
「マリ……今なんて?」
「恋よ。恋。私、知ってるんだから、あなたがキョンさんに惚れていることを」
モモは、唖然とした表情のまま固まってしまう。
マリの指摘は図星だったのだ。
「そうじゃなきゃ、モモはこんな風に探偵ごっこを始めて私を追い詰めたりなんてしないでしょ? そもそも、このネットニュースの存在にも気付かなかったはず。モモがこんなに必死になるのは、キョンさんがあなたにとって一番のお気に入り客で、あなたとキョンさんが個人的なやりとりをしてるから、でしょ」
これも図星だったようで、モモはただ口をパクパクさせるだけで、なかなか言葉を発することができなかった。
「モモが単なる営業目的を超えて、キョンさんと仲良くLINEをしていること、私、知ってるんだから」
「……どうして? どうして知ってるの?」
「私たちの仲だから、だよ。モモは優しいから、私の携帯の充電が切れたとき、いつも私に自分の携帯を貸してくれるでしょ」
「まさか、そのときに盗み見たの? マリのこと、信じてたのに!」
「盗み見たなんて人聞きが悪い。たまたま通知が来て、見えちゃっただけ。まあ、そんなに目くじら立てないでよ。別に、お客さんと繋がることは悪いことじゃないから」
ただ、とマリは続ける。
「盲目な恋で冷静さを失うのは良くないよ。あなたが『黒幕』として、警察に私を売ったところで、キョンさんの罪の重さは変わらない。女のために殺そうが、喧嘩でカッとなって殺そうが、殺人は殺人だから。私が、共謀共同正犯になろうが、教唆犯になろうが、実行犯であるキョンさんの罪の重さにはほぼ影響しない」
モモは、涙で目を真っ赤に腫らしながら、大きく首を振った。
「キョンさんは、マリを庇って、警察で黙秘を貫いてる。私は、それを黙って見過ごすわけにはいかない」
「本当に恋は盲目なのね」
マリは大きくため息をつく。
「まあ、ただ、こうなることは分かってたの。モモとは長い付き合いだからね。あなたのまっすぐな性格はよく知ってる。さて、そんな大親友のモモにとっておきのことを教えてあげるよ」
「とっておきのこと?」
「ええ。さっきのモモの推理についてね。あの推理、大体合ってるんだけど、実は大事なところが間違ってるの」
「どこ? どこが間違ってるの?」
「自分でも矛盾してることに気付かない? キョンさんは、『好きな女』のためなら人殺しにもなれる。でも、私は、キョンさんの『好きな女』じゃない。キョンさんが『好きな女』は、モモ、あなただからね」
モモの頬が不意に赤らむ。
「え? キョンさんが私のことを……?」
「そうじゃなきゃ、あんなイチャイチャLINEしないって。要するに、相思相愛なわけ。羨ましい限りだよ」
「え? え?」
意中の相手と結ばれていたことを知って満更でもない様子のモモだったが、次のマリの言葉が、モモの表情から最後の光を奪い去った。
「だから、私は、つい一昨日、いつものようにモモから携帯を借りたとき、モモのLINEを使って、キョンさんにメッセージを送ったんだ。『マサキさんにストーカーされてて、レイプされそうになった』って。ありがたいことに、すぐに既読がついたから、メッセージは即削除したけどね」
「え……?」
「だから、『黒幕』は、モモ、あなたなの。だから、キョンさんには、このまま黙秘させておいた方がいいと思うよ。これ、親友としての心からのアドバイス」
大塚のガルバでぼったくられた苦い記憶を思い出しながら書きました。
そういえば、この前、学生時代の同期と飲んだ時に、「ガルバ」という略語が通じなくて引かれました。普通に言いますよね? ガルバ。え? 言いませんか?
……そんな話はさておき、この話は、ミステリーとしては超シンプルです。もっというと、まあまあ雑だと思います。
その雑な論理の中に、「恋」とか「友情」とか、そういう非論理的なことが最後にワッと混ざってきて、なんとなく論理として完結してしまうところが、この作品の面白いところなのかなと自負しています。
今日中にもう1作品あげます。「ウサギ」とこの作品だけの状態だと、なんだか気恥ずかしくて。